328.祭りの準備と記念品
馬車に乗ってエンカー村に移動すると、すでにお祭りの雰囲気が広がって、広場はいつもとは違う、浮立った楽し気な空気が広がっていた。
広場の中央には麦わらを編んで作られた人形がいくつも立ち並び、色とりどりの花が飾られている。特にいつもと違うのは建物の間に紐が通され、色とりどりの布がはためいているところだった。それが良く晴れた秋の空に映えている。
布が高価なこの世界ではかなり思い切った贅沢のように思えるし、それだけの余裕がエンカー地方にあるということだろう。
「フリッツ、準備はどう?」
メルフィーナが声を掛けたのは、エンカー村の村長のフリッツという男性だった。領主邸の家令見習いであるロイドの父親だとマリアも紹介されたことがあるけれど、確かに顔立ちがよく似ていて、血のつながりを感じさせた。
「今のところ大きな問題はなく、滞りなく進んでいます。今年は出店の希望が殺到していて、区画の配分の調整がやや難航しましたが」
「水路がエルバンと繋がってからは、ロマーナ以外からも物資を売りたいという話がたくさん来たものね」
「はい。それから飲食の出店希望もかなり多かったですね。気の早い話ですが、来年は今以上になると、一日の開催では難しくなるかもしれません」
「今年は、広場から港の近くまでお店が並ぶのね……。一昨年は昼頃に始めて夕方前には終わっていたのに、随分規模が大きくなったのねえ」
しみじみと言うメルフィーナだが、その口元には笑みが浮いていて、瞳は優しく細められている。
「身内でささやかに収穫のお祝いをするのも楽しかったけれど、こうして賑わうのもいいわね」
「ええ、本当に」
フリッツも、収穫祭の各種の責任を負っている立場らしい周囲の人たちも、過去を懐かしむような、大きく成功した今を喜ぶような、ほんわかとした雰囲気になっていた。
「身内といえば、どうしても去年と同じ配置をするとエンカー地方の住人の店で広場のいいところは埋まってしまうので、その点が新規参入の商人たちの不満が集まりやすい状況になっていまして……」
「こうしてお祭りを開けるのは、普段定住している人たちが頑張って発展させているおかげだもの、お祭りの主役はあくまでエンカー地方の住人だから、フリッツには苦労をかけるけれど、調整をお願いするわね」
「それはもちろん、お任せ下さい」
メルフィーナの少し後ろでやり取りを聞いていると、マリア様、とオーギュストに声を掛けられる。
「あちらのご婦人たちが、一緒に作業に交じらないかとのことです。飾り紐を組んでいるそうなので、やってみませんか?」
「え、いいの?」
「はい。ウィリアム様も、よろしければ」
ウィリアムと目を見合わせて、二人同時にメルフィーナを挟んで向こう側にいるアレクシスに視線を向けると、厳かに頷かれる。
「私も、やってみたいです」
「一緒にやろっか」
「はい!」
つい、日本にいる弟にそうするようにウィリアムと手をつなぐと、びっくりしたように目を見開かれてしまった。
「あ、ごめん。あんまり手をつなぐとか、しちゃいけないんだっけ?」
「いえ、僕も紳士なので、エスコートさせてください」
きりりとそう告げると、ウィリアムは軽く手をかかげて、マリアの手を取って歩き出した。背を伸ばしてきりりと歩くウィリアムは背伸びする少年の可愛さと、本人の言う通り、いっぱしの紳士らしさがある。
「いいですね。マリア様、俺のエスコートは受けて下さらないのに」
「エスコートってあれでしょ、馬車を降りる時とかの。――正直タラップを降りているときに片手が浮く方が、バランスが悪いと思うんだけどなあ」
「ご自分で降りた時に、万が一にでも転ばれたら、支えがある方が安心できませんか?」
「転ばないし! ああ、でも、重ね着いっぱいのドレスとかだと、足元が見えなくて危ないのかな」
歩きながらそんな話をしているうちに、広場の片隅に木箱を椅子代わりにした女性たちの元に向かう。マリアと同じくらいか、少し年上が多く、籠には色とりどりの糸が束になっていて、それを手で丁寧に編んでいるところだった。
「こんにちは、作業に交ぜていただけるって聞いて、お邪魔しに来ました!」
「ようこそ! どうぞよろしくお願いします」
「木箱なんですが、よろしければこちらに座ってください!」
みんな明るくて、笑顔で受け入れられるのがくすぐったく、ウィリアムと並んで木箱に腰を下ろす。
「これは、何を作っているんですか?」
糸は赤や青、黄色や緑といった色とりどりの色が用意されていて、それぞれ束になって括られている。それを少し太い紐に編んで、さらに別の色と組み合わせてやや太めの糸飾りを作っている。
飾りのモチーフも、花や葉、何かの動物と色々で、特に特定の何かを作っているという様子ではないようだった。
「エンカー地方のお祭りらしい特色があるといいとメルフィーナ様がおっしゃっていたので、行商人から色々と各地のお祭りの話を、少しずつ集めていたんです」
「これまでは外の人と話すことって滅多になかったから、最初は緊張したんですけど、ルイーザが突撃してくれて助かったよね」
「もう、突撃ってなによ! ロジーが背中押しまくってたからでしょ!」
あはは、と明るい笑い声が響く間も、女性たちは器用に紐を手先で編んでいる。
「それで、行商人から土地によっては仲のいい人同士で花飾りを贈り合ったり、小さな玉飾りを集めたりして、一年のお守りにしたりするって聞いて、そういうの素敵だなぁって思ったんです。そこから糸を組み合わせて編んで、参加する方たちに鉄貨一枚くらいで売って、仲のいい人や家族で贈り合ってお祭りの間それを身につけるのはどうかしらって話になって」
「お祭りが終わったらそのまま服に縫い付けたり、飾りを解けば糸になるので、それで刺繍をするのに使うのもいいかなって。村長さんも糸の仕入れの予算を割いてくれたので、じゃあやってみよう! ってなったんです」
「今年はお試しという感じなんですけど、エンカー地方らしいお祭りの記念品として定着したらいいなあって」
女性たちは皆仲良しらしく、それぞれが言葉を補い合ってきゃっきゃとはしゃぐように言い合っている。
世界が変わってもこういう雰囲気は変わらないらしい。放課後の教室や休日のファストフードで友人たちと会話に花を咲かせた空気と、何も変わらなかった。
「でも、糸を編むのって意外と難しいですね。簡単な紐にするまではいいんですけど、どういう飾りにしようかはまだはっきりと決まっていなくて」
「花の形にすると綺麗なんですけど、持ち歩くのは難しいので服にピンで刺す形にしようかと思ったんですけど、服に穴が開くのを嫌がる人も多いので、こうして飾りの端に紐の部分を残して、ひとつ貰ったらその前に貰った飾りと結んでつないでいく形になりました」
色違いの紐を組み合わせて作った花が連結されている飾りは、華やかできれいなものだ。服のアクセサリーにもいいだろうし、この世界の室内は木造やレンガ造りであまり色味が多いとは言えないので、室内を華やかにするインテリアにもなりそうだ。
「その年のメインカラーみたいなのがあると、後で見てこの年は晴れが多かったから青なんだなーとか、この年はかぼちゃが豊作だったから緑とオレンジだったなって思い返すのにもいいかもしれないね」
色とりどりの糸を眺めながらぽつりとつぶやくと、作業をしている五人の女性がばっと振り返り、凝視されてしまう。
「えっ、それすごく素敵ですね!」
「その年のメインカラーかぁ! あ、花とか月兎の葉とか、意匠のテーマを一緒に決めるのもいいかも!」
「今のままだと、どの年のものか交じって分からなくなっちゃうもんね。あーっどうして気づかなかったんだろう! 仕入れの時に気づいてればなあ」
「えーと、今年は今のままでやって、最初の年はちょっと迷走してたよねーっていうのも、いい思い出になるんじゃないかな?」
大袈裟に嘆いている様子にフォローを入れると、女性たちはうっすら頬を赤らめて、くすくすと笑う。
「メルフィーナ様の妹様って聞いていたので緊張していましたけど、優しいところがそっくりですね」
「あ、あの、なんとお呼びすればいいでしょうか! その、私達あまり作法とか詳しくなくて。メルフィーナ様は、いつも最初にお名前で呼ぶように言ってくださるので、メルフィーナ様ってお呼びしているんですけど」
「じゃあ、私はマリアで」
ウィリアムに視線を向けると、一度木箱から立ち上がり、優雅に礼を執る。オーギュストのそれとは形の違うそれは、紳士の礼なのだそうだ。
「私はウィリアム・フォン・オルドランド。エンカー地方は我が素晴らしき伯母、メルフィーナ様の治める、形式に囚われない自由で美しい土地であり、お前たちもその愛すべき領民であるから、私もそのように振る舞おう」
「お名前で呼ぶことを許すそうだ。ウィリアム様とお呼びしてくれ」
オーギュストの解説に、ぽかんとしていたマリアを含む女性たちがこくこくと頷く。
「ええと、では、マリア様、ウィリアム様と呼ばせていただきますね!」
「何か失礼があったら、そのう、棒で叩くくらいで勘弁していただけると」
「ね、無礼討ちとかやっぱりあるのかな」
「馬鹿、聞こえるでしょ!」
――聞こえてる、全部聞こえてるから。
「そんなことしないし、させないよ。メルフィーナ……姉様にするのと同じ感じでいいから」
妹として振る舞うなら呼び捨てはおかしいだろうと後付けすると、女性たちはほっとした様子だった。
「私は伯母を敬愛しているし、その土地と領民も同じように愛したいと思っている。気兼ねはしなくて構わない」
「だって。楽しくおしゃべりしながら飾りを作っていきましょう!」
無礼討ちが具体的にどういうものかは後でオーギュストに詳しく尋ねるとしても、たぶんすごく怖い言葉なのは何となく察しがついた。
平民と貴族にはそれくらい、大きな身分の違いがあるのだろう。それなのにこうして作業に快く交ぜてくれたのだ。彼女たちのお祭りの準備が楽しいものだったと思って欲しいし、その邪魔はしたくない。
なお、「姉様」に面白がる気配を放っているオーギュストのことは、しっかりスルーすることにした。
「あ、飾りが自由で、糸が沢山あるなら少し分けてもらってもいいかな」
「勿論です、何を作られるんですか?」
「糸を沢山見てたら、作れるものがあったのを思い出したんだ。ミサンガって言うんだけど」
「ミサンガ」
「どういうものですか?」
「えーと、糸を編んで作った腕に巻く飾りというか、お守りみたいなものなんだけど」
中学の時に一度大流行したのと、母がこの手のハンドメイドが得意だったこともあり、作り方は一通り覚えている。
ルイーザとロジーと呼ばれる女性は特に好奇心が強いらしく、マリアが三本の色糸で編んでいく組紐を食い入るように見つめていた。
「この編み方を続けて、手首よりすこし短いくらいで完成して、端と端をこう結んで、完成。あとはずっとつけてて、糸が自然と切れる頃に願いが叶うっていうジンクス……ええと、縁起物みたいな」
「えっ、すごい、素敵です!」
「手間は掛かるけど、これは銅貨取れるかも」
「お祭りに参加してから出稼ぎから帰る人もたくさんいるから、奥さんや恋人のお土産にするのはどうかな」
「お給金貰ったばかりで懐が暖かいだろうから、いけるかも! この腕飾りが擦り切れる前に戻って来るって約束にどうですかって感じで!」
お祭りに花を添えるだけでなく、しっかり商機も逃さないと盛り上がって、なんとも逞しいことである。
メルフィーナたちが一通りの用事と視察を終えてマリアたちに合流する頃には見本として編んだミサンガが何本も完成していて、それは領主邸へのお土産になることになった。
ここから何年も後に、北端の街の祭りで手に入る紐飾りに「約束を果たす」という意味が添えられ、平民の結婚の申し込みの贈り物のひとつとして愛好されるようになるのは、今はまだ誰も知らない話である。