294.新しい靴と聖女の工房
試作を繰り返し、最初の完成品があがってきたのは、それから一週間ほど過ぎた頃だった。
「俺とロニー、どっちもこれならマリア様に出しても問題ないだろうと思えた一足だ。是非履いてみてくれ」
そう言って、ディーターが木箱から取り出してテーブルに並べた革靴に、思わず息を呑む。
四足並んだ靴は、サイズは違うけれどどれも同じデザインだ。マリアの物を中心に、一番小さいのがレナで、少し大きいのがメルフィーナの足型で作ったものだという。最も大きいのは、オーギュストの型だと順番に説明された。
「今回は、最初の一足ということもあってあえて染色してない革で作ってみた。内側はそれぞれの足型にぴったりと嵌まるように出来ている。革っていうのは生きてるようなもんだから、その日の状態によって多少縮んだり広がったりするもんだが、それでも不快感はないはずだ。踵は革を貼り合わせた蹄鉄型にして成形して、指の根は一番痛みやすい部分だからな、固い革を貼り合わせてある。足型に合わせて三重に革を貼って、一枚の床面を掘り下げコルクを貼り合わせた。これで大分体重の分散はされるはずだ」
「中の敷物……中敷きというのでしたね、そちらは薄い子羊の革を貼り合わせて作りました。子羊の革は柔らかく、肌に優しい素材ですので、素足で履いても大丈夫だと思いますが、革を傷めないためにもタイツを履くのを基本としていただければと思います」
ロニーも合わせてそう言うと、二人ともくるりと後ろを向いた。靴を履き替えるのを視界に入れないようにという心遣いだろう。
「形はマリア様の見本の靴に合わせたが、他にも色々と応用が利きそうなんで、良ければ依頼してもらいたい」
「ええ、一足作るのに随分苦労しましたし、他の足型の皆様の靴も並行して作っていますが、これで終わっては勿体ないというのが私達の共通の意見です」
今回完成したのは四足だが、並行して足型を作るのに協力してもらった人たちの靴も作ってもらうことになっている。
それでも十足に少し余る程度の数だ。
最初の頃に比べてディーターとロニーとの関係も随分良くなったのに、それを作ってもらったら、仕様書をもらってありがとうと言って帰ってもらうのも、何だか寂しく感じてしまう。
「とにかく、履いてみるね!」
寂しさを吹き飛ばすように元気に言って、今履いている室内履きを脱いで新しい革靴を足元に置く。背中合わせにオーギュストとレナにも試し履きしてもらうことになった。
形は確かに、ローファーとよく似ていた。足を差し入れるとすっ、と呑み込まれるように入るのに、緩く感じることは全くなくて、つま先はしっかりと包み込まれ、踵は全体を支えるように力強い。
座ったまま両足に履いて、立ち上がる。
「わあ……」
元のローファーより、踵が少し高いけれど、不安定さは少しも感じなかった。少し歩いてみればまるで一歩一歩が弾むようだ。くるりと回って、団欒室を早足で歩いてみる。
「すごいよ、ぴったりだし、歩くのも楽になってる!」
「ふむ、やはり土踏まずの部分に金属の板を入れたのは正解でしたね。どこかの革鎧職人は履いた時の心地が悪くなるかもしれないと文句を言っていましたが」
「踵の半ばまでに補強を入れて上面は中張りの革と二枚合わせだけにしたのもよかったな。どこぞの馬具職人は強度に欠けるとぐちぐち言っていたが」
「女性は体が軽いので、もう少し踵を高くしても問題なさそうですね」
ロニーがマリアの動きを見ながら言い、ディーターはオーギュストをじろじろと見て、頷く。
「足のデカい男なら、この作りはかなり安定するだろうな。ブーツにして編み上げにすれば、くるぶしまできっちり固定されてなおいいはずだ」
実際に履いて動いている姿を見れば、色々と思いつくらしい。二人が考えついた全部を作ってもらえれば、どんなにいいだろう。
「すごい、なんか、今までの靴と、全然違う!」
レナははしゃいでぴょんぴょんと跳ねて回っている。オーギュストもやや早足で団欒室を一周し、マリアの元に戻ってきた。
「少し、階段を上り下りしてきます」
「え、うん」
生真面目な表情で言われて、つい抜けた返事をすると、オーギュストは団欒室を出て行って、すぐに戻ってきた。
「マリア様。こちらの靴をメルフィーナ様に試し履きしていただきましょう」
「うん。え、今?」
「ええ、このまま。レナ、一緒に来てくれ」
「はーい!」
ディーターとロニーにはお茶を出してもらってしばらく待機してもらうことになり、そのままメルフィーナの足型に合わせて作った靴を持って団欒室を出る。
「執務中ですと、マリー様とセドリックが俺に文句を言うと思うので、マリア様、お願いします」
「……あの二人に、私が敵うと思う?」
「マリア様なら大丈夫ですよ」
信頼も、無根拠すぎると無責任ではないだろうか。そんなことを考えているうちにあっという間にメルフィーナの執務室にたどり着く。団欒室とは同じ建物の同じ階なのだから、当たり前だ。
ノックをすると内側からマリーがドアを開けてくれた。メルフィーナは突然の訪問に驚いたような顔をしていたけれど、好奇心の強そうな緑の瞳が、オーギュストの持っている木箱に注がれている。
「マリア様」
「あ、えーと、試作していた靴の完成品がさっき届いて、試し履きしていたんだけど、すごく良くて。メルフィーナの分も持ってきてもらったから、履いてみて欲しくて、来ちゃった。――あの、忙しくなかった?」
「ちょうど休憩を入れようかって二人と話していたところだから、大丈夫よ。靴、見せてくれる?」
相変わらずメルフィーナは優しい。オーギュストから木箱を受け取って差し出すと、メルフィーナは両手で靴を取り、おそらく「鑑定」をしているのだろう、まじまじと見つめた。
「牛革で作ったのね。縫製もしっかりしているし、あちこちに随分工夫が入っているわ」
「うん、土踏まずの所に金属の板を入れたり、かかとに半分補強を入れたりしたって言ってたよ」
「シャンクが入っているのね。すごいわ。この短期間で、その発想にたどり着くなんて」
シャンクは靴の背骨のようなもので、歩行の時に足の負担を軽減させるのだそうだ。
革の摩擦が大きいと金属を入れたそこから靴が傷むこともあるので、丁寧な仕事が必要になるとメルフィーナは声を弾ませながら、執務机の椅子に座ったまま靴を履き替える。
さっとセドリックとオーギュストが背中を向けたのは、流石だ。
靴を履き替えて立ち上がると、メルフィーナは弾むような足取りで歩き出す。レナもその横に並んでスキップしていて、二人とも楽しそうに笑っていた。
「これは、すごいわね。生まれた時からこっちの世界の靴を履いていたから忘れていたけど、大変な履き心地だわ」
「そんなに違うのですか?」
「全然違うわよ! ねえマリア、マリーとセドリックの分は、いつごろ出来るのかしら」
「ええと、職人が二人で作ってくれているから、数日後くらい?」
「二人に履いてもらうのが待ち遠しいわ」
そう言うメルフィーナの表情は明るく、名前を出された二人も靴が気になってきたようだった。
「こんなに早く、ここまで完成度が高く仕上がるなんて驚いたわ。すごいわ、マリア!」
今にも踊りだしそうな様子でメルフィーナが言う。それに、じわりと笑んで、喜びがせり上がってきたのは一瞬遅れてのことだった。
「この靴、良さそう?」
「ええ、出来ることならエンカー地方の全員に履いて欲しいくらい!」
惜しみない、そしてこれ以上ない賛辞だ。
毎晩のように予算に頭を悩ませて、すぐに喧嘩腰になる職人二人に挟まれて焦ることも多かったけれど、全部報われた気がする。
「それなのですが、マリア様。よろしければ、足型を取り、急ぎ閣下の分も作っても構わないでしょうか」
「アレクシスの? 勿論いいよ」
アレクシスはまだ領主邸に滞在している。思った以上に出来が良くて、アレクシスにも履いてもらいたくなったのだろうと頷くと、オーギュストは左手を胸に手を当てて、右手で剣の鞘に触れ、頭を下げる。
これは、正式な騎士の礼らしい。
「オーギュスト?」
「マリア様。開発者であるマリア様にお願いします。この靴を、公爵家の騎士たちに作っていただけないでしょうか。今から始めれば、今年のプルイーナ討伐に間に合うかと思います」
「オーギュスト、先走り過ぎじゃないか」
セドリックが苦言を呈するように言うと、オーギュストは顔を上げ、口角を上げて笑う。
「実際にこの靴を履けば、閣下もお前も、俺と同じことを願うさ。ほんの少し、前後するだけだ」
「そうね、私もそう思うわ。これは本当に、いい靴だもの」
メルフィーナがオーギュストの援護をして、うん、と頷く。
「その後に、エンカー地方に駐在している騎士と兵士たちの分の靴も依頼させてもらうわ。とりあえず大急ぎでアレクシスに履かせないとね」
「閣下は今、菜園ですかね。ちょっと行って、型を取ってきます」
「あ、レナもお手伝いします!」
「マリア様、お側を離れるしばらくの間、ここにいてもらってもいいですか?」
こくこくと頷くと、オーギュストとレナは颯爽と、風のようにメルフィーナの執務室を出て行った。
後に残されたマリアは、展開の早さにぽかんとするばかりだ。
「オーギュスト卿は、真っ先にメルフィーナ様を味方につけに来る辺り、本当に抜け目がないですね」
「騎士というよりペテン師の方が向いていると本人も言っているくらいだからな……」
メルフィーナの傍にいる二人はどこか呆れ顔だ。メルフィーナは慣れた様子で羊皮紙と羽根ペンを取ると、ソファに移動してきた。
「じゃあ、マリアの靴工房について話し合いましょうか。騎士団の靴全てとなったら革の在庫が足りるか分からないから生産も大急ぎでしなきゃいけないし、原価、人件費、マリアの取り分もしっかり計算しなきゃね」
「聖女の靴工房、大変なご利益がありそうですね」
「この靴自体、何らかの祝福が掛けられていると言われても信じてしまいそうだもの。そういう話になるかもしれないわね」
メルフィーナの明るい声とペンを走らせる音が執務室に響く。立ちっぱなしも間抜けに思えてメルフィーナの向かいに腰を下ろすと、エンカー地方の辣腕な領主は目を細めて笑った。
「きっとこの靴は、沢山の騎士と兵士を救うわ。ついでに優雅にダンスをしたい貴婦人と、エスコートをする紳士たちのことも」
実装されたルビ機能、すごく便利になってました。




