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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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319.対話と無自覚な想い

今日は二回更新しています。

 ユリウスのことはともかく、自分の弱さをどう感じているのか、それを周囲に話したことは、これまで一度もなかった。


 メルフィーナは人に弱い所を見せるのは苦手だ。それは子供の頃からずっとそうだった。


 両親にさえ甘えて泣いて縋るより、より完璧な令嬢となれば褒めて認めてもらえるかもしれないと、そんなことを思って行動していたほどだ。


 何かが起きて、それに自分がどう思っているのか、悲しいとか苦しいとか、誰かに対して伝えようと思ったことすらない。


 ――多分それは、アレクシスも同じだわ。


 アレクシスははた目にも冷静で冷徹で、弱い部分など少しも持っていないように振る舞っている。随分長い間、メルフィーナ自身がそう思っていた。


 けれど今は、彼も妹や甥を大切に想い、自分の感情よりも北部を守ることを優先して戦い続けてきた人なのだと知っている。


 メルフィーナとアレクシスの間には、お互いをささやかに思いやる振る舞いはあっても、弱く脆い心は隠して、痛みを感じる部分をさらけ出すようなやり取りはないままだった。


 そうして、見ていて欲しい部分ばかりを見せ合って、無難にやりすごしてきた。それで心の内側にあるものなど、分かるはずもないのに。


「アレクシス、私とあなたの始まりは、まあ、控えめに言っても最悪だったわよね。あなたとの関係は取引を介する時期が長くて、でも、それなりに良好な関係だったから、そんなに困ることもなかったし」


 要求する対価に対して、アレクシスは決して吝嗇ではなかった。エンカー地方の発展の礎が、公爵家が支払った値切ることも支払いを遅らせることもなく届けられた金貨にあるのは間違いない事実だ。


 メルフィーナがこの世界にもたらす知識はあまりに画期的すぎる。美しいガラス細工のために村ひとつを隔離して職人を生涯封じ込めることすらまかりとおっているこの世界で、巨大な利権を取りまわすのにメルフィーナ自身の力は弱く、アレクシスは、最初のトラブルを乗り越えた後はその利権を十分に運用し金貨に換えることのできる良いパイプだった。


「そりゃあ、あなたをエンカー地方発展のための財源として扱っていたのは、それはそうよ? でも、それって、お互い様だったじゃない? あなたがエンカー地方に初めて来た時は、飢饉の最中に豊作の土地があるからって理由だったし、その後だって、セレーネを預かってほしいとか、用がある時に足を向けるという感じだったでしょう」


 アレクシスが初手でメルフィーナにあんな態度を取った理由も今となっては理解できる。

 女性関係、特に母親を狂わせ婚約者を失うことになった妊娠に対して大きなトラウマがあるだろうアレクシスにとって、結婚が不本意であったことは想像に難くない。


 メルフィーナの魔力の耐性の低さでは、順当に夫婦になっていれば、今こうして健康に生きることが出来ていたかも分からない。


 結局お互いのために、形ばかりの夫婦にならなければならなかった。そんな結論が先にあって、端的にそれを伝えた。あの時のアレクシスにとっては、多分ただ、それだけだった。


 メルフィーナがショックを受けるほど突き放したのだという認識さえ、アレクシスにはなかったのだろう。本当に人の心の機微に疎いと思うけれど、それは彼の中に思いやりや優しさがない証拠ではないのだと、今のメルフィーナは知っている。


 和解した後も彼とはビジネスを介した関係が長く、今もそれは続いている。

 そんなアレクシスにとって、メルフィーナの全てともいえるエンカー地方と引き換えにする可能性があってなお、生かしたいと願ったユリウスがどう映るのか、まるで考えたことがなかった。


 マリアの言うとおりだ。踏み込まれるのが怖くて、自分の言動の何が彼を傷つけてしまうか分からないのが怖くて、正面から向き合うのをずっと避けてきたツケだ。


 本当に、自分たちは会話が足りない。


「ねえアレクシス。例えば明日、あなたが今持っている爵位や財産を全て失ってしまっても、何一つ持たないただのアレクシスになったとしても、あなたは私の大切な家族よ。あなたがユリウス様と同じことになったら、私は必ず今と同じ選択をするわ」


 大切に想っているのだと、幸せになってほしいのだと、そんなことはいつだって、いくら告げたって構わなかったはずなのに。


「……そうか」


 その言葉で完全に納得できたのかは分からないけれど、アレクシスはどこか肩の荷が下りたような様子だった。


 アレクシスは勿論、メルフィーナだってこの世界ではとっくに成人しているし、二年以上領主として生きてきたというのに、身近にいる人に気持ちを伝えるだけで、こんなにも遠回りしてしまった。


 急に照れくさくなって、空っぽになったカップの中身を覗き込むふりをして、視線を逸らす。


「今回はやけに滞在が長いし、その割に随分ぼんやりしているなと思っていたけれど、マリアの能力が安定するのを待っていたの?」

「その理由もあるが……官僚制を取り入れたばかりで、これまで私に意思決定が集中していたからな、少し現場から離れたほうが、官僚たちも自分でどこまで判断していいのか、空気を掴みやすいというのもあった。どのみち冬になれば、討伐で北部中を巡回することになる、体を休める機会は今しかないからな」


 ポットから少し渋くなった紅茶を淹れて、甘い口の中を洗い流す。


 最近のアレクシスはらしくないことばかりで、何かを急いでいるような気さえしていた。抱いていた誤解はともかく、その理由がようやく理解できて少しすっきりとした。


「前に、マリアに言われたことがあるの。私たちは話し合いが足りていないって」

「そうだな……確かに、その通りだ」


 伯爵位などという高位の爵位をと言い出したのも、ユリウスが目覚めた後、メルフィーナが離婚を決意して以後、困ることがないようにと思ってくれたのだろう。


 こちらはこちらで、そんな爵位を持ち出すなんてアレクシスの方が別れを願っているのかとやきもきしていたことを思うと、すれ違いは本当に深刻な問題だった。


 もやもやとしたものを抱えていた時のことを思い出して、ふっと笑う。


 どれだけアレクシスの真意を想像しても、いつだって、出た答えはひとつだった。


「私、あなたには幸せでいてほしいって思っているわ。あなたが何かを選ぶ時は、無条件で祝福してあげたいの。だから、あなたの気持ちが動くことがあったら、その時もきちんと相談してほしいと思ってる」

「どういうことだ?」

「アレクシスにも、この先好きな人が出来たりするかもしれないでしょう? 公爵家の当主だもの、傍で支えてくれる人が出来たら、その時は愛する人を愛人になんてしなくてもいいということよ」


 北部では、子供が出来にくいという理由から家臣や一般の女性も貴族家の当主の妻に選ばれることがあるというのは、かつてアレクシスとオーギュストに教わったことだった。


 また、北部は教会法の例外として、家の存続のために愛人の子供も相続権を持つのだという。


 メルフィーナは南部の大領主、クロフォード家の娘であり、現在はアレクシスの正室に納まっている。メルフィーナを押しのけてアレクシスの正室に納まるには、それこそ聖女の身分がないと難しいだろう。


 愛人という立場が最も安全であるけれど、アレクシスの愛した人を日陰の身にはさせたくない。


 まして、白い結婚の相手というだけでなく、今の自分たちの間には家族というつながりが出来てしまった。


 メルフィーナの身分を気遣って、アレクシスが本当に愛する人を見つけた時に決断を鈍らせることは、メルフィーナにとっても本意ではなかった。


「ちゃんと準備をして、根回しをして、正式に迎え入れられるように私も協力するから」


 不意に、アレクシスの表情に不快そうな色が混じる。


「それでは、君の立場が揺らぐことになる」

「私のことなんかどうだっていいし、なんとかするわ。今はあなたの話をしているの」

「それは違う」


 きっぱりと言い切る声だった。


「私の存在が君にとって防壁であり、君が守りたいものを守ることが出来る、その助けになっているはずだ」

「それはそうだけれど」

「君がそう言ってくれたのと同じように、私にとっても、君が幸せでなければ、意味がない」

「アレクシス……」


 青灰色の瞳に真っすぐに見据えられて、体が竦む。


 同時にその言葉は強く、心に響いて息が喉に詰まる。


 ――あ。


 アレクシスには、自覚はあるのだろうか。今、書類上の妻でしかなかったメルフィーナを、自分がどんな目で見つめているのか。


 メルフィーナ自身は愛も恋も知らないまま遠く離れた北部に、会ったこともない相手と結婚するためにやってきた少女だった。領主として腕を振るっていても、まだ恋のひとつも知らない一面もあった。


 けれど、前世の成熟した大人の女性だった記憶を持っている。


 一途に惹きつけられ、身を焦がすような感情を、全く知らないわけではない。


 お互いを家族と認め合ってから、アレクシスは不器用ながら自分を尊重してくれていたことは感じていた。


 けれどここしばらくは、明らかに様子がおかしいこともまた、分かっていた。


 その「おかしさ」の最後のピースが、かちりと嵌まった音さえ、聞こえた気がする。

 アレクシスは契約主義者で、合理主義者だ。

 無駄なことはしないし、一度結んだ契約は順守する、そういう人だ。


 それなのに、こんな目で見つめながら、自分から離れていくと思っていた相手に高位の爵位を用意したり、その裏で大切な人を目覚めさせて欲しいとマリアに依頼しようとするなんて。


 ――そんなのは、もう。


「メルフィーナ?」


 ――ああ。

 ――どうしよう。


 アレクシスの自分に抱く気持ちが理解できた。そしておそらく、彼自身はまだ、それに気づいていない。


 ――どうしたらいいの。


 甘いような、苦いような痛みと葛藤が胸を締め付ける。

 アレクシスの気持ちが、嬉しくないわけではない。けれど、彼が自分の気持ちに気づいてしまったら、選択する日が来てしまったら、望む答えを返せるか分からない。


 ――だって、私は。


 ひとつ誤解が解けたら、悩みがひとつ、生まれてしまった。


 どれだけ会話が足りないと言われても、これをアレクシスと話し合う勇気は、まだ持つことができそうもなかった。


メルフィーナにはメルフィーナの事情があるのですが、そう遠からず明らかになるかなと思います。

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