307.対策と分担
人間の「鑑定」を完全に読み取ることが出来るのは、現状、メルフィーナとマリアだけだけれど、「鑑定」自体はその「才能」さえあれば行うことが出来る。
「鑑定」ははっきりと文字が出るというより、知らないはずの記憶が脳裏に浮かぶ感覚に近い。それを出来るだけ正確に書き写して欲しいというオーダーは、かなり難しいものだったはずだ。
手紙が届いたのが明け方近くになったことも、コーネリアがかなり苦心したことが窺える。
その甲斐あって、兵士が運んできてくれた植物紙に書かれたのはたどたどしく形をなぞった文字だったけれど、それでもはっきりと読み取ることが出来た。
リラ
年齢 35歳
身長154cm
体重44キロ
魔法属性 なし
能力 なし
健康状態 衰弱 赤痢(発症)
配置 -
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リラは、コーネリアを迎えに行った時に連れて行くように言ってくれた女性のことだろう。彼女の傍にいるコーネリアの安否も気になるけれど、書かれている内容に、ひとまず安堵の息が漏れた。
赤痢は腹痛、下痢、血便、発熱、嘔吐を伴う感染症の一種だ。主に汚染された水や排泄物を媒介に、衛生が管理されていない環境での経口、もしくは飛沫感染する病気である。
汚染された水や汚物を媒介に感染するので、汚染源から離れればそれ以上の感染を防ぐことは比較的容易であり、患者の体力さえ持てば数日で回復する。
エンカー地方から世界中に蔓延するような病気でなくてよかったとひとまず胸を撫で下ろしたものの、衰弱している者には十分危険であるし、すぐに対処が必要だ。
ひとまず飯場から患者を移し、回復するまで隔離を続け、すみやかに感染源の特定を行わなければならない。対策に当たる現場の人々へ改めて手洗いの勧告、用具の配布も同時に行う必要がある。
どこから手を付けていこうか頭の中で整理しながら植物紙にメモを取っていると、領主邸の裏口から厨房に続くドアが開く音がした。そちらに目を向けると、目を丸くしたエドが入ってきたところだった。
「メルフィーナ様!? 早起きですね」
開いた扉の向こうは、うっすらと白み始めている。夜明けはもうすぐそこのようだ。
「あの、もしかして、夕べはお休みになっていないんですか?」
「あの後、色々とあったの。エドも、いつもより早いんじゃない?」
「僕は、コーネリア様のことが気になって……。夕べの分も朝はうんと美味しいものを作ってあげたいですし」
メルフィーナが夜を徹してここにいる理由が、コーネリアが戻らなかったからだと察したのだろう、言いながら、エドの表情がどんどん曇っていく。
彼の優しい願いは、あと数日は叶うことはないだろう。けれど、その分戻ってきたコーネリアに沢山食べてもらえばいい。
「エド、こんなに朝早くて申し訳ないのだけれど、ラッドとクリフを起こしてきてくれる? 少し問題が起きてしまって、その解決のために、みんなの力を借りたいの。特にエドには頑張ってもらうことになると思うのだけれど」
エドはぱちぱちと瞬きしたあと、笑って頷いてくれた。
「勿論です、僕はメルフィーナ様の料理長ですから!」
すぐに二人も呼んできます! そう言って踵を返すエドの背中は出会ったばかりの少年のものからすっかり青年らしさを纏うようになっていて、なんとも頼もしく感じさせた。
* * *
まだしばらくは寝床の中にいられる時間だというのに、エドに呼ばれたラッドとクリフはすぐに駆け付けてくれた。
「エドは、夕べから協力者として領主邸に泊まったお針子の女性たちがいるから、今日からしばらく彼女たちの分も食事をお願いするわ。女性が七人よ、うんともてなしてあげて」
「はい! お客様に食べてもらえる機会は少ないので、頑張ります!」
「それと、天秤を貸してもらえる? 一番大きいものがいいわ」
ラッドとクリフには、広間に天秤を用意してもらい、地下の貯蔵庫に置いてあるアレクシスから贈られた砂糖の箱と塩の入った壺も運んでもらう。
領主邸では砂糖はよく使われる素材ではあるけれど、かつては地下室でメルフィーナがマリーとセドリックとともに作り、砕いて小分けにしたものを厨房に持ち込んでいた。
弾丸に似た円錐形の丸のままの棒砂糖に、ラッドもクリフも、やや怯んだ様子を見せる。
「砂糖って、ものすごく高価なんですよね」
「そうね、砂糖は金と同じ重さで取引されるなんていう商人もいるから」
「改めて、領主邸の食事ってすごいんですね」
「ちょっと麻痺してるとこ、あるよなあ」
ラッドとクリフがしみじみと言う間にも、セドリックが慣れた手つきでノミを振るい、棒砂糖をある程度の塊に砕いていく。
「メルフィーナ様、これで、何を作るんですか?」
「実は夕べ、橋の建設現場近くの飯場で、悪疫が発生したという知らせがコーネリアからあったの。彼女はそこに留まって、彼らの看病や、住人たちに落ち着くよう説得してくれているわ」
二人は悪疫と聞いてぎくりと表情を強張らせたものの、原因はもう分かっていて、解決策もあると告げると、すぐに安堵した様子だった。
「二人には、今悪い風が入っている人たちが回復するためのものを作る手伝いをしてもらいたいの」
「はい、なんでもやります」
「任せてください」
力強く言われ、安心して頷く。
ラッドとクリフは、メルフィーナがエンカー地方に来た最初期から働いてくれている二人だ。エンカー村の人々とも交流が厚いし、ラッドにいたってはエンカー村の女性と結婚している。
砂糖を大量に扱う時点で耳目を集めるのはどうしようもないけれど、兵士が動くとどうしても物々しくなってしまう反面、この二人が領主邸から荷物を運ぶのはエンカー地方の日常であり、目立つこともない。誰の目にも二人がメルフィーナの使いであると分かるので、話も通りやすいだろう。
「何を作られるんですか?」
「ORS……経口補水液と言われる、一種のお薬よ。下痢や発汗で体に水が足りない状態の時に、よく効くの。多分砂糖を全部使ってしまうことになるから、しばらく甘いデザートは食べられなくなっちゃうわね」
「これを全部、ですか」
調子よくノミを振るっていたセドリックが手を止めて、硬い口調で呟く。
アレクシスが持ち込んだ砂糖は、16キロの棒砂糖が3本と、彫刻されたものがほぼ12キロというところだろう。
のべ60キロの砂糖が、現在の領主邸にはあることになる。エドがいくらお菓子を作っても、しばらくは困らないはずだけれど、多くの人に経口補水液として振る舞えばあっという間になくなってしまう量だ。
「砂糖はまた作ればいいけれど、命は失われたら二度と戻らないわ。遠くからエンカー地方に働きに来てくれている人たちだもの、家族の元に帰してあげる努力はしないとね」
壺を用意し、砂糖と塩を2キロと150gずつ入れていくよう指示すると、セドリックが割った砂糖を次々と計量し、蓋をして並べていく。二人とも細かい仕事にも慣れていて、危なげない手つきだった。
「本当は酸っぱい果汁を混ぜると飲みやすくなるのだけれど、今は仕方がないわね」
割り材としてヴェルジェがあればいいけれど、十分な量を用意することは出来ないし、今はスピードが最優先だ。
「エール用の中樽には水が約50リットル入るので、これをよく溶かし混ぜれば中樽一つ分の経口補水液が完成する計算よ。お腹を壊した人や衰弱が激しい人を優先して、出来るだけ積極的に飲ませてあげるよう兵士たちに伝えて。これは濃すぎても薄すぎても効果が薄れるから、必ず中樽に壺ひとつを守ってちょうだい」
二人はしっかりと頷いて、計量が終わる頃になると、厨房から朝食のいい匂いが漂い始めてくる。
マリーが二階から下りてきて、交代だと言いたげな様子だったけれど、まだメルフィーナがやるべきことが残っている。
「マリー、ロイドとヘルムートを呼んできてもらえる? 私は執務室にいるから」
「メルフィーナ様……」
「後は二人に指示を出すだけだから。それが終わったら必ず休むから、お願い」
マリーは感情を押し殺した表情で頷いてくれた。
「本当にすぐですよ。朝食は、寝室に運びますから」
「ええ。皆にも仕事を頼んでいるし、領主邸の全員での朝ごはんは解決した後の楽しみのひとつに取っておくから」
マリーはすぐに動いてくれた。そこから十五分ほどで、城館内の宿舎に部屋を持っているロイドとヘルムートがメルフィーナの執務室に揃うことになった。
悪疫の発生とすでに原因は分かっていて、その解決に動いていることを簡潔に告げ、家令見習いと執政官の二人に依頼を告げる。
「ロイドは、まず兵士たちに夏に荷運びの人足たちが一時滞在する広場にありったけの天幕を張ってもらって、飯場に滞在している全員を移動させるように伝えて。今回の悪疫は不潔なものに触れた指で口に触れたり目を擦ったりすることで広がっていくから、手指をこまめに石鹸で洗うことと、口元をこの布で覆うよう、私の命令として伝えてちょうだい」
マスクはすでに木箱に一日分をきっちりと詰めてある。その説明で用途もすぐに理解できたようで、ロイドはしっかりと頷いた。
「それから、今後しばらく大量の水が必要になるから、ヘルムートはリカルドに、建築現場で働いている水の魔法使いに賦役を命じるよう伝えてほしいの。飯場から出た人たちは全員、すぐに全身を洗って、服は鍋で煮てから洗ってもらうから、炭や大鍋といった物資の供出の指示もお願い。これは悪疫の被害を広げないためで、飯場から出た時は健康に見えても移動先で発症することがないようにするための措置だから、決して彼らを差別したり、尊厳を傷つけることはないよう、丁寧に説明してほしいの。ラッドとクリフに症状に効く薬と使い方を用意してもらったから、二人と連携して、滞りなく行き渡るように、命令と監視もお願い」
兵士出身のロイドは兵士たちに今でも顔が利くし、エンカー村の村長の息子で、メルフィーナの家令見習いという立場で方々と調整が付けやすい。
兵士やそれを率いる騎士たちに正式な命令を行うには、貴族出身の執政官であるヘルムートの身分が必要になってくる。
「承りました、メルフィーナ様」
「すぐに向かいます」
分担して仕事を任せられることは、しみじみとありがたい。二人が颯爽と執務室を出ていくと、へなへなと体から力が抜けた。
「メルフィーナ様!」
「ひとまず、急いでやるべきことはやったと思うわ。用意するものや手順は、全部このメモに書いてあるから」
「分かりました。後のことは私の裁量で行いますから、すぐに休んでください」
「うん……さすがに、ちょっと疲れたわね」
そう言って苦笑したものの、マリーは笑顔を返してくれない。
ただとても心配する瞳を向けてくるばかりだ。
「あとは出来るだけ多くの人が助かって、コーネリアが無事に戻ってくれることを祈りましょう」




