32.収穫祭の準備と人狼の噂
収穫祭準備編です
完成したばかりのエンカー村の広場は十分な広さがあった。
広場の中心にはレンガを組んで作った円形の花壇が置かれているけれど、今年は花を植えるところまでは間に合わなかった。
さらにその中心には台座があり、その上も空である。いずれ何か村の象徴的な石像でも飾れば見栄えがするだろう。
――追々必要なものを用意していけば、自然とエンカー村らしいものになるわね。
「メルフィーナ様! 藁集めてきた!」
「棒も持ってきたよ!」
子供たちにめいめいに言われて振り返る。
今日は収穫祭の下準備である。大人は畑仕事があるので、主に子供と手の空いている女性たちが手伝いを申し出てくれた。
せっかくなので中央の台座に藁を敷いて、今年の収穫物を並べていく。
特に今年よく穫れたのは、言うまでもなくトウモロコシだ。
その他にもカボチャ、人参や葱類、穂が付いたままの麦の束、籠に入れた林檎や洋ナシ、子供たちが森で採取してきたクルミやどんぐり、山葡萄なども飾り付けに使わせてもらう。
松ぼっくりが交じっているのもご愛敬だ。
カボチャが多めということもあり、収穫祭というより、ちょっと前世のハロウィンのお祭りのような様相になってしまっているのもご愛敬というものだろう。
この世界のカボチャは色も形も様々で、眩しいくらい見事なオレンジ色もあれば、黄色や白、緑などもある。
形も扁平だったり、縦に長かったりだが、総じて前世で見かけたものより大きくて、メルフィーナだと丸のまま抱えるのも中々苦労するくらい重たかった。
子供たちが棒を十字に組み合わせ、そこに藁を括り付けてかかしを作る。片方は藁で髪を長くして、もう片方には布を丸めて作った帽子をかぶせれば完成の簡単なつくりをしている。
帽子はこの世界では職業を象徴するもので男神を、髪が長いほうは祝福を象った女神を表している。
これは信仰によるものというより、祭り飾りのにぎやかしに近い。
食べ物関係は屋台の出店料を取り、希望者に開いてもらうことにした。すでに広場の近くには手製だったり、村にいる大工に作ってもらったりと中々の出来栄えの屋台がいくつか並んでいる。
ほとんどの屋台が平焼きパンのサンドイッチと野菜料理なので、メルフィーナは領主のふるまいとして、彼らの商売を邪魔しないよう、スープとエールを用意することにした。
なにしろ、かぼちゃが大量にあるのだ。
少しでもジャガイモの作付けを減らす意図でカボチャの栽培を提案したのはメルフィーナだが、領主邸の前庭に積み上げられるほどの量が出来るのは少々予想外だった。
かぼちゃは追熟のために数か月寝かせるため、すぐに食べなければならないものでもないけれど、さすがに領主邸で消費するには量が多すぎる。
そこで、トウモロコシを売った折にいくらかカボチャも買わないかとアレクシスに尋ねたところ、食料は何でもありがたいと大半を買い取ってくれたけれど、自分の好物だと言って作ってもらったものであることだし、メルフィーナ自身もきちんと賞味するべきだろう。
スープはかぼちゃと玉ねぎ、鶏肉を入れた塩スープと、豆とかぼちゃのミルクスープにした。
今年のエンカー地方は懐の寂しい者はほとんどいないけれど、それでも全ての者に十分な余裕があるわけではない。そんな人たちでも自由に口にできる食べ物がある方がいいという判断である。
屋台で購入したものを座って食べることが出来るよう、トウモロコシの収穫に使っていた木箱をひっくり返したものをたくさん置いて、ベンチ代わりにする。
「音楽隊でも呼べれば良かったけど、今年は無理ね」
「みんなで歌って踊りましょう」
隣で藁を編んでいたマリーに言われて、笑って頷く。
祭りと言っても初めての試みであるし、そう規模の大きなものではない。蝋燭などを無駄には出来ないし、乾燥している時期なのであまり火も焚きたくない。
この世界は前世のように気軽に夜道を歩けるような環境ではないので、昼前から始めて夕方には終わる予定だった。
舞台に飾られている収穫物は、余興をしてくれる村人たちへ分配されることになっている。
「村や集落では何か余興をするの?」
「あのね、私たちはね、皆で歌を歌うの」
隣で藁の花飾りを編んでいたレナが少し興奮したように言う。
「素敵ね。何を歌うの?」
「秋の調べと、森の音楽隊と、トウモロコシの歌!」
「トウモロコシの歌?」
秋の調べと森の音楽隊は、フランチェスカ王国に広く伝わる童謡だ。どちらも秋の収穫を祝う歌詞なので収穫祭には相応しいけれど、トウモロコシの歌は初めて聞くタイトルだった。
「みんなで作ったの。メル様に聞いてもらいたくて」
「まあ。楽しみにしているわ!」
えへへ、と笑うレナの向こうで、村の女性たちも手仕事をしながら談笑に興じている。その内容にふと耳を奪われた。
「そうなの、秋の頃になるとよく見かけるって言うじゃない?」
「怖いわねえ……子供達にも改めて注意するよう言わなきゃ」
「何を見かけるんですか?」
話題に入ると女性たちは一瞬驚いたような顔をしたけれど、すぐにああ、と納得した様子だった。
「メルフィーナ様は今年の春にこちらに来られたので、知らないんですよね。魔物ですよ。この時期になると見かける人が増えるんです」
「魔物って、北のプルイーナ? あれはもっと海側に近い土地に出るのではなかったかしら」
「いえ、そういう有名なものではなく、モルトルの森の奥に棲んでいる魔物です」
「ああ……そういえば、モルトルの森には魔物が出るから、隣国との街道が繋がらないと聞いたことがあるわね」
女性たちは神妙な表情で頷く。
この世界では基本的に戦争が無いかわりに、人間の敵として魔物が現れる。
南には火の魔物・プラーミァ。
東には水の魔物・アクウァ。
西には風の魔物・フラートゥス。
そして北には氷の魔物・プルイーナ。
この国で最も有名で子供でも名前を知っている魔物といえば、この四体だ。
この四体の魔物は眷属を持ち、特定の地域に決まった周期で現れる。放っておけば甚大な被害を及ぼすものの、被害や周期はある程度分かるので、前世でいうなら秋に台風が来たり、豪雨やドカ雪といった自然災害のような位置づけだった。
ゲームの中で聖女マリアは、選択した攻略対象によりこのいずれかと戦うルートがある。
――プルイーナは北部でも海に近い平原に現れるので、エンカー地方にはまず関わることはない。
魔物は倒しても翌年には全く新しい個体が現れるので、時期が来たら騎士団を派遣し力を削いで被害を軽減させるのが通例である。
北部では毎年、オルドランド公爵家が征伐しているはずだ。
プラーミァの対策はメルフィーナの実家、クロフォード家の役割だが、こちらは比較的他の地方の魔物より扱いやすい。魔物の出る場所は決まっているので、夏に水魔法使いたちがその土地を水没させるだけで発生そのものを抑えることができる。
これをしっかりしておかないと大規模な火災に発展するのだけれど、それを知っているだけにクロフォード家や周辺を治める貴族も対策はしっかりとしていて、メルフィーナが記憶する限りでは甚大な被害が出たことはなかったはずだ。
とはいえ、水没させるだけで済むといっても領地の一部を水没させるのは損害であるし、魔法使いたちへの支払いも中々のものではある。幸いクロフォード家の治める南部は大穀倉地帯であり、資金繰りに困ることはないはずだ。
何しろ肥沃な大地と太陽の恵みで麦類が豊富に穫れ、領地のほとんどの場所で麦作と畜産が可能な土地だ。
そういった成り立ちのせいか、騎士団があまり強くなく、隣国とぴりぴりした空気になるときはいささか立場が弱くなる。
本格的な戦争が起きる可能性はほとんど無いにせよ、交渉の抑止力としてやはり武力はあるに越したことはない。
「モルトルの森の魔物とは、どういったものなんですか?」
女性たちは迷うように顔を見合わせて、やがてそのうちの一人がおずおずと、声を落として告げた。
「――人狼です」
「人狼……人に化ける狼ですか」
前世のイメージでは満月に狼になる人間だが、こちらの世界で人狼は、人間の集落に交じる人食い狼らしい。
女性たちの説明だと、森で迷って見知らぬ者に会ったら人に化けた狼の可能性があるので、その場合気づいていないふりをして今夜、うちはごちそうで、沢山の人が集まる日なのだと告げる。
そうするとその者は、村まで送って行こうと申し出る。
人狼は人の群れに紛れて効率的に獲物を狩ろうとする習性があるので、森に迷い込んだ一人を食べるより、沢山の人間が集まる場所を選ぶらしい。
そうして村まで来たら、案内してきた者は大きな声で、「お客さんだよ、ごちそうを振る舞ってあげてくれ!」と叫ぶ。
これが人狼の疑いがある者が現れたという符牒になっていて、その言葉が聞こえると、近隣の住民が酒を持って集い、人狼をおだてて散々飲ませる。
人狼が酔って眠ったら縛り上げ、おもむろに銀の針で刺して、火傷をしたらそれは人狼の証なので討伐するというものだった。
銀は比較的アレルギーを起こしにくいというし、たとえアレルギー症状があっても瞬時に劇的な症状を起こすことは非常に稀なはずだ。そこまで条件が整っているならば疑う余地はないのだろう。
――もしただの親切な銀アレルギーの人なら、気の毒だけれど……。
そして、森で街道を造ろうとすると、工事の人足や技術者に人狼が紛れ込み、次々と人間を食べてしまうらしい。
森の向こうにあるルクセン王国も事情は同じで、何度となく交易路を造ろうとしては失敗し、両国は現在、海路で流通している状態だ。
――狼が人間に化けて紛れ込んで人を襲うなんて、まるでファンタジーね。
何だか久しぶりに、ここが乙女ゲームの世界だと実感した気がする。
「人狼は特に子供の肉が好きなので、私達も子供の頃、森に入る前は大人にしっかりと言い聞かされました。見知らぬ相手に森で出遭ったら、必ず「今夜、うちはごちそうなんだ。村中の人が集まるんだよ」と言うようにって」
「そうなのね。実際に出くわしたことはある?」
そう尋ねると、女たちはクスクスと笑う。
「私たちは全然ですね。ただ秋になると出てくるかもしれないから気を付けろ、と言われました」
「他の季節は森の深いところで暮らしていて、子供がたどりつくことはないので、猟師や街道を造る人足でもなければ姿を見ることもないと思いますよ」
その言葉にほっとした。
魔物は天災に近いとメルフィーナは学んでいる。
そんなものがゆうゆうと村に現れるなど、悪夢としか思えなかった。




