280.贈り物と夏の飲み物
何かと気ぜわしくもそれなりに平和な日々が続いていたエンカー地方であるが、その日、突然城館に到着した護衛付きの馬車にはメルフィーナもやや緊張した。
馬車に公爵家の紋が入っていなければ、またぞろ何が起きたのかと肝を冷やしたところだっただろう。
「公爵夫人、メルフィーナ様にご挨拶申し上げます。オルドランド家に仕えております、騎士のヘルマンと申します。本日は公爵閣下より、公爵夫人への贈呈品の警護を任せられ、参上いたしました」
「贈呈品ですか。まあ、何かしら」
「開封は近しい人々と行い、その後は夫人の好きにして構わないとお言葉を預かっております」
そう言って馬車から降ろされたのは、立派な樫で作られた細長い箱だった。同じものが三つあり、しっかりと磨き上げられた箱はつやつやとしていて、それ自体も価値が高そうである。
もうすこし大きいと棺桶のように見えると、少し不吉なことを考えてしまった。
「では、応接室……いえ、執務室に運んでもらいましょうか」
近しい人々と、ということは中身は秘密にするものではないのだろう。念のため執務室に運び込んでもらい、エドとアンナに騎士と警護の兵士たちにエールの小樽を振る舞うように伝えておく。
「本来でしたら閣下が直接お届けしたかったそうですが、現在非常に多忙を極めておられまして、直接顔を出すことが出来るのは、もう少し後になるだろうとのことでした」
「忙しい人だもの、無理はして欲しくないわ。ヘルマン卿も、ご苦労様だったわね。今日はこちらに滞在されるなら、宿舎を空けるけれど」
「いえ、先触れのない来訪になってしまいましたので、そこまでしていただくわけにはいきません。隣村に宿を押さえてありますので、受け渡しが終わりましたら、出発しようと思います」
ヘルマンは、オーギュストやセドリックと同じくらいの年頃――二十代の半ばを少し過ぎた頃だろう。北部の男性らしく白交じりの淡い髪色をしていて、冷静な表情を崩さないところもそうだけれど、人当たりの良さそうな雰囲気の騎士だった。
「では、空いた荷台にエールの樽を積んでもらうので、アレクシスに届けてもらえるかしら。それから」
マリーが革袋が載った小さなトレイを差し出すのを、メルフィーナが受け取り、ヘルマンの手にそっと預ける。
貴婦人が騎士に手ずからお金の入った袋を預けるのは、あなたを信頼し預けますという意味があると貴族出身のメルフィーナも知っているけれど、これまで機会がなかったので上手くできたかは分からない。
「帰りの道中、兵士たちに美味しいものを振る舞っていただける?」
「は、光栄です」
「よろしくね、ヘルマン卿」
なんとか上手く出来たようだ。正式な騎士の礼を執ったのち、執務室を出て行ったヘルマンを見送り、ふうと肩から力が抜ける。
「――貴婦人らしさをサボっていたから、初対面の騎士には緊張するわね」
「いえ、ご立派でした。オルドランド家は女主人の不在が長いので、ヘルマン卿もソアラソンヌに戻ったら騎士たちにメルフィーナ様の振る舞いを自慢すると思います」
マリーはそう言うけれど、それはそれで照れくさい話である。
「さて、アレクシスは突然、何を贈ってくれたのかしら」
これまで理由なく唐突に何かを送り付けてくることなどなかったので、やや戸惑いつつ箱の表面を撫でる。
箱と蓋がきっちり合わせて作られており、運搬中に多少揺れても蓋が開かないようにするためだろう、上下左右にケースロックがつけられていた。
「中はワインでしょうか」
「ドレスと宝飾品という可能性もありますが、メルフィーナ様はお茶がお好きなので、各地のお茶を集めたものかもしれません」
マリーとセドリックも首を傾げながら箱の中身について予想を口にしているけれど、どちらにしても急な贈り物といえるだろう。
「とにかく開けてみましょうか。かなり蓋が重そうだから、セドリック、お願いしてもいい?」
「お任せください」
そう告げると、セドリックが四つの金具を外し、蓋をゆっくりと持ち上げる。かなりきっちりサイズを合わせてあるらしく、蓋に合わせて僅かに本体が浮き、すぐにごとりと本体から外れた音がした。
「あら」
「これは……棒砂糖ですね」
箱の内側には布が張られていて、その中心には円錐形の僅かに茶色みかかった白い塊が据えられていた。
この三人で作ったことのある、甜菜から作られた棒砂糖と呼ばれる砂糖の塊である。
箱の内側に添えられていた植物紙を取り上げると、アレクシスの筆跡で、北部で初めて完成した棒砂糖の一部であることと、約束したとおり、メルフィーナに贈る旨が記されていた。
贈り物というより配当に近いのだろうけれど、中々憎い演出をしてくれるものだ。
「ふふ、サプライズだなんて、アレクシスらしくなくて驚くわね」
またブルーノという騎士にアドバイスでもされたのだろうか。くすくすと笑いながら円錐状の塊に触れて「鑑定」を発動させると、砂糖と脳裏に浮かび上がる。
現在地下室の奥は立ち入り禁止にしていることもあり、砂糖の在庫は残り僅かというところだったので、正直ここで棒砂糖の追加がみっつもあったことは、かなり助かった。
「前に会った時、そろそろ砂糖が尽きるって言ったのを、覚えていてくれたのね」
アレクシスはあまり細やかに気を回すのが得意な人ではないけれど、身内に対してはかなり甘くなるらしい。時々こうして、彼らしからぬ細やかな気配りを感じるのも、嬉しいことだ。
「北部での砂糖の生産が本格的に始まったら、もう砂糖には困らないわ。きっとソアラソンヌ産の砂糖が、エンカー地方で出回るようになるのもすぐね」
「そうしたら、甘いものを扱う屋台も出るようになるかもしれませんね」
「――夢のような話です」
しみじみと呟いたセドリックに、マリーと目を見合わせて、笑い合う。
「少し前はあり得なかったことが、来年には当たり前になっているかもしれないなんて、素敵なことだわ」
* * *
「メルフィーナ、お客さん帰った?」
マリーとセドリックと三人で厨房で作業をしていると、ひょっこりとレナとオーギュスト、コーネリアとともにマリアが顔を出す。
「ええ、届け物をしてくれただけだから、もう帰ったわ。ちょうどよかった。少し手伝ってもらえない?」
「もちろん! 何を切るの?」
「カットはもう終わったから、そこの瓶を消毒してくれる?」
「オーケー。刻んでいるのは生姜?」
「ええ、新しい砂糖が手に入ったから、みんなで楽しめるものを作ろうと思って」
適当に薄くスライスした生姜と同じ重さの砂糖を重ねてしばらく置いて、生姜から水分が出たらヴェルジュと水を足し、鍋でゆっくりと煮ていく。灰汁が出たら掬って捨て、しばらく煮詰めて粗熱が取れたところで布で濾せば完成で、手間もほとんどかからない。
煮沸消毒したガラスの容器に詰めて、すぐに飲む分は水を張って氷を入れたボウルに漬けておくことにする。
「これって生姜のシロップ? ジャムほどには煮詰めないんだね」
「あなたもよく知っているものになると思うわよ、マリア」
不思議そうな顔をするマリアに、厨房にいる人数分のグラスを用意して氷を入れ、シロップを注ぎ、水を足していく。軽く混ぜただけのものを、まず飲んでもらった。
「! とても甘く、さわやかで美味しいですね。生姜は肉料理の臭み取りなどに使うものというイメージでしたが、甘い味付けがこんなに合うとは」
「これはきっと、シロップの状態でも豚肉を使った料理の隠し味に、最高だと思います」
驚いた様子のセドリックの言葉にエドが考え込むように続ける。
「爽やかな味だけに、一気に飲めてしまいそうなのがもったいないですね」
「おいしー!」
マリーとレナも気に入ったようだ。マリアは口をつけて、ぱちぱちと瞬きをした後、ぱっと顔を上げてメルフィーナを見た。
「ね、メルフィーナ。これ、炭酸にしたら、あの」
ちょうど、厨房にはマリアの素性を知っている者しかいない。メルフィーナも目を細めて、悪戯をそそのかすように囁く。
「やってみる? 水と二酸化炭素の「合成」で炭酸水は簡単に出来るわ」
「! やりたい!」
グラスの中身を全て飲み干したあと、マリアがオーギュストにガラスの水差しの水を用意してもらっている間、メルフィーナは念のため、厨房の窓を最大まで開いておく。
夏の乾いた風が吹き込んできているので、問題ないだろう。
「炭酸~炭酸になれ~」
手のひらを水差しに向けて唸るように念じているマリアに、全員が何が起きるのかと固唾を呑んで見守っていた。水などならもう念じるだけで出せるようだけれど、見えない二酸化炭素と水の「合成」は声を出した方がイメージしやすいらしい。
やがて、ガラスの表面に細かい泡が付き始める。
「マリア、そろそろ大丈夫そうよ」
唸らずとも心の中で念じるだけでもいい気がするのだけれど、その検証についてはまた後日ということにしておこう。改めて各自にシロップと氷を入れたグラスを用意してもらい、水差しを回して炭酸水を注ぎ入れてもらう。
「エールのように泡立つから注ぐ時には気を付けて。水と同じように、軽く混ぜたらそれで充分だから」
わいわいと物珍しがるようにグラスを覗き込む面々に微笑んで、一口、口を付ける。
少し辛さの残る生姜と、ヴェルジュの酸味が炭酸で強化されて、爽やかな香りがすうっ、と鼻に抜けていった。
「! すごい、ちゃんとジンジャーエールの味がする!」
「好みで胡椒や唐辛子を入れてもいいらしいけれど、シンプルで美味しいわね」
「えーすごい。美味しい」
嬉しそうに笑ったマリアが、少し洟を啜る音が響いたけれど、メルフィーナが軽く背中を撫でると、泣き笑いのような表情で、顔を上げた。
「ありがとうメルフィーナ。すごく美味しいよ」
「炭酸で飲めたのはマリアのおかげよ。こちらこそ、懐かしい味をありがとう、マリア」
えへ、と照れたように笑うマリアに、メルフィーナも目を細める。
甘くて、少し辛くて、二人にとっては懐かしく、残る人々にとっては新しい、夏の飲み物の誕生だった。
毎日暑いですね。
皆様も水分補給など気を付けて、ご自愛なさってお過ごし下さい。




