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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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255.悪役令嬢と聖女の邂逅4

 この世界では、日が落ちる前に夕食を済ませ、家族で短い団欒をして日が落ちたらすぐに寝てしまうのが一般的である。


 これに関しては貴族も平民もそう大きく変わらないので、メルフィーナも夜更かしには慣れていない。普段ならとっくに夢の中にいる時間だけれど、気の置けないおしゃべりで興奮状態になっているのか、話しても話し足りない気分だった。


「でね、まともに話した最初の相手がヴィルヘルムなんだけど、こう、つかつかと近づいてきたかと思ったら腕を組んで「お前が聖女か! フン、凡庸な女だな!」って言ったのよ! 本当に!」


 実際に腕を組んで顎を反らされて、笑おうとしたけれど、笑えなかった。


「ゲームの中でもそうだったけど、本当にそれを言うのはすごいわね……」

「もうね、こっちは舞台衣装を着た金髪のイケメンがペラペラの日本語でなんか言ってるくらいで頭が働かなくなっちゃって、言い返せなくてさ。多分あれでナメられちゃったんだと思うんだよね。強く押せばなんとかなるって」


 ゲームの中における第一王子、ヴィルヘルム・フォン・フランチェスカは、典型的な俺様かつツンデレキャラクターだった。

 その反面、好感度を上げること自体はそう難しくない攻略キャラクターでもある。


 その強がりの裏には、母親譲りのストロベリーブロンドであり、王家の色である金の髪を持たずに生まれてきたことへの強いコンプレックスがある。

 ヴィルヘルムルートのストーリーは、彼の劣等感を解きほぐして寄り添い親交を深め、それと並行して同母の妹であるビクトリアとの強い依存関係を断ち切るという流れだった。


 これまで唯一の理解者であったビクトリアこそがヴィルヘルムの劣等感の根であり、マリアと関わるうちに王族としての役割と真摯に向き合い、立派な国王になっていく。


 ヴィルヘルムルートのラストを飾るのは、王冠を戴きアーミンのマントを羽織ったヴィルヘルムと、荘厳なドレスに身を包み、ティアラを戴くマリアが手に手を取って王宮のテラスからフランチェスカ王国を見下ろすスチルだった。


 テラスに吹く風に、ハーフアップにしたマリアの髪が揺れ、君の黒髪はこの世で一番美しいと囁いて、周囲に祝福された王と王妃になる。

 ゲームを知っていれば、出会った当初のヴィルヘルムの粗暴な言動にも隠れた理由があることは分かるけれど、初対面の印象としては最悪だろう。


「そこから毎日部屋に来て、俺のために働け何のための聖女だって責め立てて来てさ。それでヴィルヘルム、なんて言ったと思う? 「この国の役に立つなら、俺の女にしてやろう」だよ! こっちからお断りよー」

「うわあ、気持ちわる……」


 言いかけて、思わず手のひらで口を押える。

 思い出して悔しいのか、ころころとベッドの上で転がっていた少女に黒目を大きく瞠って見つめられて、かあ、と頬が赤くなるのが分かった。


「……あのね、私、普段は絶対に、汚い言葉を使ったりしないのよ」

「うん、メルフィーナの綺麗な顔からそんな台詞が出たから、ちょっとびっくりしちゃった」

「駄目ね、あなたとおしゃべりしていると、あちらの世界にいた頃にすごく感覚が引きずられている気がするわ。うっかり外でこんなこと言ったら、皆に驚かれてしまうわね」


 ふう、とため息を吐いた後、くつくつと笑いがこみ上げてくる。


「それにしてもヴィルヘルムの真似、上手かったわ!」

「何回も思い出しては枕を殴ったもの! ほんと腹立つったら!」


 笑い合って、マリアにとっては深刻な話だというのに、すごく楽しい気持ちになってしまう。

 この二年半でメルフィーナにもマリーやセドリック、ロドやレナ、セレーネやユリウス、アレクシスといった気心の知れた相手が出来たけれど、彼らに前世の話をするわけにはいかず、ずっと一人で秘密を抱えている状態だった。


 突然途切れてしまったらしい前回の人生で好きだったものの話が出来るなんて、想像もしていなかった。


 ――私、やっぱりハートの国のマリアが好きだったのよね。


 前世を思い出してからというもの、それどころではない毎日だったけれど、マリアと話していると、自分は確かにハートの国のマリアというゲームにどっぷりと嵌まっていたのだと思い出す。

 スチルとボイスの回収は徹底的に行ったし、ハードモードをクリアするのに多くの時間を費やした。あの情熱は、シンプルにあのゲームのストーリーと登場人物が好きだったからだ。


「でもさ、実際ヴィルヘルムは気持ち悪いよ。妹から恋人に依存先を変えただけじゃん。ゲームでは結構好きなキャラだったけど、じゃあ結婚したいかと言われたらお断りだわ」

「ゲームでは不安定なところも可愛げがあったけど、面と向かってそれじゃあ、ちょっと好きになるのは難しいわよね」

「ねー。……はぁ、王宮にいた頃は周りがすごく丁重に扱っていたから、イカレた宗教の幹部か何かだと思ってたし、怖くて何も言えなかったのよね。やっとぶちまけられて、すっきりした!」

「大変だったわね」


 そんなことが繰り返し起こった結果、与えられた部屋に引きこもり誰とも口を利かない日々に突入したのだという。


「あんまり王子の悪口を大っぴらに言うのは、後々聞いた相手にも累が及ぶ可能性があるから外では避けたほうがいいけど、私ならいくらでも聞くわ」

「うん、ありがとう。あっ! そういえばあの、トイレに紙があるの、すごかった……」

「まだここでも、そんなに当たり前に出回っているものではないんだけどね」


 照れくさくなったらしく、急に話題が変わる。


 エンカー地方は急激に豊かになったので、元々開拓民としてこの地方に住んでいて、土地の借地権を持っていた住人たちは俄かに大きな財産を抱えることになった。


 発展が進むほど、エンカー地方の土地の需要は高くなっていく。裕福な商人や資産家にとって、文字を書くことの出来ない農民から権利を二束三文で奪うなど、赤子の手をひねるよりも楽な仕事だろう。


 そういったトラブルを避けるため、土地の借地権の売買に関しては行政官を通すこと、借地権譲渡のサインは必ずメルフィーナが指定した資格を持った行政官の前で行うことを徹底している。


 そのために、最低限自分の名前だけは書くことが出来るように、できるなら簡単な文章を読む程度の能力を身に付けることを強く推奨し、セレーネの協力もあって手習い帳を発行している。


 使い終わった手習い帳を回収することで文字の練習用の紙を安価に供給する仕組みも作った。

 元々紙は高価なものであり、文字には貴人と雇われた徴税人、教会と神殿、そして商人といった一部の需要しかなく、情報を書きつけた紙そのものが貴重品である。


 平民が手習いに使った植物紙を回収してどうするのかと、最初はマリーやセレーネも不思議そうにしていたけれど、その結果エンカー地方には、この世界ではほとんど概念すらなかった「古紙」が生まれることになった。


 植物紙を漉き直したチリ紙は微生物分解するので、人糞堆肥を作る際に邪魔もしない。メルフィーナもここ一年ほどでようやく手に入るようになった、トイレ用の紙である。


「エンカー地方は今、沢山の人が流入しているのだけれど、怪我をして働けない人とか、父親が亡くなって母親も病弱な子供も結構いるのよね。そういった人たちの救済のひとつに、古紙から紙を漉く事業を作ったの」


 領主が仕事を与え、その代わりに糧を提供することは、この世界でも一般的に行われているものだ。

 とはいえ、その多くは農作物の収穫や農作業といった期間が限定されるものなので、根本的な問題の解決にはならない。


 福祉と民生、そこから新たな差別が生まれないようにするシステムなど、考えることは多岐に亘る。


「メルフィーナって、ほんとに領主様なんだね。それも立派な」


 感心したように言われて、苦笑する。


「問題は次から次に出るし、いつも試行錯誤の繰り返しよ。前世の知識には随分助けられたけれど、政治や領地経営は初めてだし、失敗だってそれなりにしているわ」


 ある程度の規模になったエンカー地方の運営がそれなりに成功しているのは、産業の開発に力を入れただけではなく、ギュンターやヘルムートといった地方執政官の力がかなり大きなウエイトを占めている。


 今はまだ、捕らぬ狸の皮算用であるけれど、いずれ文官たちがある程度領地を回してくれるようになれば、メルフィーナは安楽な生活が送れるようになるはずだ。


「ううん、立派だよ。エンカー地方ってゲームの中では、飢饉で壊滅しかかってたところだし、私がいきなりメルフィーナの立場になったって、絶対に同じことは出来ないと思う」


 そう言って、少女は一度言葉を切った。


「……メルフィーナ」

「うん? なあに」

「あの、私、ここに置いてほしい。出来る仕事があるなら、働くから」


 急に神妙な声になったことに驚いて、ベッドに寝転がっている少女を見下ろすと、ぎゅっと唇を引き締めて縋るような目をしていた。


「王宮は怖いし、私、攻略対象と結婚なんてしたくないの。高価なものを持ってこられるのも、その分この世界のために働けって伝わってくるのも、なんかヤダ。聖女なんて言われても何が出来るかなんて自分でも分からないし、王宮から離れて働くにしたって、ここに来るまで馬車から見たこの世界で、生きていける自信が全然ない。それに、今は、メルフィーナの傍だけが、怖くないの」


 普通に暮らしていたのに突然違う世界――何百年も文明が巻き戻った、しかも風土や風俗が全く違う土地に身一つで投げ出されるというのは、どれほど恐ろしいものだろう。

 彼女こそよく頑張ったと思うし、今でも笑うことが出来るのは、根がとても強いからだとも思う。


「聖女とか、世界を救うとか言われても、私はまだ、この世界のために何かしてあげたいって、思えない」

「そんなのは当たり前よ」

「メルフィーナ?」


 自分が決めたわけでもない役割を押し付けられて、成功することを期待されて、こちらの事情やプレッシャーにはなんの配慮もされない。

 そんな状況で、その役割に意欲的になどなれるはずもない。


「私だって、修道院なんか絶対に行きたくなかったから頑張れたのよ。こんな世界の神様に祈るなんて、嫌だったから」


 マリアは、あちらの世界からこちらの世界に、誘拐されて来たようなものだ。

 家族が恋しいと泣いたマリアを思えば、聖女としてこの世界を救って欲しいと要求するなど、到底無茶な願いだ。


 まだ十六歳。あちらの世界ではようやく進学先を決めるかどうか、彼女はそんな年頃なのだ。


「あなたがいたいなら、ここにいればいいわ。言ったでしょう、あなたを守るって」

「……うん。ありがとう、メルフィーナ」


 泣き笑いのような顔をする少女は、この世界の十六歳と比べても、ずっと幼く見える。

 照れくさく笑い合った後、緊張の糸が途切れたのだろう、少女がふわ、とあくびを漏らした。


「そろそろ寝ましょうか」

「うん……なんだか、急に、すごく眠くなっちゃった」


 ころりと端に寄ってくれた少女の空けてくれたスペースに、メルフィーナも横たわり、サイドボードに置かれた魔石のランプを弱くする。


 街灯のないこの世界で、石造りの建物の部屋の中は、灯りを消すと自分の伸ばした手の先も見えないくらい真っ暗だ。夜中に目が覚めた時などは足元が危ないので、いつもほんの少し、ランプの明るさを残していた。


「ねえ、そういえば今更なんだけど。あなたの名前、マリアでいいのかしら」


 ランプの淡い光に映し出された少女は、メルフィーナと向かい合った体勢でパチパチと瞬きをしたあと、ふわっ、と笑った。


「うん、私はマリア。有馬マリア。上から読んでも下から読んでも「マリア」だよ」


 出来すぎでしょ、と言うその声は、ほんの少し、皮肉っぽく響いた。

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