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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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325.少年の来訪と厨房と騒動

 壮麗と言うしかない三頭立ての馬車が領主邸の前庭に停まる。車体にはマリアも見覚えのある公爵家の紋が入っていて、従者が扉を開けると、ぴょんぴょん、とタラップを踏んで少年が身軽そうに跳び降りてきた。


「伯父様! マリー叔母様! メルフィーナ伯母様!」


 満面の笑顔でこちらに駆け寄ってきた少年の髪はアレクシスと同じ青灰色で、目も同じ。黒い服が淡い色合いの髪や肌によく似合っていた。


 両手を広げて駆けてくる少年は、マリアに気づいたように急に足を止めて、それからおすまし顔になり、腹に腕を当てて丁寧に礼をする。


「は、初めまして、マリアと申します。事情があり家名を明かすことは叶いませんが、よろしくお願いします」

「ウィリアム・フォン・オルドランドと申します。マリア様は伯母様の妹君であると伺っております。若輩の身で何かと至らないところがあるかと思いますが、私も家族の一人として親しく接していただければと思います」


 多少ぎこちなく貴族的に挨拶したマリアに対し、ウィリアムのほうは慣れたもののようで、そつなく返事をしてくれる。


 顔を上げたウィリアムは利発そうな目をしていて、顔立ちも色合いもアレクシスによく似ているけれど、不機嫌さや屈託というものがまるで感じられなかった。目つきの悪い大型犬も、子犬の頃はこんなに愛らしい様子だったのかと思わせるほどだ。


 今年十歳になると聞いていたけれど、まだ背の伸び切らない少年が紳士の振る舞いをしていると、なんというか、頑張っている感が強くて、ものすごく。


「か、かわ……」

「? なんですか?」

「いえ、なんでもありません。私も、仲良くしてもらえたら嬉しいです」


 思わずちらりと隣のメルフィーナと、その向こうにいるマリーを見ると、ちょうどあちらもこちらを見ていたところで、ささやかに頷かれる。

 どうやらこの気持ちばかりは、異世界人も転生者も転移者も変わらないものらしい。


「ウィリアム、まあ、随分背が伸びたのね」

「はい、夏の間はあちこち痛いくらいでした」

「きっとお兄様と同じくらい、大きくなりますね」


 マリーが両手を広げて抱擁しようとすると、ウィリアムは嬉しそうにしながらも照れくさそうな様子で、胸に飛び込もうとはしない。


「マリー叔母様、僕、もう十歳ですよ。再会の抱擁をするような歳ではありません」

「あら、私は十六になるまでは抱きしめられると、思っていたのですが」

「でも……僕は公爵家の跡取りですから……」


 もじもじとするウィリアムの背中を、アレクシスが優しく撫でる。


「私も、成人まで屋敷に戻る度に母上に抱きしめられていたものだ」

「そうなのですか?」

「ああ、男子は、まあ、誰もが通る道なのだろう」

「ウィリアム。人は大人になってからの時間の方がずっと長いのに、一度大人になってしまえばもう子供に戻ることは出来ないわ。だから子供時代に出来ることは、思い切りやってしまうといいわよ」


 メルフィーナに言われて、それでも照れくさそうにしていたウィリアムだけれど、おずおずとマリーを抱きしめて、その細い腕に抱きしめられていた。


「……お久しぶりです、会えて嬉しいです、叔母様」

「ええ、私も嬉しいです、ウィリアム」

「メルフィーナ伯母様も、お元気そうでよかった」

「あなたも、元気で大きくなって、本当によかったわ」


 昨日ようやくベッドから起き出してこれるようになったばかりなのに、メルフィーナはそんなことを微塵も感じさせない優しい口調で答える。


 三人とも、ウィリアムのことをとても可愛がっている様子で、その姿はまさしく家族という雰囲気だった。


「ね、アレクシスも子供の頃は、あれくらい可愛かった?」


 隣にいたオーギュストにこっそり聞くと、苦笑されてしまう。


「主の容姿について語るのは、従者としてはけしからぬ振る舞いですので、沈黙させていただきます」


 そう言う割にオーギュストは笑みを浮かべていて、その表情でもう大体答えは理解できた。


 ――何があったら、あの天使みたいな子からアレクシスが完成するんだろう。


 思春期によほど拗らせてしまったのだろうか。それとも、男の人というのはそういうこともあるのだろうか。


 ひそかにそんなことを考えている隣で、金属で補強を入れた立派な木箱がいくつも領主邸に運び込まれていき、住人と客人たちは中で温かいお茶でもという流れになった。




     * * *


「すみません、お手伝いしてもらって」

「ここに来る楽しみのひとつだから、いいんだ。エドの作るお菓子は、夢にまで見たよ」

「ありがとうございます、ウィリアム様」


 エドとウィリアムは仲がいいらしく、丁寧だが気の置けない雰囲気だった。


 厨房ではメルフィーナとアレクシス、マリーとウィリアムが豆剥きの手伝いをしていて、人が多いということで続きの食堂でマリアとオーギュスト、セドリックが同じように冬豆と呼ばれる豆を莢から取り出していた。


「伯父様、豆を剥くの、すごく速いですね」

「コツを掴めば簡単なことだ。お前もすぐこれくらいは出来るようになる」


 そう言うアレクシスの手元には、すでに大量の豆の莢が積まれていて、ウィリアムは尊敬を込めたきらきらとした目をアレクシスに向けていた。


「この豆は、明後日の収穫祭の振る舞いに出されるものなのか?」

「はい、今年は豆と鶏肉のスープと、豚の塩漬け肉とかぼちゃのスープにする予定です。昼食に、今剥いている豆を使ったキッシュを一品、いかがですか?」

「是非食べてみたい。どんな味がするんだろうか。いや、エドが作るなら、美味いに決まっているが」

「では、美味しく作りますね」

「その、私も、少し手伝ってもいいだろうか」


 二人の少年に視線を向けられて、アレクシスが鷹揚に頷く。それを見ていたメルフィーナとマリーは、口元に笑みを浮かべていた。


 それは何の問題も無く、幸せそうな家族に見えるのに、メルフィーナがあの笑顔の下で色々な葛藤や懊悩を抱えているのかと思うと、ただ微笑ましいだけには思えなくて、マリアは手元の豆に視線を落とす。


 友達の恋愛に関してもそうだけれど、家族の問題となったらそれこそ、他人が口を出すものでも、出していいものでもないと思う。日本でだってそうだし、ましてこの世界の家族のことなんて、マリアは何も知らないのだから。


 あれは熱で浮かされたメルフィーナの誰にも言うつもりのなかった言葉で、今みたいに家族の中で笑って、甥っ子を可愛がって、離れている間に何があったのか、どう過ごしていたのか話しながらのんびり同じ作業をしている姿が、皆に見て欲しい自分の姿なのだろう。


 友達として、あの時のメルフィーナの言葉も涙も、見なかったふりをする。きっとそれが一番正解に近い態度なのだ。


 もやもやとそんなことを考えながら指を動かして豆を剥いていると、厨房はさっそく料理に取り掛かり始めたらしい。


「パイは生地だけ先に焼くので、その間に豆を茹でてしまいます。塩を入れたお湯でさっと茹でて、冷ましている間にベーコンと玉ねぎを、バターで炒めます」


 明るいエドの声に、切るのは任せて欲しいと弾んだウィリアムの声が続く。大人三人はそれを眺めながら、追加の豆を剥いていた。


「ベーコンは、最近ソアラソンヌの食卓にも少しずつ出るようになってきたんだ。これまで塩漬け肉は塩辛いばかりだと思っていたのに、ベーコンは味が濃く、脂も甘くて、私も好物なんだ」

「これはメルフィーナ様がお作りになったベーコンなんですよ。燻製する木の種類によっても風味が変わって面白いんです。良ければ滞在中に、何種類かお出ししますね」

「それは嬉しい!」

「卵を溶いて、生クリームとチーズ、塩を入れて、お好みのスパイスで調味します。今日は胡椒だけにしておきます。粗熱の取れた玉ねぎとベーコンと混ぜて、パイ台に流し込み、予熱を入れた石窯でじっくりと焼けば出来上がりです」


 こちらのオーブンはレンガと大きな鉄製の扉で作られていて、中が覗き込めるような造りにはなっていない。それでも焼き上がりが待ちきれないというようにうろうろとオーブンの前を行き来するウィリアムを、大人たちもエドも微笑まし気に眺めていた。


 ドアを開け放った続きの食堂から時々それを眺めては、むしむし、むしむしと豆の莢を毟る。


「マリア様、どうかしましたか?」

「えっ、何が?」

「眉間に、皺が寄っていますよ。何かありました?」

「……ううん、なんでもない」


 我ながら、こんな分かりやすい嘘もないだろうと思うし、オーギュストにはバレバレだろうに、言いたくないのだと察してくれたようで、それならよかったですと朗らかに言われてしまう。


 オーギュストはマリアの護衛騎士だし、味方でいてくれると信じてはいるけれど、だからといって何でも話せるかといえば、そうじゃない。


 自分の中で答えが出ないのに、誰にも相談することも出来ないというのは、しんどいんだなと思っていると、厨房からチーズとベーコンの焼ける、なんとも香ばしい香りが漂ってきた。


「なあエド、まだか?」

「もう少しです。表面はいい感じに焦げ始めていい匂いがするんですけど、今は中まで火が入っていないので」

「そうか……食べる前どころか、料理が並ぶ前から美味いと分かることもあると、ここに来ると思い出すな」

「滞在中、またキャラメルを作ってみませんか? 塩を入れたキャラメルというものを、作ってみたくて」

「塩を入れるのか? キャラメルに?」

「きっと美味しいと思うんです! 是非試作してみましょう」

「楽しみだ」


 そんな会話の間にもキッシュが焼けたらしく、エドが少し離れるように告げて、石窯の蓋が開く音がする。


 石窯の蓋はかなり重たい鉄で出来ていて、天板がスライドして取り外す場合と、その中で焼いたものを大きなへらで取り出す場合がある。今回はパイの型を中に入れてへらで取り出す形式だったらしく、金属の触れ合う音がした。


「すごい! 綺麗に焼けている!」

「これに刻んだパセリを掛けて、彩りをつけたら完成です」

「エド、私にやらせてくれ。 ――熱ッ!」


 はしゃいで興奮したウィリアムの声の後に、小さな悲鳴が続く。マリアがそちらに目を向けた時には、もうオーギュストとセドリックは立ち上がっていた。


「ウィリアム様!」

「大丈夫です伯母様! エド、キッシュは無事か?」

「そんなことより手を!」


 メルフィーナがウィリアムの手を取り、魔石の水道に向かったらしいところで壁の死角に入ってしまう。水を流す音が響いてくるのをはらはらと聞いているうちに、すぐにオーギュストが戻ってきた。


「どうやらパイの型にお手が触れてしまったようです。軽い火傷のようなので、心配はないでしょう」

「そっか、よかった」


 ひどいようなら、あとでこっそり治療魔法を掛けておこうと思ったけれど、オーギュストの表情はのんびりしたものだったので、本当に軽いものらしい。


「伯母様、あの、大丈夫ですから」

「火傷は、最初によく冷やしておくと軽く済むのよ」

「メルフィーナ、私が替わろう。私もウィリアムも、君より冷たさに耐性がある」


 ウィリアムの手を取って自分の手ごと水で流しているらしいメルフィーナに、アレクシスが声を掛ける。メルフィーナもその場を譲ったらしく、手を拭きながら厨房のテーブルに戻って来た。


「エド、氷を用意してくれる?」

「はい、ただいま」

「あ、氷なら僕、自分で出せます!」


 ウィリアムの言葉のあと、間を置かずガラガラと何か軽くて硬いものが落ちる音がするのと同時に、今日二度目の悲鳴じみた声が上がる。


「ウィリアム!」

「ウィリアム様!」

「……今度は、何があったんだろ」

「少し見てきますね」


 オーギュストは再び立ち上がり、厨房を覗きに行ってしまった。


 男の子が一人が増えただけでこんなににぎやかになるものなのかと暢気に考えていたけれど、厨房から伝わってくる雰囲気は剣呑なもので、思わずマリアも立ち上がり、オーギュストの後を追うことになった。


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