209. 魔物談義 前編
加筆修正いたしました。
改稿の文字は数日後、削除します。
応接室に移動し、オーギュストから魔物についてレクチャーを受けることになったけれど、メルフィーナの秘書であるマリーはともかく、セレーネ、ロド、レナ、ウィリアムにまで同席を願われた。
魔物はこの世界では大きな脅威であるのと同時に、非常に残酷な現実でもある。子供たちに聞かせるのはと難色を示したメルフィーナに、マリーもオーギュストも、意外そうな目を向けた。
「魔物は恐ろしい害ですから、知識があるに越したことはないと思いますよ。セルレイネ殿下には恐れ多いですが、領主邸に滞在している子供たちはみんな賢いので、将来的にも良い学びの機会になると思います」
オーギュストの言葉に、珍しくマリーも同意して頷く。
「魔物の知識があれば、いざというときに対処できることもあると思います」
「そう……そうね」
メルフィーナとしては、問題に対処するのは大人の仕事であり子供にはそういったものから遠ざかっていて欲しいという感覚があるけれど、セレーネとウィリアムはどちらも将来為政者となる立場であるし、ロドとレナはすでに城館内で仕事をしているれっきとした戦力でもある。前世の感覚で子供を問題から遠ざけようとするのは、却って良くない考えなのだろう。
人数分のお茶を用意して、車座になってソファに腰を下ろす。
「じゃあ、オーギュスト、聞かせてくれる?」
「この面子で教授役をするのは流石に緊張しますが、謹んで務めさせていただきます」
緊張という言葉の意味を本当に理解しているのか怪しい優雅な騎士の礼を執り、そう前置きして、オーギュストは話し始めた。
「まず魔物という存在の定義についてですが、こちらについては象牙の塔により示されています。いわく、心臓の代わりに魔石と呼ばれる核を持ち、肉と魔力が混じった状態の自律している半魔法生命体を総称して「魔物」と呼びます」
そのあたりは以前、途切れ途切れにユリウスから聞いたことがあった。レナは大丈夫だろうかとちらりと視線を向けるけれど、真剣な表情でオーギュストの言葉に聞き入っている。
「この肉と魔力の割合は、強い魔物ほど魔力の割合が高くなるそうです。実際、北部のプルイーナ討伐では、眷属のサスーリカは死体が残りますが、四つ星の魔物と言われるプルイーナは絶命すると核を残して他の部分は消滅します。死体が残る魔物も、その死体の肉や毛皮を利用することは出来ません。帯びた魔力が強いので生き物には害になりますし、あっという間に腐敗がはじまるので」
「北部の冬で、そんなに早く腐敗するものなの?」
「ええ、食べ物なんかよりずっと早いですね。二時間ほどもすれば悪臭と魔力を周囲に放つので、土魔法で穴を掘って死体を投げ込み、火を放つか埋めてしまうのが一般的な処理です」
その場合、魔物が帯びている魔力はどうなってしまうのだろうとメルフィーナは思う。
魔力は生き物にとって毒に近いものだ。埋めれば消えるものでもないだろうし、火で無毒化するとも限らない。空気に溶けたり大地に混じったりして、長く良くない影響が出る気もする。
「魔石は魔物の核であり、放置しているとそこから同じ個体が再発生するので回収し、袋や箱などに入れて神殿に運び、浄化を行います。浄化した空の魔石に人間が魔力を入れることで、我々の身近な魔石を使った道具として利用できるようになるわけです」
「魔物の再発生まで、どれくらい時間がかかるか検証はされているのかしら?」
「騎士団や冒険者が倒した魔物の魔石は全て浄化されてしまいますから、実際のところ、民間での研究はされていないと思います。おそらく象牙の塔ではそれなりに調べているのでしょうが、その情報が降りて来ることはないですね」
象牙の塔はフランチェスカ王国――すなわち、王家直属の研究機関である。
その情報は王家の所有物であり、財産だ。オーギュストの言葉通り、そうやすやすと広まることはないのだろう。
「再発生する、というのはそう言われているというだけで、事実かどうかは不明ということね」
「まあ、実際放置して再発生させてみるわけにもいきませんしね」
オーギュストは軽い口調で言うけれど、ユリウスの心臓を取り出して肉体を埋葬した後、その心臓から再び同じ「ユリウス」が再生するというのは、メルフィーナには俄かには信じがたい。
――もっと小さな……それこそ虫よりももっと原始的な単細胞生物のような生き物ならばまだしも。
「アレクシスは、虫型の魔物が最悪だと言っていたけれど、それはどうして?」
「魔物はおおむね、どの個体も動物に近い姿をしています。北部で一番多いのは四つ足の獣の姿で、単独型と王型に分かれます」
王型というのは、巨大な一個体を中心とし、その周囲を眷属が付き従っているタイプを言うらしい。プルイーナとサスーリカは典型的な王型の魔物なのだという。
単独型は逆に、一個体が発生し、害を為す。狼や狐、イタチといった肉食の獣の姿をしていることが多く、その被害も狂暴な肉食獣のそれとほぼ変わらない。魔力が強いと周辺の生き物や作物に害が出るので、野生生物の獣害より深刻な被害を出すのだという。
「魔力は、作物にもよくない影響を出すのね」
「プルイーナの現れる平原は、文字通り不毛の地ですしね。プルイーナの魔力が強すぎて野草もほぼ生えることが出来ず、剥き出しの土の上を風が走るばかりの土地です。それでもかつては大きな街があったというから、魔物はまさに人間の天敵といえるでしょう」
「四つ星の魔物は毎年決まった周期で発生するというけれど、その核も毎回、回収しているの?」
「はい。四つ星の魔物の魔石は人間が利用できないので、神殿に預けられ、浄化、安置されます」
「一年に一個の魔石を、ずっと神殿が保管しているということ?」
「それ用の安置所があり、プルイーナの被害者や戦死者の慰霊碑も兼ねていますよ。魔石の安置所は見学出来ませんが、慰霊碑までなら誰でも詣でることが出来ますし、北部の兵士たちの遺族にとっては、一生に一度でも祈りに行きたい場所でもあります」
兵士は平民やあまり身分の高くない農家の人間が多く、その家族も仕事を休んで祈りに向かうほど、日々の生活に余裕がないことが多いのだろう。
それでも、北部のために果敢に戦った家族と兵士たちの魂の安寧のために祈りを捧げたいという希望は大きいものらしい。
「……私からも、寄付をして構わないかしら」
「慰霊碑の管理や運営にも何かと予算が必要なので、喜ばれると思いますよ」
「ではいずれ、そうさせてもらうわ」
ややしんみりとした空気になってしまったけれど、話はまだこれからだ。
改めて背筋を伸ばし、オーギュストを見ると、いつも軽妙でどこかふざけた雰囲気を出している騎士は、やけに凛々しい表情で微笑んでいた。
「虫の魔物についてですが、これは王型、単独型とはまた別に、群生型と呼ばれる形態をしています。虫を模した魔物は必ず群れ、それも小型の魔物が大量に、率いる者なく現れます」
その言葉に、真っ先にメルフィーナの頭に浮かんだのは蝗害と呼ばれるものだった。
バッタが群集することで群生相とよばれる形に変異し、一回り小さくなり、飛行能力が上がり、そして暴食になる。農作物を激しく食害し、それどころか木造の家の壁やモルタルまで齧る悪夢のような存在だ。
蝗害だけでも天災と呼ぶにふさわしい大規模な被害が出るというのに、その群れが魔力を帯びていたとしたら、まさしく悪夢だろう。
領主として、一人の無力な人間としても、ぞっとする想像だ。
さりげなく胸元に手を添えて、気持ちを落ち着けるように息を吐く。
――エンカー地方ほど寒冷な土地には蝗害はまず起きない。
魔物と普通の虫とではまた違うかもしれないけれど、ひとまずそれを信じたいものだ。
「実際に、虫型の魔物が出たら、人間は手も足も出ない気がするのだけれど」
「火を使って応戦するようですが、実際、大変な被害ではありますね。群集型の魔物が出た例は記録される限りで三回、スパニッシュ王国で一度、ブリタニア王国で一度、そしてルクセン王国で一度ずつ発生しています」
セレーネの母国の名前が出て思わず視線を向けると、セレーネも神妙に頷いた。
「何百年も前のことだそうですし、ルクセンを襲ったのは虫型ではありませんでしたが、都市が一つ潰されました。現れたのはネズミ型の魔物で、通り過ぎた後は疫病が発生し、水が汚染されて多くの人が亡くなったそうです。騎士を派遣しても、大量に発生したネズミの魔物に食われるか、病を広げるばかりだったので、当時のルクセンの王は最終的に、その都市そのものを封鎖し、火を放つことで浄化したと学びました」
都市ひとつと引き換えに国を守る。
まさに、為政者の冷徹な判断と言うべきだろう。
もしも同じことがエンカー地方に起きて、フランチェスカ王国全土に疫病を広げる可能性があったとしたら、自分も同じ判断をすることが出来るのか、わからない。
「本当に、恐ろしいのね」
「ええ、これまで発生した土地や国に関連はなく、完全に突発的なものであると予想されます。小型である分魔石はクズのようなもので使い道はないので、全て火にくべて焼いてしまいますが、その分魔力による土地の汚染も比較的軽微で済む傾向があります。ですから、閣下の言うように可能性は低く、そして起きてしまったら最悪の事態というわけですね」
現在非常に多忙なため、更新が不安定になります。




