204.世界の一端
レナの言葉にメルフィーナは唇を引き締めて、考える。
メモを見た時も疑問に思ったけれど、実際レナにそう断言されてもなお、謎が多く感じられる。
この世界において、回復魔法と治療魔法は、教会と神殿が独占している技術だ。その優位性があるからこそ領地や国同士の戦争の抑止力になっているという一面もある。
なぜ教会と神殿がその魔法を独占出来ているのか、考えたことはなかった。ただ「そういうもの」として、そこで考えが止まってしまっていたけれど、これだけ有用性の高い技術が僅かも漏れていないというのは、思えば異常な話だ。
前世で繰り返し歴史が証明して来たように、そこに人間がいる限り、利益を生む技術や知識は、必ず漏れる。
――でも、ユリウス様や象牙の塔が人間を「鑑定」するなんて簡単なこと、したことがないなんてあるのかしら。
「鑑定」は決して珍しい「才能」というわけではない。貴族の子女には一定数出る「才能」であるし、庶民でも、幼い頃から色々な品物に関わる商人なども持っている者の多い「才能」だ。
象牙の塔のことはユリウスから伝え聞いたことしか知らないけれど、少なくともメルフィーナが知る限り、ユリウスは好奇心の塊だ。彼が「鑑定」を持っている以上あらゆるものを「鑑定」してきただろうことは想像に難くないし、その中に人間や自分自身が入っていなかったとは思えない。
レナが同じものだと判断しただけで、似ているだけの全く別のものという可能性だって十分にある。
「メル様?」
考え込んでいると、レナに声をかけられる。
レナの観察眼は本物だ。象牙の塔の第一席であるユリウスが、一目で惚れ込んだほどなのだから。
「人に「鑑定」を使ったことがないから、どういう仕組みなのかと思っていたの」
酵母の選定を筆頭に、病害虫への対策から作物の品種改良にと、メルフィーナにとって「鑑定」は非常に有用なものだったけれど、その使い方はおおむね対象を選別し、特定することに使われてきた。
目の前にいる人間は、一目でそれが「なに」か理解できる。「鑑定」など掛ける必要もない。
「じゃあ、やってみたら? 私で試していいよ」
レナは無邪気に言うけれど、人間を「鑑定」することでどんな情報が流れて来るか分からない。
「何でもまず試してみることが大事だって、ユーリお兄ちゃんも言ってたし、メル様に隠したいことなんて何もないから、レナは大丈夫」
「ありがとう、レナ。ひとまず、自分でやってみるわ」
レナはそう言ってくれるけれど、どんな結果になるかもわからないことを他人で試すのは気が引ける。
――これまで虫や生肉を「鑑定」してきたし、特に異常をきたしたりはしなかったから、大丈夫よね?
左腕のあたりに触れて「鑑定」を発動させる。いつものように、対象の情報が、記憶がよみがえるように頭の中に流れてきた。
「え……?」
メルフィーナ、女性、身長、体重、健康状態と浮かび、そこから生育歴についても流れ始める。
それは今までと変わらないように思えて、決定的に異質なものだった。
――なに、これ。
これまで当たり前すぎて、疑問に思ったこともなかったけれど、頭の中に浮かんでくる情報は、全てこの世界の言語で行われていた。
けれど、今頭に浮かぶ「鑑定」の結果は、理解出来るけれど、馴染みのない言葉……前世の日本語で流れて来る。
英語と日本語が同等に堪能でも、思考は環境に合わせて片方のみで行われるという。メルフィーナも前世の記憶はあるけれど、生まれた時からこの世界の言葉の中で生きてきたので、言語も思考も、こちらの世界の言葉で行うのが当たり前だった。
突然のカタカナと漢字かな交じり文字に混乱して、上手く情報を読み取ることが出来ない。
息を深く吐いて、もう一度、「鑑定」をかける。
メルフィーナ・フォン・オルドランド
年齢17歳
身長160cm
体重51キロ
魔法属性 風
能力 「鑑定」
健康状態 やや神経不安が見られる。おおむね良好。
配置 悪役令嬢01
更新履歴 ・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
「っ!」
「メル様!?」
異常な内容に、鑑定をかけていた手を思わず跳ねさせる。
――なに、なんなのこれは!
日本語。前世では当たり前に使っていた言葉だけれど、突然目の前に現れたそれは、異物のようにしか感じられなかった。
「大丈夫? メル様、真っ青だよ」
「大丈夫、大丈夫よ……」
レナの不安がる声に答えて、震える息を吐く。
それから、柔らかい子供の頬に触れて「鑑定」を発動させたのは、今見たものを確認したいという気持ちと、それを否定されたいという矛盾した二つの感情によるものだった。
レナ
年齢 6歳
身長100cm
体重16キロ
魔法属性 なし
能力 「演算」「解析」
健康状態 強い不安感。ストレス過多。
配置 NPC
更新履歴 ・―・―・―・―・―・
「ああ……」
これまで、何度も、何度も、この世界の理不尽さに苛立ち、腹を立ててきた。
けれど、ここまで打ちのめされたような気持ちになったのは、これが初めてだ。
――ゲームの世界。そういうことなのね。
前世だ今世だと思っていても、メルフィーナが生きているのは、あくまでこの世界だった。生まれ落ちて、成長し、学んで、ここまで生きてきた。
前世でプレイした「乙女ゲームの世界」だと分かってはいても、こんなにも明確に「そう」だったとまでは考えていなかったのだ。
――いいえ、思えば手掛かりはあった。
前世の知識があるとはいえ、農業に関しては素人だったメルフィーナがゲームのシナリオ通りに行えば、大豊作の畑を作ることができた。
農業にはトラブルがつきものだ。これが現実ならば、到底あり得ない成果だったはずだ。
あの時だって思ったのだ。ゲームのシナリオに沿って行ったことは、この世界では「正解」の結果が出るのだと。
――ゲームの中にあったトウモロコシの畑は何の問題もなく成功したのに、その後豆や野菜の圃場を作れば、害虫が発生し、その対応に追われることになった。
あまりにこの世界は生々しく、生きている人たちは個性的で、プログラムされたゲームの世界という印象とはかけ離れていたし、メルフィーナも今を生きることに精いっぱいで、そこまで深く考えることがなかった。
胃がぎゅうっと引き絞られるような痛みに、拳を当てて、前かがみになる。
体が精神的な負荷に悲鳴を上げているのが分かる。
ここまで生身の反応をしておいて、それすら、ゲームのプログラムに従ったものなのだろうか。
ならば自分たちが生きて、悩み、苦しみ、喜びを感じて、笑い合っている日々は、なんだというのか。
「っは、あ……」
息がうまく出来なくて、苦しい。ぜいぜいと、喉のあたりで嫌な音が響く。
「メル様!? 大丈夫? マリー様を呼んでくる!?」
レナが案ずるようにメルフィーナの手を掴み、声をかけて来るのに、首を横に振る。
出会った時からずっと、レナはメルフィーナを慕ってくれた。メルフィーナもレナを可愛いと思って来た。
マリー、ウィリアム、サイモン、ラッド、クリフ、エド、ルッツ、フリッツ、ニド、エリ、ロド、テオドール、ヘルムート、ギュンター。
王都を出てから関わった、ゲームの中には名前すら出てこない沢山の、名前と心を持つ人たち。
――何が、NPCよ!
ふざけるなと、心から思う。
彼女たちの人生も、その心も、そんな言葉で片付けられるものでは、断じてない。
「レナ、私、あなたが好きよ」
少女の体を抱きしめれば、子供らしい温かさが布越しに伝わってくる。
レナにはきっと、意味が分からないだろう。それでも不思議そうに、レナも応じてくれた。
「うん、レナも、メル様が好きだよ。すごく、すごく大好きだよ!」
活動報告更新しました。




