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28.クルミのビスケットと簡単なシチュー

 それなりに忙しい日々を過ごしているメルフィーナであるが、安息日だけはきちんと休みを取ることにしている。


 仕事は根を詰めればいいというものではない。適度なリフレッシュをした方が効率は上がるし、日々に潤いも出る。

 というのは半ば口実だ。メルフィーナが休まなければマリーもセドリックも当たり前のように仕事をするというのが一番大きな理由だった。


 一日書斎にこもるから、二人は自由にしていいと言って、首を縦に振られたことは一度もない。


 ――と言っても、休みにしたからって二人が好きに過ごすかというと、そういうわけでもないのよね。


 いつもより少し遅めの朝食を終え、メルフィーナは厨房に立っていた。気に入っている木綿のワンピースの上から、白いエプロンを身に着けている。


 先日、元農奴の集落の子供たちが、かご一杯のクルミを持ってきてくれた。

 どうしたのかと聞けば、秋を迎えてモルトルの森は実りの季節らしい。特に今年は豚の放し飼いを禁止にした初めての秋なので、様々な収穫があるのだという。


「どんぐりがごろごろ落ちてて、拾いきれなかったよ!」


 前世と変わらず子供たちにとっては形の良さや大きさ、ボウシが付いているかどうかで競う、いいおもちゃのようだった。


 子供たちが次々に手のひらに載せた自分のお気に入りのどんぐりを見せてくれたけれど、なるほど丸くてボウシがふわふわしていたり、スッと細長くてつやつやしていたりと、それぞれに特徴がある。


「あなたたち、メルフィーナ様のお仕事の邪魔をしてはだめよ」

「はぁい!」

「ちぇー、ねえメルフィーナ様、また村に来てくれる?」


 エリに声を掛けられると、子供たちは渋々という様子ではあったけれど、解散の空気になった。

「ええ、勿論お邪魔させてもらうわ。あまりゆっくりしてもらえなくて、ごめんなさいね。暗くなる前に気を付けて帰るのよ」


「きっとだよ!」

「またね、メルフィーナ様!」


 再会の約束をして送り出したものの、子供たちは何度も振り返っては大きく手を振っていた。


「最近、メルフィーナ様が集落に訪れないので、寂しがっていたんですよ」


 ニドの妻であるエリは、元農奴の集落から通いで来てくれているので、近況に関してはもっぱらエリから聞くことが多い。子供たちのことを伏せていたのは、メルフィーナが気にしないようにという配慮だろう。


「そうなのね。もう少し身軽に動けたらいいのだけれど……」


 色々な連絡がメルフィーナに集中するので、出来るだけ領主館から離れないようにしていたけれど、どうやら子供たちは寂しがってくれていたらしい。


 いつまでも元農奴の集落と呼んでいるのもおさまりが悪いので、新しく村として立ち上げて、名前を付けるべきだろう。その辺りは住人の希望もあるだろうし、改めてニドと相談しようと思う。


 ともあれ、折角もらったので、このクルミを美味しく食べるのを今日の休日の過ごし方にする。

 ちゃんと外皮を取り除いてあり、よく見る形のクルミである。前世の記憶にあるものよりやや小ぶりで、時々リスが齧ったような跡があるのもご愛敬だ。


「ところで、クルミってどう割るのかしら」

「メルフィーナ様でもご存じないことがあるんですね」


 マリーに不思議そうに聞き返されて、流石に苦笑が漏れた。

「それは、あるわよ。普通にあるわ」


 メルフィーナの知識は貴族の教養に偏っているし、前世の記憶では、クルミといえばすでに殻から外されて加工されたものだった。


 ――チョコレートに入っていたり、ケーキに入っていたりしたなあ。チョコレートは無理でも、キャラメルはいずれ作れるようになるだろうから、リスのマークのあのお菓子の再現に挑戦してみるのも、楽しいかもしれない。


 そんなことを考えていると、セドリックがナイフを取り出し、クルミの割れ目に差し込んで突き刺す。手首をひねるとパキン! と音を立てて割れる。ころりと転がった殻の中身は小さなクルミが詰まっていた。


「そんな扱い方して、ナイフが傷まない?」

「クルミ程度でしたら問題ありません。元々荒っぽく使っていたものですので」


 鋳造で造られたらしいナイフの刃は厚みがあり、確かに頑丈そうだ。触れたら切れるような鋭い切れ味より、押し付けて裂くのに使われるタイプのナイフだろう。


 しばしセドリックが割ってくれるクルミから中身を取り出し、あらかたそれが済むと一度丁寧に洗う。水気を切ってからフライパンを魔石コンロに掛けて乾煎りすると、木の実特有の甘く香ばしい匂いが立ち上った。


 このまま摘んでも美味しそうだが、時間もあることだし、ひと工夫してみることにする。


「何を作られるんですか?」

「とりあえず、クルミのビスケットかな。ついでに昼食の下ごしらえもしちゃいましょうか」

 鶏ガラを鍋に入れ、リーキの青い部分と生姜を入れてひと煮立ちさせ、灰汁を取ったらしばらく弱火で放っておく。


 ビスケットの材料は小麦粉、バター、ラードと、包丁で細かく叩いたクルミのみ。ここに香辛料を足してもいいけれど、今回は一番シンプルなタイプだ。


 小麦粉はふすまも一緒に挽いた、いわゆる全粒粉を使う。

 この辺りで作っている小麦は基本的に硬質小麦であり、グルテン量が多い、いわゆる強力粉である。捏ねれば捏ねるほど粘り気が出て、歯ごたえもしっかりしてくるパンに向いた品種だ。


 ――おなかにはたまるけど、ビスケットや天ぷらみたいなさっくりしたものを作るのには向かないのよね。


 薄力粉の原料になる軟質小麦は南に行くほど栽培量が増えていく。メルフィーナの実家であるクロフォード家が治める南部にも、南の端辺りにいくと軟質小麦は多少収穫されていたはずだ。


 かといって、クロフォード家と連絡をとる気は一切なかった。メルフィーナの動向を気にしているとも思えないけれど、公爵邸を飛び出して北の端で領主をしていると知られれば、何を言って来るかわかったものではない。


 ――もっと南……スパニッシュ帝国やロマーナ共和国と貿易のコネがあれば何とかなったかもしれないけど、無いしなあ。


 そして無い物ねだりをしても仕方がない。前世の記憶が戻って以降、ある物をやりくりしてやってきたし、これからもそうするだけだ。


「小麦粉を目の粗い布に入れて叩いて、粉をふるいにかけたら、半分をフライパンで炒めて、ほんのり茶色くなったら残りの小麦粉と混ぜて、細かくなるまで叩いたクルミを入れ、バターとラードを混ぜます。この時、出来るだけ捏ねないように気を付けて」

「なぜ捏ねてはいけないのですか? パンだとかなり捏ねますよね」


「捏ねると粘り気が出て、パンはそれで均一に焼けるんだけど、お菓子類だと焼いた後ですごく固くなるの」


 もっとも今回は、ふすまが含まれているのと、炒めることでグルテンを失活させているのでそれほど強い粘り気は出ないはずだ。口当たりを良くするために油脂の量は多めにしてあるけれど、念のためさっくりと混ぜ合わせる。


 ――ベーキングパウダーが欲しいわ、せめて重曹か、米粉があればなあ。


 本当にこの世界は、何か作ろうと思うと無い無い尽くしである。


 ――マリアが王宮で作ったお菓子がマカロンだったの、単純に女性向けのゲームだからだと思っていたけど、多分こういう理由なのね。


 ゲーム内でヒロインであるマリアが攻略キャラの好感度を上げる道具として利用されていたのが、色とりどりのマカロンだった。特に攻略対象の瞳の色と同じマカロンを受け取ってもらえたら、かなり好感度がアップしたことになる。


 マカロンの材料は突き詰めれば卵とアーモンドプードルと砂糖だけだ。砂糖は結構な高級品だけれど、王宮で手に入らないものでもない。


 ――あの色とりどりの色素はどうやってつけたのかしらね。


 粉がひとまとまりになったら麺棒で伸ばし、数回折り返しをつけた後、ナイフで食べやすいサイズにカットする。可愛い柄でも付けられればいいが、フォークで刺して穴をあけておくことにした。


 そこに炒って細かく割ったクルミを載せれば、後は天板に載せてオーブンで焼くだけだ。これは、クルミありとなしで半々にした。

 魔石のオーブンの使い勝手はほとんど前世の家電のそれと変わらない。十五分も焼くと香ばしい、いい香りが漂ってくる。


「あとは焼き上がるまで放置だから、好きなことしていて大丈夫よ?」

「いえ、私は護衛ですので」

「実際焼けるところを見ていたいので」


 誰も立ち去ろうとしないどころか、匂いを嗅ぎつけてエドやクリフが厨房に顔を出した。

 どうせ手は空いているし、昼食の用意をしておくことにする。

 鍋で鶏ガラを煮ていたものに野菜と肉を入れて火を通し、リーキの白い部分を入れる。


 リーキはこの辺りでよく取れる葱の一種で、前世でよく見かけた長ネギを太く短くしたような見た目だけれど、甘みが強く、煮込むとトロトロになってスープによく合う具材だ。


 スープを煮ている間にビスケットが焼き上がり、天板を出して粗熱を取る。砂糖が入っていないからあまり焼き色が付かないのではないかと心配していたけれど、油脂を多めに入れたのが良かったらしく、うっすらとキツネ色に焼けていた。


「熱いうちより冷めてからのほうが美味しいと思うから、しばらく粗熱を取るわね」

 天板をオーブンから出したついでに、鍋に蓋をして、火を止める。ぶ厚い鋳物の鍋なので、あとは余熱で火が通るだろう。


 パンの生地を薄く伸ばして焼いたものから残ったパンを空焼きしたものまで、前世と形は違っているけれど、クッキーやビスケットはこの世界でも比較的ポピュラーな存在だ。


 砂糖を入れた甘いビスケットは、その大半を修道院が販売していて、色々なアレンジもある。こちらは神殿のエールと同様、ほとんどは近隣の貴族や裕福な商人が購入するものだ。


 教会と神殿、女神信仰と男神信仰が同時に存在して、宗教戦争を起こすどころか領地や国同士の戦争の抑止力にすらなっている。


 それでいて、教会と神殿は伝統的に仲が良くないとされている。


 怪我を癒し、生活に根付いて日々の細々とした寄付金が多いのが神殿であり、病気を高額で癒し冠婚葬を司り、そのたびに喜捨を求めてくるのが教会なので、おおむね教会の方が評判が良くないけれど、結婚や騎士の叙任、死者の弔いは教会を頼るしかないので、少々の不満を抱えていても、人々は決して教会から離れることはできない。


 天板が冷めた頃合いを見計らってマリーがコーン茶を淹れてくれたので、みんなでテーブルを囲み、味見をする流れになる。

 ビスケットを口に運ぶと、ぱりっ、と音を立てて割れた。砂糖を入れていないので、大変素朴な味だ。


 食感はパイとビスケットのちょうど中間くらいの仕上がりだろうか? もう少しさっくりした感じに仕上げたかったけれど、これはこれで悪くない。


「これは美味しいですね」

「私も好きです。クルミも香ばしくて、よく合います」

「歯ごたえがありますね。小腹が空いたときとか、朝食にいいかも」


 評価はおおむね好評のようだった。よく噛むとほんのりとした麦の甘さと、クルミの香りが口の中に残る。


「砂糖を入れると甘くておいしいんだけどね、これにはこれで、他に良い使い方があって」


 野菜に火の通った鍋の蓋を開けて、ミルクを注ぐ。


「シチューですか? 今日はホワイトソースは作らないんですね」

「そこでこれ、ビスケットを砕きます」

「えっ」


 麺棒でビスケットを砕き、細かく割れたそれを鍋に入れる。そうしてしばらくぐるぐると混ぜれば出来上がりだ。


「味見をどうぞ」


 小皿を差し出すと、真っ先に受け取ったのはマリーだった。白い湯気を出す小皿に口をつけて、ぱっ、と表情を華やがせる。


「美味しいです」

「ビスケットの原料はバターと小麦粉だから、毎回ホワイトソースを作るのが面倒という時は、ミルクとビスケットの残りを砕いて入れるといいのよ」


 鶏ガラで出汁を取ったスープは塩を入れただけでも美味しいし、ミルクとビスケットを入れれば手軽にシチューも楽しめる。

 寒い季節に手軽に温かいものを食べたいときにはよい食べ方である。


「朝食のスープをシチューにしたいときにはもってこいですね」

「ええ、これからどんどん寒くなるし、パンくらいには日持ちもするから、沢山焼いて残ったらシチューに使うのもいいと思うわ」


 とろみのあるスープは、体を芯から温めてくれるものである。朝食にビスケットを摘んで、昼食はシチューにしてみるのもいいのではないだろうか。


 なお、この後メルフィーナは何度かビスケットを焼くことになるが、日中の軽食に大人気だったらしく、シチューに入れるほど余らなかった。

 ごはん回でした。


 前世なら簡単に手に入ったものが無い無い尽くしの世界ですが、あるもので工夫しているメルフィーナです。小麦粉に関してはゲームの知識ではなく、雑学系のテレビ番組で見た記憶が元になっています。


 これまで習慣になっていたことを止めたこともあり、他にも色々と影響は出ています。


 考えてみたら麺棒があるの、おかしいですね、麺類が食べられている文化圏ではないので。

 延ばし棒という扱いだったかもしれません。

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