206.室内遊戯と負けず嫌い
差し出された包みを開けると、額に入った正方形の板が三枚重なっていた。縦横八マスに区切られ、六十四個の駒は片面が白、片面が黒に着色されている。
その駒のひとつを指でつまみ、ひっくり返し、思わずほう、と息が漏れた。
機械加工などあるはずもないのに、手仕事でここまで正確に同じ大きさの駒を揃えているとは、職人とはすごいものだと改めて思う。
メルフィーナの隣に座っているマリーも興味があるようで、駒をつまみ、矯めつ眇めつして見ている。
「素敵な出来だわ。駒も随分丁寧に作ってくれたのね」
前世の記憶にあるものより大分厚めではあるけれど、十分実用に足る形をしている。ボードも丁寧に処理されていて、端には小さな意匠が彫り込まれていた。
オークの素材を使っていてずっしりとした盤面は、オセロと言うより上等なチェスの盤面のようだ。
「最初は厚めに切ったコマの片面を塗ろうかと思っていたのですが、結局もう少し薄い板を黒に染めて貼り合わせる形にしました。その分時間が掛かってしまって、申し訳なかったです」
「いえ、領主邸も少しゴタゴタしていたのが落ち着いてきたから、ちょうどよかったの。最近は暗い雰囲気が続いたので、いい気分転換になると思うわ」
本当に素敵な出来だと改めて褒めると、木工職人は照れくさそうに笑った。
「そのう、領主様。これよりもっと簡単な造りになりますが、同じものを作っても構わないでしょうか。試作品で弟子たちが試しに遊んでみたところ、かなり熱中するようになっていまして。遊び方自体は簡単ですし、冬の手仕事として、御許可いただけると助かるのですが」
「構わないわ。冬はやっぱり、お仕事が減るのかしら?」
「壊れた扉や鎧戸の修理といった小さな仕事は入りますが、夏のように大きな家具なんかの仕事は大分減ります。勿論、備えはしているので食べていけないほどではありませんが、腕が鈍るほうが心配でして」
冬は皆、最低限の仕事以外は家に引きこもるので秋までに準備を整えてしまい、冬は職人にとっても仕事が減る季節だ。そういうものだという前提ではあっても、やはり仕事が減るのは心許なく感じるだろう。
「娯楽はあったほうがいいし、欲しい人には作って売ってあげて。本当は貴族向けのお仕事ももっと発注させてもらえたらいいのだけれど」
こうした室内遊戯はむしろ貴族の間で流行して、少しずつ商人や職人といった比較的裕福な平民に下りていくものだが、何しろ現在、貴族との関わりが殆ど無いメルフィーナである。少し申し訳なく思っているとそれが伝わってしまったらしく、木工職人はいえいえ、と慌てたように首を横に振った。
「とんでもありません! こうした面白い仕事をまたやらせていただければ、その……光栄です」
「ふふっ、エンカー地方でこの遊びが流行れば、いずれ大会を開いたりするのも、いいかもしれないわね」
木工職人はそれは楽しそうですと笑って、謝礼を受け取り帰っていった。
「メルフィーナ様、それは、遊び道具ですか?」
それまで臨時の護衛騎士として後ろに控えていたオーギュストに尋ねられて、メルフィーナは頷く。
「ええ、本当はもっと早く作りたかったのだけれど、去年は木工職人がエンカー地方にいなかったし、春になってからはずっと忙しくて中々それどころではなかったから」
興味がありそうなオーギュストに三組あるオセロの盤面のうちのひとつを渡すと、角度を変えたり裏返してみたりと興味深そうな様子ではあったけれど、どういう遊び方をするものなのかは流石に分からなかったらしい。遊び方を問うように向けられるキラキラと輝く目は、ここにも好奇心の強い人が一人いたと思い出させるものだった。
「折角だから、皆で遊びましょう。団欒室にいるから、オーギュストはアレクシスを呼んできてくれる? 今日は部屋にいるでしょ?」
「閣下もですか? 遊びに興味がある性格ではないと思いますけど」
「いいのよ。一回だけで」
そう言って、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「私、一度アレクシスに完勝してみたかったの」
「……今更な気もしますが、声をかけてきますね」
オーギュストは複雑そうな表情で、応接室を出て行った。
「今更、って何かしらね?」
いつも身分に関わらず言いたいことははっきり言っているオーギュストにしては珍しく言葉を濁された気がして、隣のマリーを見る。
「言葉のままだと思います」
なぜか苦笑を向けられてしまった。
何が今更なのか不思議に思ったけれど、オーギュストもマリーも、それが必要ならばはっきりと言葉にする人たちだ。大したことではないのだろう。
* * *
団欒室に入ると、すでにセレーネとウィリアム、ロド、レナの子供たちがフェリーチェと遊んでいるところだった。
そのまま滞在している神官のコーネリアも子供たちの相手をしてくれていたようで、ミルクティーを傾けていた。
「あ、メル様! 用事終わったの?」
「ええ、面白いものを作ってもらったから、皆で遊ぼうと思って」
子供はいつも新しい遊びに目が無いものだ。メルフィーナが運んできたオセロにわっと飛びついて盤面やコマを眺めながらどうやって遊ぶものかと早速検証を始めている。
「このマスと駒の数が一緒だから、並べて遊ぶものじゃないかな」
セレーネが言うと、ウィリアムも駒を眺めながら「駒の片面が黒に塗られているから、白と黒を並べるんだと思います」と応じる。
「こうして並べて模様を作るとか? 楽しそう」
「それなら、紙に絵を描くより大分安上がりだな」
レナは早速駒を盤面に並べていて、面白がっている様子で、その隣でロドは妹の手遊びを眺めている。
「遊び方はこれから説明するわ。駒は小さいし転がりやすい形をしているから、失くさないように気を付けて」
はーい、といい子の返事を聞いていると、アンナが新しいお茶を淹れてくれて、オーギュストがシャツにトラウザーズというラフな格好のアレクシスと共に団欒室にやってきた。
「メルフィーナ、私は遊戯関係にはあまり詳しくないんだが」
「みんな初めての遊びだから、スタート地点は一緒よ。ルールはとても簡単だから、みんなに遊び方の説明をするのに一勝負、付き合ってもらえる?」
なぜ私がと顔にありありと描いてあった。オーギュストが言うように、大人数で娯楽のために遊ぶという習慣がまるで無いのが伝わってくる。
それでもそんな遊びに付き合っていられないと拒否するほどではないようで、テーブルを挟んで対面に座る。アレクシスの後ろからオーギュストが、隣にマリーが並び、メルフィーナの左右にはセレーネとレナが座って、後ろからウィリアムとロドが覗き込む形になった。
コーネリアはゲームにはあまり興味がないらしく、窓際のテーブルでセレーネのメイドとお茶を飲んでいる。
「まず、このゲームは二人で対戦する遊びで、真ん中の四マスに駒を白と黒に配置します。今回は私が白、アレクシスが黒でいいわね。先手は毎回何かしらの方法で決めるものだけれど、今回は私が説明がてら、先手を指させてもらうわ」
アレクシスは構わないというように頷く。
「こうして、駒を置いて、自分の色の駒に挟まった相手の駒をひっくり返して自分の色にします。駒が置けるマスは、必ず自分の色で相手の色を挟むマスだけで、それ以外のところには置けない決まりよ。それを交互に繰り返して、最後に盤面に残った色が多い方が勝ちになるわ」
「なるほど、ルールとしてはシンプルだな」
アレクシスは頷いて、すぐに白の駒を黒くひっくり返していく。数度、それが続いたけれど、メルフィーナが角を取り、一気に盤面が白く染まったあたりから目つきが次第に鋭くなっていった。
「……これは、中々奥が深そうだな。ただ駒をひっくり返すだけだが、それなりに戦略が必要なようだ」
顎をさすりながら駒を置く手に少しずつ時間がかかるようになっていき、最終的に盤面の七割ほどが白に染まったあたりで口元がむっつりと引き締められる。
最後のマスに駒が置かれ、白い駒が二つだけひっくり返ったところでゲームが終了した時には、駒の上はほぼ白で埋め尽くされていた。
「すごいです伯母様! 伯父様に勝ってしまいました!」
「姉様、次は僕と対戦してください!」
「レナも! レナもやりたい!」
「ルールは簡単でしょう? ゲームは3面用意してあるから、みんな交代で遊んでみて。順番に遊びましょう」
対戦の最中は息を呑んだように静かだった子供たちは、あっという間に興奮状態だった。さっそくロドとレナは新しい盤面に向かい合い、セレーネとウィリアムも自然とそれに倣う。
「アレクシスにこんなに簡単に勝ててしまうなんて、少し気分がいいわね」
少し冷めたお茶を飲みながら微笑むと、オーギュストははは、と苦笑いを浮かべていた。
「えげつないですね、メルフィーナ様……」
「……メルフィーナ、もう一戦、手合わせを願いたい」
「構いませんけど、次は何か賭けましょうか?」
「君の提示する条件で構わない」
随分大きく出たものである。しかし、そう言われるとあまりふんだくるのも気が引けるから不思議なものだ。
「では、私からはチーズとエールを樽でひとつ。アレクシスには……エドについてもらって、私の午後のおやつでも作ってもらおうかしら?」
「構わない」
鹿爪らしく頷かれ、二度目の対戦が始まると、アレクシスは一戦目の慎重さが嘘のように、初手から息を吐く暇もなく打ってくる。
――あら、あらっ?
パチンパチンと間断なく立つ音にメルフィーナも気おされて、つい打つ手が早まり、その分慎重さが追い付かなかった。からくも角を取り、駒二つ分で辛勝というところだ。
「……もう一度だ」
「いえ、次はマリーとやってみては」
「メルフィーナ」
いつの間にか、アレクシスの目は完全に据わっていた。
明らかに遊戯を楽しんでいるという様子ではない。
「ええと……」
三戦目、引き分けに持ち込み、四戦目でほぼ盤面が黒に染まったところでアレクシスは満足したようで、中々面白かったと言って団欒室を出て行った。
メルフィーナはオセロを四回やっただけだというのに、疲労困憊である。
「お兄様って、負けず嫌いだったんですね」
「そもそも生まれたときから負けたことが殆どないですからね。俺も閣下のああいうところ、初めて見ました」
妹と護衛騎士の言葉になるほどと思いつつ、メルフィーナも不敵に笑う。
「でも、最初の二回は私の勝ちだわ」
「……メルフィーナ様も、実はすごく、負けず嫌いなんですね」
「三度目の勝負を受けなければずっと勝ち越しでいられたのに、そう言うところ、真面目でいいと思います」
子供たちは大人げない勝負の行方などとっくに興味から外れたようで、それぞれ勝った負けたと大騒ぎである。それもすぐに切り替えて、相手を代えては楽しんでいた。
――あれがゲームの正しい遊び方だわ。
チーズとエールは取られてしまったが、一回分のおやつ権はもぎ取った。エドにおもいきり工程の多いおやつを指南してもらおうと目論んでしまう。
確かに、自分も少しだけ、負けず嫌いなのかもしれないなと思うメルフィーナだった。
「演算」もちは、この手のゲームではチート能力だと思います。




