343.干し柿作りと先の話
「これがリッカの実かあ。ほんとに柿にそっくりだね」
籠に盛られたリッカの実を手に取って、マリアがしみじみと言う。皮がつやつやとして傷も少なく、綺麗な色をしたリッカの実は、見た目からして美味しそうだった。
「渋が入っているから生で食べるのには向かないけれど、干したら渋が抜けて甘くなるし、味も干し柿にそっくりよ」
一回りから二回りも大きいけれど、色も形も硬そうな皮も前世の柿とそっくりのリッカの実が、今年もたわわに実ったらしい。
毎年メルト村で干したものをおすそ分けしてもらっているけれど、今年は領主邸でも作ってみようという話はしていた。それを聞いたロドが実家に戻るついでに、籠二つ分もお土産に持ってきてくれたものだった。
そのロドと、レナとユリウスは朝から鍛冶工房に行ってしまったので、干し柿作りの参加者はメルフィーナとセドリックとマリー、マリアとオーギュストに、厨房の主であるエドとコーネリアの七人である。
「まずは湿らせた布でよく拭いて、ヘタと上の枝を少し残して皮を剥いていくわ。全面を剥いたら干しやすいように紐で結んでいってね」
エドはともかくとして、相変わらずセドリックとオーギュストは危なげない手つきでするすると作業をこなしていく。修道院にいた頃は料理もしていたというコーネリアもそれなりの手つきで、一番危なっかしいマリアには実を拭く係をしてもらうことにする。
「干し柿、あんまり食べたことないな。こっちには生でも甘い柿はあるの?」
「今育てているけれど、それが食べられるようになるのは大分先ね。柿って基本的に、ほとんど全部渋柿だから」
「え、甘いとか渋いとかは、品種によるのかと思ってた」
「勿論甘い品種の柿もあるけれど、甘い品種同士って実が生りにくいのよね」
甘い柿同士では遺伝子が近すぎて近交弱勢が起こるため結実が難しく、熟する前に木から脱落してしまうことが多い。そのため甘い柿を親に持つ実も、抱えている種は両親どちらかが渋柿であることがほとんどだ。
そして柿の甘い遺伝子は潜性であり、ほとんどの種は渋柿になるので、今のように野生種を採取すれば、甘い柿が交じらないのは必然となる。
「どうも、リッカの実も同じようなのよね。種がひとつしか入っていないけど、基本的には柿の近縁種なんでしょうね」
「つまり、甘い柿は基本的には食べられないってこと?」
「いえ、今メルト村のいくつかの家で甘い実が生る木を育ててもらっているわ。種から育てることになるから、かなり時間がかかるけれど」
エンカー地方に来た最初の秋は山で採ったものだったけれど、平民が楽しめる数少ない甘味のひとつということもありニドを含む複数の家が敷地内でもリッカの実を育ててみたいという申し出があった。
その際、どうせならとメルフィーナが「鑑定」を行い、甘い実が生る種を選別していった。
「渋い実の生る種の方も、後々接ぎ木の土台として使えるように育ててもらっているから、時期がくれば甘い柿が一気に採れるようになるはずよ」
桃栗三年柿八年というように、最初の実が生るまでにはそれなりの時間が必要になるけれど、接ぎ木が可能になれば三年ほどで結実が始まるようになる。
甘い柿は、前世では季節になれば当たり前のようにスーパーに並んでいたものだけれど、実際食味のいい甘い実を収穫しようとすれば、それなりに手間が掛かるものだ。
持ち出した種を植えたところであっという間に交雑して渋柿になるので、遺伝の法則が発見されるまで甘い柿はほぼエンカー地方による独占状態が続くだろう。
十年後には、秋のエンカー地方のよい名物のひとつになっているかもしれない。
「干し柿も甘くて美味しいですが、生だとまた、違うんでしょうね」
「ええ。それも時期によって固くてサクサクした歯ごたえから、柔らかくてねっとりと甘いものまで楽しめるわ。完熟した甘柿は、麦汁みたいに発酵してお酒の匂いがするくらい糖度が高くなるから、それはそれは甘いわよ」
何しろ酔っ払いの吐息を熟柿臭いと表現する言葉まであるほどだ。
「それは、是非食べてみたいですね」
「私も楽しみです」
マリーとセドリックの言葉に頷いて、すっかり皮の剥けた柿を吊るした時に重ならない長さに調節しながら紐で結んでいく。
「生食もいいけれど、甘い柿が採れるようになったら料理にも色々な使い道ができるわね。チーズと合わせてカプレーゼにしたり、ジャムやパイの具にするのもいいし、生ハムと合わせてオードブルにするのも素敵だわ」
エンカー地方産のワインも、その頃には軌道に乗っているだろう。きっと、蜂蜜酒とも合うはずだ。
「その時はエドに色々と作ってもらうわね」
「任せてください。それまでに沢山腕を磨いておきます!」
エドの元気のいい言葉に頷いて、その頃には、エンカー地方はどうなっているだろうかと、そんなことに思いを馳せる。
現在手掛けている橋は完成し、広場には時報を告げる時計台が建っているかもしれない。今は屋台が立ち並んでいるけれど、店舗の数も増えているだろう。
人口も増えて村ではなく町になっているかもしれないし、市壁はその頃には、完成しているだろうか。
きっと色々なものが増えて、ますます活気づいているに違いない。
「紐で結び終えたら沸騰したお湯に数秒浸けて表面を消毒して、あとは風通りのいい場所に干していくわ。乾燥で実が固くなりすぎないよう数日おきに揉んでいって、半月から三週間ほどすれば完成ね」
今回は使用人用だけれど空き部屋になっている、屋根裏の窓付きの部屋に干すことにする。日当たりも悪くないし、管理も楽だろう。
「そんなに難しくないんだね」
「そうね。無事完成したらクリームチーズと合わせたりパウンドケーキに入れたりして、色々楽しみましょう」
マリアは結んだリッカの実をじっと見つめて、いいことを思いついたという様子でメルフィーナを見た。
「ね、メルフィーナ。ここからひとつ種を取って、「甘柿になれ~」って念じたら、甘柿に変化したりしないかな」
「ならないとは思うけど、絶対にならないとは言えないわよね。試してみるのは少し怖い気もするけれど」
柿の甘さ渋さは遺伝によるものなので、さすがにマリアでもそこまで出来るとは思えないし、出来たとしたらその応用の幅は前世の遺伝子操作に対する倫理的問題とは比較にならないほど大きいものになるだろう。
けれど、魔力によって肉体から新たに欠損した部分を生やすことが出来るでたらめな能力をもってすれば、何でもありな気もする。
当のマリアはそこまで考えていない様子で、あっけらかんと笑っていた。
「渋柿になっちゃってもこうして干せば食べられるんだし、ひとつ試してみようよ。甘くなればラッキーくらいの気持ちで」
「良いけど、マリア」
柿が種から実が生るまで、十年近くかかるのよ。
そんな言葉を口にし掛けて、それは野暮だなと喉の奥で呑みこむ。
「そうね、鉢に植えて冬の間は温室に置いておいて、暖かくなったら菜園に植えてみましょうか」
「うん! あ、芽が出たら育て~育て~と念じようか」
「マリア様は、最近ユリウス様とレナに毒されて来てますね」
更に良いことを思いついたとばかりに両手を握ったマリアだが、コーネリアに笑われて、うっと唇を引き締める。
コーネリアがユリウスとレナのいいブレーキになっているというのはマリアとオーギュストから時々聞いていたけれど、なるほど、おっとりとしていながら言葉を掛けるタイミングが絶妙だし、中々痛いところを突くのも上手いらしい。
マリアもあの二人と同列に並べられるのは抵抗があるらしく、しおしおと握った手を開いていた。
「……やっぱやめとこうかな。自然に育つのが一番だし」
「それがいいわ。ゆっくり待つ楽しみもあるわよ、きっと」
「だね」
頷いたマリアに気負った様子は見られず、茹でるのを手伝いたいとエドに申し出ている。
マリアにとってずっと先の話は気まずいのではないかと思ったけれど、あまり気にしている様子はなさそうで、それにほっとするのだった。




