256.発熱と告白
「発熱ですか……」
翌朝、身支度を済ませてアレクシス、マリー、セドリック、オーギュストに団欒室に集まってもらい報告したのは、マリアが熱を出して寝込んだということだった。
「ええ、かなり高いわ。熱が下がるまで私の寝室は彼女に使ってもらうから、メイドたちにセレーネの使っていた寝室を私用に片付けるよう伝えてちょうだい」
「はい、着替えなどは運び出して構わないですか?」
マリーの問いかけに、頬に手を当てて、考える。
とにかく今は、安静にさせてあげたい。看病をするにしても、人の出入りは最低限のほうがいいだろう。
「彼女が動けるようになったら寝室を入れ替えるから、数日分だけお願いするわ」
「そのように取り計らいます」
「着替えの移動はあとで構わないわ。しばらく、彼女のお世話は私が直接することになると思うから、それだけ承知しておいてね」
マリーはしっかりと頷いてくれた。頼りになる秘書である。
「セドリック、彼女の素性について、皆は知っているのかしら」
「閣下には、ソアラソンヌに着いた時点でお伝え致しました。二人には昨日のうちに」
「神から遣わされし聖なる乙女だと聞きましたが、まさか本当にいるとは思いませんでした」
もっと驚いてもいいと思うし、多少懐疑的になっても仕方がないとも思うけれど、オーギュストの声は相変わらず軽いもので、どうにも掴みどころがない。
神から遣わされし聖なる乙女――聖女の存在は、それこそおとぎ話の中に出てくるような類のものだ。突然女性をつれてきてこれが聖女だと言われても、大抵の人は可哀想なものを見る目を向けるくらいだろう。
「オーギュストはそれを信じるの?」
「閣下が同行した時点で重要人物であることは間違いありませんし、うちの従兄弟は嘘も冗談も言えない性格ですし、かといって簡単に騙されるほど愚かでもないので、消去法で信じるしかない、というところですかね」
「しかし、発熱ですか。聖女はあらゆる病を退けるという話ですが」
「悪い風が入ったわけではなく、多分精神的なものね。ここに着くまで、随分スト……心に、負荷が掛かっていたようだから」
「負荷……」
昨日たくさんマリアとお喋りをしたせいだろう、どうにも、感覚が前世と今のメルフィーナの間を行ったり来たりしているような感じがする。うっかりこちらでは通じない言葉を使わないように、少し気を引き締める必要がありそうだ。
「追い詰められて、疲れて、ずっと気を張り続けていて、それが緩んで反動が出たのでしょうね。可哀想に、家族の元に帰りたいと、泣いていたわ」
「そうですか……」
セドリックは硬い表情だった。王都にいた頃からマリアの護衛騎士だったようだけれど、少なくともマリアの話を聞く限り、あまり打ち解けた関係ではなかったようだ。
「王宮には出ていくことを反対されたと聞いたけれど、連れ出して大丈夫だったの? その、セドリックの立場が悪くなったりはしないかしら」
「彼女の身柄を王宮に移した折、大神官と枢機卿から決してあの方に何かを強いてはならない、移動の自由を保障するようにと条件が付けられ、国王陛下もそれを許諾し、私も立会人の一人としてその場に控えていましたので」
大神官は神殿の、枢機卿は教会の、それぞれ最高責任者であり、それぞれが攻略対象でもある。
王宮側とどういったパワーゲームがあったのかは定かではないものの、マリアもそう言っていたように、彼女の自由はその政治的やり取りの中で保障されたもののようだった。
強権が機能していれば、王位継承者を含む多くの貴族や他国の王族が求婚者として壇上に上がるはずもない。誰を選ぼうと、それはマリアの意思に委ねられるしくみになっているはずだ。
「セドリックの他に随行した騎士や兵士は?」
「王宮からの出立には王宮の馬車を使いましたが、途中で乗り換え、御者には城に戻るよう伝えました。その後追跡の気配を感じたので、一度南に向かい、大きな都市の中で騎馬にて追っ手を振り切って公爵領に入りました」
「彼女が北部にいることは知られていないということかしら」
セドリックは少し考えるように間を持ち、ゆっくりと頷く。
「道中は聖女様にはフードを被っていただいていましたし、公爵家に到着してからも御者と護衛の騎士を含む最低限の、口の堅い者のみにしか姿を見せていませんでしたので、今のところは問題ないと思います。ですが、私が宮中伯を継ぐ前に北部にいたことは知られていますので、ある程度推測は可能であると思います」
「では、少しは時間が稼げるわね」
「メルフィーナ。君は、彼女をどうする気だ」
アレクシスに尋ねられて、ひとつ頷く。北部の大領主として、当たり前の質問だ。
「私は、彼女をエンカー地方で保護しようと思っています。王宮でも命を絶つと言ったようですが、あのままでは、いずれ本当にそうなりかねません」
アレクシスは難しそうな表情で、しばし黙り込む。
北部にマリアの滞在を許す、メリットは計り知れないけれど、反面、デメリットも少なくはない。為政者としてはすぐにそうかと頷くのは難しいだろう。
「彼女を貴族の女性と同じ感覚で扱うのは、明らかに間違っています。もっと市井に近い幼子……レナと同じくらいに思っても大袈裟ではないでしょう」
「レナはさすがに幼すぎませんか?」
「いいえ、むしろ領内で高度な仕事に就いているレナのほうが、まだ成熟している可能性すらあるわ」
この世界では十歳になる前に商家に奉公にあがったり、職人の見習いとして働き始めたりすることも決して珍しいことではない。
騎士を志す者も、そのくらいの年で小姓として親元を離れ、働き始める。
アレクシスもマリーもセドリックもオーギュストも、メルフィーナの言葉にすぐには納得しがたいという表情だ。
「そうした感覚の違いが、彼女を追い詰めたのよ。5歳くらいの女の子がいきなり親元から引き離されて全く知らない場所に連れていかれて、今日からこの役割だちゃんとやれって言われて、出来ると思う?」
「確かにそれは難しいと思います」
真っ先に同意をしてくれたのは、マリーだった。
「メルフィーナ様が保護されると決められたなら、私は従います」
「では、対外的に、聖女はオルドランド家で預かったということにしておこう。領内のどこかで静養している。聖女の心の安定のためにその居場所は開示出来ないとすれば、しばらく時間は稼げるだろう」
「できればカモフラージュとして、閣下が特定の方向の領地に足しげく通う素振りを見せるとなお効果的ですね。閣下が直接でなくとも、公爵家の騎士服を着た者を頻繁に向かわせてもいいですし」
「……アレクシス、ごめんなさいね。あなたに迷惑をかけるわ」
「君が聖女の身柄を預かれないと言うなら、どのみち聖女が北部を訪れた時点でオルドランド家がその役割を果たすしかないからな、感謝されるようなことではない」
素っ気ない口調ではあるけれど、マリアを守ると決めたのはメルフィーナで、アレクシスはその協力を申し出てくれた立場だ。
マリアを守ると大見得を切っても、メルフィーナの力だけではやり遂げられないかもしれないことを、アレクシスが負担してくれた形になる。
「それでも、ありがとう。――それから、これは私自身のことなのだけれど、彼女が回復したら、みんなに話したいことがあるの」
マリアがエンカー地方に滞在し、メルフィーナがその傍にいることになれば、これから先、彼女とのやりとりで不審に思われることは飛躍的に増えるだろう。
近しく、またある程度の権限を持っている人たちには、そろそろメルフィーナの秘密の一部を開示する必要がある。
この世界はゲームの中で自分はそれをプレイしていた別の世界の人間だなどと、真正面から言ったところで気が触れているとしか思われなかっただろう。だからこそメルフィーナも前世云々に関してはずっと口をつぐみ、知識の源に関しては曖昧に誤魔化していた。
――いずれ、こんな日が来るかもしれないと覚悟はしていたけれど、思ったより唐突にその日は来てしまったわね。
言えない事情があったとしても、結局のところ、傍にいる人たちを騙していた形になるのも事実だ。皆がどう反応し、どんな感情を抱くのかわからない。
「それは、君もまた聖女であるという話か?」
少し俯きがちになっていたメルフィーナの耳に、とんでもない言葉が届く。
「え? 待って、何でそうなるの?」
「違うのか?」
「違うわよ! 聖女はマリアであって私は違うわ」
「そうか。……私はてっきり、君も聖女の一人で、これまでの振る舞いから別の聖女が現れるのを待っていたのだと思っていた」
アレクシスのとんでもない言葉に思わず周りを見ると、全員、その言葉に驚いている様子はなかった。
むしろそれを否定したメルフィーナの方を、不思議そうに見ているくらいだ。
「えっ、待って、皆そんなことを考えていたの?」
「いえ、明確にそうだと思っていたわけではありませんが、メルフィーナ様が特別な存在であることは、明らかでしたので」
「私もです。言葉にされないのは、何か事情があるのだろうと思っていました」
セドリックとマリーが生真面目な表情で言うのに、オーギュストも苦笑を漏らす。
「不思議な方だなあとは思っていましたけど、神から遣わされし聖なる乙女が実在するなら、メルフィーナ様も似たような存在なんだろうと思うのはむしろ自然なことじゃないですかね?」
「………」
しばらく、驚いて言葉が出なかった。記憶を取り戻してからこちら、一緒にいた人たちがそんなことを考えていたなんて、正直思いもしなかった。
「メルフィーナ様がしてきたことは、正直、常識の範疇からは相当逸脱していますから。土地を富ませて人を救い幸福で満たすのは、領主ではなく神様とか聖女とか、そういう人がやることでしょう? ついでに魔物討伐の手助けもしてくれましたし」
「メルフィーナ様がすることで、明日はどう驚かされるのだろうと、セドリック様ともよく話していましたよ」
マリーに笑われて、セドリックも真顔で頷く。
「君が何かを隠していることは明らかだったからな。それについて何か懸念があるようだが、今更、何を聞かされても驚かない。何より君は君の行動で、信頼に足る人間だと証明し続けてきただろう」
胸からこみ上げてくる感情にぐっ、と唇を引き締めて、それでも足りずに両手の拳を握る。
四人から伝わってくるのは、種類は違っても、それぞれ強い信頼だった。
「ふ、ふふっ」
メルフィーナを聖女の一種だと思っていたなんて、まるで想像もしていなかった。ちょっと知識の多い変わった貴族令嬢に完璧に擬態出来ていたつもりでいた、自分もなんだかおかしい。
「……なんだか、気が抜けてしまったわ」
色々なことが度重なって起きて、少し、ナーバスになっていたのかもしれない。
メルフィーナだってこの場にいる全員を信頼している。彼らが何かを隠していたのだとしても、事情があったのだろうと思えるくらいに。
「ありがとう、みんな。そうね、きっと私が聖女かもしれないことに比べたら、私の秘密なんて、大したものではないと思うわ」
だから、笑って、信じよう。
きっと大丈夫だ。何を言っても、受け止めてもらえるだろう。
そう思えることがとても、幸せな気分だった。




