181.迷子とバーベキュー
太陽が中天に掛かる頃、ようやく遊び疲れたのか、それとも匂いにつられたのか、子供達が天幕の近くに戻って来た。男の子三人と犬一匹で相当転げまわったらしく、普段は物静かなセレーネまで白い髪に草の切れ端がついている。
「三人とも、昼食にするから手を洗ってきてちょうだい」
鍛冶工房で作ってもらったバーベキューコンロの火熾しはすでに済んでいて、鉄板は熱を放っていた。大急ぎで水がめに向かう子供たちを見送って、まずは牛脂を隙間なく塗り込む。
炭の少ない部分で野菜を焼いて、肉は高温の部分で一気に焼いていると、子供たちはすぐに戻って来た。相当おなかが空いているらしく、フェリーチェもメルフィーナの足元でお尻をふりふりしながらつぶらな瞳を輝かせている。
「今日はバーベキュー方式だから、テーブルに着いてではなく焼けたらどんどん食べていって。空の下だし、順番は気にしなくてもいいわ。そちらの壺に入ったソースをかけて食べてみて」
領主邸の食事では、同席している者の身分に関わらず主人であるメルフィーナが真っ先に口をつけるけれど、今日はそんな作法に目を瞑っても構わないだろう。
焼けた肉と野菜をそれぞれの皿に配っていくと、セレーネ、ウィリアム、ロドは一瞬顔を見合わせた後、鉄板の上で切り分けておいた肉にソースをかけて口に入れる。
「熱っ! あっ、美味しい!」
「これは、美味しいです! お肉も美味しいですけど、このソースも。甘くて濃厚で、コクがあって」
ロドとセレーネがそう言っている間に、最年少のウィリアムは声を出す暇もなさそうに口いっぱいに肉を詰め込みながら、こくこくと頷いていた。
昨日、エドと共に新しく作ったバーベキューソースは中々好評らしい。
今回は子供が多かったので甘めの仕上がりにしたけれど、兵士たちの分はエールが進むよう辛口で、ニンニクもたっぷりと入れた配合にしてあった。そちらは、護衛任務の交代の間に楽しんでもらえるだろう。
「ウィリアム、ソースがお口についていますよ。もっと落ち着いて食べないと、喉に詰まってしまうわ」
マリーが苦笑しながらウィリアムの口元をハンカチで拭くと、ウィリアムは顔を赤くしつつ、こくりと頷く。
以前は人に触れられることに忌避感があったようだけれど、それも今は改善されてきた様子だ。
「三人とも、お野菜もちゃんと食べてね。エンカー村で穫れた新鮮なお野菜なんだから」
「はい!」
「はぁい」
「はい、伯母様!」
返事にはそれぞれ個性が出るようだ。笑いながら鉄板の上に追加の肉を載せていると、ひょっこりとユリウスたちが戻ってくる。
「やあ、すごくおなかに来る匂いがしますねレディ。そちらは野外用の調理用具ですか?」
「おかえりなさいユリウス様、レナ。……と、ユディット?」
レナと手をつないでいる小さな子供に目をしばたたかせる。
青みがかった紺色の髪の幼い少女は、エンカー村から少し外れたところにある牧場の養い子、ユディットだった。前回面会した時と同じく、どこか感情が薄そうな様子で、大人しくレナに手を引かれて歩いている。
「森で一人でいたので、連れてきました」
「一人でって、こんな小さい子がですか?」
森で拾われて口も利かないことから定かではないものの、ユディットはレナよりさらに年下で、おそらく四歳か、体の小さな五歳くらいの年頃だ。
到底一人で森の中にいたと言われて納得できる年頃ではない。
「前回あの子を拾っ……保護した時と同じ場所だったので、もしかしたら親を探していたのかもしれません」
一応、ユディットに聞こえない程度に声を落とし、さらに言い直したあたりにユリウスの成長を見るけれど、その内容はさらりと聞き流せるものではなかった。
ユディットが現在暮らしている牧場からユリウスたちが向かった湖まで、それなりの距離がある。大人ならば三十分ほどで到着するだろうけれど、小さな子供の足でどれほど時間が必要だったのだろう。
「ジョアンナが心配しているといけないわ。マリー、牧場までユディットを保護していると、使いを出してちょうだい」
「はい、すぐに」
「ユディット。朝から歩いていたんじゃない? どこか怪我をしたり、痛かったりするところはないかしら?」
腰を屈めてユディットに尋ねると、きょとんとした様子の紺色の瞳に見つめられる。何を聞かれているのかは分かるらしく、しばらくして、首を横に振った。
「おなかは空いてる?」
「……、うん」
すぐに頷いて、言葉での返事は少しだけ遅れてやってくる。
「レナも、おなかが空いたでしょう? すぐに食べられるから、ユディットと手を洗ってきてくれる?」
「はいメル様! ユディット、いこう」
まだ赤ん坊の妹を可愛がっているレナは、小さな子供の面倒を見ることに抵抗が無いようで、ユディットの手を引いて水がめまで歩いて行った。それを見送って、ほう、と息を漏らす。
「ユディットは、親が恋しいのでしょうか」
あの年頃の子供にしては非常に自己主張が薄い様子ではあるものの、すでに物心がついている年頃だ。近くにいた親の記憶はあるだろうし、自分が置かれている状況も、うっすらと理解はしているだろう。
「そうかもしれませんが、森で暮らすわけにはいきませんしね。大丈夫ですよ、子供は慣れるものですから、少しずつでも今の暮らしに馴染んでいくでしょう。それよりレディ、お腹が空きました」
ユリウスは楽天的な口調で言い、それきりユディットには興味を失くしたようだった。
言われたことには配慮出来ても、根本的にあまり他人に興味がないのは相変わらずらしい。
「ユリウス様も手を洗ってきてください。森や湖で遊んできたなら、手は汚れていると思いますよ」
「姉様も、ちゃんと食べてください。さっきから僕たちに肉を焼いてくれるばっかりで、全然食べていませんよ」
「メルフィーナ様、今度は俺達が焼くから、座って食べててくれよ」
セレーネとロドに言われて、背の低いウィリアムもうんうんと頷いている。
子供が親友になるのはあっという間らしく、とても息の合った様子に笑って、三人の頭を順番に撫でた。
「じゃあ、お願いするわ。左端が炭が少なくて温度も低いから、野菜はそちらで、肉は右端でしっかり焼いてくれる?」
子供たちに任せてベンチに腰を下ろすと、ユリウスとレナ、ユディットも戻って来る。レナとユディットは小さすぎて戦力にならないのでメルフィーナの傍に座ってもらい、マリーも含めて四人で男の子たちと大きな男の子が悪戦苦闘している様子を眺めながら、お茶を傾けることになった。
「ユディット、寒いでしょう。これを巻いていて」
自分の首からマフラーを外してユディットの肩に掛ける。小さな少女はマフラーに埋もれるようで、こんな子が一人で森をさまよっていたのかと思うと切ない気持ちになった。
「ユディット、牧場での暮らしは嫌?」
少女は軽く首を傾げたあと、首を横に振る。
「いやじゃない」
「ジョアンナや兄弟たちは優しくしてくれる?」
これには、頷いて、すぐに「うん」と返事があった。
たどたどしくはあるけれど、以前からするとはっきりと発語がある。きっとジョアンナや兄弟たちが、感情を声に出すように日々訓練をさせているのだろう。
「ユディットは森が好きなの?」
「うん……すき」
レナの問いかけに頷いたユディットに、レナは笑ってお姉さんの仕草で頭を撫でる。
「レナも森が好き! 鳥の鳴き声も、珍しいキノコや木の実を探すのも。前は小さな子供だけだと豚に襲われて危なかったんだよ。豚は、小さな子供は襲ってくるから」
「ぶた?」
「そう、ユディットの家にもいるでしょ。ブウブウ!」
「……ふふ」
レナが豚の鳴き声を真似すると、ユディットはかすかに、けれどはっきりそうと分かるように笑う。
笑うと、年相応の幼さやあどけなさが出て、とても可愛い子供だとよく分かる。
「あのねー、森は豚以外も危ないことが多いから、レナもお兄ちゃんかユーリお兄ちゃんと一緒じゃないと入っちゃダメだって言われているの。ユディットはレナよりもっと小さいんだから、ユディットも一人で森に入っちゃ危ないよ」
「……うん」
「だから、森に行きたいなら今度から一緒に行こう! もうすぐ冬だから、春になったらね」
ユディットはしばらく考えるように黙っていたけれど、もう一度頷いて「うん」と返事をした。
食事を終えると子供たちは遊び疲れのあとに満腹になったためだろう、気が付けば、次々と船をこぎ出していた。
「お昼寝するなら天幕に入りましょう。ここで寝たら風邪をひくわよ」
「……はい、ねえさま」
返事があったのはセレーネだけで、ロドとウィリアムは頷いているのか船を漕いでいるのか分からない様子で頭をかくんかくんとさせている。レナも瞼を擦っていて、ユディットはいつも通り、ぼんやりとしている様子だった。
兵士たちと分担して子供たちを天幕に入れると、ソファや毛皮の敷物の上でおのおの丸くなり、すぐに寝息が聞こえてくる。
「レディ、僕も限界です。僕は多分、今日はもう目が覚めないと思うので、馬車で寝ていますね」
「馬車は寒いですよ」
「寝ている間は、雪の中でもない限りは問題ありませんので……」
長屋に住みつこうとしていた時もそのようなことを言っていた気がするけれど、冬眠する熊でもあるまいに、ユリウスも人間である以上体を冷やすのは体に悪いし、風邪をひくこともあるだろう。
「では、毛布をたくさん持って行かせますから、しっかり包まってくださいね。風邪を引いたらサラにもレナにも近づけなくなりますよ」
「ふふ、肝に銘じます」
もう半分夢の中にいるような様子で告げて、ふわふわとした足取りで馬車に戻るユリウスを見送る。
「私とマリーはのんびりお茶をしているから、兵士たちも交代で昼食を摂ってちょうだい。エールも用意した分は好きに飲んでくれて構わないわ」
「ありがとうございます、メルフィーナ様!」
「子供達が起きたら釣り大会をするから、しっかり英気を養ってね」
「はい!」
「一番大きい獲物を釣り上げて、献上させていただきます」
まだ若い兵士たちは力強く言い、それぞれ持ち場と休憩に散っていく。
「釣り大会には、私も参加して構いませんか?」
「マリーも興味あるの?」
「はい、子供の頃、エルバンの別荘に付いて行った折、お兄様たちがよく釣りや乗馬に出かけていたのでやってみたいと思っていたのですが、その頃は、女の子がするものではないと言われてしまったので」
「なら、私も一緒にしようかしら。どちらが大きい獲物が捕れるか、競争しましょう」
「きっと私、負けませんよ」
「あら、私だって、初心者の幸運を掴む可能性があるわよ」
子供たちが目覚めるまでの短い間、のんびりとそんな話をして過ごすことになった。
豚は雑食なのでなんでも食べます。
最近、マリーは幸運を釣り上げることに自信がついてきました。