293.ローファと革靴のシンデレラ
オーギュストとレナ、ロド、コーネリアを伴って、最近はすっかり靴作りのアジトのようになっている団欒室に向かうと、部屋に入る前からにぎやかに怒鳴り合う声が響いていた。
ドアを開ける前から大変な熱気が伝わってきて、思わず全員で顔を見合わせる。
マリアがいる時は大抵、オーギュストがドアの開け閉めなどはしてくれるけれど、今日はロドが代わりに応接室のドアを開けてくれた。
途端、ドア越しに響いていた声が質量を伴うと錯覚するような勢いでぶつかって来る。
「だから、甲を包む部分は柔らかい子羊の革の方がいいでしょう!? 保湿性も高いですし、冬でもこすれて痛むことも少ないはずです!」
「それだと全体の強度が下がると言ってんだ! それに、柔らかい革だと糸の強さに耐えられねえんだよ! いいか、靴というのは、足を保護するのが役目だ。硬くて丈夫な革を強い糸で結ばなきゃ意味がねえ。擦れだのなんだのは、足の形にしっかりと合わせて作れば問題ねえよ!」
「は、足を包む靴と胴体を覆う鎧を同列に扱うのは、どうかと思いますけどねぇ!」
「そりゃまあ、馬みたいに足の裏に直接金属を打ち付けるのに慣れてりゃ、繊細な仕様は苦手になっちまうかもしれねえなあ?」
「なんですって!?」
「やんのか!?」
一触即発の空気にぱん、とオーギュストが柏手を打つ音が響く。
「マリア様の職人は今日も元気がいいですねえ」
「ええ、活きがいいのは良いことですね」
コーネリアとオーギュストがのんびりと言い合っているけれど、コーネリアのおっとりは本当にそう思っているようであるものの、対するオーギュストの声は少しひんやりとしている。
のっぽのロニーはディーターに本気で殴られたら骨折どころでは済まなさそうなのに、一歩も引かずにやりあっている。見ているこっちがハラハラするくらいだ。
「えーと、こんにちは、ディーター、ロニー。なんの話をしていたの?」
「ごきげんよう、マリア様。勿論、試作品についての話です」
「木型がやっと届いたからな。色々と案を出してみたんだが、見てもらえるか?」
団欒室のテーブルの上には、羊皮紙が何枚も散らばっていた。二人で怒鳴り合いながらも案をスケッチしていたらしく、そこには色々な靴の図案が記されている。
「こっちのタイプは、全体を牛の革をなめした一番厚くて上等な部分で作るのを想定しているものだ。その分履く個人によって細かい調整が必要になるが、頑丈さで言えば一番だろう」
「一番厚い牛革ね」
「こちらは、靴底とつま先を包む部分は固い革にして、その他は別の革を使うのはどうかという案です。具体的には山羊・子羊・豚が候補です」
「ヤギ、コヒツジ、ブタ」
二人とも文字が書けないというので、指で指し示すのにマリアが覚えたての文字で素材を記していく。
マリアとしても慣れている訳ではないので、ちゃんとした人が見れば幼児の字と大差なく見えるだろう。
「マリア様、ここ、フータ、になってます」
「あっ……えーと、ブタ……こうかな」
「はい、やはりマリア様は覚えがいいですね」
コーネリアに指摘されつつ修正している間も、ディーターとロニーはまた何か思いついたらしく、荒々しい口調で言い合っていた。
職人は態度が荒いと本人たちからも周囲からも何度か聞かされているけれど、ほとんど怒鳴り合いの喧嘩をしているように見えて、きちんとコミュニケーションを取れているようだから、不思議なものだ。
「俺はあんまりひとつの商品であれこれ革を変えるのは不格好だと思うがな。牛革でも厚いところもあれば扱いやすい柔らかい部分もある、なんなら床面を削っちまってもいいんだから、それで切り替えればいい。踵から甲を柔らかい革で、そうやって消耗の激しいつま先を固い革で包めばいいだけだ。日によって足の具合も違うだろうから、甲のところに穴を開けて革ひもを通して、コルセットみたいに調節すればなおいいだろう」
そう言いながらさらさらとディーターが書いた靴の絵は、日本の革靴にかなり近い形になっていることに驚く。
いずれこれも試作して欲しい。まずは一足、完成品が出来れば、この二人ならアレンジはすぐに可能な気がする。
「今日は、作って欲しい靴の見本になるものを持ってきたの。二人とも見てくれるかな」
二人の職人に頼もしさを感じつつ、マリアが寝室に仕舞っておいたものの中から、日本から履いてきたローファーを取り出して、テーブルの上に置く。
「参考にして、必要ならバラしてもいいから」
「――いいんですか、マリア様」
オーギュストがやや声を低めていうのに、笑って頷く。
「うん、アレクシスに出資までしてもらったんだもん、出し惜しみはなしだよ」
この世界で唯一、自分にぴったりと合う靴だけれど、靴は結局、消耗品だ。どんなに大事に履いても数年で、擦り切れたり中敷きが剥離したりして、使えなくなるのは分かり切っている。
それなら、靴作りに役に立ってもらえたほうがいいだろう。
「……手に取ってみても?」
ロニーの言葉にマリアが頷くと、慎重な手つきで右足の靴をディーターが、左足の靴をロニーが取り上げる。
そうしてしばらく、二人は靴の中をのぞき込んだり、指を突っ込んだり、かかとや底を丁寧に傾けながら観察したりしていた。
「ふうむ……何の革を使っているのかちょっと分からないのが悔しいな。形としては俺たちの考えていたものに近いが、実物を見るとよく仕組みがわかる」
「ええ、外側と内側で別の素材を切り返しで使っているようですが――しかし靴底の素材はなんでしょうか? 糸もこの細さだと、普通は耐えられないはずですが」
学校指定の、それなりにいい靴のはずだけれど、靴底はゴムで作られている。この世界ではまだゴムは利用されていないらしいので、二人とも初めて見る素材のはずだ。
糸はおそらく、ナイロン糸だろう。マリアは詳しくはないけれど、天然の糸とは違う合成繊維と呼ばれるもののはずだ。
「ちょっと手に入らない素材が使われていると思うから、それは近い素材で代替してもらえるかな」
こんなとき、父が休日にたまに磨いていた、大事にしていた革靴があればもっと参考になっただろう。
最初のボーナスでいい革靴を買った後、数年に一度奮発して買っているのだと言っていた。その時は何の興味も無くてふーんと流してしまったけれど、もっと色々と聞いておけばよかったかもしれない。
無趣味な父だと思っていたけれど、よくよく思い返せば靴と時計が好きで、お酒はそんなに飲まないけれどリビングのキャビネットにいくつかお酒の瓶が飾られていた。
子供たちが寝た後に、大事に飲んでいたのではないだろうか。
何気ない暮らしの一コマだった。今日と変わらない明日が来るのだと当たり前のように思っていたけれど、ひとつひとつを、もっと大事にすればよかった。
「マリア様」
オーギュストに気遣うように声を掛けられる。
気が付けば、レナが手を軽く握ってくれていた。
「……思い出はさ、ちゃんとここにあるから、物は失くしても大丈夫だよ」
ここ、と胸を押さえて、笑う。
「私にはクマックマくんのマスコットもあるしね」
「それなら良かったです」
「最初の一足はマリア様の靴なのですよね。きっと、それもいい思い出になると思います」
コーネリアの言葉に頷いているうちに、二人の職人にロドが交じってまたあれこれと言い合っていた。
「縫い糸が外に出てると歩いているうちに削り取られるだろうから、こうして何かの素材を張り合わせて隠すのはいいと思う」
「ですが、張り合わせだと、結局強度が弱くなるんじゃありませんかね。歩いているうちに剥がれると思いますよ……いえ」
ロニーがふと何かを思いついたようにローファーを取り上げ、底をじっと見つめる。
「踵の部分は、それこそ蹄鉄のように直接打ち付けてしまえばいいんじゃないですか」
「ほう、革の蹄鉄か。面白いかもしれないな」
「革は水に浸けて柔らかくして、木型に合わせて叩けばその形になるでしょう。まず固い革で全体を作り、靴底は何枚か革を合わせて縫い合わせ、最後に蹄鉄に近い形で打ち付けて固定する」
「金属の釘だと錆びてそこから駄目になるだろうから、木釘を打って邪魔な部分は削り取ったほうがいいだろうな」
「いいですね! 早速試作に入りましょう」
盛り上がったところで、ディーターとロニーがそっくりな仕草でこちらを振り返る。
「あー、マリア様。この靴、本当に解体しちまってもいいんですか? 聞いた感じだと、大事な物らしいですが」
「うん、いいよ。二人がきっと、もっといい靴を作ってくれるでしょ?」
「……ま、努力しますかね」
「そこは必ずご期待に応えます、って言ったほうが感じいいぞ、ディーターのおっちゃん」
「うるせえ! 子供は……いや」
ずんぐりむっくりのディーターは、顎を擦りながら言葉を切る。
「そうですな、俺たちは職人だ、期待されたら応えなきゃ職人とは言えねえからな」
「私も、万全を尽くします。もしも靴を失くしても、一人一人履かせて捜せばいずれ靴の持ち主がマリア様だと分かるような、ぴったりの靴に仕上げましょう」
「そういう童話、セレーネ様の本にあったよね」
レナの言葉に、マリアも頷く。
「折角二人に作ってもらえるんだもん、舞踏会で落とさないように、完成したら大事に履くよ」
話の順番が分かりにくくて、すみません。マリア視点を書き終えたら、読みやすいように順番と内容を調整します。最近慌ただしくしていて、丁寧にお話が書けていないのが申し訳ないです。