292.望まれる客と売れる物
朝食と夕食は領主邸のメンバーと摂ることが多いけれど、昼食は仕事の種類がまちまちということもあって、各自一段落したら食堂に行くことが多い。
最近はマリアとオーギュスト、レナ、コーネリアの四人は固まって過ごしているので、メイドがその時いる場所に昼食を運んできてくれるようになった。大抵は団欒室で、たまに中庭、すごくたまに、メルフィーナの執務室で一緒にランチをすることもある。
今日は団欒室で昼食だった。ほうれん草と鮭のクリームパスタにキノコと温野菜のサラダ、根菜のスープに、小さなアップルパイがデザートについている。
「本当に、料理長の作る料理は美味しいです。品数も多くて、こんなに幸せでいいのでしょうか」
文字通りとろけるような表情でパスタを口に運びながら、コーネリアはうっとりと呟く。
こちらの世界では朝はパンとエールで済ませ、昼が一番しっかりと食べて、夜は軽く済ませてすぐに寝るのだという。
それでも、大抵温かくて腹八分になる一品を食べるのが一般的らしい。
今日はパスタで、サンドイッチの時も多いけれど、野菜の副菜とスープはほぼ必ず付くし、一汁三菜の形になっていることが多い。明らかにメルフィーナの影響なのだろう。
「エドは本当に働き者だよね。頭が下がるなあ」
「マリア様、頭が下がるってなに?」
「えーと、偉いなあって思って、尊敬しちゃうなぁってこと」
誰よりも朝が早いエドは、昼食を作ったら少し長めの休憩時間なのだそうだ。それでもメルフィーナが領主の仕事に忙殺されているときは執務室まで軽食を運んだり、お客さんが来ている時はおやつを持ってきてくれたりしているので、本当に働き者なのだと思う。
「こういう料理、あっちの世界にもあるんだけど、比べても全然負けないくらい美味しいから、エドはすごいなって思うよ」
「マリア様のおられた国は、食事が発達しているのですよね」
「うん、食品会社……えーと、美味しいものを作る商会みたいなのがたくさんあって、美味しいを研究していたりするんだ。だから安くて美味しいものが溢れていたよ」
「それは、夢のようですねえ。こちらの世界では、エンカー地方がマリア様の国のようなものなのでしょうが」
「今でこそ慣れましたが、こんなに美味いエールも幸福な食事も、ほんの二年前まで夢にも思わなかったですしね」
「白いパンやお肉が毎日のように食べられるなんて、他では決してあり得ないでしょうね」
「お父さんとお母さんもよく言ってるよ、毎日が夢みたいだって」
オーギュストとコーネリアが言い合うのに、器用にフォークを使ってパスタをくるくると巻いていたレナもにっこりと笑う。
公爵家の護衛騎士に、隣の領の元神官、そして飢饉の打撃を一番に食らうはずだった土地の少女。メルフィーナが整えた後のエンカー地方に来たマリアとは違う感情が、ここにいるそれぞれにあるのだろう。
「今日はお天気もいいですし、午後の授業は菜園のテラスでしましょうか。そろそろ外でのんびりできる最後の機会でしょうし」
昼食に舌鼓を打った後、コーネリアの提案に全員が頷く。
エンカー地方は冬が長く、もうしばらくすれば村でお祭りがあって、それが終わったら寒く厳しい冬が来るのだそうだ。
一年の半分近くが冬で、その間厚い雲が空を覆い、それで気持ちが落ち込んでしまう人も多いのだという。メルフィーナも、そろそろ冬支度を始めなければと少し憂鬱そうに言っていた。
「今年もウィリアム様来てくれるかなあ」
「ウィリアム様って?」
「閣下の甥御様です。去年の冬はこちらに滞在されていました」
「へえ、アレクシスって兄弟がいるんだ」
それはゲームには無かった設定のはずだ。メルフィーナにも弟がいるというし、おそらく、必要がないから省かれていたのだろう。
アレクシスが当主をしているということは、弟の子供なのだろう。この世界は十代半ばでの結婚は普通らしいので、アレクシスに弟がいるなら甥っ子がいてもおかしくないわけだ。
「ウィリアム様はね、優しいお兄ちゃんって感じだった。公爵様にそっくりだよ」
「そうなんだ。そのうち会えるかな」
そんな話をしながら菜園に移動するために階下に下りると、なんだかバタバタした雰囲気だった。
「今日は日が出てるから、絨毯を日干ししておいて」
「前回から少し日が過ぎているから、シーツも丸洗いしてしまいましょうか」
「メルフィーナ様が壁にかける絵を季節で替えたいと言っていたのに、間に合いませんでしたね」
三人のメイドがそんなことを言い合いながら忙しそうにしている。厨房の前を通ると、エドと出入りの商人が仕入れについて話しているのが聞こえてきた。
「この間は、毎日その日の朝に搾ったミルクを運んでください。卵も必ずその日産んだものを。あとはお肉を、この順番で届けてもらって、小麦粉は必ず三回振るったものにしてくださいね」
「エド、工房からチーズをもらってくるか?」
ラッドが会話に割り込むけれど、エドは首を横に振る。
「そっちは僕が直接選びにいくから大丈夫。あとバターと、菜園で作っていない野菜をいくらかお願いします」
普段は明るくてムードメーカーなエドが真剣な様子で商人に指示をしている。忙しそうなので声をかけることはせずに玄関に向かうと、ちょうどアンナが上の階から布を抱えて下りてきた。
「ねえアンナ、みんな忙しそうにしているけど、何かあったの?」
「公爵様がいらっしゃるそうなので、お迎えする準備です」
忙しそうなのに、なぜか嬉しそうな表情でそう教えてくれた。
「あ、アレクシス来るんだ」
「はい! 部屋をピカピカに磨き上げて、とっておきのエールもご用意しなきゃです!」
忙しそうにしているのを引き留めるのも気が引けて、お礼を言うとアンナは失礼しますと軽やかに言って、足取りも同じくらい軽く勝手口に向かって去っていった。
耳をすませば、普段は静かな領主邸のあちこちで、気ぜわし気な足音や指示の声が聞こえてくる。
「アレクシスが来るって、結構おおごとなんだね。やっぱり公爵で偉いから?」
そう尋ねると、オーギュストとコーネリアはぽかんとしたあと、二人そろって苦笑されてしまう。
「偉いかどうかでいえば、閣下はそれはそれは輝かしい方ですが、この領主邸で一番偉いのはメルフィーナ様ですし、もっと言うならマリア様ですね」
「少し前までは、隣国のとはいえ王太子も滞在していましたしね」
「ああ、そちらの外交官がいる間は、使用人たちもとてもやりにくそうでした。やはり相手によると思います」
使用人たちがアレクシスの来訪に浮立つのは、身分が高いからというだけでなく、色々と理由があるらしい。
「まず、貴人が来訪するときは、邸内の運営に特別な予算が組まれます。使用人にとってはいつもより豪華な料理を用意されれば自分たちの食事も豪華になりますし、客人が満足されれば仕える主人の評価もあがります。また、そのようなときに良い働きをした使用人に対する主の評価も上がるので、働いている者にとっては色々とチャンスだったり美味しいものだったりするわけです」
コーネリアの説明に、オーギュストがさらに付け加える。
「領主邸で閣下をもてなそうという気風が強いのは、メルフィーナ様が閣下を大事にされているからですね。毎回お土産に一番いいチーズとエールを用意していますし、そういう主人の態度は自然と使用人に伝わるものですから」
領主邸の使用人たちがみんなメルフィーナを大好きなことは、マリアにも分かる。メルフィーナが自分の妹だと紹介したから、みんなも親切にしてくれているのだろうということも。
「最初の頃から領主邸の使用人たちはすごく感じがよかったんですけどね。これもメルフィーナ様の人柄のなせるわざでしょう」
「それもわかるなあ。メルフィーナの傍にいたら、人に優しくなれる気がする」
そんな話をしながら菜園の入り口の前で靴を替え、中に入る。作業中の数人のスタッフが帽子を脱いで軽く会釈するのに、マリアも頭を下げそうになって、すんでのところで軽く手を振って応えるにとどめた。
使用人に頭を下げてはいけないというルールは何度も指摘されてきたことだ。物覚えの悪いやつだと思われたくはないし、いい加減、こちらの流儀に合わせるのも大事だろう。
テラスに座り自作のノートを開く。空は青く晴れ渡っていて、風はすこし冷たいけれど気持ちいい。空気が綺麗で、のどかな昼下がりだ。
そのまま書き取りをしようと思ったのに、支出のリストを作っているページを開いてしまって、ついつい、ため息がもれる。
革は新しく取り寄せてもらった。先日取った型から木型を作ってもらっているけれど、それにまたお金がかかる。メルフィーナにある程度まとまったお金の管理を任されているけれど、これが足りなくなるのも時間の問題だ。
宝くじが当たればなあと思うけれど、宝くじ自体がこの世界にはないだろう。
もしかしたら宝くじを作ったらすごくお金が儲かるのではないだろうかと思うけれど、くじを印刷して、販売して、当選を決めて、管理するなど自分に出来るとも思えない。
貴族の娘というふれこみだけれど、貸し出せるような特権もないし、働こうにも与えられた仕事が今のこれだ。経費は遠慮なく請求していいと言われているけど、自分の無知で遠回りして余計にかかった経費までメルフィーナに出してもらうのも気が引ける。
「ねえ、コーネリア。この世界って、お金を稼ぐ時、どうしてるの?」
「働くのが最も一般的ですね」
「だよねー」
「あとは、価値のある財産があればそれとお金を交換するとかですかね。先日お話しした商人の服も、手に入れて、しばらく着て、もっといい古着と出会えたらいくらか銅貨や半銀貨を足して交換して、を繰り返していくものですし」
「価値のあるものかあ……」
メルフィーナはマリアがいるだけで豊作になるのだからそれでいいとも言っていた。
それでいいと思えないのは、自分の価値を一番認められていないのは、マリア自身だからだろう。
「……ねえ、オーギュスト。神の国から持ってきた物って、売れないかな。できれば高く」
「マリア様の私物でしたらそれはいくら出しても、という貴族はいくらでもいるでしょうが……」
オーギュストは微妙そうに微笑む。これは、困っている時の顔だ。
「それでしたら、神殿や教会のほうがいいかもしれません。いくらでも金貨を箱で用意すると思いますよ」
「そんなに高額だと却って怖いかな」
「俺もそれは反対です。それをきっかけに定期的に金貨の詰まった箱を貢ぐ口実でマリア様に面会を求めてくるようになりかねませんし」
「あぁー、それは否定できませんねえ」
「否定できないんだ……」
やはり、手っ取り早く稼ごうなどと考えてはいけないということだろう。素直にメルフィーナに頼んで、追加の資金を出してもらおう。
そう思った時に、ああ、とオーギュストがいいことを思いついたというように声を上げた。
「ちょうど数日後、閣下が来られるなら、閣下に持ちかけてみるといいと思います。閣下は決して吝嗇な方ではないので、十分活動できるだけの資金を提供してもらえると思いますよ」
「アレクシスに?」
「はい。まあ物でなくても、あちらの世界の話で、こちらの技術でも再現可能で、メルフィーナ様が喜びそうなものの話なんかでもいいと思いますし」
メルフィーナは、欲しいものはほとんど自分で叶えているだろう。
それができる知識と行動力のある人だ。
マリアの知識でそんなものが出て来るとは思えない。
数学や物理の教科書とか、どうだろうかと思う。
――後はスマホと、あまりお金は入っていない財布と、筆記用具。小さな鏡とヘアゴムと、制服一式。
さすがに制服は駄目だろう。アレクシスがどうこうというより、制服を売るなんてなんかヤダ、という気持ちである。
「……とりあえず、頼んでみようかな。話せるように頼んでもらえる? オーギュスト」
「勿論、お任せください」
オーギュストが胸に手を当てて、丁寧に礼を執る。
メルフィーナに頼むよりずっと緊張するけれど、取引なのだと思えば、個人的な感情は楽な気がした。
 




