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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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257.熱と愛馬と子供たち

 朝食を終え、様子を見に寝室に向かうと、マリアはベッドの中で寝息を立てていた。

 頬も額も赤くなっていて、呼吸は速く細く、苦しそうだ。


 朝、目が覚めたら隣で寝ていたマリアはこの状態になっていて随分焦ったけれど、熱は高いけれど苦しんでいる様子はない。ただ不安が一気にあふれだしたのだろう、眠ったまま泣いていたようで、涙の痕がくっきりと頬に残っていた。


 元気に、明るく振る舞っていてもまだ十六歳の少女だ。こんな状況で、感情が安定しないのは当たり前だろう。

 汗をぬぐった後、氷水で絞ったタオルを額に載せると、黒いまつ毛に縁どられた瞼がうっすらと開く。


「……メルフィーナ?」

「眠いなら起きなくていいわ。おなかは空いていない?」

「よく、わかんない」


 熱に浮かされているせいもあり、舌ったらずな口調になっているのに苦笑して、ぽんぽん、と毛布に包まった腕の辺りを軽く叩く。


「緊張の糸が切れたのね。今は安静にして、ゆっくり休むといいわ」


 マリアはうん、と小さく答える。


「ごめん、わたし、働くって、言ったのに」


 申し訳なさそうにするマリアの目に滲む不安に、あえて明るく笑う。


「私ね、あなたに会えて嬉しかったの。私は悪役令嬢だし、もしあなたに会ったら物凄く意地悪をしたくなったりするかもとか、お互い望まないまま対立することになるかもしれないとか、本当は不安も一杯あったもの。そうならなくて、本当によかった」


 ゲームの中のメルフィーナが攻撃的だったのは理由がなかったわけではないけれど、ゲームの内容を知っているマリアにとってはメルフィーナとの邂逅は賭けでもあったはずだ。


 もしもマリアがエンカー地方に来てくれず、準備を整えて王宮に乗り込んだとしても、きっと心理的には距離のあるところからのスタートになったはずだ。

 夕べのように、おしゃべりをして、笑って過ごせるようになれたかもわからない。


 セドリックの口ぶりからは、北部にたどり着くまでにも相当のストレスが彼女にかかっていたはずだ。今は気兼ねなく、ゆっくりと心と体を休めて欲しい。


「会いに来てくれて嬉しかった。勇気を出してくれてありがとう、マリア」


 マリアはほっとしたように表情を緩めると、またゆるゆると瞼を下ろし、やがて寝息を立て始める。

 もう一度タオルを替えてそっと寝室を出ると、オーギュストがドアの前で待っていてくれた。


「聖女様は大丈夫そうですか?」

「ええ、眠っているわ。しばらくはそっとしておいてあげましょう」


 階下に下りると、どうやらロドとレナが戻ったようで、領主邸の前庭から賑やかな声が聞こえてくる。


「楽しそうな声がするわね。行ってみましょうか」


 オーギュストに声をかけて正門から外に出ると、前庭を赤毛の馬に乗ったロドとレナがこちらに気づいて手を振り、その手綱を引くセドリックが少しバツが悪そうに礼を執る。

 どうやら子供達との再会を喜び合っていたようだった。


「あの堅物が自分の馬に子供とはいえ他人を乗せるとは、人間って一寸先は何があるか分からないですねえ」

「それじゃ悪い例えよ」

「では、人は変わるものということで」

「それは間違いなくそうね」


 悪役令嬢という未来から逸れて、一部では聖女だと思われていたらしいのだから本当に未来のことは分からない。笑いながら三人の元に向かうと、セドリックがレナに手を貸して降ろしてやり、ロドはあぶみに足を掛けてひょいと飛び降りる。


「メルフィーナ様! 馬っていくらくらいで買えるんですか!?」

「あら、ロド、馬が欲しいの?」

「乗ってみたらすごく気持ちよかったから、最近は移動も多いし、こいつを後ろに乗せて馬で移動するのもいいかなって」


 こいつ、と妹のレナの頭をぐりぐりと撫で、レナは嫌がってその手から抜け出し、メルフィーナの傍に走り寄ってくる。


 この世界の馬の利用はもっぱら馬車である。荷物も運べるし、沢山の人を乗せることが出来る。単騎での騎乗というのは、騎士の特権のようなものだ。


 とはいえ、馬に乗って巡礼する聖職者がいないわけではないし、平民が馬に乗ってはならないという法があるわけでもない。ロドとレナは様々な開発に関わっているし、もし何かあった時のために移動や逃亡の手段として馬に乗る技術を持つのは、良い選択と言えるだろう。


「そうね、じゃあ、乗馬を習ってみる? 乗れるようになってみて、自分の馬が欲しくなったら、その時にまた考えればいいわ」


 ロドとレナは働きすぎなので、どこかで調整をしなければならないと思っていたけれど、仕事の他にも趣味性の強い興味があるならそちらを勧めるのもいいだろう。

 元々騎士の馬は、その忠誠を受け取った主が叙勲の際に騎士に剣や鎧とともに与えるものだ。


 オーギュストの薦め通り、ロドとレナに称号を与える日が来たら、その時に褒章の一部として馬を与えるのもいいかもしれない。


「俺、習いたい!」

「レナも習ってみたい! お兄ちゃんの後ろに乗るより自分で乗りたいし」

「お前、生意気!」

 再び頭をわしわししようとする兄から逃れてレナは走り出し、ロドも追いかける。

「こら、まてっ」

「きゃー! ヤダーッ!」


 あははは、と楽し気な笑い声をあげて追いかけっこをする兄妹を微笑ましく眺めていると、セドリックもうっすらと口元に笑みを浮かべて、メルフィーナに改めて向き直る。


「メルフィーナ様、リゲルを預かって頂いて、ありがとうございます。とっくに他の騎士の馬になっていると思っていたので、再会出来てこんなに嬉しいことはありません」

「リゲルはセドリックと一緒に、たくさん私を助けてくれたもの。セドリックがいなくなった後はたまにラッドが牧場に走らせに行ってくれていたけれど、乗り手がいないとやっぱり寂しそうだと聞いていたわ。たくさん乗ってあげて」


 セドリックは大切そうに赤毛の馬の首元を撫で、リゲルも気持ちよさそうに目を細めている。前世には人馬一体という言葉があったけれど、人と馬が信頼しあっている姿がそこにはあった。


「聖女様の様子は、いかがでしたか?」

「二、三日は休ませてあげたいわね。多分見た目よりずっと、疲れているだろうから」


 セドリックはそうですか、と答え、手綱を握る手にぐっと力を籠める。


「私は、聖女様が王宮にいらした日から護衛騎士として傍にいましたが、気づいて差し上げられませんでした。不甲斐ないです」

「いきなりこちらに来て彼女も混乱していたでしょうし、侍女や侍従たちも寄せ付けなかったみたいだものね。落ち着けばきっと、仲良くなれるわよ。セドリックもマリアもいい人だもの」

「そうだといいのですが」


 セドリックは誠実な人だが、職務に忠実な分融通が利かないところがある。彼自身が宮廷伯になって間もなく、王都ではあまり余裕がなかったことも、十分に想像できる。


「じゃあ、仲良くなる秘訣を教えてあげる。彼女の事、聖女様ではなく、名前で呼んであげたらいいわ」

「名前で、ですか?」

「ええ。どのみち、彼女が聖女であることはしばらく領主邸内のみで共有される秘密になるでしょうから、いい機会だと思うし」


 「聖女マリア」は対外的に、オルドランド公爵家が身柄を預かり領内のどこかで静養しているという形になる。

 ならばエンカー地方に滞在する「マリア」を聖女と呼ぶわけにはいかない。


 聖女の役割を受け入れることが出来ていないマリアに聖女様と呼びかけ続けるのも、距離が出来る原因の一つになっていたのだろう。


 そう思って、ふと気が付く。


「そういえば、私もセドリックのこと、セドリック様か、セドリック卿って呼んだ方がいいかしら?」


 セドリックはすでに伯爵家の当主であり、王宮騎士団の騎士団長である。エンカー地方でメルフィーナの護衛騎士をしていた頃とは、地位も身分も変わってしまった。

 儀礼的には、メルフィーナの立場でセドリックを呼び捨てにするのは、非礼に当たる行為だ。


「いえ、どうかそのまま、名前で呼んでください」


 セドリックは苦笑をした後、しっかりと騎士の礼を執った。


「今は違う立場とはいえ、あの日の誓いは今でも私の真実です。いずれまた、同じ呼び名になる日が来るなら、都度変える必要もないでしょう」

「――そうね。ここは王宮でもないし、私も、変わってしまったら寂しいなって思っていたの」


 そう言うと、セドリックはふわっと笑った。


 後ろでオーギュストが人ってマジで変わるなあと呟いているけど、後で従兄弟に脛を蹴られないことを祈るばかりである。

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