217.赤豆と懐かしい味
一通り歓談していると、準備が出来たそうですとアンナが声をかけてくれる。城館の前庭に出ると、すでに子供たちははしゃいだ様子でずらりと並べられた品物を見て回っていた。
定期的に購入している植物紙や小麦粉、オイル類とは別に、隊商が積んできた荷物を見て買い物をするのは、メルフィーナのささやかな楽しみのひとつである。
季節によりドライフルーツの種類が違ったり、毛織物や金細工などが入れ替わったりするけれど、メルフィーナが宝飾品に興味を示さないことはすでにレイモンドも知っているので、並べられているのもほとんどは食品か実用品だった。
「あら、これは初めて見る豆だわ」
藁を編んで作った筒形のざるにたっぷりと入っている、濃い赤色の豆の前で足を止める。
「赤豆ですね。ロマーナの西のほうでよく食べられている豆で、去年は大豊作で値崩れを起こしていたので、隊商の食料として仕入れたのですが、他の豆と違ってあまりそれだけで食べるものではないらしく、少し持て余している状況です」
懐かしい濃いあずき色の豆の前で腰を屈めようとすると、慌てて大獅子商会の商会員の一人が籠をメルフィーナの見やすい位置まで持ち上げてくれる。
「ありがとう」
「い、いえ!」
親切にお礼を言うと、領主であり公爵夫人であるメルフィーナを前に緊張が強いらしく、声はかなり上ずっていて、首まで真っ赤になってしまった。あまり相手を気にしないほうがよさそうだと、豆の方に視線を向けた。
――あずきというより、ささげかしら。
前世で知っているあずきより少し大きいけれど、ささげというには艶がある。どちらにせよ、色や形はそっくりだ。一粒手に取って「鑑定」してみると、名前は赤豆と出た。
――相変わらず、この世界の植生ってよく分からないわ。
文化としては中世のヨーロッパがベースになっているようなのに、当たり前のようにカボチャやトマト、ナス、トウモロコシなどが手に入る。今のところ米や大豆、コーヒーやカカオなどは見かけないけれど、紅茶は存在しているし、東アジアでの生産がメインのはずのあずき、もしくはささげとそっくりなものがこうしてひょっこり手に入ったりする。
「レイモンド、これ、あるだけ譲ってもらってもいいかしら?」
幸い、エンカー地方は他の土地に比べて格段に作物が安価で購入できる。隊商に不評だというなら、赤豆を手放してその分エンカー地方で食料を購入した方がいいだろう。
「もしよろしければ、赤豆は差し上げますのでどのように食べるのか教えていただくことは可能でしょうか? ロマーナに戻ると、まだ倉庫の半分ほどに積み上がっているので」
温暖で麦作が盛んなロマーナ共和国はフランチェスカ王国より飢饉の影響は軽微なはずだけれど、無関係とも言いきれず、食料品として大量に購入したものの、普段食べ慣れない食材のため、大分持て余しているようだった。
「ここに来るまでは、どうやって食べていたの?」
「茹でてスープに入れるのが基本でしたが、茹でても中が硬く、僅かにえぐみもあり、あまり味の良いものではありませんでした」
「それはおそらく、渋が抜けきっていないのと、茹で時間が短いのが原因だと思います」
移動しながら商売をしている隊商にとって、食事は一日の楽しみのひとつであるのと同時に、出来るだけ手間や燃料を使わずに済ませたいもののはずだ。きちんと茹でれば美味しいとはいえ、あずきやささげが隊商の食料に向いているとは思えない。
「赤豆の食べ方をいくつか考えてみるので、試食してみて、いけそうならそのレシピで取引をしてもらえないかしら? 勿論、条件は話し合いで決めるということで」
「それは願ってもないことです。多少保存が利くとはいえいつまでも倉庫を埋めておくわけにもいきませんし、赤豆を育てている者たちも、値崩れしたままでは生活が立ち行かなくなるでしょうから」
「試作に少し時間がかかると思うけれど、今回はどれくらい滞在の予定かしら」
「三日ほどと考えていましたが、最長で七日ほどでしょうか。それ以降は連絡用の商会員を残していくことになります」
大商会の会頭ともなれば、時は金なりを地で行くのだろう。ひとまず試してみると約束し、ひとしきり買い物を楽しんでレイモンド達は城館を後にした。
買い取ったものの大半は領主邸の備品となるのでロイドが目録を作り、帳簿に記していく。赤豆と少量の小麦を持って厨房に出向くと、エドは休憩時間だったらしくお茶を飲んでいるところだった。
「エド、厨房を貸してちょうだい」
「はい! 何かお手伝いできることはありますか?」
そう言いながら、すでに視線はメルフィーナが手にした籠に釘付けになっている。新しい食材に非常に関心が高いエドらしい。
「ロマーナの隊商から豆を買ったので、おやつでも作ろうと思って。それと、新しい料理法の準備もしていくわ」
あずきもささげも、水に漬けずにそのまま煮て食べることができる。
赤豆を鍋に入れ、湯を沸かす。沸騰したら数分置いて赤豆を布に流し、再び水から茹でていく。再び沸騰したところで蓋をして、三十分ほど煮ていく。
「エド、卵と砂糖を混ぜて、湯煎しながらしっかり混ぜてくれる?」
「はい! 分量はどれくらいにしますか?」
「そうね……卵5個に砂糖を80グラムで。もったりと重たい感じになるまでしっかりと混ざったら声をかけてくれる?」
「はい!」
お菓子作りは慣れたもので、エドは手早く言われたとおりにしてくれる。それを微笑みながら見つつ、メルフィーナは先ほど購入した小麦を蒸していく。
「メルフィーナ様は、何を作られるんですか?」
興味深そうに聞いてくるオーギュストに、悪戯っぽく笑う。
「ものすごく驚くものかもしれないわよ」
麦を蒸している間にマリーにメルフィーナの菜園に保存している麦の葉をいくらか取ってきてもらう。「鑑定」を使いながらいくつか選別し、炙った壺の底に麦の葉を置いて蒸しあがった麦を熱いうちに軽く握り、壺に入れて蓋をして、布で包んでおく。
「エド、これを二、三日竈の傍に置いておいてほしいの。あまり冷やしたくないから、出来るだけ暖かい場所に置いておいてもらえる?」
「分かりました。でも、中身が蒸した麦だと腐ってしまいませんか?」
「腐敗ではなく、チーズのように食べられる菌がついている麦の葉と一緒に入れたから、多分大丈夫だと思うけれど、こういうのって出来てみないと分からないのよね」
「鑑定」である程度はコントロール出来るとはいえ、アルコール消毒などがない状態での発酵は腐敗菌の侵入しやすい状況である。メルフィーナのチーズも最初から全てが上手くいったわけではなく、初期は試行錯誤の繰り返しだった。
「やきもきしても仕方がないから、うまく行くことを祈りましょう。――そろそろいい匂いがしてきたわ」
煮えた赤豆の香りは、記憶にある前世のあずきと変わらないものだ。胸いっぱいになつかしさが広がる。
「煮えた赤豆に、数回に分けて砂糖を足していくわ。一度に入れると豆が固くなってしまうから、焦らず丁寧にね」
「メルフィーナ様、生地はこんな感じでどうですか?」
しっかりと共立てになっている生地にミルクと荒布で振るった軟質の小麦粉を足していき、ちょうど良い固さになったらフライパンで焼いていく。
「エドの両手の親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさで、たくさん焼いていって」
「分かりました!」
複雑な料理も難なくこなすエドである、小さな薄いパンケーキなど朝飯前のようで、赤豆の載った鍋以外の二つのコンロを使ってどんどん生地を焼いていった。
砂糖を入れ終わり、固さを調整して、最後に塩を少し入れる。鍋の中で半分ほど潰せば出来上がりだ。
スプーンで少し掬って口に入れると、どことなく風味は違っているけれど、記憶の中の餡子とよく似た味がする。
育てている場所も育て方も、品種すら同じかも分からないのに、不思議なくらいそっくりだ。
――前は和菓子が大好きというわけでもなかったのに、何だかとても、懐かしい。
前世の自分が子供の頃、祖母が作ってくれたおはぎを思い出す。
大きくて甘すぎて、半分も残してしまった自分を、祖母はちょっと大きかったねと穏やかに笑って、頭を撫でてくれた。
「マリー、子供たちを呼んできてくれる? おやつにしましょう」
「はい、ただいま」
たくさん焼いた生地と餡子を並べ、挟むのは子供たちにセルフでやってもらうことにする。
ロドは欲張ってはみ出るほど挟み、セレーネは形の良い生地を選んで綺麗な形に整え、ウィリアムは餡子は少なめの平べったいどら焼きで、レナは一枚に餡子をくるりとクレープのように巻いて食べるのがお気に入りのようだ。
「豆は塩味のスープに入っているものというイメージですが、甘く煮ても美味しいですね」
餡子に拒否反応が出る心配もしていたけれど、そもそも砂糖は滋養強壮の薬の一面が強く料理に使うことは殆ど無いので、餡子にこれといった拒否反応はなさそうだった。
「赤豆のペーストだけではすこし重たいけど、こうして生地に挟んで食べると食べやすいでしょう?」
「しかし、砂糖を大量に使いますね。貴族の軽食ならともかく、大量にある赤豆の消費には向かないと思いますが」
「これは私が食べたかっただけよ。そちらはそちらで、別の方法を提案するわ」
餡子を挟んで作ったどら焼きを齧ると、ふわふわと焼き上がった生地にしっかりと包まれた餡子の甘さが口の中で解け、懐かしさと切なさが去来する。
目を閉じると、前世の自分の部屋に戻ったような気さえしてしまった。
1LDKで、ベッドと小さな机の上には閉じたノートパソコン。テレビとゲームのハードがあり、枕元には充電器につないだスマートフォン。
あまり沢山は置けないと分かっているのにそれでも捨てきれない漫画と小説は増える一方だった。
目を開けば、隣にはマリーとオーギュストがいて、向かいの席では一つ目を食べきった子供たちが、二つ目のどら焼きを作っている。
これが、今の自分の生きている場所だ。
前世を懐かしいとは思うけれど、恋しいとは感じなかった。
――あとは、緑茶があれば完璧ね。
この世界には紅茶があるのだから、緑茶だって探せばあるのではないだろうか。
レイモンドに聞いてみようかと思うメルフィーナだった。




