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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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276.朝のジョギングととんでもない人

 エンカー地方は今が夏の盛りというけれど、太陽が昇り切る前の朝の空気はひんやりとしていた。この時間に領主邸で動いているのは厨房だけで、メルフィーナや他の使用人たちはまだベッドの中だ。


 服を着替えて外に出て、うんと伸びをし、軽く柔軟をする。この世界には元々柔軟体操というものはなかったらしいけれど、私がそうしているのを見て、オーギュストも付き合ってくれるようになった。


 体をほぐしたら、城館の壁をたどるように最初はゆっくりと、次第にスピードを上げながら走る。城館の東側はメルフィーナの菜園で、そこは簡単には出入りできないので、主にメルフィーナが暮らしている領主邸と文官たちが働いている庁舎の建物をぐるりと回る形だ。


 ゲームや漫画も好きだけれど、基本的には頭を使うより体を使っているほうが性に合っているし、走るのも好きだった。体温が上がり、汗が湧いてくるにしたがって余計な雑念が汗と共に流れ出して、気持ちが洗い流されていく気がする。


 城館内は日中、文官や兵士などの出入りもあるし、夜は暗くて危ないので、この時間くらいしか走れる時間がないこともあって、最近は早朝のジョギングが習慣になりつつあった。


 ただ走るにしても、色々と不満はある。ちゃんとしたシューズが欲しいし、軽いTシャツとハーフパンツが欲しい。髪を結ぶゴムがないから紐でくくっているけれど走っているうちに崩れて落ちてくるし、城館内の同じルートをぐるぐると走り続けるのも少し飽きてきた。


 でも、体を動かすのはやっぱりいい。三キロほどを走って井戸の傍で立ち止まると、少し後ろを走っていたオーギュストも清々し気な様子だった。


「マリア様は本当に体力がありますね」

「あっちの世界では運動部だったから。成績も、結構いい線いってたんだよ」

「運動部?」

「うん、スポーツ……体を動かす競技をすることで、他の人と腕を競ったり、国中の順位を決めたりすることもあるの」

「騎士の御前試合や、狩りで獲物の数と大きさを競うようなものですかね。俺はそういうのは、あんまり得意ではありませんが」


 手ぬぐいを水で絞り、汗を拭きながら言うオーギュストに、首を傾げる。


「オーギュストは強いんじゃない? アレクシスの懐刀なんでしょう?」

「まあ、弱い方ではないと思いますが、俺は北部の男の中ではあまり背が高いほうでも、体が重い方でもないので、どうしても膂力に欠けるんです。その埋め合わせに小手先の技術に頼ることになるわけですが、これは相手に手札を知られれば知られるほど不利になるので」

「対策されちゃうってことか。そういうの、あっちの世界でもあったよ」

「世界は違っても、人のやることはそう変わらないかもしれませんね」


 あはは、と笑い合って、笑っている自分が、少し不思議な気持ちもあった。

 護衛騎士になってくれたオーギュストとも、大分気楽に話せるようになってきた。桶を差し出されて手をかざすと、水がどっと湧いてくる。


 先日、グリセリンを「分離」することに成功してから、魔法らしきものが随分楽に使えるようになった。


 メルフィーナはコツを掴んだのだろうと言うし、それもあるのだろうけれど、一番は、少しずつ自分のこの世界に対する感情がポジティブになっていっているのが大きい気がする。


 この世界に来たばかりの時は、右も左も分からず、とにかく恐ろしかった。ここがゲームの中だと知った後も、メルフィーナと出会った直後すら、不安定な自分の立場が心もとなくて、しっかりとしたものが欲しくて、落ち込んだり気持ちが逸ったりしていた。


「相変わらず見事ですね。もう水魔法を仕事にしてる者と比べても、遜色ありませんよ」

「メルフィーナが言うには、これは水魔法ではなくて「合成」らしいよ。私もどう違うのか全然分かっていないけど」


 最初にまともに使った魔法らしきものが「分離」だったことと、その流れでメルフィーナに教わったのが「合成」だったせいだろう、単純なものなら念じれば出すことが出来るようになった。水は出せても炎が出せないのはそれが「合成」出来るものではないからだろうということだ。


 火種があれば酸素を「合成」することで炎を出せるのではないかと思ったけれど、真顔でやめてね? と釘を刺されてしまった。

 顔を洗い、水を捨てると太陽がエンカー地方を照らし始める時間だった。


 城館は少し小高い場所にあって、少し離れた村や、遠くに森や屹立した石の山を見渡すことが出来る。

 言葉は不自由なく通じるとはいえ、やはりここは日本ではないのだと、毎朝のように思い知るけれど、それにも少し慣れてきた気がする。


「太陽も、どこの世界でも変わらないね。大きくて明るくて、眩しいや」


 領主邸の人たちは、メルフィーナが傍に置いているだけあって、いい人ばかりだ。前はメルフィーナの傍以外ずっと怖かったけれど、最近はレナについて城館内で働いている人たちとも話すようになって、少しずつ、色々なものが怖くなくなってきた。


 優しい人たちに囲まれて、メルフィーナに保護されて、笑うことも増えてきて。欲しい物が出来て、出来ることが増えて、どうしてこんなことになったんだろうと思う反面、少し楽しくなってきている。

 でも、こんな暮らしをいつまで続けることが出来るのだろうと思うと、怖くなる。


 この暮らしは、メルフィーナがマリアを保護してくれているから成り立っているものだ。彼女は優しくて、突然違う世界に放り出されたマリアに同情してくれている。嫌なことを押し付けたりしないし、聖女としての役割を求めたりもしてこない。


 けれど、聖女ではない、ただのマリアにいつまでも暮らしを保障する価値があるとは、マリア自身も思っていない。


 何か、自分でなければならないことで役に立てるようになりたい。起きたことの理不尽さにはいまだに少しも納得がいっていないけれど、いつまでも可哀想な被害者のままでいてはいけないのだと、少しずつ思えるようになってきた。


 メルフィーナがそれを求めているかいないかはこの際問題じゃない。自分のために、それが必要だと思う。


「よければ村に出てみますか?」

「えっ」

「ずっとエンカー村の方を見ているので」


 オーギュストに言われて、言葉に詰まると、彼はすぐに、爽やかに笑った。

「ああ、もちろんその気があればです。余計なことを言いましたかね?」

 ううん、と首を横に振る。


 ――私、矛盾してるな。


 何かを見つけたいと思っているのに、今すぐ不特定多数の人に会うのは、やっぱり少し、しり込みしてしまう。


「オーギュストは、いつまでも領主邸の中に籠ってる私を、弱いと思う?」

「いえ、そもそも、貴婦人ってあまり外を出歩かないものですから、そうは思いませんよ。買い物は商人の方から来ますし、音楽の演奏も屋敷に演奏家を呼ぶ方もいるくらいなので」


 勿論劇場に出かけるのが好きという方もいますが、と注釈をつけられて、この世界にも劇場や観劇があるのだなとなんとなく思う。


「ただ、マリア様はメルフィーナ様と基本的には同じかなと思うので」

「同じって?」

「風変りというか、型破りというか、何をしでかすか分からないというか……」

「えっ、さすがにメルフィーナほどではなくない?」


 あちらの世界とこちらの世界で違うことはたくさんあるし、それからこちらの世界の人から見れば常識的でない振る舞いに見えることもあるだろうけれど、それにしたってメルフィーナと並べ立てられるほどではないはずだ。


「メルフィーナは、私から見たらあちらの世界の物語の中の主人公みたいな人だよ。有能で、周りに好かれていて、好かれるだけの実力と魅力があって、みんながメルフィーナの後ろをついて行きたいって思っちゃうのに、本人はその辺に無自覚で、時々えっ? て思うほど鈍感だったり。メルフィーナに比べたら私はモブ……えーと、平凡だなあってしみじみ思う」

「いやあ、マリア様にも素質は十分にあると思いますよ」


 なんの素質だと思うけれど、笑っているオーギュストからは少しからかうような色が見えるので、ぷいっとそっぽを向く。


「とにかく、私から見てもメルフィーナはなんていうか……とんでもない人だよ」

「とんでもないですか」


 オーギュストはその言葉が気に入ったように、復唱した。


「確かに、メルフィーナ様を表現するのにこれ以上相応しい言葉はなさそうです」



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