258.夏の圃場と貸しと借り
初夏から夏へ移り変わり、城館内にあるメルフィーナの個人圃場は緑が濃くなってきた。
「アレクシス、セドリック、ここにいたのね」
圃場の管理と休憩用に使っている家のテラスのテーブルでお茶を傾けていたアレクシスの向かいに腰を下ろす。マリーがグラスを新しく人数分用意してくれて、テーブルに置かれた大きめのヤカンから冷たい麦茶を足してくれる。
「氷の魔法って本当に便利よね。アレクシスがずっとエンカー地方にいてくれればいいのに」
以前アレクシスが贈ってくれた氷の魔石を使った地下の冷凍倉庫は、現在ユリウスが安置されている。部屋がユリウスでみっちりと満たされているわけではないので製氷くらいなら出来るけれど、流石にそれは気が引けた。
「メルフィーナ様、私も、少しなら氷を作ることが出来ますよ」
マリーが穏やかに笑って、メルフィーナのグラスに小さな氷を出してくれる。
「すごいわマリー。……私も風の属性はあるけど、魔法が使えるほどの魔力量がないのよね」
素直に称賛を言葉にすると、マリーは少し照れくさそうに笑った。
「お兄様と比べると、本当にささやかですけれど」
「元々、魔法は男のほうが有利な力だからな」
マリーのグラスにアレクシスが新しく氷を出す。マリーの物と比べると大きくて、形はほぼ真球だった。
「そうなの?」
「単純に体の大きさの差だ。魔力は体が大きくなるほど耐性も強くなり、同じ魔力の量でも使える範囲が変わって来る」
「そういえば、体が成長すると耐性も高くなるのだったわね。北に行くほど大柄な人が増えるのも、それに関係あるのかもしれないわね」
メルフィーナもこの世界の平均でみれば小柄というほどではないけれど、魔力の耐性がとても低い。
合成をしようとして昏倒したのは、半ばトラウマに近く、あれ以来「鑑定」以上のことをしようと思ったこともなかった。
オルドランドの血筋は元々耐性が強いと以前聞いたことがあるので、アレクシスの腹違いの妹であるマリーも、メルフィーナより強い耐性を持っているのだろう。
「閣下に静かで心地いいと勧められて、お邪魔させてもらいました。私が離れている間に、随分と開発が進んだのですね」
セドリックは少し寂し気に言う。確かに、エンカー地方の変化はめまぐるしい。一年離れていれば、随分と様相が変わったように思えるだろう。
「そうね、色々なものを作ったし、変わったわ。きっとこれからも、どんどん変わっていくと思う」
「このガラスの器も、以前はない物でしたね。ガラスの器というのは、もっと装飾が多いものというイメージでしたが、シンプルな分、職人の腕の良さがよくわかります」
セドリックが麦茶の入ったグラスを掲げ、太陽に透かす。均一な厚みで、それでいてほどほどに薄く作られたグラスはしっかりとした技術がないと作れないものだ。
「エンカー地方のガラス職人は仕事に困らないからな。腕を磨くにはこれ以上の環境はないだろう」
「ああ、あの窓ガラスもすごいものでした。あれだけ薄く平面なガラスは、王都でも見たことがありません。……あれは、少し危ないかもしれません」
「ああ。職人はしっかりと保護したほうがいいだろう」
セドリックの言葉に、アレクシスもしっかりと頷く。
「そういえば王都で、これと同じものを見かけました。中身は空でしたが、それなりの高値で取引されていました」
これ、とセドリックが手に取ったのは、ペーパーウエイト代わりに置いてあった瓶詰の瓶だった。元々はジャムが入っていたものだ。
「本当は中身を消費したら容れ物は回収したいと思っているのだけれど、全然戻ってこないのよね」
「それは仕方がないと思います。ガラス製品は高価で珍しいものですから」
「その分製品には値段を上乗せして、回収したらいくらか払い戻す形にしているのだけれど、まだまだ売ったほうが高値が付くのでしょうね」
瓶の形になっているものは洗浄、消毒して次の製品にそのまま使い回すことが出来るし、多少欠けていても溶かして再利用することも出来るけれど、物が戻ってこなければどうしようもない。
「いっそ、ガラス製品として販売してはいかがですか?」
「それも考えたのだけれど、手を広げすぎると端が疎かになるから、現状、どうしようもないのよね」
エンカー地方では、これ以上事業に手を広げるのは難しいのだという話をし、セドリックが不在だった一年間の話で少し盛り上がった。
「ロドとレナが、今は領主邸に住んでいるというのも驚きました。セルレイネ殿下とは入れ違いになってしまったようで、ご挨拶だけでもさせていただければよかったのですが」
「そういえば、ここに来るとき、ルクセン王国の使節団とはすれ違わなかった?」
ルクセンの一団が発ってほんの数時間でマリアを連れた馬車が到着した時は、随分驚いたものだ。それからマリアと籠って話をしていたので、それについて尋ねるのが遅くなってしまった。
「街道が封鎖されているのは伺っていたので、一番近い村で待機し、使節団が通過したのちに再びエンカー村に進みました」
「その方がよかったのでしょうね。少し、高圧的な人たちだったから」
「ルクセン王国とエンカー地方の断交の報せを受けてから、ソアラソンヌを発ってすぐにこちらの一行と行き当たったからな。こちらは聖女殿を連れていたので、接触しないほうがいいと判断した」
賢明な判断だったと言わざるを得ないだろう。
セレーネを王都に連れ戻したがっている理由が、マリアにあったのは明らかだ。もしそのマリアが目の前にいて、随行している者は最低限、警備は手薄となれば、ルクセンの一団が何をしでかしたかと想像すると少し肝が冷える。
通常ならばあり得ないけれど、あの強硬な態度の使節団ならば、何をしでかすかメルフィーナにも予想がつかなかった。
単騎で四つ星の魔物を討伐するというアレクシスと、「剣聖」の「才能」を持つセドリックがいる一行が負けるとは到底思わないけれど、エンカー地方との断交どころではない対立がルクセン王国との間に生まれてしまうことになったはずだ。
「とにかく、無事にたどり着いてくれて本当によかったわ」
しばらく歓談を楽しみ、太陽が上がってきたところでメルフィーナたちは領主邸に戻ることにする。アレクシスとセドリックは、もうしばらくこの圃場にいるというので、アレクシスに桶に氷を出してもらい、オーギュストに運んでもらうことになった。
「体よく使ってしまってごめんなさいね。今度小さな製氷庫を作っておくから」
「いや、ここにいても大して役に立っていないからな。これくらいはさせてくれ」
アレクシスも領主として忙しい時期だろうに、マリアが回復し、今後のことを話し合うまではアレクシスも中々動くことが出来ないのだろう。
ルーファスは、公爵家を空にしておけないと、メルフィーナがマリアの看病をしているうちにソアラソンヌに戻ったという。とても世話になったので、そのうち何かお礼をしたいところだ。
「本当、お世話になってばかりね。申し訳ないわ」
つい溜息を漏らすと、それに笑ったのはオーギュストだった。
「メルフィーナ様も、たまには借りを作ったほうがいいですよ。貸してばかりというのはバランスが悪いですから」
「私、別に何も貸していないわよ?」
それに対して、なぜかその場にいる全員に生ぬるい目を向けられてしまった。焦っていると、さらりとマリーが話を変える。
「お兄様、昼食はこちらに運びますか?」
「そうだな……そうしてもらおう」
「では、手配しておきますね」
そうして、何となく釈然としないまま、話は終わってしまったらしい。
「……私、別に貸していないわよね?」
「受け取り方は人それぞれですから」
いつもはメルフィーナに甘いといえるほど優しい秘書の珍しく曖昧な言葉は、夏の乾いた風に流れて消えていった。
護衛対象がメルフィーナの寝室で寝込んでいるセドリックと、エンカー地方に役職があるわけではないアレクシスは特に仕事がないので人の少ない圃場にいることが多いです。
休日のデパートの休憩ブースにいるお父さんみたいな感じです。