287.思い出のマスコットと出資の依頼
団欒室に入ると、約束の相手はすでにソファに座っていた。テーブルの上にはなぜかオセロが置かれていて、白と黒は半々ほどの割合になっている。
「あの、こんにちは。時間を作ってくれて、ありがとうございます」
マリアがぺこりと頭を下げると、アレクシスはああ、と短く返事をした。
ちらりともこちらに視線を向けないし、突き放すような、どうでもよさそうな返事だ。
「マリア様、向かいの席へ」
オーギュストが苦笑しながら促してくれなければ、ここからどうすればいいのか分からず立ち尽くしていたかもしれない。頷いてアレクシスの向かいに座ると、オーギュストはテーブルの端、ちょうどアレクシスとマリアの中間に立つ。
「えーと、オセロ、やってたんですか?」
「ああ、意外と面白いゲームだ。最近は北部でも流行っていて、貴賤を問わず賭け事に使われることも多いようだ」
「負けた方が勝った方にいくら、みたいな?」
「そのようだな」
会話終了である。
セドリックにアレクシスの城に連れていかれた後、エンカー地方に移動する三日間もおおむねこんな感じだった。アレクシスのほうから話しかけてくることはないし、マリアの方もあの頃は目に映る全てが恐ろしく、何が呼び水になるか分からなかったので口をつぐみ、なんとも重たい雰囲気の馬車の旅だった。
あの後、メルフィーナに脚を出すのは目のやり場に困るものだと言われて多少そのせいもあるのかと思ったけれど、今は違うと確信している。アレクシスは徹頭徹尾、マリアに興味が無い。
元々、アレクシスはゲームの中でもそれなりに難易度の高いキャラクターだった。無口で気難しく、興味のあるのは自分の領地をつつがなく運営することだけで、攻略法もそこに集中している。
飢饉による食糧不足の改善、四つ星の魔物と呼ばれる強力な魔物の討伐、汚染された水の浄化などを協力して行うことで、好感度を上げていく。
――もう、メルフィーナに完全に攻略されているわよね。
不思議なことに、メルフィーナにはその自覚が全くないらしい。あれだけ賢くて、他人の心に寄り添う人なのに、不自然なくらいだ。
事情があるのだと言った時、メルフィーナは寂しそうな、切なげな表情だった。
そんな顔をするくらいなら、もっとぐいぐい行けばいいのに。そう口にするのも憚られるくらいに。
物思いに沈んでいると、向かい合って座ったまま沈黙がどんどん重たくなってくる。ちらりとオーギュストを見ると、苦笑されてしまった。
「マリア様、閣下はこれでちゃんと話を聞いていますから、用件を言っても大丈夫ですよ」
「これでとはなんだ」
「ほらね?」
頷いて、ぐっと膝の上で拳を握り、顎に力を籠める。
「あの、私、こっちで色々と作ってみたくて、お金を使うことが多くて、それで、よかったら、これを買い取ってくれませんか」
そう言って、テーブルの上に載せたのは、クマのキャラクターのマスコットだった。
こちらに来た時に持っていた通学用のカバンにいくつも付けていたもののひとつで、比較的新しくてきれいなものだ。クマックマ君は黒い点の目ととぼけた口元が人気のキャラクターで、友達とゲームセンターのUFOキャッチャーで色違いで取ったものだった。
「その、異世界のもので、こちらでは珍しいものだろうし、聖女の持ち物ってことで、自慢できるんじゃないかなって」
八百円で取ったキーチェーンマスコットを自慢するアレクシスというのも全く想像はつかないけれど、異世界産というのはそれなりに面白がられるのではないだろうか。そういうのが好きな他の貴族に転売してもいいと思うし、少なくとも八百円よりは値が付くだろう。
「なぜ私に? メルフィーナに交渉はしたのか?」
ようやくツーセンテンス以上の言葉が出たことに、安堵は出来なかった。アレクシスの声は低くて威圧感があって、ただ質問されただけでなんだか責められているように感じてしまう。
「メルフィーナは、私に甘いから、いくらでも出してくれそうだし……私も、メルフィーナなら許してくれるって思ってしまうから」
メルフィーナに履きやすい靴を作ってみてほしいと言われてその気になったものの、何かを作るというのは、ともかくお金がかかるのだと思い知る。
あちらの世界から履いてきたローファーをモデルに、マリアのなけなしの知識とともにロドに靴の仕組みを分析してもらい、レナに作り方を解析してもらって、オーギュストにそれならば既存の靴職人ではなく、馬具職人か革鎧の職人を招請したほうがいいとアドバイスを受けた。
職人をここから三日も離れた大きな街から呼び寄せて、しどろもどろに作り方を説明し、試作品を作ってもらい、試行錯誤を繰り返す。必要な材料費やその間の職人の滞在費もこちら持ちだし、必要な部品や材料は都度別の職人に発注して作ってもらい、そこでもお金が掛かる。
とにかく、お金が掛かるのだ。今のところメルフィーナが出してくれているけれど、返せる当てなどあるわけもない。
大豆が届いたら、作ってみたいものもある。それにもまた、お金が掛かるだろう。
やりたいことをするにはお金が必要だ。それも想像するよりも、随分沢山のお金が。
ふっ、とアレクシスが鼻を鳴らす音が響く。鼻で笑われたというより、なんだか呆れられたような気がした。
聖女として扱われるのを嫌ってここまで逃げてきて、メルフィーナに守られているというのに、何かが必要になったら聖女の身分を持ち出しているのだから、我ながら勝手なものだと思う。差し出したものがあちらの世界では大した価値がないのだと、アレクシスも分かっているのだろう。
――やっぱり髪とか、オプションを付けた方がいいのかな。血は、痛そうだから最後の手段にしたいけど。
またしばらく、沈黙が落ちる。アレクシスが腕を組み、ちらりとオーギュストに視線を向けると、オーギュストはひょい、と肩を竦めてみせた。
「俺の入れ知恵じゃないですよ閣下。マリア様、なんとか金策できないかってずっと考えていたんです」
そこにいるだけで威圧感を放っているアレクシスに、オーギュストは全く緊張しないらしい。
「……いいだろう。金貨千枚出そう」
「よかったですね! これでしばらく、開発費には困りませんよ」
オーギュストが喜んでみせるのに、ごくりと喉が鳴る。
「……あの、金貨千枚ってどれくらいの価値があるの?」
「そうですね、北部だとちょっと裕福な一家が、二十年くらい楽に暮らせる程度でしょうか」
「ひえ」
「しばらく活動費には困りませんよ」
オーギュストはニコニコと笑っているけれど、その金額に背中に汗がつーっと流れていくのが分かる。
ちょっと裕福というのは、どれくらいのレベルだろうと考えたけれど、この世界の平均的な家族がどの程度の暮らしをしているのかすら、自分は知らないのだと少し落ち込む。
少なくとも、こんなに簡単に出してもらっていい金額でないことだけは確かなはずだ。
「それと、この奇怪な人形は必要ない。君の可能性に私が投資しよう。何を作っているかは知らないが、その成果物が有用なものならメルフィーナが事業化するだろうから、その黒字から返済すればいい」
奇怪な人形と言われてちょっとかちんとくる。アレクシスには全く興味がないのだろうけれど、結構好きなキャラクターだし、思い出の品でもあるのだ。
「黒字になるかもわからないんだから、担保に持っていてもいいんじゃないですか? か、閣下、の好みでなくても、王家とかに高く売れるかも」
「私が金に困っている男に見えるか?」
困っていないのだろう。ゲームの中でも北の大領主にして国内でも有数の資産家であると説明文に書かれていたくらいなのだから。
――でも、そういう問題じゃなくない?
メルフィーナにお金を出してもらうのも気が引けるけれど、お金に困ってないから黒字になるかどうか分からないけど大きな金額をぽんと渡されるのも何か違う気がする。
――もしかして、この人、いいのは顔だけなのかも。
メルフィーナが憂うような表情をしていたのは、この人を扱いかねてるせいではないかとまで思っていると、くつくつとオーギュストに笑われる。
「マリア様、そちらはマリア様が故郷から持ってくることのできた、数少ないもののひとつでしょう?」
「え、うん」
「マリア様にとっては、大切な故郷へのよすがでしょう。一時の金貨など、あとからいくらでも、どうとでもなりますが、聖女が神の国からもたらした神聖な宝物だと認定されてしまえば、二度とお手元に戻らない可能性が高くなります。マリア様の所有物であるうちは誰もそれを取り上げることは出来ません。だから、マリア様が持っていればいいと閣下は言っているのだと思いますよ」
「相変わらずよく回る口だな」
「ここぞという時に口を出さずに後悔したことがあるので、今後はルーファス様にお仕置きを食らわない程度に口を軽くやってく所存です、閣下」
わざとらしいくらい綺麗に一礼をすると、アレクシスはまたふん、と鼻を鳴らす。
「では、いずれ君に頼みたい仕事が出来た時、依頼させてくれ。担保はそれで構わない」
それは、聖女として、ということだろう。
アレクシスにとって、それ以外の自分に、価値があるとは到底思えないし、自惚れることもできない。
「……分かった。私に出来る範囲なら」
そう返事をすると、話は終わったとばかりに、アレクシスは再びオセロに指を伸ばした。
「じゃ、用は終わったし俺たちはお暇しましょうか」
「え、あ、うん」
「閣下、何か要求を呑ませたい時に賭け事を挑むのは、止めておいた方がいいと愚考します。ただ暇つぶしに遊ぼうと誘った方が好印象ですよ」
「――とっとと出ていけ」
オーギュストは声を出さずに苦笑して、マリアに手を差し出す。そろそろとその手に手を重ねると、立ち上がるようにエスコートされた。テーブルの上のクマックマ君を掴んでポケットに入れる。
「あ、あの、ありがとうございます!」
「こちらにも利益のある話だ。礼を言われるようなことじゃない」
アレクシスの返事は相変わらず素っ気なく、怒っているのかと思うようなものだ。
「……アレクシス、あの態度をなんとかしないと、メルフィーナと上手く行かないと思う」
「いやあ、今はかなり上手く行っている方ですよ。メルフィーナ様も頑固なところがありますから、案外バランスがいいのではないかと思っているんですけどね」
「そうかなあ……」
「北部の男は、寡黙で、頼もしくて、細かいことには気が付かない武骨な態度が好まれるんです。閣下は北部の男性そのものの姿を周囲から求められるので、自然とあんな感じになってしまうのも無理からぬところなんですよ」
けれどメルフィーナは、そんなアレクシスとの関係に悩んでいるように見えた。
でもそれを、オーギュストやアレクシスに自分の口から伝えるのも、違う気がする。
「もどかしいなあ」
「ですねえ」
思わずつぶやいた言葉にしみじみと同意するように言われてしまった。
「まあ、こういうのは周囲がやきもきしても仕方がないですからね。俺たちは自分に出来ることをしましょう」
「うん」
アレクシスは不愛想だし何を考えているか分からないし言葉も足りないし、威圧的だし、時々カチンとくるようなことを言うのに全然自覚はなさそうで。
でも、オーギュストの言葉を借りれば、あちらの世界から持ってくることの出来た数少ないもののひとつを、手放さないまま、ちゃんと黒字になるかどうかも分からないことにお金を出してくれた。
いい人なのかそうでないのか、少し関わっただけでは分かりにくい人なのだろう。
「いい物を作って、メルフィーナにプレゼントしよう。それがお金になるなら、事業にしてもらってもいいし」
「メルフィーナ様が事業にされなくとも、製法を資本家に売るという手もありますしね。きっと、大丈夫だと思いますよ」
「だといいよね。とりあえず木釘と、真鍮の板と、新しい牛革も発注しよう」
「それから木型でしたか? あれもそろそろ木工職人から仕上がってくると思いますよ」
「次はかなり進みそうだよね。基本の形が完成したら色々とデザインも凝ってみたいし――」
話しているうちに、気分が盛り上がってくる。
メルフィーナには赤いブーツが似合う、いや、意外と黒もいけるのではと盛り上がりながら、少しの心配を残して、出資願いは幕を下ろしたのだった。




