296.再会の約束と思わぬ展開
その日は空が高く晴れ渡っていて、高い場所を飛ぶ鳥が時折通り過ぎる以外は、真っ青な空が広がっていた。
「乗合馬車でいいと言ったんだが、公爵家が馬車を出してくれることになってな。ほとんど一直線でソアラソンヌに向かうそうだ」
「日が出ている間はずっと移動なので、却って疲れるのですけどね。納期までそう時間がありませんし、仕方がないのでしょう」
公爵家の騎士団に新しい靴を、という依頼を受けてから、ディーターとロニーは大急ぎで公爵領都……ソアラソンヌに移動することになった。
今日はロドもレナも自分の仕事があり、コーネリアもメルフィーナと話をしているので、見送りはマリアとオーギュストの二人という、少し寂しいものだ。
何しろ期限が冬の魔物の討伐隊を組むまでと、かなりタイトなものだ。支給されれば出来るだけ新しい靴に慣れる時間も欲しいということで、冬の間まで相当忙しいことになりそうだという。
ゲームの中では聖女マリアの浄化の力でそう労することなく退治していた冬の魔物だけれど、実際には毎年死者が出るほどの過酷な討伐なのだという。
オーギュスト曰く、それでもメルフィーナの知識のお陰で、随分楽になったのだと言っていた。
「とにかく、型を取って木型を作るまではすぐさま終わらせないとだからな」
「エンカー地方の木工職人を連れて、ソアラソンヌの靴職人ギルドから木靴の職人を借りて行うことになると思います」
大急ぎで荷物をまとめて、今日の午後には出発するという二人は、忙しいだろうにわざわざ別れの挨拶をしに領主邸まで顔を出しに来てくれた。
二人は元々、ソアラソンヌの工房に勤める職人なので、飛ぶように動くことが出来るということから双翼と名付けられた新しい靴も、そこで作ることになるのだろう。
「なんか、寂しいね。二人とも、用事があったら、またエンカー地方に来てね」
なんだかんだ、結構な時間を一緒にひとつのものを造ったのだ。それなりに気心も知れてきたし、ぶっきらぼうなことばかり言うディーターと丁寧語が距離を感じるロニーの二人も、実際はマリアを嫌っているわけではなく、そうした物言いが習慣になっているだけなのだと分かるようになった。
いや、きっと、お互い信頼できるようになったのが、一番大きいのだろう。
二人はメルフィーナに保護されて、優しい人ばかりの領主邸の中で暮らしていたマリアが殆ど初めて個人的に交流した、こちらの世界の人たちである。名残惜しいし、折角仲良くなったのにという気持ちも強かった。
――二人は職人で、依頼を受けてくれただけで、友達というわけじゃないんだから、引き留めるようなことを言う訳にはいかないけど。
「また、別の意匠の靴も作ってほしいし、メルフィーナにももっといろんな靴を作ってあげたいし、それは絶対二人に作ってほしいから!」
仕事の依頼なら、騎士団の仕事が終わればまた来てくれるかもしれない。そんな気持ちで言うと、ディーターとロニーと、ついでにオーギュストにもぽかんとした顔をされてしまった。
「マリア様、我々はすぐに、こちらに戻って来ますよ」
「えっ」
「ソアラソンヌには型取りと木型の作り方の説明に行くだけだ。こればっかりは俺達だけでは手が回らないからな。革を叩くだけならエンカー地方でも出来るし、何より俺たちはもうマリア様の靴工房の人間だろう?」
ロニーの言葉に驚いていると、ディーターが少し呆れたように捕足する。
二人の、何を今更という表情に思わずオーギュストを見ると、苦笑されてしまった。
「二人はマリア様の靴事業の職人なのですから、それはそうですよ。他の資産家に二人を取られてもいいというなら話は別ですが……そんな気はないでしょう?」
「な、ないっ!」
試すような言葉に、頭で考えるよりも先に声が出てしまう。ディーターもロニーも笑っているけれど、どこか安堵したような様子で、じわじわと頬が熱くなっていくのが分かる。
「だったら、戻って来るまでに工房の予定地くらいは用意しといてくれよな」
「ええ。そもそも今日は、用意していただいた道具はこのとおりまとめてありますので、我々の工房が決まったら人足に運び込んでいただけるよう、お願いしに来たんですが」
言われてみれば、城館の前に木箱が積まれていた。ここは商人が来て荷物を広げたり、出入りの業者が来ることも多いので、今日もそれだろうとすっかり思い込んでいた。
「えっと、工房って、どうやって探せばいいの」
「出来た靴を運ぶのには、表通りに面しているほうがいいな。いずれ弟子を取ることも考えれば、部屋数もそれなりにあったほうがいい」
「作業するための工房の他に、小さくてもいいので店舗になるスペースも欲しいですね。これまでの靴と比べて随分高価ですし、完成まで少なくとも十日ほどは必要になるので、そうそう売れることもないと思いますが、いくつか見本を作って並べておけば、興味を持つ裕福な商人もいるかもしれませんし」
「今は難しいが、いずれはある程度作っておいて、買い付けの時に足に合わせて調整が出来て、すぐに買えるようにしていければ多少は買いやすくなるだろう」
いわゆるセミオーダーということだろうか。すでにそこまで考えている二人に驚きつつ、そんな条件の店舗……不動産を自分が探すことなどできるのだろうかと不安になる。
ちらりとオーギュストを見ると、いつものように笑っていた。
これは「勿論お手伝いしますよ」の顔だ。
「なあに心配そうな顔してるんだマリア様。あれこれ言っちまいましたが、マリア様なら期待以上の工房を用意しといてくれるって信じてますよ」
「ええ、マリア様はよい感性をお持ちですし、何より根気強いですから。用意された工房に帰るのを、楽しみにしています」
一体何の根拠があってそこまで言ってくれるのか全然わからないけれど、そこまで言われたら頑張らなければならないと思う。
何しろ、二人はマリアの工房の職人なのだから。
「わかった! 頑張るよ!」
拳を握って言って、ほとんど四人同時に笑いが起きた。
「それにしても、俺たちがソアラソンヌに戻ると思っていたなんて、水臭いお方だよなあマリア様も」
「ですね。あんなことが起きたので、てっきり、我々はマリア様もそのつもりでいたと思っていたのですが」
「まあ、マリア様、あんたがどんな存在か、俺たちにはあんまり関係ねえよ。ちょっと変わった貴族の娘さんで、靴作りの仲間だ。そう思ってる」
「ええ、新しい靴で、多くの人を救い幸福にする、私たちの首領です」
なんだか山賊の親分のような言われ方な気がするし、ディーターの言葉も、ちょっと引っかかる。
「えっと、ありがとう?」
特に口にすることはなかったけれど、もしかして聖女であるということがバレているのだろうか。この二人なら、知られても仕事に関わること以外はあまり気にしないでいてくれそうだけれど、どこで漏れたのかは少し気になった。
「そもそも、この男に起きたことを考えると、あんまりソアラソンヌにいられないですからね」
「大騒ぎになっちまうだろうからなあ。職人っていうのは、どいつもこいつも目敏いもんだ。出来るだけ目立たないようにするが、あまり昔からの知り合いとも会わないほうがいいだろう」
二人の会話が段々意味の分からないものになっていく。隣にいたオーギュストも同じだったらしく、軽く手を出して、ちょっと待ってくれ、と告げた。
「それは、なんの話だ?」
「ああ、騎士様は知らないのか。これだよ」
そう言って、ディーターが左手に嵌めていた黒い革製の手袋を外す。
以前、話題が出た時には確かに欠損していたはずの左手の小指が、まるで最初からずっとそうだったように、そこにあった。
どうやら見られること自体照れくさい様子で、ディーターはすぐに手袋を嵌め直してしまう。
「ったく、若い頃のやらかしの戒めのつもりだったのに、まさかこの年になってこんなことになるとはなあ」
「まあ、革鎧職人ではなく、双翼の職人として生まれ直したということでしょう」
「ちっ、上手いこと言いやがって」
二人が笑い合っていると、馭者が馬車の用意が出来たと呼びに来た。
「じゃあなマリア様! 盛り上がるって話の収穫祭の前には戻ってくるぜ!」
「ごきげんよう、マリア様。店舗の件も、よろしくお願いします」
そうして二人と、夏と秋の中間の、よく晴れ渡った空の下、しばしの別れを告げた。
半ば呆然と見送り、二人の乗った馬車が豆粒のように小さくなった頃、お互い神妙な顔で、オーギュストと視線を向け合う。
「……とりあえず、メルフィーナ様とコーネリアに相談ですね」
「……だよねー」
ひとつ成し遂げたと思ったら、次の問題が出てしまったらしい。
けれど、以前ほどどうしていいかとオロオロすることもなく、まあ、きっとなんとかなるだろう、そんな風に思えるようになっていた。
マリア視点のお話はここまでです。
靴作り編、お付き合い頂きありがとうございました。