33.収穫祭と新しいエールのお披露目
午前中の仕事を終え、昼食は会場の屋台で食べることにして、メルフィーナはマリーとセドリックとラッドを伴い祭りの会場にやってきた。
領主邸からはエド、クリフ、エリを先に会場に送り、領主からの振る舞いの準備をしてもらっている。
特に料理の技術をめきめきと上げているエドは、今や立派な領主邸の戦力である。レシピを教え目の前で作ってみせれば、次からはメルフィーナより手際が良いくらいだ。
――もしかしたら、エドにも「才能」があるかもしれないわね。
冬が終わったら、他にも才能の片鱗を見せている子供達を連れて、近い土地にある教会と神殿を訪ねる計画を立ててもいいかもしれない。
広場にたどり着くと、すでに住人達でにぎわっていた。みんな心なしか少しおしゃれをしているようで、明るい表情で挨拶を交わしながら領主邸の屋台にたどり着く。
「お疲れ様、みんな。準備はどう?」
「メルフィーナ様、お疲れ様です! もういつでも始められますよ!」
二つの大鍋の中には温められたスープが良い香りを放っている。真っ白な湯気に乗って、その香りは広場中に広がっていた。
「メルフィーナ様、樽はどこに置きましょう」
「こっちにお願い。どんどん運んでください」
ラッドに問われて、領主邸の屋台の傍のスペースを指す。元々人足をしていたラッドとクリフが危なげなく荷車で運んできた樽を積んでいった。
今朝まで領主邸の傍に造られた地下室で熟成していたエール樽である。腕のいい樽職人に頼んで、どっしりと重たいオーク材で作ってもらったものだ。
「とうとうお披露目ですね」
「ええ、みんな気に入ってくれるといいけれど」
ここしばらく試行錯誤を繰り返していたエールの樽が積み上がっていく様子に、スープのよい匂いもあいまって、集まって来た村人もちらちらとこちらに視線を向けていた。
「メルフィーナ様、準備が整いました」
「ええ、ではお祭りを始めましょうか」
ルッツの息子に促され、セドリックにエスコートしてもらいながら広場の中央に設えた収穫物の祭壇のそばに立つ。
広場はすっきりと整えられ、集まって来た村人や元農奴の人々も明るい表情でこちらを見ていた。それにふわりと、自然と笑みが漏れる。
「皆さん、春から夏のお仕事、本当にお疲れ様でした。おかげでエンカー地方は大変な豊作に恵まれました。新しい住人も少しずつ増えて、今後ますます発展していくことと思います」
空を見上げると、秋らしく、よく晴れていた。
食べ物のよい匂いが満ちていて、ここちよく食欲を刺激する。
「私がこのエンカー地方に来て、初めての秋を皆さんとこんな風に過ごせることを心から嬉しく思います」
メルフィーナがここに訪れたのは、ようやく雪解けが終わりかけた春の浅い頃だった。
運命への燃えるような怒りと、アレクシスの監視役であるマリーとセドリックだけがメルフィーナの供だった。
それが今は、こんなに多くの人に囲まれている。
「今日は春と夏の恵みに感謝し、そしてこれから来る冬に備えて沢山食べて、飲んで、踊ってください。これよりエンカー地方の収穫祭を始めます!」
わぁ! と歓声が上がり、拍手が響く。メルフィーナは照れくさい気持ちを押し殺して壇上から下り、すぐに領主邸の屋台に戻る。
「みなさーん、メルフィーナ様が作られたエールをどうぞ! 自分のカップを持って、順番に!」
「スープもどうぞ! 食器を用意してくださいね! 沢山用意したので、ゆっくりで大丈夫ですよ!」
カップや食器は使い捨てなどが用意できない事情もあって、参加者は自前のものを用意してもらっている。エールの樽の前に並んだ列をクリフとラッドがどんどん捌き、エドとエリはスープを振る舞っていった。
「私とマリーとセドリックは、皆の分のお昼を買ってきましょうか」
今日はお祭りだと以前から告知しているとはいえ、仕事をしていて遅れる者や、元農奴の集落の中には会場となるエンカー村から距離があり、到着に時間がかかるということもある。
緩く集まって食事と交流を楽しめればいいのだと伝えてあるが、中々多くの人でにぎわっていた。広場に並べた木箱に腰を下ろし、近隣で持ち寄った料理を広げたり、すでに自家製のエールで盛り上がっている姿もそこかしこで見受けられた。
「うわっ美味い!」
「おい領主様のエール美味いぞ!」
そんな中で、水面に石を投げるような最初の声以降、ざわざわと波のように広がっていく言葉に、マリーとセドリックと目配せをしながら、してやったりと笑う。
「すごく苦い……が、後味はすっきりとしているな」
「それにすごく、なんというか、水みたいだ。澄んでいるというか」
「ごくごく飲めちまう……。俺、もっかい列に並んでくる」
「俺も!」
自分の造ったものが褒められているのは照れくさくもいい気分だった。自分たちの分もスープを貰い、屋台から少し離れたところにマリーと腰を下ろす。
セドリックは護衛の仕事中なので、後ろに立っていた。
「やはり評判は上々のようですね」
「この苦みの調整は結構苦労したものね。ホップが見つかって、本当によかったわ」
エンカー地方の寒冷さとモルトルの森の豊かな植生から、ホップの存在はかなり期待していたけれど、犬の調教も依頼している猟師のゴドーに森に入る際見かけたら採集を頼んでおいたホップが見つかった時は、本当に興奮したものだった。
強い苦みと爽やかな後味を持ち、かつ、強い防腐作用も有しているホップは、前世のビールにおいて、決して欠かせない素材である。
ビールは水と大麦とホップ以外を使用してはならないと取り決められた時代すらあったほどだ。
あらかじめ分けてもらっておいたエールを飲むと、前世の記憶にあるほどのキレには及ばないまでも、十分美味しい仕上がりになっている。
クラフトビールと呼ばれていたマイルドで滋味のある味わいだ。ホップの香りに、やはりビールにはこれがなくてはとしみじみと思う。
こちらではエールの味付けには、グルートと呼ばれる薬草や香草を組み合わせたものが使われている。
その配合によって仕上がりの味も様々だ。
正直味が洗練されているとは言い難く、使われている酵母も作り手や場所によってまちまちで、使われる酵母によってはひどくかび臭いエールが仕上がったりする。
今回のエール造りの酵母の選定で、最も役に立ったのが、メルフィーナの持つ「鑑定」だった。
前世の知識と「鑑定」の組み合わせによって酵母を選出し、あとは実際に造ってみることの繰り返しである。
エール自体は非常にシンプルな工程で造られるので、同時に何種類も造っては領主邸で味見をし、最終的に最も味の良かった酵母を決定した。
そうしてようやく熟成も済んで、お披露目になったのが今日である。
「これは、エールは平民の飲み物という価値観を改革させる味だと思います」
マリーも新しいエールを随分気に入ってくれたようだった。少し頬を赤くして、嬉しそうな様子だ。
「収穫祭に間に合わせたくて大分大急ぎで造ったけど、もう少し洗練させることもできると思うわ」
「これ以上ですか? なんというか、すごく……贅沢な気持ちになりますね」
「美味しいものを食べて、飲んで、楽しいって、一番の贅沢よ、きっと」
侯爵令嬢として一流のものに触れてきたメルフィーナは、一通りの美食も知っている。
それでも、領主邸でエールの試行錯誤をしたり、皆で囲む食卓よりも幸福を感じたことは一度もなかった。
――きっと、この時間も、とても贅沢なものなんだわ。
途切れることのないエールの列をしばらく眺めていたけれど、伸びる一方なので、エール樽を分けてめいめいで注いでもらうことにした。
今日はお祭りなのだ。エールを飲むばかりで終わってはもったいない。
「あれだけ造った樽も、今日で空になりそうですね」
「また造ればいいわよ」
いずれ貨幣の流通が当たり前になったら、領主邸のエールとして販売することも出来るようになるだろう。
そんな豊かな未来を想像し、とても楽しい気持ちになった。
「鑑定」も段々役に立つようになっていきます。
メルフィーナが作っているのはエールですが、
酵母の選定が進めば、やがてビールも誕生するかもしれません。
エールの歴史はすごく長く、中世の頃だといわゆる
甘酒に近い、もしくはどぶろくに近い、上面発酵なので
麦のストローを差して下の部分だけを飲んでいたと、
色々なパターンがあるようですが、ジョッキに入れて
ゴクゴクプハー、という表現が個人的に好きなので
この世界でも元々エールはそのように飲まれていたことになっています。