302.買い食いと工房の相談
アレクシスのエスコートで馬車を降りて少し歩くと、一気に人の熱気が伝わってくる。
昼食の最も込み合う時間を少し過ぎているので、人が並んでいない屋台もちらほらと見受けられるけれど、広場にいる人の数自体はかなり多いようだった。ほとんどは橋や建物の建築に関わっている職人や人足だけれど、ちらほらと村の住人と思しき女性や、自前の皿を籠に入れて子供を連れた家族も散見される。
昨日の夕飯の際、明日はマリアとコーネリアが買い食いをする日だというので、予定の無かったメルフィーナがマリーと共に交ぜて欲しいと申し出たところ、アレクシスも同行すると言い出した。
エンカー地方にいても、兵舎で訓練をしている時以外は一人で寝ているのか起きているのかよく分からない様子のアレクシスが、そう言うのは珍しい。マリアとコーネリアが快諾したので、結局マリアとコーネリアにメルフィーナ、マリー、セドリック、オーギュスト、アレクシスに、三人の兵士が供に付くことになった。
競合をある程度避ける意味もあるのだろう、屋台によって扱う料理の種類も随分増えた。豚肉を焼いたものに黒パンが付いたり、鶏肉を鉄串に刺して焼いたものや、トウモロコシの薄焼きパンに野菜や肉、焼いた卵、チーズなど具を追加することで金額が変わる屋台もある。
そうした屋台の売り子をするには、計算が出来る能力が必要だ。おそらく出店しているのは他の地方から来た商人なのだろう。
それは、エンカー地方に少しずつ複雑な文化が根付き始めていることになる。
「賑わっているとは聞いてたけど、お祭りみたいだね」
「今は秋の最後の建築ラッシュで、もう少しすると出稼ぎに来ている人たちは自分たちの町や村に帰るから、一際賑わっているんでしょうね。冬になったら嘘みたいに静かになっちゃうわ」
「冬かあ……」
メルフィーナの言葉に、マリアは複雑そうな様子だった。
彼女がこの世界に来たのは夏の始まりの頃だった。秋が深くなり、冬がもう目の前に来ていることに、感傷的な気持ちになっても仕方がない。
「わあ、何か、とても甘くてよい匂いがしますねえ」
嬉しそうなコーネリアの言葉につられてそちらを見ると、もくもくと煙が上がっている屋台がある。
「これは、栗の匂いね」
「焼き栗ですね~。東部ではたまに、路面で焼いた栗を売っていたので、それだと思います」
そう言いながら、すでに足はそちらに向かってふらふらと進んでいるコーネリアにマリアと目を見合わせて笑って、その後ろを付いていく。
「いらっしゃい! 採れたてをじっくりと焼いた甘い栗だよ。しっかり割れているからすぐに食べられるよ」
まだ若い店番の男性が弾むような声で告げると、コーネリアは頬に手を当てて、迷うようなそぶりを見せた。
「美味しそうな匂いですね。こちらはおいくらですか?」
「五個でなんと鉄貨一枚! ひと籠買ってくれたら半銅貨一枚でいいよ!」
ひと籠と小さな籠に盛られた栗は三十個ほどはあるだろうか。複数人で分け合って食べるおやつにちょうどいいくらいの量なのも、中々商売上手と言えるだろう。
「うーん、籠五つ買うので、銅貨二枚になりませんか?」
「お姉さん、こんなに丸くてふっくらしていて、いい栗だよ。この時期の栗なんて豚に齧られたものばっかりだっていうのに、中身が詰まった栗なんてそうそう手に入るもんじゃないよ」
「この栗、エンカー地方の栗拾いから買ったんですよね。エンカー地方は豚を放していないので、それは豊かに栗も実ることでしょうね」
コーネリアがおっとりと言うと、屋台の青年は腕を組んで、ううん、と考え込むそぶりをする。
「銅貨二枚と鉄貨四枚でどうだい?」
「銅貨二枚と鉄貨一枚でいかがでしょう」
「銅貨二枚と鉄貨三枚! これでどうだ!」
「銅貨二枚と鉄貨二枚で」
「しかたない! 美人に負けるのは男の恥ではないからね! 銅貨二枚と鉄貨二枚で持ってってくれ!」
「ふふ、ありがとうございます」
嬉しそうに笑いながらコーネリアが腰から下げたポケットから麻袋を取り出すと、籠五つ分の栗がその中に放り込まれていく。
「北部でこのやりとりが出来るのは嬉しいね。これはおまけだよ」
そう言って、コーネリアの袋に一掴みの栗を追加した。
「こちらこそ、久しぶりにこのやりとりが出来て楽しかったです。また来ますね」
「次もよろしく頼むよ」
ほくほくと栗の入った袋を胸に抱くコーネリアに、メルフィーナもマリアも少し唖然とする。
「すごいわ、コーネリア。結構おまけしてもらったわね」
「ふふ、東部は商人の町が多いので、こうして少しずつ値切るやり取りも珍しくないんです。神官の食事はほとんど出向先の領主や代官が用意してくれるのですが、たまに心づけを頂けるので、それでどれだけ美味しいものが沢山食べられるかって考えたら、自然と身につきました」
なんともコーネリアらしい理由である。
「みんなでつまんで、残りは領主邸の皆様のお土産にしましょう」
食いしん坊のコーネリアではあるけれど、喜びを分かち合うことに抵抗がないのも彼女のいいところだ。持参した食器類にスープやおかずになる料理を買い込み、広場の空いたテーブルに落ち着くことにする。
「色んな屋台があるけど、やっぱり甘い物は扱ってないんだね。綿あめの屋台なんかしたら人気出るかな」
「全員そこに並んで他の屋台から苦情が来ちゃうわ」
「マリア様、綿あめとは何ですか?」
「砂糖を雲みたいにふわふわにしたものを割りばし……木の棒にくるくると巻いたもので、口の中でしゅわっと溶けるお菓子だよ」
「砂糖を雲のように、ですか」
「中々想像がつきませんね」
護衛騎士二人が良く似た表情で首を傾げるのに笑いながら、温かいスープに口をつける。細切れになった肉とかぼちゃが入った塩味のスープで、素朴な味付けながらほっとするような味だった。
「白いパンが珍しいなら、ホットドッグとかも駄目だよね。フランクフルトは?」
「こちらではぶつ切りにして焼いたり、スープに入れたりすることがほとんどね。丸のまま焼いて屋台で出すのは見たことがないから、珍しがられて売れるかもしれないわ」
「アメリカンドッグ……はホットケーキミックスがないんだっけ。共立ての生地だと難しいのかな。タコ焼きは……タコがないか」
「何か作ろうと思うと何かが足りなかったりするのよね。そもそも白い小麦粉が高級品だもの」
白いパンを焼くための小麦粉は、麦のふすまを取り除き、数回石臼で細かく挽いたものになる。細かい粉ほどふっくらと膨らむけれど、かさは減り、腹持ちも悪くなるので、混ぜ物のない真っ白な小麦粉はそれだけで庶民の手には中々届かない高級なものだ。
「屋台で出すにはコストがかかりすぎるんだね。うーっ、なんか帳簿が頭に浮かんできた」
唸りながら串に刺さった肉を口にして、もぐもぐと咀嚼する。アレクシスとコーネリアは食事中に会話をするのは苦手らしく、黙々と食べていた。
「マリア様も屋台を出すことに興味があるんですか?」
「学園祭で……学生、は通じる?」
メルフィーナが首を横に振る。
「えーと、同年代の子女が集まって、学ぶ場所があるんだけど、そこで小さなお祭りみたいなことをするの。本職じゃないけど屋台を出したり舞台を演じたり、調べたことをまとめて発表したりするんだけど、そこでクレープの屋台を出したことがあって、なんか懐かしいなあって。そんなに前のことでもないんだけど」
「ああ、それが「学校」というものですね」
マリーが合点したように呟く。以前教会の司祭が口にした言葉を覚えていたらしい。
「そう、学校。最初に着ていた服がその制服だったんだ」
「騎士団のように制服があるのですね。――メルフィーナ様もそのようなところに所属されていたのですか?」
「あちらでは十代までの子供はほとんど通うことになるの。勿論私も通ったわ」
「メルフィーナの制服、どんなだった? うちの制服、近所では一番可愛いって有名だったんだけど――」
広場のテーブルで、青空の下でお喋りをしながらの昼食も中々楽しいものである。途中でマリーと兵士たちがエールを追加で買ってきてくれて、ほんのりと温かい焼き栗をつまむ。
屋台の男性が言っていたようにふっくらと実入りのいい栗が多く、じっくりと時間をかけて火を入れたようで、ほんのりと優しい甘さが口の中に広がった。
「マリー、それは虫が入っているから、こっちをどうぞ」
「……ありがとうございます」
メルフィーナの言葉に手にした栗を持ったまま固まったマリーの手から、アレクシスが虫入りの栗をひょいと奪う。
この世界では虫が湧いたパンでも口にする者も多いけれど、苦手なものを無理に口にすることもないだろう。
「これからどうしましょうか? 町を見て歩くのもいいけれど」
「あ、私、靴店の店舗を探したいんだけど。そういうのってどうすればいいのかな。不動産屋さんとかある?」
「すでにある建物の権利を購入するか、土地の権利を買って建物を建てることになるわね。どういう店舗が欲しいの?」
「ええと、一階部分が作った靴を展示したり、売ったりするスペースになって、その裏に小さな倉庫があるといいかな。工房は二階部分で、ディーターとロニーがいずれ弟子を取るかもしれないから、三階建てで、出来るだけ部屋数があるのがいいと思う」
「工房と店舗の一体型ね」
「できれば、財布を買ったお店みたいにショウウインドウが欲しいかな。窓がないと、お店なのかおうちなのか分かりにくいし」
こちらの世界では文字が読めなくても何の店かすぐに判るように軒先に取り扱っている商品のイラストが入った看板が掛かっていることが多いけれど、マリアの感覚だとそうなのだろう。
ガラスはエンカー地方の特産品のひとつであるし、そのアピールとして一店舗でも多くショウウインドウがある店が増えるのは、メルフィーナとしても望ましいものだ。
「いっそ、いちから建ててはどうかしら」
「土地の権利を買ってってことだよね」
「ええ。冬の間は工事も出来ないし、二人の靴職人は騎士団に納品する靴の製作で手一杯でしょう? 仮の工房を用意して、今年の冬はそこで仕事をしてもらって、冬の間にどんな建物にするのかしっかりと話し合ってもいいと思うわ」
雇うのはマリアでも、実際にそこで仕事と生活をするのは職人たちである。マリアがぽんと建物を用意するより、立地や使い勝手も含めてよくよく相談したほうがいいだろう。
「土地については、ある程度は私が融通を利かせるから、頼ってちょうだい」
「ありがとう。うん、そうだね。二人に相談してみる! あ、じゃあ、これから少し、広場とか職人の多い地区とかを、歩いてみていいかな。雰囲気くらいは知っておきたいし」
「ええ、勿論」
マリアの弾むような声に微笑むと、コーネリアが軽く手を挙げた。
「あのう、私はここから別行動でいいでしょうか。少し行きたいところがあるので」
「構わないけれど、何か用事?」
「以前飯場で生まれた赤ちゃんのことが、気になるので様子を見に行きたくて」
飯場でコーネリアが取り上げた赤ん坊は、現在両親と共に別の家に間借りしていると報告を受けているけれど、関わった以上、コーネリアもその後が気になっていたのだろう。
「じゃあ、栗は馬車に置いていくといいわ。エドに預けておくから」
「お願いします。夕飯までには戻りますので」
「エドが、今日は川海老を使った美味しいものだって言っていたものね」
「はい、決して食べ逃すことはできません」
そう言ってフードを被ると、コーネリアは土産にするのだろう、屋台で何かを買い足して、人ごみの中に紛れて行った。
「コーネリアって、いい人だよね、すごく」
「ええ、優しくて、慈悲深くて、本当に素敵な人だわ」
そう言い合って、午後はこの辺りを歩き回ろうと相談し、エンカー村を散策してその日を終えることになった。
屋台で食事をして、こんな店がいい、あんな風にしたいと話しながら散策する、賑やかで楽しい一日だった。
その日、太陽が傾き、夕飯の時間になってもコーネリアが戻ってくることはなかった。
次回からちょっとだけ不穏回になります。