334.揚げ芋とお祭りの空気
ロマーナの民謡と踊りを教えてもらい、ひとしきり歌ったり踊ったりしていたけれど、少し騒ぎが起きたのをきりに、自然と休憩に入ることになった。並べた木箱に腰を下ろし、空を仰ぐとしっとりと肌を濡らした汗が冷えて、気持ちいい。
「はー、疲れた、でも楽しいー!」
領主邸での生活に不満はないけれど、メルフィーナもマリーもコーネリアも、どちらかというと落ち着いていて物静かなタイプであまりきゃあきゃあと騒ぐことがないので、こういう雰囲気は中々新鮮だった。
「マリア様、体力ありますよね。踊りながら歌ってたのに、あんまり息切れしてないですし」
「お転婆だから、私」
そう答えると、あははと明るい笑い声が起きる。
普段からジョギングをしている賜物だろう。特に貴族の女性はおしとやかであることが美徳とされているので、それに比べれば体力は格段にあるはずだ。
「飲み物と軽食を買ってきますね」
「あ、私お手伝いします!」
マリーが立ち上がると、ロジーが手をあげてついていった。護衛の兵士二人もその後ろについていき、人数分の軽食を購入して戻ってくる。木皿に盛られたのは鶏肉を串に刺して焼いたものと揚げ芋に、黒と灰色の中間のような色のパンが添えられている。飲み物はエールと、エンカー地方では広く飲まれているコーン茶だ。
「揚げ芋、すごく人気で広場ではすぐ売り切れちゃって、畑から掘るところからやってるらしいよ」
「種芋が欲しいって結構言われてるみたいだよね」
「西の鳥小屋のあるおじさんのとこ、芋畑が荒らされたって言ってたよ。犯人は見つかったらしいけどさぁ、収穫まであと十日くらい実を太らせる予定だったのにって怒ってた」
「あー、なんか勝手に柵の近くの芋が引っこ抜かれたりするの、増えてるみたいだよねえ」
「そうした被害が出たら、すぐに兵士に伝えてください。メルフィーナ様から厳しく罰があると思いますので」
普段は静かに聞き役に回っていることの多いマリーが、形のいい眉を寄せて言う。マリアもコーン茶を飲んで芋をつまみながら、少しむっとしてしまった。
「折角育てたのに、ひどいね。なんでそんなことするんだろう」
「種芋は、閣下が各地に無償かかなり安価に提供をしましたが、それでも全体としては足りていないので、今は驚くほどの値がつくんですよ」
「あ、転売用ってことか……うーん」
「芋はすぐに増えるので来年以降は落ち着くと思いますが、目先の欲に抗えない愚か者も多いんでしょう。捕まってエンカー地方に出入りを禁じられる方が、長い目で見ればよほど大きな不利益になるんですけどね」
オーギュストがそう告げると、お針子たちもうんうんと頷いている。
「これまで人の畑から勝手に抜いていく人なんていなかったから、最初はすごく驚いたよね」
「ね、そんなことしたら普通に村八分だよ」
「その場で見つかったら袋叩きに遭っても文句は言えないよね」
少し怖い単語が出たけれど、メルフィーナが来る以前は食べて暮らしていくだけでも大変だったという話は時折聞いていたので、人の畑に手を出すのはそれだけ重いことだったのだろう。
花飾りを一緒に作った女性たちは、マリアよりひとつかふたつ年上で、年が近いこともあってすぐに打ち解けることが出来た。彼女たちは、普段は村でお針子として働いているのだという。みんな明るくていい子ばかりだけれど、逞しい。
「お祭りは楽しいけど、これが終わると一気に冬支度だなぁって思うとちょっと寂しいね」
「今年は冬の間もお針子の仕事が沢山あるだろうから、マシだけど。刺繍の仕事、増えるといいんだけどなあ」
「お針子のお仕事って、どういうことをするの?」
マリアが聞くと、五人はぱっと表情を明るくして、口々に言った。
「夏の盛りは、ひっかけて破れた部分の修復が多かったです。石材とか釘なんかで破れたのを放っておくと、そこから余計に傷んでいくので」
「ララは刺繍がすごく上手なんですよ! 色糸の合わせ方もセンスがいいんです」
「繕いも嫌いではないんですけど、毎日二十枚とか三十枚とか来るので、日によっては結構大変なんですよね。預かった服が他と混じらないように最初は色々工夫が必要だったんですよ。そのたびにジャンヌ先生が怒りだすし」
「ちゃんと預かり札を出してって言うのに、あんたが大丈夫大丈夫って言うからでしょ」
「修復といっても破れた場所も大きさも違うし、分かるって思ったんだもん」
「だもんじゃないわよ、もう」
濃い茶色の髪のミリアムはお針子たちの中で一番の年長で、几帳面な性格をしているようだ。対するロジーはやや思い切りがいい性格らしい。ララは五人の中では大人しくて繊細な様子で、ルイーザは明るいムードメーカー、リーゼはのんびりとマイペースな様子が、少しコーネリアに似ているかもしれない。
「ちょっと前は補修の仕事が殆どだったんですけど、最近は新しく仕立てる仕事も増えたんですよ。服も、以前は行商から買うのが当たり前だったんですけど、最近はエンカー地方で作られたものが増えてきました」
「いまだに布に鋏を入れる時は緊張するよね」
「布、高いもんねえ」
「冬の間は下の子たちにお裁縫を教えてあげられるだろうし、がんばらないとね」
メルフィーナも室内着は自分で縫うと言っていたけれど、布を始めとして針も糸も高額なこの世界だと、裁縫自体がそれなりに習得の機会が必要な教養の一種らしい。基本的には、子供のころから親元を離れて奉公に入り、十代のうちに独立するような仕事のひとつだけれど、エンカー地方ではメルフィーナが希望者に技術を教える人と場所、針と糸を支給して、学べる体制を作ったのだと聞いていた。
「みんな、すごいなあ。私と年がそんなに変わらないのに、ちゃんと働いてて」
思わずそうこぼすと、五人はぱちぱちと瞬きをして、それからどっと笑った。
「やだ、マリア様が作った靴、すごく話題なんですよ。ジャンヌ先生の工房にまでここに靴を作っている職人はいないのかって訪ねて来る商人がいたくらいなんですから!」
ルイーザの意外な言葉に驚いていると、ララがうんうんと頷いて続ける。
「革職人の店を回って見つからないから、縫製つながりで来たみたいだけど、流石に無理だよね」
「メルフィーナ様の妹様の考案ってことは知れ渡っているんですけど、流石に城館を訪ねることは出来ないからって、村の工房をしらみつぶしに回って職人を探しているみたいですよ」
「結局、職人は城館に囲われているんだろうということになって少しは落ち着いたんですけど、お祭りで外から来る商人が増えたので、また尋ねて回る人も出てきたみたいです」
流石にそれは初耳で、少し焦る。
ディーターとロニーは現在、城館の一角に作業場として仮の工房を構えているけれど、公爵家の騎士たちの靴を作るのに手いっぱいでオーダーを受ける暇などないはずだ。
村に工房と店舗を兼ねた建物を造り、実際にオープンするのはどれだけ早くても春になるだろう。
「えっ、どこからあの靴の話が広がっちゃったんだろ」
「そりゃあ、城館の皆さんが見慣れない靴を履いているから、気になるんだと思います。ほら、商人ってすごく目敏いので」
「エンカー地方で作られる新しいものって、なんだかすごく注目されるみたいですよ。花飾りもお祭りが終わった後でいいから作ってほしいって、結構行商の人たちからも頼まれてますし」
「メルフィーナ様と同じ靴、いつか履きたいよね」
「わかる! マリア様とマリー様が羨ましいです」
マリーは普段からあまり表情が変わらないけれど、そう言われて満更でもないらしく、うっすらと微笑んでいる。
マリアとしては、意外な形で話が広がっていることに戸惑いながらも、興味を持ってもらえるのは嬉しいことだ。今の時点では完全なオーダーメイドでそう数も作れないけれど、ディーターとロニーはいずれセミオーダーも視野に入れているようだし、靴事業のいい追い風になるかもしれない。
「私も、その靴が欲しいです。もちろん、騎士たちの後で構いませんが」
話に交じって来たウィリアムの口元についたケチャップを、マリーが微笑まし気な様子でハンカチで拭う。そうした世話に慣れていない様子だけれど、ウィリアムも大人しくされるがままになっていた。
大人びた言動が多いと感じるウィリアムだけれど、メルフィーナとマリーの前では時々年相応か、もう少し幼い様子を見ることが出来た。
なんとなく、貴族として弁えているという態度を見るより、そちらのほうがマリアもほっとする。ほのぼのと叔母と甥のやり取りを見ていると、その視線に気づいたらしくウィリアムがもう大丈夫です、と体を少し離してしまった。
弟も、昔はお姉ちゃんっ子で甘えん坊だったけれどある程度の年になるとそれを人前では強く避けるようになった。それを思い出して、なんだかしんみりした気持ちを振り払うように、にっこりと笑う。
「靴はそのうち、みんなの手にも届くようになると思う。メルフィーナと相談しながらになるけど、いずれ革の加工や染色もエンカー地方で出来るようになるみたいだから、そうなったら値段も下げられると思うし」
「わあっ、楽しみです!」
「この間商人から、ロマーナでは「ずっと共に歩く」って意味で結婚の時に布の靴を贈り合う習慣があると聞きましたけど、エンカー地方ではマリア様の靴になるかもしれませんね」
「それ、すごく素敵!」
きゃあきゃあと嬉しそうに言い合うお針子たちに、何となく共に靴の開発をしてくれたオーギュストと視線を交わし合って、肩を揺らして笑う。
「みんな、エンカー地方が大好きなんだね」
「それはもう! 他の土地は知りませんけど、国中探してもこんなにいい村はないと思います!」
「毎日ご飯美味しいし、家もあったかいもんね」
「私も好きです、エンカー地方にいると、すごく気持ちが楽になります」
少し素っ気なくしたことを気にしたように、マリーに向かってウィリアムが小さな声で言う。マリーは微笑んで、ウィリアムの青灰色の髪をそっと撫でた。
「私もここが大好きよ」
「はい」
何だかすごく優しい空気になって、皆が自然と微笑んで、浮かれたような気持ちがずっと続いていて。
――ああ、楽しいな。
心からそう思っている自分がいることに、嬉しいような、切ないような、そんな気持ちにさせられた。




