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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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214.地下室の匂いと魔力の量

 住人が寝静まった真夜中の領主邸は、しんと静まり返っていて、歩く衣擦れの音や自分の吐息すら、やけに耳についた。


 階下に下りてかつてセドリックが自室にしていた物置きのはす向かいにある木製のドアを開く。その先は地下に続く階段になっていて、石造りということもあり、冷え切った空気が満ちていた。


 魔石のランプを灯すと、アレクシスが先に下りて手を差し出してくれる。ありがたくエスコートを受けてしばし階段を下りると、地下室にたどり着く。

 今は敷地内に醸造所が出来たのでほとんど利用されなくなっているけれど、ここは元々エールの保存庫として使われていた小部屋で、それほど広くない。今でも特別製のエールだけはこの小部屋で造っていて、ラッドやクリフ、エドも時々下りて必要な時にエールを持ち出していた。


「ここにあるのは、全部「特別製」なの。ここまでは鍵が必要ないから、飲みたければ好きに飲んでちょうだい。手前が飲み頃で、奥に行くほど若い樽よ」

「いいのか?」

「ええ、部外者にはあまり入られたくはないけれど、ここは特に秘密というわけではないの。ただ、樽を持ち出すのは避けてちょうだい。すごく高価な樽だから」

「特別製は、樽から特殊というわけか?」

「……知りたい?」


 悪戯っぽく聞くと、アレクシスは真顔で、少し迷うように顎のあたりをさする。

「特別製のエールがソアラソンヌでも飲めればとても素晴らしいことだと思うが、反面、ここでしか飲めないからこそ価値があると感じるかもしれない」

 王都では氷の公爵と呼ばれているアレクシスがそんなことで悩むように呟くのがおかしくて、思わずくすくすと肩を揺らす。


「樽の秘密なんか知らなくても、いずれ飲めるようになるわ。今は長距離輸送に耐えられる特別製のエールの開発をしているから、開発に成功したら、真っ先に公爵家に卸すことにするわね」

「それは楽しみだ」


 そんな話をしながら少し進めば、もう小部屋の最奥にたどり着く。そこから奥は壁で隔てられていて、もう一枚、ドアが設置されていた。


 頑丈な樫で作られたもので、カギはメルフィーナだけが持っている。首から提げたそれを差し込んで回すと、ガチリ、と重たい金属の擦れる音が響いた。


「ようこそ、領主邸の秘密の地下室へ。ここに立ち入ったことがあるのは、私を入れて五人目よ」


 普段は閉め切っていることもあり、空気は沈殿しているように重たく、その中を独特の香気が漂っている。アレクシスもすぐに気づいたらしく、すん、と鼻を鳴らした。


「なにか、甘い匂いがするな」

「今は男手がなくなったので製造を止めているけれど、セドリックがいた頃はここで砂糖を作っていたから、匂いが染みついてしまっているのね」


 その他にもチーズの熟成を試してみたり、特別製のエールのための酵母の選定を行ったりしていたので、全体的にうっすらと酵母や発酵食品の匂いもする。

 現在のエンカー地方の特産品は、ほとんどがこの地下で生み出されたと言っていいだろう。


「随分前から秘密を抱えていたわけか」

「醸造所も移したし、チーズも事業化してまさかこんなことに使うとは、私も思ってもいなかったわ」


 ドアの向こうに続く廊下の一番奥まで進み、魔石のランプを点けると、氷の魔石で冷やされた部屋の中央にユリウスが横たわっている。

 運び込んだ時に木箱を並べた上にアルファが下ろしてくれたけれど、そのまま埋葬を待っているような姿に無意識に唇を引き締める。


 こんな状態でも、ユリウスは眠っているだけだ。相変わらず目を閉じたまま氷に包まれているけれど、少し見ない間に、その氷がやや厚くなったようだった。


 一目見ただけでは、到底この氷の中でユリウスが生きているとは思えないだろう。アレクシスも引き締めた表情で、じっとユリウスを見下ろしていた。


「これから「浄化」を試してみるわ。もし私が倒れたら、マリーやオーギュストには気づいたら昏倒していたと言っておいて。前にもあったことだから、マリーは納得してくれると思うけれど、もし二人に責められるようなことがあったら、目が覚めたらちゃんと弁明するから」

「倒れることを前提にしないでくれ。君は無茶が過ぎるな」


 呆れたように言われて、小さく笑う。

 今回の件は、アレクシスには何の得もない、取引ですらない「お願い」だ。マリーやオーギュストに一時でも誤解で責められるような状況に陥るかもしれないのに、彼が案じているのはメルフィーナのことであるのが伝わってくる。


 彼に家族なのだと言われなければ、到底こんなことは頼むことは出来ず、ユリウスに新しい方法を試すことも出来なかっただろう。


「その時は完全な事故だったのよ。それに、無茶をする必要がある時だって、きっとあるわ」


 魔力中毒の恐ろしさなどその時のメルフィーナは知らなかったし、中毒が起きるほど自分に魔力があるとも思わなかった。

 今だってあれを繰り返すかもしれないと思うのは恐ろしい。それでも、試してみたい気持ちのほうが強い。


「頼りにしているわ、アレクシス」


 そう告げて、布の手袋を外し、ユリウスに触れる。覆う氷が刺すように冷たい中、意識をこめて「鑑定」を発動させる。

 けれど、頭の中に浮かんでくるのは今世で慣れ親しんだ言葉だった。どうやら表面の氷を「鑑定」しているらしく、短く魔力が結晶化した氷であると出る。


 ――もう一度。


 鑑定結果は同じ。魔力で出来た氷ばかりが頭に思い浮かび、肝心のユリウスの情報が出てこない。


「……駄目だわ、表面を覆っている氷で止まってしまうみたい」


 三度繰り返して、指の感覚がなくなってきたのでいったん中止する。感覚が鈍くなった指をもう片方の手のひらで包み込むように握って、メルフィーナは白いため息を吐いた。


「きっと、私の魔力が少なすぎるせいね」


 以前ユリウスに教えてもらったことだけれど、「鑑定」には魔力によって範囲を指定する層がある。この層が接していれば、実際に鑑定するものに触れる必要すらないらしい。


 かつて、この国で最も魔力が強い魔法使いであるユリウスは、翳した手のひらの下でコップ一杯分の水を「鑑定」の層に取り込み、さらに浮かせて見せる真似をしてみせた。


 一方メルフィーナのそれはあまりに小さく薄くて、エンカー地方に来てからは「鑑定」を多用していたというのに、ユリウスに学ぶまで気づくことすらなかった。


 学んだ後も結局対象に直接触れることで発動させているけれど、これが薄すぎて、ユリウスの肉体を覆う氷しか「鑑定」できないらしい。

 魔力が少ないことがここまでもどかしく感じたのは、久しぶりだ。


 ――氷を一部を溶かしてみる? けれど、ユリウスはギリギリの状態だった。下手なことをして万が一目が覚めたら、すぐに魔物に変わってしまいかねない。


 この上には領主邸が建っており、そこにはメルフィーナの親しい人たちが暮らしている。失敗した時のリスクが大きすぎる。


 自分だけで済む問題ではないのだ、そんな危険は冒せない。


「……やっぱり、私では力不足ね」


 もしかしたら事態が好転するかもしれないという希望はあっさりと砕けて、自然と肩が落ちる。

 もっと自分に強い魔力があれば、今頃ユリウスは目覚めて、おや、レディ、おはようございますなんておどけて言っていたかもしれないのに。


「強い魔力があっても出来ないことを、君はやってのけている。その逆もたまにはあるだろう」


 アレクシスは不器用だけれど、それが慰めの言葉であることは伝わった。目を伏せて、胸の前で祈るように腕を組む。


「また来るわ。決して諦めないから」


 ひとつが駄目でも、次の手を考えればいい。

 魔力を強くする方法だって探せばあるかもしれないし、夏になればマリアだってこの世界にやってくる。


 地下室から出て、アレクシスはメルフィーナを寝室まで送ると、気を落とさないように短く言って、あてがわれた客間に戻って行った。それを見送ってから寝室の鍵をかけて、ベッドに転がる。


 仰向けになって天井に向けて、指を開いた手をかざし、この手で出来ることと、出来ないことを考える。


 魔石、魔物、魔力。「鑑定」と「浄化」に、更新履歴の項目と、この世界と前世の関係。

 色々なことが頭に浮かんでは、まとまらないまま泡が弾けるように消えていく。


「……駄目ね、思ったより、落ち込んでいるみたい」


 前世を思い出してから、この世界で出来ないことや無いものは仕方がないと、何度も諦めてきた。それは前世に執着を持っても、生きていくのが辛くなるばかりだと無意識に分かっていたからかもしれない。


 それでも、今夜はもっと自分に力があればよかったのにと、それを痛烈に思う。


 いつもならばとっくに眠っている時間だと言うのに中々眠気が訪れることはなく、何度も寝返りを打つことになった。


地下室には実際は技術者や大工など色々な人が入っていますが、秘密の詰まった地下室に招いたことがあるのは自分・マリー・セドリック・レナ、新しくアレクシスで5人という認識です。ユリウスは寝ている、アルファはユリウスを運んでくれただけなので除外しています。

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