195.神官の来訪と外への誘い
「随分痩せたな」
しばらくぶりに会ったというのに、それがアレクシスの第一声だった。
相変わらずの中々のデリカシーのなさだと呆れるのを通り越して苦笑が漏れてしまう。
「久しぶり、アレクシス。神官様の紹介をしてくれますか?」
長身でがっしりとしたアレクシスの陰に隠れるように、小柄な神官がたたずんでいる。
「コーネリアと申します。ソアラソンヌの西側にある小さな神殿で神殿長の補佐を行っております。公爵家の結婚式の折は東部におりましたので、初めてお目にかかりますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「メルフィーナ・フォン・オルドランドです。今回はこのような北の端まで御足労頂き、感謝いたします」
コーネリア、と名乗った神官は、まだ若い女性だった。おそらく二十代の中頃だろう。赤茶色の髪をまとめてヴェールの中に収め、ぱっちりと開いた目は金色がかった茶色で、整った顔立ちをしているけれど、頬に散ったそばかすと屈託のない笑顔が、素朴な雰囲気を出している。
「いいえ、わたしは修道院の外に興味がある悪い神官なのです。次の討伐参加までまた一年かかると思っていたので、今回の要請は渡りに船でした。公爵家の要請なら、神殿も無下に断ることはできませんので」
コーネリアは茶目っ気たっぷりに笑って言う。
「コーネリア殿は、毎年プルイーナの討伐の後援として志願してくれている方だ。優れた治癒魔法の使い手でもある」
「まあ、優秀なのですね」
「本来なら治癒院などでのお勤めを希望していたのですが、神殿というのは外に出たがる神官は余計に内に内にと引き留めたがるものらしいのです」
敷地内で自給自足を営んでいる神殿は、基本的に門戸を固く閉ざし、あまり外に人を出さないと聞いている。朝早く……メルフィーナの感覚では深夜に目覚めて礼拝を行い、農作業やチーズやエールを造る作業をこなし、日の入りと共に就寝するという、非常に禁欲的な生活をこなしている。
治癒院というのは、治癒魔法を修めた神官たちが持ち回りで勤務している負傷専門の病院のようなシステムだ。
治癒院の運営はその土地の貴族の支援によって行われているので、多少の代金は必要だが平民でもそれほど気負わずにかかることが出来る。貧しい領地や吝嗇な領主が治める土地には治癒院が少ないか、もしくは全く無いこともあるので、治癒院の数がその土地を治める領主の慈善のバロメータになるというわけだ。
「アレクシス、今回は無理を言ってごめんなさいね」
「大した無理でもない。駄目ならば私の要請でも駄目だというのが神殿だからな」
「折角身に付けた能力を出し惜しみするほうがどうかしてますから。さっそく患者を診せていただけますか?」
今回、コーネリアを随伴してもらったのは、メルト村の住人で負傷した者の治療を願うためだった。
すでに負傷から二週間が過ぎ、小康状態を保っているものの、中々回復に至らなかった。雪の中を神殿のある街まで馬車で運ぶことも検討されたけれど、野生の熊の二度の襲撃で本人がすっかり怯えてしまってそれを望まなかった。
冬ということもあり、幸いひどい化膿はしていないけれど、破傷風の潜伏期間内でもある。ひどい傷痕が残る可能性も高く、アレクシスに願うことでようやく外に出たがらない神官の派遣が叶ったという次第だ。
コーネリアに治療に当たってくれていたサイモンを紹介し、二人に負傷者のことを頼む。サイモンはやや渋い顔をしていたけれど、神官の治癒魔法の有用性については認めるところだとこぼしていたので、上手くやってくれるだろう。
「エンカー地方にも神殿と教会があるといいのだけれど」
「確かに彼らは有事の際には非常に頼りになる存在だが」
「なにか含みがありそうね?」
「頼りになるが、予算が掛かる」
いかにも政治家らしい意見である。
「外で立ち話もなんだし、団欒室に行きましょう」
「メルフィーナ」
今日は比較的いい天気で雪も降っていないけれど、自室に引きこもっていて肉が落ちたせいか、寒さが余計に骨身に染みる。せっかく無事に再会できたのだ、温かいお茶でも淹れて、マリーとウィリアムも交えて団欒に興じようと思ったけれど、名を呼ばれて引き留められてしまった。
「よければ、これから少し出かけないか」
「馬車から降りたばかりで、疲れているのでは?」
「そんなにやわではない。勿論、君の体調次第だが」
体力は落ちてしまったけれど、病を得ているというわけではない。こうなったのは自業自得なので、あまり心配されるのも気が引ける。
「構いません。公爵家の馬車をそのまま使いますか?」
「今回は少し珍しいものを持ってきた。君も乗ったことがないと思う」
思わせぶりに言うアレクシスの背後で、公爵家の従者たちが何やら準備を始めている。アレクシスの体の向こうに隠れてよく見えないので、体をずらして後ろを覗き込むと、見覚えのない大きな動物が一頭、ぬっと顔を出してつぶらな瞳でメルフィーナを見返した。
見た目は鹿によく似ている。ソリにつながれていなければ、少し変わった鹿だと思っただろう。
「もしかして、トナカイですか?」
「なんだ、知っているのか?」
「いえ、実物を見るのは初めてです。ソリを引く動物だという知識がある程度で」
「今年は雪が多いと聞いていたから、たまにはこういう移動もいいだろうと思ってな。馬車より冷えるが、爽快で中々楽しいものだ」
手を差し伸べられて、エスコートを受ける。ソリの部分は前側が細く、後ろに行くにつれて台形に広くなっていく船型で、二人も座ればもう一杯だ。後ろに座るよう促されると、マリーはそそくさとメルフィーナに追加の毛皮と、バスケットを足元に置いた。
「ワインと軽食が入っています」
どうやら、ソリが出てくることはマリーは最初から知っていたらしい。
「これではマリーは乗れないわね」
ソリは一台しかないようなので、当然、騎士たちもついて来れないだろう。
「お兄様は北部一強い騎士ですから、何があっても守ってくれます。私は後日ウィリアムと楽しむことにしますので、お気をつけて行ってきてください」
マリーの口調は軽やかだけれど、表情には少し案じる色が混じっている。
アレクシスと神官の出迎えでようやく部屋から出てきたメルフィーナに、なんとか気分転換をしてもらいたいという気持ちが強いのだろう。
これまで、アレクシスが冬に領主邸を訪れたことは何度もあるけれど、今回トナカイとソリを用意したのは、メルフィーナの気鬱を聞いてのことだと分からないほど鈍感なつもりもない。
周りに迷惑をかけたくないと思っているのに、結局、こんなに心配させてしまっている。
「ありがとうマリー。そうね、折角用意してもらったんだし、行ってくるわ」
乗り気な様子を見せれば、マリーは安堵の表情を浮かべた。
「それにしても、馬はともかく、トナカイまで操れるんですか?」
「北部の若い男は、トナカイのレースに興じることも多いから一通りは学ぶ機会がある。ルクセンなどでは、馬よりもトナカイのソリを巧みに操る男のほうがモテるらしい」
「まあ、ふふ」
アレクシスの口から「モテる」という言葉が出たことが何だかおかしい。
口を開くと無神経さが目立つけれど、乙女ゲームの攻略対象なだけあって、アレクシスは華のある美形であり、そこに立っているだけで自然と人目を引く姿をしている。
――そう言えば、王都の社交界でも氷の公爵様と呼ばれて若い令嬢に騒がれていたわね。
なんだかそんな噂を聞いたのも、随分昔のことのようだ。妙に感慨にふけっていると、アレクシスはソリの御者台にひらりと乗り込んだ。
「お兄様、メルフィーナ様をお願いします」
「ああ、温かいミルクを用意して待っていてくれ」
兄妹らしく、親し気に声を掛け合って、すぐにソリは走り出した。
最初はゆっくりと走っていたソリは、やがて少しずつスピードを上げていき、あっという間に馬車ではありえない速度になる。
箱に包まれていないので風がびゅうびゅうと吹きつけてくる。
「アレクシス、どこに向かっているんですか?」
「聞こえないな」
「どこに向かっているんですか!」
風が前から吹き付けるので、後方にいるメルフィーナの声はまともに届かないらしい。やや声を張り上げてみたものの、首を横に振られただけだった。
行く前に確認するべきだったと思うけれど、どこに行くにしても、そう遠い場所ではないだろう。
――いっそ、うんと遠い場所でも、いいかもしれない。
リボンでしっかりと結んでいるのに、風が強すぎて帽子がずれそうになって、手で押さえる。雪の積もった街道をまっすぐに進むメルフィーナに、畑仕事をしている領民たちが気づいて手を振っていた。
帽子を押さえたままだと両手を離すことになってしまって少し怖いなと思っているうちに、ソリはまっすぐに進み続けて、あっという間に圃場から離れてしまう。
元々馬車ほどの高さもないので、視界は低く、風の音と舞い上がる白い雪の粒に、本当に自分の知らないどこかに連れ去られてしまうような気がして、それが妙に愉快だった。
「ふ、ふふっ」
なんだか、随分久しぶりに、笑った気がする。
風の向きで、きっとこの笑い声はアレクシスには聞こえていない。背中に目が無い限り、笑っていることすら気づかれないだろう。
それがとても気楽に思えて、帽子を押さえたまま、中々笑いを収めることができなかった。
先日の旅行で修道院の見学もして来たのですが、朝四時起床とあって早起きだなあと思ったのですが、中世の頃は朝は二時起床だったそうで、もうそれは夜だなあとなりました。
メソフィーナは誤字ではなく、メソメソしているメルフィーナという冗談のつもりでした。慣れない冗談が滑って恥ずかしいです。