185. プルイーナ戦と新たな戦略
残酷な描写が入ります。苦手な方はご注意ください。
陣の傍に建てられた高見台の上から、布を結んだ棒が二度振られる。それからするすると塔から降りて来た男は、オーギュストに向かって告げた。
「7の罠に、左腕を拘束されたのが確認できました。近くにはサスーリカが四匹ほどで、それ以外の個体は見当たりませんでした」
太陽が昇った辺りから首裏がざわざわしていた。間違いなくプルイーナ出現の兆しだが、そこから一時間ほど過ぎた今も、気配が近づいてくる様子はないままだった。
プルイーナは人の気配に反応して移動する。上半身は巨大な猿で、下半身は大蛇の形をした全長六メートルほどの化け物だ。
この荒野で人間が固まっているのはこの陣、そしてさらにその後ろに冬の城と呼ばれる砦があるだけだった。つまるところ、プルイーナは出現したのと同時に陣に向かって進んでくる。
「出現以降、気配が近づいてこないとは思っていたが、本当に身動きが取れなくなっているんだな?」
「目視ですが確認できました。間違いなくかかっています」
「サスーリカが、たった四匹だと?」
「多い時はプルイーナの周りに二十匹ほど追従しているというのに」
ぼそぼそと兵士たちが懐疑的に囁くが、ブルーノがゴホンッ、と咳払いをすると、しんと静まり返る。
「それが事実でしたら、随伴は輜重兵と弓兵を含む一隊で済みそうですな。閣下、ご命令を」
「――ブルーノ、隊を率いて私の後ろにつき、残ったサスーリカの殲滅を命じる。念のため、設置した「罠」にそれぞれ斥候を出し、残りは陣で待機だ」
「はっ!」
「閣下! 万が一ということもあります。せめて私の隊もお連れください」
騎士のひとりであるヘルマンが声を上げると、ブルーノはいらんいらん! と大声を張り上げた。
「ぞろぞろと物見遊山もないだろう。貴兄らは先に冬の城に戻って、祝勝会の準備でもしていればいい」
「ブルーノ卿、今年は例年とは違うとはいえ、プルイーナは油断できる魔物では」
「油断などしとるわけがなかろう! 敵の数に対して多すぎる兵士は指揮が行き届かず支障が出ると言うとるのだ! そもそも貴兄は去年本隊を任されたばかりだろう、今回はこちらに譲ってもらうぞ! 案ずるな、閣下は違わず私が守るわい」
なおも言い連ねようとしたヘルマンと一歩も譲らないブルーノの間に、すっとオーギュストが割り込む。
「まあまあ、彼に隊が戻るまで遠見台で監視を続けてもらって、俺たちが苦戦しているようなら助けにきてもらえばいいですよ。すまないが、そういうことなのでもう少しここで監視を頼めるか?」
「勿論です。契約はソアラソンヌに戻るまでですし、むしろやらせてください」
「それにしても、この距離の目視が可能とは、「遠見」の「才能」というのはすごいものだな。危険な斥候を出す前に、あらかじめどの辺りを警戒すればいいか分かるようになる」
オーギュストが手放しで褒めれば、男もまんざらではなさそうで、照れくさそうに笑ってみせる。
「いやあ、洞窟や森の探索には向かない「才能」で、冒険者仲間からは無駄な「才能」だと言われがちですので、今回お仕事を貰えて光栄でした!」
物怖じしない明るい口調で言う青年にオーギュストは引き続き頼むと告げる。
「さ、とっとと行って片づけてしまいましょう。うまくすれば日が落ちる前に冬の城に戻れるかもしれませんよ」
「オーギュスト、貴様こそ、プルイーナを舐めているのではあるまいな」
「まさか。俺は見た目の通り小心者なのですよ。ブルーノ卿のような豪胆さは持ち合わせていません」
「どういう意味じゃあ!」
「暗いのは怖いから、明るいうちに行って戻ってきたいってことです」
「二人ともそれくらいにしておけ。出るぞ」
はっ! と返事だけは息がぴったりの二人に背を向け、毛皮のマントを翻し、歩き出す。
ここまでは去年に比べて随分楽な討伐だったけれど、プルイーナの放つ魔力圧は尋常ではない。進むほどに空気そのものが重たくなっていくようで、次第に呼吸すら難しくなっていく。
魔力への抵抗力は個々人で違い、実際に浴びてみなければ分からないものだ。新兵は、ここで半分ほどが脱落する。
慎重に、十五分ほど歩いたところでやや後ろに控えていたオーギュストが重たく呟く。
「この感じだと、あと少しのはずですが、見当たらないですね」
「いや、あそこだ」
顎で指すと、オーギュストが低く呻く声が響く。
まばらに草が生えるばかりの草原では、プルイーナの巨体はそう見逃すものではない。高い場所ばかり視線を向けていれば、気づくのも遅れるだろう。
五十メートルほど離れたところで、太く長い蛇の尾が跳ねたことで、後続の兵士たちの緊張が一気に膨れ上がったのが伝わってくる。
「……俺も討伐に従軍してそこそこ経ちましたが、地に伏したプルイーナは、初めて見ました」
「私もだ」
ここから先、四つ星の魔物に近づけるのは歴戦の騎士の中でも少数になる。実際にプルイーナに刃を立てられるのは、さらに一握りだ。
「閣下、俺が先行します」
「これ以上近づく必要はない。ブルーノ」
「はい、閣下。用意はぬかりなく」
にやりと笑い、兵士が引いてきた荷馬車を振り返る。布を取り払うと木箱が並べられており、中にはガラスで造られた細長い壺に木の栓がされ、蝋で封がされたものが入っている。
事前に訓練していた通り、その封を外し、布を口にきつく詰めていく。準備が済むと、一人の兵士が一歩前に出た。
年は二十代の半ばほどだろう。背が高く、よく鍛えられた体躯をしている。兵士としては中堅の頃合いだが、見覚えは無かったので、これまで大きな手柄を立てたことはないはずだ。
「火を付けたらすぐに使わなければならないそうだ。頼んだぞ」
強い魔力圧の中、いつもと変わらない軽快な口調のオーギュストに、兵士はやや強張った表情で頷く。
「は、はい! お役に立てるよう最善を尽くします!」
「緊張しなくてもいい。今回は何もかも初めての試みだ。何があっても咎めることはない」
男は頷くと、別の兵士が布を詰めた瓶に火を付けたものを受け取り、大きく振りかぶってプルイーナに向けて投げ放った。
それは宙で大きく弧を描き、違わず、地に伏したプルイーナの胴体に命中する。
次の瞬間、ぼうっ、と大きな炎が上がるのがはっきりと見えた。
キィィィィィィィィィィィィ
プルイーナの甲高い悲鳴が上がり、魔力圧が空気の塊のようにぶつかってくる。どさどさと、後ろで数人、兵士が倒れた音がする。
「大丈夫か」
「いけそうです! 次は頭に当てます!」
「ガラス壺の数は十分に用意してある。確実に削ってくれればそれでいい」
「はい!」
男は力強く頷き、次の火が付いたガラスの壺を再び宙に放った。宣言に違わずプルイーナの頭部に当たって弾け、再び赤い炎が立ち上がる。
「「投擲」の「才能」か。「遠見」といい、大したものだ。よく探し出してくれたな」
「冒険者ギルドには少し伝手がありますからね。むしろ冒険者や兵士をやってくれていて助かりました。「才能」があっても全く関係ない生業に就いているのは、よくあることなので」
オーギュストはやや得意げに言い、それから、ちらりと荷台に載せられたガラスの壺に目を向ける。
「それにしてもあれ、全部プルイーナに呑ませる酒ですか。勿体ないですねえ」
「製作者が言うには、人が呑むには毒になるそうだ。美味い酒を造る時に、取り除く部分らしい」
液体に火が付くということ自体、聞いた時は懐疑的ではあったものの、錬金術師にはそれなりに有名な話らしい。
放置すればやがて燃えることはなくなるそうだが、メルフィーナの作ったガラスの入れ物に封じることで、長時間の保管が可能になるのだという。
いずれあの容れ物で、どれほど遠い場所にでもエールやワインが新鮮なまま運搬可能になるのだと、笑いごとにならないことを笑って言うのが、メルフィーナという人だ。
用意したガラス壺の七割ほどが無くなった頃、ふっ、と場に満ちていた魔力圧が和らぐ。投擲を止めさせて剣を抜き、プルイーナに向かって歩き出すと、進軍の時と同じ距離でオーギュストも付いてきた。
「無理はするな」
「いえ、これくらいでしたら俺も耐えられます。というか、閣下一人で行かせるとブルーノ卿が走り出しそうだったので」
「ふ……」
肩を揺らし、すぐに唇を引き締める。
こんな時に笑った自分が、少し信じられない。
そこからは無言で、倒れ伏したプルイーナに近づいていく。
周辺には砕けたガラスが散らばっていて、軍靴の下でざりざりと音を立てた。プルイーナは絶命こそしていないが全身が砕けかけてもはや虫の息だ。
辛うじて胴体につながっている片手は、手首のあたりで各所に仕掛けた罠のひとつ、くくり罠と呼ばれるもので拘束されていた。
今年の討伐はメルフィーナの指示で、過去にプルイーナの出現した位置と陣の間に地魔法で深い穴を開け、エンカー村の水路にも使われている、乾くと石になる液体を流し込み、そこに鉄の杭を刺して固めたものをいくつも設置しておいた。
毎年プルイーナの討伐に鉄の棒を仕込んだ井桁を用意すると話した時、設置型の道具を作るなら、いっそそこに留め置ける罠にしたほうがいいのではないかと提案され、試作した罠のひとつである。
生餌はより動きの速いサスーリカに食いつくされる可能性が高いので、掛かるかどうかは運もあったし、プルイーナの膂力では地に差した石ごと引き抜かれてしまうかもしれないとも思っていたけれど、どうやらすべてうまく行ったようだ。
「……このサスーリカ、プルイーナを「喰って」いますよね」
「我々が到着した時はすでに動いていなかったから、そうだろうな」
「サスーリカとプルイーナは主従関係にあるというのが定説でしたが、すこし考え直す必要があるかもしれませんね」
腹を膨らませて絶命しているサスーリカは四体。物見台で確認されたのと同じ数だ。
おそらくその時点で、プルイーナに付き従っていたのではなく、身動きが出来なくなったプルイーナを喰っていたのだろう。
アレクシスたちが到着した時、プルイーナが地に伏していたのはサスーリカに削られ衰弱していたからとすれば、説明がつく。
「サスーリカの魔石を取り出しておけ。私はプルイーナをやる」
キィィ キィィィ
瀕死の状態で、赤黒い目をギョロギョロと動かし恨めしそうな様子だったけれど、全身がすでにまともな生き物の体を成していない。
無言で、剣先をその胸に突き立てると、まるで断末魔の代わりのように、突き刺した場所から白い霜に似た冷たい魔力が吹き出した。
――お兄様、やめてください!
音にならない声が、脳裏に響いて剣の柄をきつく握りしめ、力任せに捩じる。脆く薄い氷が割れるような、ぱりぱりとした感覚が手のひらに伝わってくる。
――伯父様、伯父様! 助けてください!
――そんなに、僕が邪魔なのですか!
――僕が、伯父様を裏切った、父様と母様の子だから!
幻聴で、幻覚だ。
プルイーナの放つ濃い魔力は、人間の弱いところを突いてくる。
去年は母の、女を抱いて子供をつくるように囁く声が聞こえた。
弟が、兄様ごめんなさい。この命で償いますと、泣きながら謝り続ける声が聞こえた年もある。
これまで幻覚と幻聴は、常に死者のものだったというのに、大切に想う相手が出来た途端、これだ。
吐き気がするほど効果的だった。
――公爵様。
――どうして私を拒絶するんですか?
――私、公爵様のことが。
「黙れ!」
力任せに剣をねじったことで、プルイーナの魔石が抉り出されて転がり落ちた。
後に残るのは、真っ白になり砕けた氷の塊のような死骸だけだ。
息を吐いて、その魔石を拾い上げ、用意しておいた革の袋に入れる。
「閣下」
「――ああ、そちらも終わったか」
オーギュストを振り返らずに呟き、剣を引き抜く。
持ち上げただけで刀身が歪んでしまったのが伝わってくる。おそらく鞘にも入らないだろう。
「戻るぞ」
「閣下、真っ青ですよ」
「……大事ない。今年は目も無事だ」
「気持ちが無事じゃないって様子に見えますけど、何も聞かないでおきますね」
勘のいい腹心はそう言うと、離れた場所で待機している随行の部隊に向かい、拳を天に突き上げる。
「プルイーナ討伐終了! すぐに陣にも通達を出せ! 家族の元に戻るぞ!」
わぁっ、と歓喜の声が、こちらまで聞こえてくる。
その喜びの中に戻るのにしばらく時間が必要だったアレクシスに、腹心の騎士は何も言わずに、ただ近くにいてくれた。