269. 欲しい靴と似合いの服
届いた服に着替えて現れたマリアは、集まった視線に少し居心地が悪そうでもあれば、照れくさそうでもあった。
「あら、いいんじゃないかしら。とても似合っていると思うわ」
「動きやすそうでいいですね。俺も私服に欲しいくらいです」
真っ先にメルフィーナが褒めると、追従するようにオーギュストも頷く。だがマリーは頬に手を当ててコメントに困っている様子だし、セドリックも腕を組んで、すぐに言葉が出ないようだった。
「このような服を作ったのは初めてですので、出来る限り調整は致しましたが、体を動かしてどこか引きつれたりするところはありませんか?」
「はい、すごく着心地がいいです。ありがとうございます」
お針子のジャンヌが聞くと、マリアは礼儀正しく応じる。そう言われるとは思わなかったようで、ジャンヌは目を瞠りぱちぱちと瞬きしていた。
採寸の時はまだこちらの世界にぎこちない様子で言葉もほとんど発しなかったマリアだけれど、服が出来上がる間に領主邸の住人たちとの交流を通じて、段々物怖じしない本来の性格が顔を出すようになってきたようだ。
単純に、新しい服が気に入ったということもあるのだろう。
「いえ、そう言っていただけたら光栄です」
頬をほんのりと赤くして、ジャンヌも嬉しそうに微笑んでいる。
ドレスではない服が欲しいと言ったのは、マリアの方からだった。
メルフィーナのドレスはどれも軽さと動きやすさを重視しているけれど、袖やスカートなどはドレープを多めに取っていてひらひらとしたデザインが殆どだった。
マリアは元々運動部に所属していて体を動かすことが好きだったそうで、彼女からするとメルフィーナのドレスでもまだ動きにくく感じるらしい。出来るならスカート以外の動きやすい服が欲しいのだという。
とはいえ、メルフィーナもドレス以外の服を着たことがないし、農村にいる女性たちもロングスカートが当たり前である。
そもそもこの世界の人々は、騎士や兵士といった戦闘職を別とすれば、ほとんどがわざわざ体を動かすということをしない。
平民はどの階級の人々も、生きる糧のために日が昇ってから沈むまで働いているのが当たり前であるし、貴族に至っては日焼けをしていない肌に静脈が浮いた青白い肌こそが高貴な人間であるという考え方があり、外に出て日に当たりながら汗をかくなど言語道断だろう。
マリアの動きやすく、運動をするのに適している服というのは、そもそも必要とする人間がかなり限定されている。
それなら、女性冒険者の服を参考にするのはどうかと告げたのはオーギュストだった。
この世界には冒険者という職業が存在する。
既存のギルドに含まれない職人たちが寄り集まった互助組織のようなもので、森の資源や鉱山の調査から測量、街道の拡張や人員のスカウト、水運の調査や風車小屋の設置に相応しい立地の選定など、それぞれ多岐にわたる依頼をこなしてくれる。魔法を使える者も多く、中には女性の冒険者もいて、男性顔負けの活躍をするのだという。
「エンカー地方では珍しいでしょうが、少し大きな街に行けば冒険者ギルドがあって女性の冒険者というのもそう珍しい存在ではありませんし、職業上動きやすさを優先した服装をしています。それほど奇異な目でみられることもないと思いますが」
「ですが、貴族の令嬢がするような服装ではありませんよ。メルフィーナ様の妹、という設定からは逸脱してしまうのでは」
難色を示したのはマリーだった。マリーもメルフィーナと同様、生まれてから今までドレスやお仕着せしか着たことがないはずだ。公爵家で育っているし、冒険者という職業自体身近なものではないのだろう。
「冒険者には案外貴族階級の出身者も多いですよ。といっても、ほとんどは婚外子ですが。わざわざ誰も口に出しては言いませんが、魔力量が多く、魔法属性を持っている庶民は大抵どこかで貴族の血を引いているものですしね」
「とりあえず、マリアが欲しい服のイメージと、こちらで女性が着ていてもおかしくない服の意匠を考えてみましょうか」
そう言って、マリアに紙に描いてもらった服のイメージは、パンツスタイルのカジュアルなコーデだった。
脚を出さない方がいいというメルフィーナの忠告を覚えていたのだろう、丈の長いパンツで、その代わりショートブーツに裾を入れる形になっている。
「上は、襟を付けるか、布を絞ってドレープを作ったほうがいいでしょうね。一枚だけ着るのは目立つと思うので、丈の短いベストを合わせるといいと思います。下は騎士団のトラウザーズと構造は同じと思ってもいいのでしょうか?」
「そうね、形はほぼ同じだと思うわ」
「でしたら、女性冒険者も似たような服を着ていることが多いので、問題ないと思います。あとは腰にサッシュを着けてポーチなどをぶら下げればそれっぽい感じになると思いますよ」
メルフィーナだけでなく、マリーもセドリックも果たしてこれを貴族階級の女性が身に着けていいものかと悩まし気な様子だけれど、アレクシスの耳目としてあちこちに出向くことも多いらしいオーギュストは、こういうとき頼りになる。
マリアの絵の横に修正点とあるといいものを書き足していき、すぐに案はまとまった。
「一度これで作ってみて、後は微調整していけばいいと思います」
「そうね。マリア、こんな感じでいいかしら」
マリアはうん、と頷いた後、ふっと思わし気に表情を曇らせた。
「あの、でも、今更だけど服って高いんだよね? 私、お金全然持っていなくて」
途中でセドリックと馬に乗り換えて追っ手を撒いた経緯からも、王宮で支給された衣類や装飾品なども全く持っていない状況だろう。それでも衣類が非常に高価であることは分かっていて、尻込みしているようだった。
「王宮に請求すればいくらでも支払うでしょうが、金銭的なしがらみを作ると間違いなく口も出してくるでしょう。良ければ私の私財で」
「待って。――そうね、マリア、よければ靴を作ってみない?」
「えっ、私が?」
「もちろん、一からということではなく、職人と相談してオーダーメイドしてみたらどうかと思って。いいものが出来たら、私たちの分も作ってもらえれば助かるわ」
マリアは今、服はメルフィーナから借りたドレスを着ているけれど、靴はあちらの世界から履いてきたローファーを履いている。
言葉にはしないけれど、こちらの世界の靴は履き心地が悪いのだろう。
ローファーやスニーカーに慣れていると、木製のソールは辛いはずだ。今はコルクが手に入るし、厚めのインソールを作ればある程度は体重が分散されるだろうし、履き心地のいい靴が誕生してくれればメルフィーナにもありがたい話である。
「レナも一緒なら、いいアドバイスがもらえると思うわ。私は未着手の分野だから、いいものが出来れば勿論報酬は支払うし、その先払いで新しい服を仕立てればいいわ」
城館内の狭い人間関係にはそれなりに慣れてきたようだったけれど、まだ外の人間と会うのは乗り気になれないらしい。迷う様子を見せていたけれど、やがてうん、と頷く。
「やってみたい。靴は大事だと思うし」
「なら決まりね。服はお針子を呼ぶから、相談して作ってみて。動きやすい女性の服は、もしかしたら今後流行るかもしれないわね」
そんなやりとりを経て完成した服は、なるほどマリアに良く似合っていた。髪も今日は編んで後ろに流していて、おしゃれを楽しんでいる様子だった。
「私の感覚だと違和感はないけれど、みんなはどう?」
「やっぱ美人はどんな服でも似合いますね。後は防寒用のマントなどあれば完璧じゃないでしょうか?」
「私も、思ったより違和感はありません。領主邸の中ではびっくりするかもしれませんが、見慣れないだけで、例えば村を歩いていてもぎょっとすることはないと思います」
セドリックはしばし黙り込んだものの、悪くはないと思います、となんとも曖昧な言い方に留めていた。
女性のパンツスタイルを見るのは、今世では初めてだ。なるほど楽そうだし、活動的なイメージもある。
靴は現在試行錯誤の最中のようだけれど、木靴よりも歩きやすく革靴よりも丈夫な履き心地のいい靴が完成すれば、視察も随分楽になるだろう。
「……私も着てみようかしら」
ぽつりと言ってみたけれど、その場にいる五人の誰も、いいとも駄目とも言ってくれず、なんとなく微妙な空気になっただけだった。




