263.告白と神の世界1
団欒室に入ると、マリアは明らかに緊張した様子だった。メルフィーナの後ろに半ば隠れる形で、気まずそうに視線を逸らしている。
「マリアはここに座って。少し込み入った話になるでしょうから、セドリックとオーギュストも席に着いてちょうだい」
メルフィーナが告げると、座っていたアレクシスの後ろに立っていたセドリックと、メルフィーナの横についていたオーギュストもそれぞれドアに近いソファに腰を下ろす。
「マリア、左の騎士がオーギュスト。セドリックの従兄弟で、アレクシスの腹心の騎士よ。今は臨時で私の護衛騎士をしてくれているの。まだ正式に紹介していなかったけれど、彼女はマリー。私の秘書で、アレクシスの妹にあたるわ。私にとっても義理の妹ね」
「聖女様、オーギュスト・フォン・カーライルと申します。快癒をお喜び申し上げます」
「マリーと申します、聖女様。お見知りおきいただければ光栄に存じます」
立ち上がってそれぞれ騎士と侍女の礼を執った二人に、マリアは居心地悪そうにぺこりと頭を下げる。
「有馬マリアです。あの、よければ聖女様じゃなく、マリアと呼んでもらえたら嬉しいです」
「かしこまりました、マリア様」
「マリア様、そのようにさせていただきます」
本来は様を付けて呼ばれるのもあまり落ち着かないのだろうけれど、こればかりは仕方がないと先に説明しておいたので、マリアも納得した様子だった。
「あの、アレクシスとセドリックも、出来れば名前で呼んで欲しいの。私、聖女って呼ばれるの、あまり好きじゃなくて」
二人は少し驚いた様子だったけれど、なんとなく互いに視線を交わし合い、それから小さく咳ばらいをした。
「あなたがそう言うなら、そうさせてもらおう。マリア嬢」
「私は王家に仕える身ですので、マリア様と呼ばせていただきます」
ひとまず自己紹介が終わり、その間にお茶が配られる。マリアは緊張が強いようだけれど、並べられた皿を見て、メルフィーナを見て、もう一度皿の上を見た。
「これ、チーズケーキ?」
「ええ、ニューヨークチーズケーキ」
マリアはパッと表情を明るくして、さっそくフォークを手に取る。ここしばらく消化にいい食事ばかりだったし、あちらの世界のお菓子に飢えていたのだろう。一口口に入れると、とろけるように幸せそうな表情を浮かべる。
「美味しい……ちゃんと土台もビスケットだ」
「ニューヨークチーズケーキの土台はチョコレートクッキーが好きなんだけど、こちらではチョコレートが手に入らないのよね」
「カカオからの加工が大変なんだっけ?」
「カカオ自体がないの。少なくとも今のところ、見かけないわね」
マリアと話していると、アレクシス、セドリック、マリー、オーギュストが驚いたような表情でこちらを見ていた。小さく笑って、メルフィーナもチーズケーキを切り分け、口に入れる。
本来、領主邸の主であるメルフィーナが真っ先に口をつけなければならない場面だけれど、マリアは甘いものを食べて少し気持ちがほぐれたようだし、これからの説明の布石にもなるだろう。
ニューヨークチーズケーキは、以前からエドが時々作ってくれるケーキのひとつだった。レシピを教えたときに名前もそのままニューヨークチーズケーキと伝えて、領主邸ではその名前で呼ばれている。
「このケーキの名前についている「ニューヨーク」というのは、マリアがここに来る前にいた世界にある都市の名前よ」
「私がいた国とは、別の国、だけど」
アレクシスとオーギュストは怪訝そうな表情を浮かべ、マリーとセドリックは考え込んでいるような様子だったけれど、真っ先に質問したのはセドリックだった。
「メルフィーナ様は、聖女様……マリア様のいらした国について、知識がおありだということでしょうか」
「マリア嬢がいたのは神の国だろう。神の国について書かれた書物などがあるとは、聞いたことがないが」
「あったとしても神殿や教会で厳重に管理されているでしょうし……いや、メルフィーナ様は本当に、何者なんですか?」
オーギュストの問いかけは今日の話題の核心に迫るものだ。
「私は、そんなに大した者でもないけれど。――みんなは、輪廻転生……生まれ変わりって知っているかしら」
これには全員首を横に振る。
「今生きている人間の魂は、生まれる前に別の人間だったという考え方なのだけれど」
そう言っても、やはり反応はいまいちだった。どうにもぴんと来ないという様子だ。
「ね、メルフィーナ。こっちの世界だと、人が死んだ後に天国に行くとか、地獄に落ちるみたいな話ってないの?」
「私も、その手の話には疎いのよね。神学って貴族の女性には必須の学問ではないから」
前世の記憶を取り戻す前は、完璧な貴族令嬢になろうという意識が強く、刺繍や使用人の扱い方、ダンスや楽器、社交術といった基本の淑女教育の他、文字や算術なども教養のひとつとして学んだけれど、その中に神学は含まれていなかったし、当時は必要だとも思わなかった。
記憶を取り戻した後はそれどころではなかったので、いまだにメルフィーナのこの世界の神学への理解は薄いままだ。
この世界は、前世で言うところの中世ヨーロッパと呼ばれていた時代と身分制度や社会制度などが酷似している。
最も大きな違いは、宗教の気配が薄いということだ。メルフィーナも神殿で「祝福」こそ受けたものの、それ以外では神殿に併設された孤児院に慈善活動として足を向けるくらいだった。
積極的に神に祈りを捧げようと思ったことはなかったし、暮らしの中に食事の前の祈りなど、宗教的な儀式はほとんど存在していない。
「生まれ変わりというのは、聞いたことがありません。人は亡くなると、男神によって神の世界に連れ帰られるとされています」
「連れ帰られる?」
マリーの言葉に首を傾げると、私も子供の頃に聞いただけですが、と前置きをして、話してくれた。
「人は生まれる前はみんな神の国で暮らしていて、この世界に女神によって魂を運ばれ、生を享けるそうです。懸命に生きて、自分の役割を果たしたら、男神が再び魂を抜き取り神の国に連れ帰ってくれると。家政婦長が子供の寝物語に聞かせてくれた話なので、教会や神殿の教えとは少し違うかもしれませんが」
「ああ、そういえば、結婚式の時に司祭様が、この世界で出会った男女の定めに従い、神の国に戻る日まで懸命に生きなさい、みたいなことを言っていた気がするわ」
何しろ結婚式の時は長い移動の後、慌ただしく行われたのでメルフィーナも疲れていたし、その後に起きたアレクシスとのひと悶着で結婚式自体の印象はすっかり吹き飛んでいた。
それにしても、ここまで死生観が違うとは、メルフィーナ自身思ってもいなかった。告白の出だしからつまずいてしまったようだ。
「ねえメルフィーナ」
マリアが軽くメルフィーナのドレスの袖を引く。顔を向けると、とても不安げな表情を浮かべていた。
「神の国って、もしかして、あちらの世界のことだったりするのかな」
「……どうなのかしら」
女神の手によって「あちらの世界」から魂が運ばれ、「こちらの世界」で人として生きた後、魂がまた「あちらの世界」に戻されるのだとしたら。
そして、こちらで記憶を取り戻したメルフィーナのように、あちらでも、こちらの記憶を取り戻した人がいたとしたら。
そのうちの一人が、ゲームの制作になんらかの関わりがあったとしたら?
「ううん……」
マリアもほぼ同じ想像をしたらしく、二人そろって小さなうめきを漏らしてしまう。
「……色々と想像してしまうけれど、今は証明のしようがないわね。だとしても、マリアがそのままこちらにやってきた理由が分からないし」
「つまり、君は生まれる前、神の国にいた頃の知識を持っている、ということか?」
二人で頭を悩ませているのに少し焦れたらしい、アレクシスの問いかけに、メルフィーナは曖昧に頷いた。
「マリアがいた世界と、「神の国」が同じものなら、そうなるわ。今の今まで、そんなつもりではなかったけれど」
そしてどうやら、この世界の人々は全て「神の世界」出身らしい。
――じゃあ、私は転生者ではなく、単に「神の世界」から運ばれる時に魂の記憶を消し忘れられただけということなのかしら。
それがたまたまハートの国のマリアをプレイし、コンプリートした人間であり、悪役令嬢・メルフィーナになる確率とは、一体どれほどのものだろう。
メルフィーナの正体について告白するつもりだったのに、自分の正体とはなんだったのか、そこから考え直さねばならなくなったようだった。