205.「鑑定」と「才能」
ぐるぐると渦巻く思考で気分が悪くなっていたけれど、それが少し治まった頃、レナを離し、息を吐く。
「メル様、大丈夫? 気分良くなった?」
「ええ、少し落ち着いたわ。ありがとう、レナ」
えへへ、と照れたように笑う表情は、先ほど見た無機質な文字の羅列など比べ物にならないくらい、真実だと信じられる。
――この気持ちがシステムに騙されているというなら、私は、騙されたままでいいわ。
今の自分に心があるように、メルフィーナの周囲にいる人々にも心がある。
もしそうでないと思ってしまったら、もう何も、信じられなくなってしまう。
「ねえメル様、何が見えたの?」
元来好奇心の強いレナは、メルフィーナを気遣いながらも目を輝かせて尋ねてきた。すっかりユリウスに似てきた少女の頭を撫でて、どこまで話したものかと迷う。
「私やレナの、背の高さや体の重さといった個人的な情報の他に、能力……多分「才能」のことね、それも見えたわ」
「レナにも「才能」があった?」
「「解析」と「演算」って出ていたわ」
レナはぱっと目を見開いたあと、こらえきれないように喜色を滲ませる。
「お兄ちゃんが「分析」と「演算」だよね。「分析」と「解析」ってどう違うの?」
「どちらも、ある事柄をいくつかに分類したあと、細部まではっきりとさせるという意味よ」
「名前は違うけど、同じ「才能」ってこと?」
「ううん……例えば、ここに家を建てるために用意されたレンガの山があったとするわね。分析はこのレンガはどんな種類のどんな用途のもので、今ここに数はいくつあるのか、これから必要な数はどれくらいになるのかを調べることで、解析はそのレンガの山がどこの工房で作られて、素材の粘土はどこの土地から採取されて、どんな窯でどれくらいの温度で焼き上げられて、ここに運ばれてくるまでにどんな工程をたどったか調べること、かしら」
出来るだけレナに伝わるように例えてみたけれど、この二つにはそれほど明確な違いはないはずだ。実際、言語によってはどちらも同じ単語を当てることもある。
けれどわざわざ「分析」「解析」と分かれているということは、何かしら違う効果がある「才能」なのだろう。
「なんとなく、「解析」のほうが錬金術に向いてる気がする!」
「どちらも素晴らしい「才能」だと思うわ。でも、レナはまだ「祝福」を受けていないから、これは二人だけの秘密にしましょう」
「うん! これって、レナは、メルフィーナ様に「祝福」を受けたってことにはならないのかな?」
レナは素朴な疑問として口にしたようだけれど、メルフィーナは分からないと首を横に振る。
「才能」は、それを持っただけではいずれ失われる力であり、少年は教会で、少女は神殿で「祝福」を受けるとその「才能」を固定出来ることで知られている。
今までは、そういうものだとただ思っていたけれど、先ほどの「鑑定」の後だと、全てが疑わしく感じてしまう。
「才能」はなぜ放置したまま成長すると消えてしまうのか。
なぜ「祝福」を受けることによって、消えずに固定出来るのか。
そもそも「才能」とは何なのか。
そう考えた時に、思い出すのは才能が無かったと涙をこぼしていたメルフィーナの料理人であるエドのことだ。
エドは、メルフィーナの知識の底上げがあったにせよ、間違いなく現在、この世界において他の追随を許さない料理人だろう。
その彼に料理関係の「才能」が一切なかったなど、本当にあり得るのだろうか?
――もしもエドに「才能」があったとしても、それを隠す理由は教会にはないはずよ。
先ほどの「鑑定」は、前世で使用されていた言語……日本語で書かれていた。
これまでメルフィーナが行って来た「鑑定」の結果とは、明らかに異質なものだ。
――もしも、この世界の人が人間を「鑑定」しても同じものが見えるのだとしたら。
「鑑定」自体はそう珍しい「才能」というわけではない。メルフィーナが行わなかっただけで、教会と神殿が組織的に、長い間人間の「鑑定」をし続けてきたのだとすれば、能力という形の文字が「才能」という意味であり、そこから続く言葉がその人間に与えられた「才能」の種類であると分類していくのは、別段不自然なことではないだろう。
――それこそ長い歴史の中で、教会や神殿にも「鑑定」と一緒に「分析」や「解析」の「才能」を持った人たちだって、いたのではないかしら。
日本語は、前世の世界において習熟難易度5+、最高難易度の言語だった。
日本語という概念の無い世界での習得は、ほぼ絶望的だろう。
「鑑定」とともに「分析」や「解析」の才能を持った人たちが、長い時間をかけて検証し、この文字を持つ人はこんな特徴があると分類し定義していくくらいしか出来なかったはずだ。
「鑑定」「分析」「演算」「剣聖」「裁縫」「緑の手」などの「才能」は言葉に対して効果のある能力が判明していて「料理人」「食聖」「厨師」「シェフ」といった、料理関係でまだ言葉と能力が一致していないものが出た時には「才能」がなかったとしていて、エドもそのうちの一人だったとしたら。
あの日、期待に応えられなかったと泣いていたエドを思い出して、そうだとしたら許せないという気持ちと、多くの子供を「祝福」していく中で、曖昧で不確かな結果を広げない判断は間違ったものではないという気持ちが、複雑に混じり合う。
そうして、ロドが教会に強く勧誘されたというのを思い出した。
もしもロドに備わっていたのが「演算」ではなく「鑑定」だったとしたら、もっと強硬な態度で彼を連れて行こうとされていたかもしれない。
そう考えると「祝福」をされないと「才能」は消えてしまうという話も、真実かどうかは分からない。
神殿や教会が、自分たちの望む能力を持った人間を探すために、多くの子供に「祝福」を与えるという形で「鑑定」を行っているのではないかと邪推することも出来る。
「……駄目ね、何を考えるにしても、情報が少なすぎるわ」
何を考えても、今の時点ではメルフィーナの想像、あるいは妄想の域を出ない。
怪しいと思ったら、何もかも怪しく思えてくるので、考えても仕方のないことは、ひとまず棚上げすることにする。
「治療魔法だけれど、才能や情報が見えただけで、やり方は分からなかったわ。多分もう一段階、なにかを行う必要があるんだと思うけれど」
ちょうど、ユリウスが「鑑定」の後に「分離」を行ったように。
塩水から水と塩を分離するのと、怪我を治すのとでは訳が違う。
水と塩はただ混じり合っているだけだけれど、怪我はそれ自体がひとつの状態だ。肌が裂け、肉が覗き、血管が断裂して血液が流れ出している状態を元に戻すというのは、ある意味。時間を巻き戻すと変わらないのではないだろうか。
「……時間を、巻き戻す」
自分の考えを口に出してみて、背中にひやり、と冷たいものが触れたような感じがした。
――更新履歴って、何を「更新」しているの?
システムやデータの話ならば、新しく書いたコードや組んだタグということになるだろう。
では、メルフィーナやレナに対する更新の意味するところは。
「……ちょっと、また気持ち悪くなってきたわ」
前世では知識中毒の気がありゲームだけでなく漫画や小説、実用書まで読み漁っていたし、こうした考察を伴う話はむしろ好物なくらいだったけれど、我が身に降りかかれば、ただ頭が痛いばかりの問題だ。
メルフィーナの想像が当たっていたとしたら、それこそ神の御業であり、教会や神殿に属するものが行うに相応しい奇跡というべきだろう。
「とりあえず、治療魔法については、時間をかけて検証していきましょう。今のところ治すべき怪我もないことだし、機会があればで構わないわ」
「レナで試してみる?」
「レナ」
「……ごめんなさい」
レナはしおらしく謝ったけれど、ほんの少しだけ残念そうな様子があった。
――レナに「鑑定」がなくて、よかったのかもしれない。
もしもレナ一人で実験や検証が出来るとなったら、それこそ魔力中毒で昏倒するまで試していたかもしれない。
ユリウスは止めても無駄だと判断して、よほどのことでない限りは放っておくことが常態になっていたけれど、是非ともレナには社会性と常識を身に付けた大人になって欲しい。
「そろそろ領主邸に戻りましょうか。あまり長居していると、皆を心配させてしまうわ」
「うん」
食事の後片付けをして、来た時と同じように片手にバスケットを、もう片手でレナと手をつないで、ゆったりとした足取りで菜園を後にする。
朝食の間の大した時間ではなかったのに、その前と後では、世界がひっくり返ってしまった。
それでも、自分のやるべきことは変わらないとメルフィーナは思う。
領主の仕事をして、食べて、眠って、悩んだり笑ったりしながら、周りの人を大切にしていく。
それだけのことが、まるで薄い氷が張った湖の上でダンスでもしているような、とても危ういバランスの上で成り立っているもののように思えてならなかった。