222.春の収穫
馬車が止まり、ドアが開くとすぐ傍に停められた馬車から子供たちがわっと飛び降りたところだった。
「みんな、走らないで! まずは集合してちょうだい!」
ぴたり、と足を止めたのはセレーネとウィリアムで、ロドとレナの兄妹はかなり先に行ってしまって聞こえなかったらしく、どんどん森に入って行ってしまう。
「フェリーチェ、二人を連れてきてくれる?」
わんっ! と笑ったような顔で返事をした後、弾かれたように走り出したフェリーチェは、あっという間に森の中に消えていき、しばらくして兄妹を追い立てるようにこちらに連れ帰ってくれた。
「分かったから、押すなよ、フェリーチェ!」
上手に連れ帰ってくれたフェリーチェを思い切り撫でて、ジャーキーのかけらをあげる。それからこら、と軽くロドとレナを叱る。
「いきなり走り出さないようにと、領主邸を出る前も言ったでしょう?」
「森に来るのは久しぶりだから、つい」
「ごめんなさいメル様!」
ばつが悪そうにしている二人に苦笑して、それぞれ頭を撫でる。
本格的に雪解けが始まり、空を覆う雲も晴れて青空が見える日が多くなってきた。
モルトルの森では野イチゴが穫れる季節で、村の女性や子供達は暇があれば野イチゴを収穫するのだという。
去年の今頃もレナたちに誘われていたけれど、忙しくて結局実がなっているうちに参加できなかったけれど、今年は一日時間を取って子供たちとイチゴ摘みにやってきた。
「あとひと月くらいしたらフォルベリーが穫れるようになるんだけど、野イチゴとは入れ替わりなんだよなー。まとめて穫れたら楽なのに」
「ああ、去年おすそ分けを貰ったわ。確かに美味しかったわね」
フォルベリーというのは、やはりモルトルの森で穫ることの出来る木に生る果実で、見た目はブルーベリーによく似た赤い果実である。酸味があって、生食の他、ジャムにしてもとても美味しかった。
「チーズケーキに掛けた赤いソースですよね。パンに塗っても美味しかったです」
セレーネも覚えているらしく、懐かし気な表情を見せる。
「ウィリアムはフォルベリーは食べたことがありますか?」
「いいえ、伯母様。多分食べたことはありません」
「でしたら、今日は野イチゴをたくさん収穫して、領主邸でみんなで食べましょう。野イチゴも、デザートにしてもお料理に使っても、とても美味しいんですよ」
「――はい、楽しみです」
返事に、ほんの一瞬間があった。不思議に思って腰を落とし、ウィリアムと目線を合わせる。
「ウィリアム、体調は悪くありませんね?」
「だ、大丈夫です! 私は元気です伯母様!」
「それならいいのですけれど、何か気になることがありましたか?」
ウィリアムはぶんぶんと首を横に振る。頬に触れても発熱している様子はないけれど、じっと見つめているとじわじわと頬が赤くなってきた。
「姉様、ウィリアムは元気ですよ。それに、今日は僕が見ていますから、心配しないでください」
「セレーネ。……そうね、何かあったら、すぐに教えてくれる?」
「勿論です」
元々とても理性的だったけれど、年が明けて十五歳になったセレーネは、ますます頼もしくなったようだ。九歳になったウィリアムも、セレーネにはとても懐いて慕っている。
「メル様! こっちこっち! 多分沢山生えてる!」
レナに声を掛けられて、行きましょうかと声を掛けると二人とも頷いた。
「この辺りは間伐の後苗木を植えている区域なので、新しい苗木を踏まないように気を付けてね」
エンカー地方と隣国のルクセン王国を隔てるモルトルの森は広大かつ深部へ人間を寄せ付けない深い森だけれど、人口が増え木材の需要が上がる一方のエンカー地方では現在、伐採による樹木の密度の調整と、新たな苗木の植林を行っている。
前世でも繰り返し歴史が証明しているけれど、無尽蔵にあると思って資源を使い続ければ、いずれ枯渇し繁栄は根元から瓦解するものだ。
人類最古の文明からして、環境による砂漠化や塩害、洪水が滅亡の原因になったという説があるほどなので、人類の進歩と環境破壊は切っても切り離せない関係なのだろう。
森を切り開くことで開拓を続けていたエンカー地方の人々に、森の維持の必要性を理解してもらうのは、相当に骨が折れた。最終的にはメルフィーナの言う事だからそうなのだろうで納得してもらったけれど、実際にこの方法に納得してもらえるのは、何度も世代交代が終わった後かもしれない。
「メル様、こっちこっち! あったよ!」
レナの声に向かって進むと、やや開けた場所に出る。足元には緑が一杯に広がり、小さな赤い実がたわわに実っていた。
「すごいわレナ、どうしてわかったの?」
「うーん、なんとなく? 去年も摘んだし、お日様の入り方とか、草の茂り方でわかるよ」
「ああ、俺も結構分かる。でも分かんない奴はほんとに全然分からないみたいだな」
レナの言葉に兄のロドも頷いてみせる。もしかしたら彼の持つ「才能」が何かしら働いているのかもしれない。
「手分けして摘みましょうか。籠いっぱいに摘んで、みんなのお土産にしましょう」
わっ、と子供たちはいっせいに散ってしゃがみ込む。メルフィーナはマリーとともに形のいいものを選んで籠に入れていくことにした。
「これって、そのままでも食べられるのでしょうか」
「「鑑定」してみたけど、大丈夫なようよ。でも、洗ってからにしたほうがいいわ」
親指の先ほどの大きさの赤い果実をまじまじと見ながらつぶやくマリーに、メルフィーナが答える。オーギュストは護衛役なので、立ったまま周囲に視線を走らせていた。
「これ、砂糖の塊と蒸留酒に漬けて果実酒にしてもきっとおいしいわね。甘酸っぱい、真っ赤で綺麗なお酒が出来ると思うわ」
「砂糖と漬けるんですか?」
「ええ、今使っているのよりもっと大きな、氷の塊みたいなサイズに固め直した砂糖を使うの。それ自体は結構簡単に出来るはずだけど、砂糖の在庫がそろそろ乏しいわね」
周りに人がいないことを確認して、内緒話をするように言う。
料理に使ったり、たまにお菓子を作ったりする分には問題ないけれど、大量の砂糖を溶かして固め直す氷砂糖は一気に残った棒砂糖を消費してしまう。
「来年の今頃にはそれなりの量が確保出来るようになると思うから、そうしたら季節ごとに採れる果物で、色々な果実酒を作ってみましょうか。すぐりや、山林檎でもきっと美味しいお酒が出来るわ」
漬け込みで作るお酒といえば、前世の梅酒だけれど、この世界で梅に似た果実を見たことはない。もしかしたら探せば近縁の果実はあるかもしれないので、機会があれば色々と試してみたいものだ。
のんびりとお喋りをしながら野イチゴを摘んでいると、子供達が籠を一杯にして戻ってくる。それぞれが持てるだけのサイズの籠を渡したけれど、だいぶ大漁なようだ。
「取り尽くしたら鳥やリスたちに恨まれてしまうから、これくらいにしましょうか」
マリーとメルフィーナの籠はまだ半分ほど余裕があるけれど、子供達に分けてもらうことにして、馬車を駐めた場所まで戻ると、兵士たちが天幕の布を敷き、くつろげるスペースを作ってくれていた。籠を置いて、子供たちはまだ遊び足りない様子でそわそわとしている。
「あと一時間くらいで昼食にするから、みんな、馬車が見える場所より遠くには行かないでね」
「はーい!」
元気に返事をすると、じっとしていられないというようにロドとレナは走り出してしまった。二人はモルトルの森に慣れているし、後ろをフェリーチェが付いて行ったので、きっと大丈夫だろう。
「セレーネとウィリアムはどうするの?」
「僕は少し、植物のスケッチをしようかと思います」
「私もセレーネ様と一緒です」
「そう。そろそろ小さな花も咲くころだと思うから、楽しんで」
二人は頷き合って、植物紙と画板代わりの小さな板を持って歩いて行った。
「メルフィーナ様、あちらに小川が見えたので、行ってみませんか」
「ふふ、いいわね。水に足を浸けてみたいところだけれど、まだ冷たいかしら」
「こほん……。俺がいるっていうのも、忘れないでくださいね、メルフィーナ様」
「冗談よ、オーギュスト。それに、ブーツを脱ぐのは少し面倒だもの」
「そういう理由ですかー」
慎み深いレディは素足を夫以外の異性には見せないものという価値観は、この世界にもしっかりと根付いている。メルフィーナは圃場に出ることもあり、地面を引きずるようなスカートは避けているので、編み上げのブーツを履いていることが多い。
気楽な靴を履くのは、夕食を終えてサウナに入り寝室に移動する時くらいのものだ。
小川は本当に小さな川で、水源から小さく分岐した流れという感じだった。辺りには草が生い茂っていて、川までは近づけそうもない。
遠目に川を眺めながらマリーと並んで歩いていると、ふと草陰に記憶にある形の草を見つけて、一本摘んでみる。
細長い茎の先に、緑の麦の穂に少し似た穂先が付いている。「鑑定」してみると、やはり知っている名前だった。
「森の恵みが、こんなところにもあったわ」
「それは、草ですか?」
「アスパラソバージュよ、食べたことない?」
マリーもオーギュストも首を横に振る。
野生のアスパラと呼ばれているけれど、品種としては別のものだ。前世で家族旅行で軽井沢のオーベルジュに泊まった際、朝食で食べたことがある。
「さっと茹でて食べてもいいし、お肉と合わせても、スープに入れてもよく合うわ。せっかくだから摘んでいきましょう」
籠は置いてきてしまったので、束になるまで摘んだものの、よく見るとそこら中に生えている。
低い視線で探してみると、クマネギやフキノトウもあちこちから顔を出していた。
「モルトルの森って、本当に豊かなのね。秋はキノコ類も色々と穫れるというし」
「メルフィーナ様……」
「春の恵みってちょっと苦みがあるけど、すごく美味しいの。領主邸に戻ったら、色々と作るわね」
クマネギは、行者にんにくと呼ばれていたものによく似ている。天ぷらもいいけれど細かく刻んでオムレツに入れたり、ニンニクと葱の中間のような味がするので餃子に入れたりしてもいいだろう。
両手では足りなくなって、スカートのすそを持ち上げて籠の代わりにぽいぽいと放り込んでいく。貴族らしいとは言い難いけれど、下にも一枚、足元が隠れる長さのワンピースを着ているし、脚だって見えていないからきっとセーフだ。
「……俺は何も見ませんでした。マリー様、そこのところ、重々よろしくお願いします」
「承知しています」
マリーとオーギュストは何かしら言い合っているけれど、川の近くに見えるあれはクレソンではないだろうかと目を奪われていて、メルフィーナの耳には届かなかった。
オーギュストも大分メルフィーナに振り回されるのに慣れてきました。
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