268.ケチャップと夏野菜
「こうして積み上げると、壮観ね……」
城館の内庭に急遽設えた作業台の上には、木箱に盛られた夏野菜が積み上がっていた。
以前から野菜や魚が領主邸に差し入れられるのは珍しいことではなかったけれど、豊作なのはメルフィーナの菜園だけではなくエンカー地方全体に及び、タイミングが重なったせいもあるだろう、ちょっとした商会の倉庫を埋めるほどの量になってしまった。
「あまり領民からの心づけを無下にするわけにもいかないのだけれど、そろそろ城館では消費しきれない量になってきたわね……」
「今後は控えめにしてもらうとしても、今あるものは何とか消費したいですね。エンカー地方は養豚も盛んなので、最悪豚の飼料に回せば無駄にはなりませんし」
オーギュストの言葉に頷きつつ、折角の好意である、出来れば無駄にせず頂きたいものだ。
作業台に積み上がった中でも最も目立つのは、赤く熟したトマトだった。
この世界のトマトはまだまだ青臭く、皮が厚く、甘みも少ないのが一般的だ。前世ならひと昔前の子供の嫌われ者で、砂糖を振って食べられていた頃のトマトとほぼ同じような味だろう。
「炉に火を入れておいて。まずは玉ねぎからやっつけていきましょう」
今日の主な参加者はメルフィーナをはじめ、マリー、オーギュスト、エドとアンナ、マリアとレナに、セドリック。後は手伝いに数人の兵士が来てくれている。
レンガで組んだ煮炊き台に火を入れてもらっている間に大量の野菜からまずは玉ねぎを切っていく。
「できるだけ薄く切った方が早く出来るけれど、今回は裏ごしするし少し煮込むから、ざっくりでも大丈夫よ。こちらはエドと私とセドリックでやるから、他のみんなはトマトをざく切りにしていって」
トマトも本来なら湯剥きした方がいいけれど、そちらも今回はやや大雑把にやっていくことにする。
エドの包丁さばきはもはや熟練の域で、本気でやると手元が見えないと錯覚するほどだけれど、セドリックも中々の速度と正確さだった。
「うちの従兄弟、ああいう特技があったんですね。知りませんでした」
少し呆れたように言うオーギュストだけれど、彼も普段包丁を握らない立場だというのに、危なげなく玉ねぎをスライスしていく。あっという間に積み上がっていく玉ねぎを横目に、煮炊き台に大鍋を載せ、玉ねぎを入れていく。
「オーギュストも手先が器用だものね」
「いやあ、精密な仕事はセドリックの方が向いているでしょうね。俺は生来面倒くさがりなので」
確かに、どちらも器用で何でもこなすけれど、生真面目で極めたがりのセドリックより器用貧乏になりやすいのは、オーギュストの方かもしれない。
「オイルで玉ねぎを炒めて塩をして、しんなりするまで炒めて、ニンニクと唐辛子とスパイス類を足していって、玉ねぎに火が通ったらワインビネガーを足して、弱火でじっくりと煮詰めていくわ。灰汁が出たら都度掬って捨ててね」
魔石のコンロと違い、薪を使った煮炊き台は精密な火加減が難しい。焦げ付かないよう鍋以上に大きな木べらで小まめに混ぜながら煮ていく。
エンカー地方は寒冷な土地柄とはいえ、今は夏の盛りである。煮炊き台を使う作業は中々暑く、マリーが冷たい麦茶を差し入れてくれるのがしみじみとありがたかった。
適宜休憩を取りつつ、煮込んでいく間に煮詰まったトマトとスパイスのいい香りが内庭に広がっていく。
「そろそろ、瓶を消毒してしまいましょうか」
前世なら食品用のアルコールが利用できたけれど、こちらでは熱湯での消毒がもっとも確実である。中型の鍋に水を入れ、沸騰寸前まで熱して瓶を入れていく。しばらく煮た後、瓶を取り出し、清潔な布に口を伏せて置けば完了だ。これも暑くて汗を大量に掻くので、交代しながら作業を進めていく。
「エンカー地方では、メルフィーナ様が野菜を食べるので、野菜消費が盛んですよね。文官たちも普通に食べていますし」
木べらで真っ赤な鍋の中身を掻きまわしながら、オーギュストが軽い口調で言う。
「そうね、私も王都にいた頃は、あまり野菜ってメニューに出なかったから、こんなに食べるようになったのはエンカー地方に来てからだけれど」
「――やはり、それは記憶を取り戻されてから、ということですか?」
隣にいるメルフィーナにしか聞こえない潜めた声で問われて、頷く。
文官や騎士は、貴族階級の出身が多い。そして貴族階級は、地面に近い作物ほど下級の食べ物という価値観があるため、高位貴族になるほど野菜を嫌うものだ。
中でも芋類や根菜類は、全く食卓に上がらない。芋が農民や農奴の食べ物とされているのも、この価値観が土台にある。
マリアが王都で肉料理ばかり出たと嘆いていたけれど、王宮の厨房は聖女を高く遇したいという気持ちもあったのだろう。
「そのくせ麦から作ったパンは平気で食べるんだから、矛盾もいい所だと思わない?」
「麦は高い位置に実が生るので。木になる果物は貴族も好んで食べますし、葡萄から造るワインと同じような扱いなんでしょうね」
「野菜って、すごく良いものなのに、勿体ないわよね。野菜を一品増やすだけで大抵の病気は遠ざけることが出来ると思うわ」
「さすがにそれは言い過ぎでは……って、メルフィーナ様が言うなら、そうなんでしょうけど」
そう言いながら、オーギュストは懐疑的な視線を鍋の中に向ける。
「そういえば、文官や兵士たちもエンカー地方に来てから体調がいいって話は、よく聞きましたね。てっきり食べ物に不足しないからだと思っていました」
「貴族病なんか、パンとお肉ばかり食べているからなる典型的な病気だもの」
痛風や皮膚病を始めとした、貴族の多くが罹る病を総称して貴族病という。そのほとんどはビタミン欠乏による疾病や健康問題であり、その大本は食習慣と衛生状態を改善することで回復が見込めるものばかりだ。
メルフィーナの母のレティーナも、時々口内炎や肌荒れに悩まされていたけれど、今なら適切な食事を勧めることで改善も見込めただろう。
もっとも、気位の高い母は貴族の娘が厨房に口出しすることに眉を顰めるだけだろう。
――シンプルなワンピースを着て、日傘も差さずに庭で煮炊きなんてしているって知ったら、叱責じゃすまないわね、きっと。
「メルフィーナ様?」
不意に黙り込んだメルフィーナを不思議がるように、声を掛けられる。
「東部の「谷の呪い」も結局、新鮮な野菜が食べられないからなる病気よ。オーギュストも沢山食べるといいわ」
「ああ、メルフィーナ様がロマーナの隊商にかぼちゃを大量に売った件ですね。あの時は、閣下が少し残念がっていました」
「アレクシス、かぼちゃが好きなの? なら秋になったら、何か作ってあげようかしら」
「喜ばれると思いますよ」
収穫後にじっくりと寝かせたかぼちゃを時間をかけてほっくりと煮込んだものはそれだけで美味しいけれど、アレクシスはあれで甘い物が好きなので、かぼちゃと干しブドウのパイなどもいいだろう。
――今の方が、ずっと楽しいわ。
鍋の中身が煮詰まったら火からおろして粗熱をとり、コランダー、前世で言えば穴あきボウルに入れて、木べらで漉していく。
これはエンカー村の鍛冶工房で作ってもらったもので、穴が均一に、全面に空いていて、細かくも素晴らしい出来だった。
「漉したらもう一度、軽く沸騰するまで火を入れて、大急ぎで瓶詰をしていくわ」
これは力があり器用な騎士ふたりに任せることにして、メルフィーナとマリー、マリアはコルクで蓋をしていき、まだ小さなレナは応援係である。
「コルクを嵌めたら折った布を当てて、軽く木槌で打って封をしていって。瓶に槌が当たると割れてしまうことがあるから、気を付けてね」
「うん、ていうか、コルク蓋なんだね」
「蓋をして少しさかさまに置いて、元に戻したら、冷めるのを待って蜜蝋で封をしたら出来上がりよ」
マリアにとっては瓶詰は金属の蓋がハマっているのが当たり前だろう。珍しそうにしながらも、危なげなくコルクを押し込んでいく。
「コルクの蓋って、どれくらい保存できるものなの?」
「中身がお酒ならかなりもつけど、ケチャップは三週間くらいかしら。エンカー地方内での消費用ね」
「やっぱり、そんなに長くはもたないよね。金属キャップがつくれれば何年でももつのに」
「王冠キャップの開発は進めているけれど、あれは一度開封したら再栓出来ないから容量の多い調味料には不向きなのよね。せめてゴムがあれば、ガラスの蓋との間に噛ませる方法が取れるんだけど、ゴムってほら、南米とかすごく暑い地域のものじゃない? コーヒーやチョコレートもだけど、多分まだ発見されていないと思うわ」
マリアは頷きかけて、微妙な表情でメルフィーナを見た。
「……でもトマトとか唐辛子はあるんだよね」
「本当、なんなのかしらね。私もその辺りはよく分からないわ」
「ゲームではマカロンなんかもあったし、深く考えない方がいいのかなあ」
ゲームの中のマリアがキャラクターに贈るお菓子にマカロンがあり、キャラクターのテーマカラーに色付けされたマカロンは一種のパラメータの調整アイテムだった。
――そういえば、記憶を取り戻した最初の頃、あのマカロンはどうやって色付けしているのだろうと思ったわね。
「分離」を使えばなんとかなるだろうか。そんなことを考えながらケチャップを瓶に詰める。
「しばらくはケチャップ料理が続きそうね。城館内の食堂でも使ってもらいましょうか」
文官用の宿舎と兵士用の宿舎にも、それぞれ厨房があり賄いが出るので、そちらで使ってもらえればそれなりに消費されるだろう。
「あ、なら僕、両方の宿舎を回ってケチャップ料理を教えてきますね」
「お願いね、エド。どっちの料理人も、エドは次はいつ来てくれるんだって待っているっていうし」
「文官の宿舎の料理人は面白い料理を教えてくれますし、兵士の宿舎の料理人は肉料理がすごく上手なんで、僕も楽しみです」
どちらの料理人ともうまくやっているらしいエドに笑って頷く。まだ若いエドだけれど、その腕前と朗らかな性格もあって、彼を嫌いになれる人などいないだろう。
「じゃあ、瓶に入らなかった分のケチャップでお昼を作りましょうか! ピザとミートソースのパスタと」
「あ、私、フライドポテトなら作れる!」
マリアの挙手に、メルフィーナが頷く。
「じゃあそれも作りましょう」
「……冷えたエールが絶対に必要ですね」
「間違いないな」
オーギュストとセドリックが、息ぴったりに頷いていて、あはは、と明るい笑い声が城館の中庭に響いたのだった。




