264. 告白と神の世界2
「つまり、メルフィーナ様は、生まれる前にマリア様と同じ世界にいて、その頃の記憶がある、ということなんでしょうか」
オーギュストの言葉にこくりと頷く。
「ええ、そして前世……生まれる前の私は、この世界で起きることをある程度把握していて、私もその記憶を引き継いだの。といっても、それを思い出したのは北部に到着する直前だったんだけれど」
「それ以前は神の国のことを覚えていなかったということですか?」
「北部に到着する前に馬車が横転する事故が起きて、そのショックでぽろっと思い出したわ。生まれつき覚えていたら、子供の頃から軌道修正して、そもそも北部に嫁がないように動いていたんじゃないかしら」
その言葉に、マリアを除く全員が強張った顔をする。
もしも北部に嫁いでいなければ、ここにいる人たちとも出会わなかったか、顔を合わせる機会があっても素通りする関係だっただろう。
そう思うと、運命とは僅かな選択の違いで大きく未来を変えてしまうのだと思う。
「それは、北部にこれから、何か恐ろしいことが起きるということでしょうか」
マリーが硬い表情で尋ねる。そこでメルフィーナはマリアとも打ち合わせしたように、出来る限り分かりやすいように、自分に起きたことを説明した。
前世では、この世界のことを予言する書物があったこと。
それは、聖女マリアがこの世界から伴侶を選び、世界に平和と幸福をもたらす物語で、伴侶の候補は八人いたこと。
物語は伴侶の候補を選ぶたびに分岐をするので、未来はその都度変わること。
メルフィーナはその物語の中で、マリアの敵だったこと。
そして、聖女の敵としてメルフィーナという人間は、破滅する未来が用意されていたこと。
「その伴侶候補の一人は、私ということか」
アレクシスは相変わらず感情の読めない表情をしていたけれど、声がやや、不機嫌な調子だった。
彼とは聖女について会話を交わしたことがあって、二百五十年前のオルドランド公爵の動きについても言及したことがあったので、自分が候補の一人であるとすぐに察したらしい。
「ええ、物語の中でアレクシスがマリアに選ばれた場合、私は……それを阻もうとして、マリアの命さえ狙うような真似をしたわ」
ゲームの中のメルフィーナとここにいる自分は、もはや運命を大きく違えた別の存在だ。
けれど、かつては確かにゲームのメルフィーナとも繋がっていたという感覚も残っている。
「思えば、ひどい話よね。北部はきっと、その時飢饉で本当にひどい有様だったはずなのに、物語の中では王都にいた私はその深刻さを少しも理解せず、贅沢ばかりして、世界の希望であるマリアを害そうとしたのだもの。周りから愛想を尽かされて、破滅するのだって、自業自得で……」
「メルフィーナ」
隣に座ったマリアに、ぎゅっと手を握られる。
「今のメルフィーナは違うよ。メルフィーナは、私の敵じゃない」
「……そうね」
そう、それはすでに訪れなかった未来だ。少なくとも今は、感傷に浸っても仕方がない。
「ともかく、生まれつきや子供の頃にその記憶を取り戻していたら、アレクシスと結婚しないように手を打っていたと思うわ。いっそ上級貴族の籍から離れて、子爵夫人あたりに納まっていたかもしれないわね。それが一番確実な回避方法だもの」
「そうなっていたら、北部の運命はやはり、かなり過酷なことになっていたでしょうね」
「こう言ってはなんですが、メルフィーナ様がその知識を取り戻されたのが、北部に来られる直前で……」
よかったという言葉を濁すマリーにメルフィーナは笑顔を向ける。
「本当に思い出したのがその時でよかったわ! みんなと出会えなかったと思ったら、ぞっとするもの!」
「……はい、本当に、そうだと思います」
マリーもほっとしたように、薄く微笑む。
「ああ、だからメルフィーナ様は、エンカー地方に住まれて最初の年にトウモロコシを植えたんですね。領地を得て最初に植えるものがなぜ麦ではないのかとずっと不思議だったんですが、結果を見れば納得できます」
「ええ。本当は飢饉が来ると警告したかったのだけれど、あの時私がそう言って、聞いてくれた人がいたとも思えないし。私には、とにかく出来る範囲で大量の食べ物を用意することしか出来なかったわ」
オーギュストは納得したように、何度も頷く。
思えばオルドランド家で初めてエンカー地方のトウモロコシを確認し、アレクシスに取引を進言してくれたのもオーギュストだった。彼がメルフィーナの活動をポジティブにアレクシスに伝えてくれなければ、やはり未来は少し今とは違っていたのかもしれない。
「ちなみに、その物語に俺は出てきていないんですか?」
「ここにいる中だと、出てきたのは私とアレクシスと、セドリックだけね」
「……閣下と私ですか。マリー様の名前が挙がらないということは、メルフィーナ様の騎士として登場したというわけではないのでしょうね」
そんなに憂鬱そうな顔で言わなくてもいいだろうと思うけれど、セドリックも伴侶候補の一人だと告げても、苦々しげな表情が深まるだけだった。
「つまり、私が色々と産業を発展させることが出来たのは、そういう理由があったということ。……長い間、みんなを騙す形になってしまって、ごめんなさいね」
「誰にも打ち明けられないまま今の状況を作ったというのは、君が非常に努力したということだろう。誇りこそすれ、詫びるようなことではないはずだ」
「でも、私は色々と知っていたし……」
「知識はただの知識だ。それをどう使うかは、知識を持った人間の為すことだ。――君はその英知で人を救ってきた。それは、君にしか成せなかったことだろう」
アレクシスの口調はいつもと変わらないものになっていた。あまり抑揚はなく、言い切る形だ。
「メルフィーナ様、私とセドリック卿は領主邸に来た最初の日からメルフィーナ様を知っていますけど、いつでもメルフィーナ様は一生懸命でした。少なくとも、物語を知っていて、知識があるから易々と領地を発展させていたわけではなかったと思います」
「私などは、随分メルフィーナ様を困らせましたし、思い通りにならなかったことも、沢山あったのではないですか?」
マリーとセドリックの言葉に、ここに来た日のことを思い出して、懐かしい気持ちになる。
最初の頃、領主邸はとても小さくて、大きな街の商家や宿よりこぢんまりとしていたくらいだった。マリーとセドリックは、すぐに大きな街に引き返そうと言ったくらいだ。
「そうね……いつでも、それなりに必死だったわね」
「まあ、もうちょっと早く教えてくれても良かったかなって気はしますけど、それも今になったからこそ言えることでしょうし」
オーギュストがいつもの軽口のように付け加える。
「メルフィーナ様が特別な存在であることは薄々分かっていたので、神の国の知識があるというのは、ある意味納得ができました」
セドリックが頷くと、マリーになぜか、案じるような目でじっと見つめられた。
「あの、メルフィーナ様は、もうマリア様の敵にはならないということですよね」
「ええ、それは勿論よ」
「……では、もう、エンカー地方にいる必要は、無いということでしょうか」
マリーの言葉に驚いて、それからあえて、明るく笑ってみせた。
「二年半も時間をかけて、やっと領地が安定してきたのよ! ちょっとやそっとじゃエンカー地方から離れたりしないわ」
もうとっくに、ここがメルフィーナの生きる場所だ。少なくともメルフィーナはそう思っている。
出来れば大切な人たちと一緒に、幸せに生きていきたい。
「それに、マリーと約束したでしょう。将来的には私は仕事もろくにしないでだらだら暮らして、マリーとおそろいのドレスを作ったり買い物をしたりしながらのんびり過ごすんだって!」
「……ええ、そうでしたね」
マリーはようやく、安心したようだった。
「それ、本当に実現可能な夢なんですかね……イテッ」
ぼそりと言った騎士の脛を蹴ったのは、はす向かいに座っていた、脚の長い騎士団長だった。
身分と立場の変化により
マリー→セドリック卿
セドリック→マリー様
に呼び方が変わっています。
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