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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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285.砂糖の彫刻と当然の権利

 太陽が中天を指すには少し早い頃、公爵家の紋章が入った馬車が城館に到着した。

 夏の盛りを過ぎて、少しずつ秋が色づきはじめていた。多忙を極めていただろうオルドランド家の軍服を身に着けたアレクシスは、少し痩せたようだ。


「お疲れ様、アレクシス。来てくれてありがとう」

「いや、出迎えを感謝する」


 穏やかに声を掛け合い、マリーとセドリックを伴って執務室に入る。二人は団欒室ではないのかと少し不思議そうな様子だったけれど、アレクシスの従者が先日届いた箱とよく似た少し小ぶりな箱を執務室に運び込んだので、周囲の耳を憚る内容だと察した様子だった。


 アレクシスの隣にメルフィーナが座り、その向かいにマリーとセドリックが座るように促す。自分は立ったままでいいというセドリックに、大事な話があるからと告げると、また少し、不思議そうな顔をされてしまう。


「炭酸は嫌いではなかったわよね? マリアが作ってくれた新しい飲み物よ。甘くて爽やかで、きっと気に入ると思うわ」


 ガラスの容れ物に入れてよく冷やした炭酸水でジンジャーシロップを割ったものを出すと、アレクシスも気に入った様子だった。からん、と氷が落ちる澄んだ音が執務室に軽やかに響く。


「お兄様、随分お疲れのご様子ですが」

「ああ、ここ二か月は少し移動と手続きが多かったからな。ようやく落ち着いてきたところだ」

「ご無理はなさらないでくださいね。――メルフィーナ様?」


 マリーの言葉に静かに頷くアレクシスに、そわそわとしているのがマリーにはすぐに伝わってしまったらしい。名前を呼ばれて、なんでもないのと返したけれど、嘘を吐いているのは明らかだろう。


「アレクシス、この箱は、ええと」

「ああ、手土産というわけではないが、折角だからと思って持ってきた」


 そう言って、大きな手で重そうな蓋を危なげなく開く。そうして中に収まったものを覗き込んで、メルフィーナだけでなく、向かいに座ったマリーとセドリックもほう、と息を漏らした。


 先日メルフィーナの元に届いたのは棒砂糖だったけれど、箱の中身はそれを細かく彫刻したものだった。


 土台は盾の中心に百合の紋章が入り、ラインで四分割されたそれぞれに東西南北の大領地の紋章である杖、鷹、オリーブの葉、そして剣があしらわれたフランチェスカ王国の国章が彫り込まれ、その上には王の住まうハイネフロン城が彫刻されている。


「素晴らしいわね」


 歪んだ楕円を描く城壁に囲まれた敷地に、果樹を植えた庭園、四つの尖塔が立ち、王族や貴族の居室や寝室、広間、騎士の控室などがあるパラスと呼ばれる本館と、行政区間であろう建物が続く。

 王都で生まれ育ったメルフィーナも遠目にはよく見ていたし、実際足を運んだこともあるけれど、それが白い彫刻になっているのはなんとも面白く、また彫刻家の腕の良さもよく分かる。


 人口が増え役割が増えるのに従い増築していったのだろう建物は、全体的に歪んだ構造をしているけれど、それがまた味のある趣きだった。


「同じものをふたつ作らせたの?」

「いや、これはここの尖塔部分が欠けてしまった失敗作だそうだ。つまんで折りやすい形だし、見本ついでに紅茶に割って入れるのにちょうどいいだろうと持ってきた」


 砂糖は欠けた部分を水で練った砂糖でつなぐことが出来るけれど、そういったことは誤魔化しだと受け入れなかったらしい。


 ここまで作り込んだものを失敗だという職人も職人だが、これを彫った砂糖の塊にしか見えていないらしいアレクシスもアレクシスだ。

 相変わらず武骨というか細やかなことに気が付かないというべきか。北部には芸術の街もあるというのに、よほどその街を管理している代官が有能なのだろう。


「これの完成品を、セドリックの名義で王に進呈してきた。砂糖の塊であることを非常に驚いていたよ」


 そう言って、珍しく分かりやすく、口角を上げて笑う。


「北部で本格的な製糖事業を始めると、どこかしらで報告する必要もあったからな。ついでに済ませてきた」

「閣下、これを私の名義でとは、いったい……」


 強い困惑を滲ませたセドリックに、アレクシスはいつもの冷静な口調で答える。


「製糖事業の名義の一割をセドリックに、もう一割をマリーに、それぞれ配当が受けられるように登録しておいた。マリーはこれを機に、オルドランド公爵家に正式な公爵令嬢として迎え入れるつもりだ。北部の大きな利権となる製糖事業の名義を持っている娘に対して、反対する声は上がらないだろう」

「待ってください! なぜ私が!?」


 突然飛び火したと思ったのだろう、マリーが慌てたように言う。


「砂糖の開発は、メルフィーナとマリー、セドリックの三人で行ったと聞いている。開発者として利益を得るのは当然の権利だろう」

「私は白大根を洗って刻んだ程度ですよ!」

「私も、溶液を器に流し込んでいただけです」

「それでも、二人がいなければ絶対に、私は砂糖を作ることはなかったわ。実際、セドリックが王都に行ってからは新しい砂糖は作れなかったもの」


 領主邸では日常的に使っていて、もはやあって当たり前のような存在になっているけれど、この世界において砂糖はロマーナから少量入って来る、滋養強壮の薬のような存在だ。


 今テーブルの上に置かれている量で、王都に大きな家を建てることも可能だろう。それくらい貴重で、珍しいものである。


 北部の経済をひっくり返す可能性すらある大事業の基幹技術を開発したのだ。そのくらいの恩恵はあって当然だとメルフィーナは考えたし、アレクシスにも同意してもらうことが出来た。


「それは、力仕事をする者がいなくなったからというだけで……」

「絶対に信頼出来る人が、いなくなったからよ。マリーがいなくてもセドリックがいなくても、成り立たないことだったわ。それに、タイミング的にもよかったの」

「製糖事業の利益は莫大なものになる。その一割とはいえ、既存の貴族が束になっても敵わないほどの財産だろう。なにより、中央に特化した砂糖の流通の伝手は、王家にとって喉から手が出るほど欲しいもののはずだ」


 しばらく……すくなくとも十年以上は、砂糖は嗜好品を越えて、王侯貴族にとっては権威の象徴となるだろう。その一手になるのが、目の前にある彫刻だ。


 おそらく近いうちに、王城で開かれる催しに、大々的にこの彫刻が飾られることになる。この量の砂糖を彫り出して作った彫刻は、貴族たちの耳目を集め、似たようなものを作れないか、どうやって手に入れたのかと大きな話題になるはずだ。


 そしてより大きく、より白い砂糖を、贅沢に使い、客に振る舞うことがステイタスとして扱われるようになるだろう。


 今後は王家の面子を保つために、どの有力貴族よりも巨大な砂糖を必要とし続ける。直臣であるカーライル伯爵が北部の製糖事業の一割の利益を供されるほど厚遇されている状況は、決して手放すことの出来ないものだ。


「マリアは自由に振る舞って良いという教会と神殿との取り決めがあるから、表立ってセドリックを罰することは出来ないし、王家に目を付けられてしまった分は王宮にセドリックの持ち分の砂糖を卸すことで清算出来るはずよ」

「後は、死後にその権利を出来るだけ王家から遠い所に残すよう遺言状を作り、公開しておくことだな。オルドランド家がカーライル家から買い取るという形でも構わない」

「いえ――」


 セドリックは立ち上がると、メルフィーナの傍で、膝を折った。


「セドリック?」


 生真面目な騎士は、まだ事の成り行きを完全に飲み込めていない様子だった。強い緊張をはらんだ顔を上げて、真摯に、メルフィーナを見つめてくる。


「――このような権利を頂くことなど、過分に過ぎると辞退するべきであると思います。ですが、閣下とメルフィーナ様が、私のためにここまでして下さった、その気持ちを受け取らないわけにはいきません。――私の死後は、その権利をエンカー地方の領主家に無償で譲渡させていただくことを、お許しください」

「ものすごく大きな利益になると思うわよ? 私は私で配当を貰う約束をしているし、その権利の対価は、カーライル家に還元しなくていいの?」

「私は、甥にカーライル家を譲った後はカーライル家の籍を抜け、メルフィーナ様の騎士に戻るつもりでしたので。大きな財産など必要ではありません」

「それは、私もです」


 ソファに座ったままのマリーが、色々な感情を押し殺した声で言う。


「私は……! 今のままが一番幸せです。権利がない代わりに義務もなく、メルフィーナ様の傍で働いて、時々お兄様やウィリアムと会うことができて……それでは駄目なのですか」

「マリー」

「今更、公爵令嬢として、莫大な持参金を持った女としてどこかに嫁ぐなんて、考えられません……!」


 公爵令嬢は、王家とも縁付くことが出来る立場だ。まだ若く、美しく、製糖事業の権利の一割を持ったマリーは、どこの国の王侯貴族からも膝を折って乞われる立場になるだろう。


「今更、私がマリーを手放したりするわけないでしょう」


 セドリックに立つように促して、テーブルを回り込み、マリーの隣に座る。その手を握ると、氷のように冷たくなっていた。


「持参金目当ての男性になんて、絶対に渡したりしないわ。今のまま、私の傍にいればいいわよ」

「ですが……」

「お金はあって邪魔になるものでもないし、運用はアレクシスにまかせて、配当だけ受け取ればいいわ。私も実家からの持参金はそうしているし。公爵令嬢としての身分は……ちゃんとマリーに確認を取ってからにするべきだったんじゃないかしら」


 二人に製糖事業の配当をという話はしてあったし、セドリックの王都での立場を強固なものにするために動いてくれていることも聞いていたけれど、マリーの身分についてはメルフィーナも初耳だった。


 アレクシスとしては、身分だってあって困るものではないという意識なのだろうし、元々マリーが持っていて当たり前の肩書がようやく本人に戻るだけだと考えたのかもしれないけれど、唐突だし、もっと本人の意思を尊重した方が良かっただろう。


 ちらりとアレクシスを見ると、む、と小さく唸り、視線をさまよわせる。


 一時より大分マシになったけれど、相変わらず先走るところは変わらないらしい。


「この流れで言いにくいのだが、メルフィーナ。君に、ホーネック伯爵位――公爵家がいくつか持っている爵位のひとつだが、それをホーネック領とともに譲渡しようと思っている」

「……そういうところよ、本当に」

「お兄様、そういうところですよ」


 可愛い義妹を庇っていたら、今度はこちらに飛び火したらしい。


 二人の身内にほとんど同時に言われて、氷の公爵と呼ばれるアレクシスは明後日の方向に視線を向け、カーライル宮廷伯になんとも同情的な目を向けられることになった。


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