220.流行と赤い宝石
ハートの国のマリアの舞台は、王宮とその周辺がメインである。
エピソードの中には四つ星の魔物の討伐をしたり飢饉の救済をしたりするルートもあるけれど、降臨してしばらくは王都に滞在し、そこで攻略対象と出会いを果たすはずだ。
今は眠りについているユリウスを目覚めさせるために、聖女に会うべく、いずれ王都に向かう必要がある。
攻略対象であるアレクシスは、北部の手記にあったかつてのオルドランド公爵と同じ流れで王都に向かうはずだ。それに同行させてもらうのが、最も確実にマリアと接触する方法だろう。
けれど、マリアにエンカー地方まで来てもらうのは容易ではない。
原作のゲームでマリアがエンカー地方に赴くのは、アレクシスルートに入り、かつ飢饉の救済のためだった。
マリアがアレクシスルートに入ったとしても、現在飢饉の影が全く見当たらないエンカー地方にまで足を運ぶ理由がなくなってしまった。
破滅を逃れるためにマリアと関わらないように王都を避け、領地を富ませてきたというのに、皮肉な話である。
ゲームの中では宮廷生活を過ごしながら攻略対象との絆を深め、誰と恋に落ちるかを主軸として描かれていたけれど、現在飢饉に見舞われているすべての領地が、マリアの救いを求めるはずだ。
その中でマリアをエンカー地方に招き、ユリウスを救ってくれるよう依頼するのに、大きな政治力と財力の他、王都での縁も必要になるだろう。
王都育ちのメルフィーナだが、親しいと言える相手はおらず、社交界に精通している母親も頼れる相手ではない。
足りなくなると思われる部分は、今から埋めておく必要があった。
「勿論、それがメルフィーナ様の望みでしたら、その折には喜んで協力させていただきます」
「期待しています。赤豆煮の作り方はそれほど複雑なものではないけれど、一度うちの料理長とそちらの料理人が立ち会って一緒に作ってみたほうがいいかもしれないわ。それから、甘い赤豆煮はおそらく大きな流行になると思います。来年以降の相場には十分に気を付けてください」
「赤豆の争奪戦と、それによる赤豆の高騰ですね」
さすが、この世界で有数の商人として成功しているレイモンドである。メルフィーナの言わんとすることを一瞬で理解したようだった。
まだまだ多くの地域で物々交換が当たり前で、貨幣での取引が限定されているこの世界では、あずき相場という言葉はまだ「発見」されていない。
農作物は地産地消が基本であり、領主や地主に納める小麦以外の野菜や芋、豆類は遠くに運ぶメリットが少なく、他所で売ったところで大した利益も出ないからだ。
「今年は豊作で安価という話でしたが、あくまで現状の利用方法の中では、ということです。ロマーナ共和国の一部で食されている程度なら作付面積もそれほど広いわけではないでしょうし、来年以降も同じ量が穫れるとは限らず、また、同じ量が穫れても全く需要に追い付かないでしょう」
需要に対して供給があきらかに追いつかなければ、売る側はより高値を出す方に販売することを選ぶのは自然な流れである。
その結果価格は高騰し、来年以降収穫される赤豆に「予約」が殺到する、いわゆる投機バブルを迎えることになる。
「まずは貴族や一部の富裕層に少しずつ広めるのがよさそうですね。同時に作付面積を広げるよう依頼し……いや、いっそ商会で直営の農場を持つ方がよいかもしれません」
口元に指を当てて、ぶつぶつと呟いているレイモンドに、その後ろにいるショウが僅かに眉を寄せるけれど、メルフィーナの視線に気が付いて、すぐにすっと真顔に戻ってしまった。
レイモンドからの個人的な好意とは裏腹に、この護衛にはどうも、出会った頃からあまり好かれていない気がする。
――レイモンドの「秘密」は生命に関わるものだし、護衛の立場としては仕方がないわね。
続編の攻略対象の片方は明らかにレイモンドで、もう片方はこの護衛であり称号を戴いているショウなのだろう。
この二人の個人的な関係がどのようなものかは窺い知れないけれど、ゲームの中ならともかく目の前にいる二人の男性が一人の女性を奪い合うことになるかもしれないとなると、なんとも気まずい話である。
どちらにせよ、メルフィーナとしてはレイモンドが自分に抱いている誤解も困ったものだと思っているし、隣国の王位継承のごたごたに首を突っ込むつもりなどこれっぽっちもないので、必要のない警戒である。
「それは、あまりお勧めできませんね」
この世界にも投資家は存在するし、加工食品を売る商会が自社農園を持つのは特別珍しいことでもないけれど、やや先走っている様子のレイモンドに声をかける。
「なぜ、と聞いてもよろしいでしょうか」
情報は利益になることが染みついているのだろう、慎重に尋ねるレイモンドに、メルフィーナは静かに微笑む。
「豆の多くは、同じ畑で続けて作ることが出来ません。おそらく赤豆も、一度収穫すれば、野菜や蕪、小麦などを間に植えて二年から三年ほど、その圃場は赤豆に使えないでしょう。現状所持している圃場に植えるならば問題はありませんが、赤豆のためだけの畑を作るのは、おそらく現実的ではないと思います」
「ああ……小麦のように、続けて作ると問題が出るという事ですね」
「お勧めは、すでに広大な圃場を持つ信頼できる領主に、数年に一度赤豆を作ってもらい、それを買い付ける契約をすることです。小麦の間に豆類を植えるのは一般的なので、それを赤豆にすることは難しくないと思います」
「なるほど。ですが、信頼のできる、というのが、一番大きなハードルになりそうです」
そう言って、レイモンドは苦笑を漏らす。
大獅子商会の倍の値段を出すと言われてもそれを撥ねのけられるほどの信頼は、なかなか難しいだろう。
「赤豆の値段が高騰すれば、いずれ赤豆は、赤い宝石と呼ばれるようになるかもしれませんね」
「赤い宝石ですか。なるほど。……すでに私には、輝く原石のように見えています」
新しい技術は新しい商機を持ってくる。レイモンドの頭には、このチャンスをどうやって大きくするか、様々な案が浮かんでいることだろう。
「赤豆をいくら買い占めても、これがなければあの甘い赤豆煮にはなりません。模倣しようにもしばらくは難しく、今回隊商が食べていたような渋みのある煮豆になってしまうでしょう。その分、流出には十分に気をつけてください」
これ、と種麹の入った小壺を手のひらで指すと、レイモンドは神妙な表情で頷く。
「ありがとうございます、メルフィーナ様。倉庫を埋める赤豆の消費どころか、長く続く商売を提示していただいた恩は、決して忘れません。メルフィーナ様が必要な時に、大獅子商会は必ず、お力になると約束します」
「期待しています」
真摯に頭を下げたレイモンドにメルフィーナも微笑んで応じる。
王都での足掛かりはいくらあってもいいけれど、不意に懐かしい味をもたらしてくれたことに素直に感謝したい気持ちもある。
――未来には、赤豆を使った色々な食べ物が、ロマーナ共和国と北部の端のエンカー地方で流行するかもしれないわね。
それぞれ独自の発展を遂げるだろう赤豆のスイーツが、なんとも楽しみだった。
GWが終わってしまいますね……