179.誤解とメルフィーナの秘密
「本日は、不躾な願いにも拘わらず、お時間を取っていただきありがとうございます」
四人分の紅茶を置いて場が調ったところで、レイモンドが深々と頭を下げた。その隣で、妹のトーリも同じように頭を垂れる。
「トーリに言われたときは驚いたけれど、応じる判断をしたのはこちらだから、あまり改まらなくても大丈夫よ。ここには四人しかいないのだから、遠回しなやり取りも必要ないわ」
まずメルフィーナが紅茶のカップに口を付ける。マリーが淹れてくれたお茶はいつもと同じ味がして、ほっとする。
窓の外には秋の終わりらしい青い青い空が広がっていた。すでに早朝は霜が降りるようになっていて、メルフィーナの直営の農場では家畜を潰し肉を加工する日々だ。
隊商も、出来るだけ早く北部を離れたいところだろう。
「それで、私に話というのは、どんなことかしら」
「大獅子商会がエンカー地方に来訪してから、商売の合間にエンカー地方を見て回りました。産業の発展だけでなく、治水事業や農地の改良も、メルフィーナ様の主導で行われたと聞いています」
「ええ、でもそれは、領主としては当たり前のことだわ」
「ええ、理想の領主ならば、そうなのかもしれません。けれど、実際にその理想を実現出来る者が、どれほどいるでしょうか」
高い志があったとしても、メルフィーナと同じことをするのは、とても難しいだろう。本来ならば何十年とかかるような発展を、前世の知識と経済力でごり押ししたようなものだ。
レイモンドのようなやり手の商人には、その不自然さは一目瞭然なのかもしれない。
次に何を言われるのかと緊張しているメルフィーナと違い、レイモンドの声にも表情にも、余裕があった。
「メルフィーナ様、単刀直入にお尋ねします。あなたは……私の妹の一人ではないでしょうか」
「……えっ?」
間の抜けた声が出た。
張り詰めた緊張感が急激に緩むと、人はどんな顔をしていいか分からなくなってしまうものらしい。呆然としているメルフィーナの表情をどう受け取ったのか、レイモンドは紅茶で軽く唇を湿らせると、やはり、とトーリと視線を合わせて頷く。
――待って、やはりではないわ。
レイモンドがメルフィーナの父親の隠し子だという可能性が思い浮かび、すぐに打ち消す。
レイモンドが「ただの商人」ならば可能性としてはいくらでもあるかもしれないけれど、彼はゲームの追加コンテンツの登場人物のはずだ。そしてその素性からして、メルフィーナの父親の私生児という可能性は全くない。
エキゾチックな雰囲気で実際の年齢は分かりづらいけれど、レイモンドはおそらく、アレクシスと同年代くらいだろう。十八でメルフィーナを産んだ母親側の隠し子ということも、さすがにないはずだ。
「……なぜそのように思ったのか、聞いてもいいですか?」
「あなたは、私のこの目がなんなのか、御存じですね」
その問いかけに、なんと答えたものかと迷う。
一見青い瞳だが、瞳孔を中心に金が混じるアースアイは、前世の記憶にある「ハートの国のマリア」の追加コンテンツの攻略対象が持っていた色だ。
キャラクターの紹介文では亡国の王子と書かれていたけれど、この世界で近年興亡した国は、メルフィーナが生まれる前に政変が起きたロマーナ帝国だけということと、以前トーリが金の髪は王族によく出る色だと言っていたことを加味すれば、自然と答えは出る。
「いえ、答えなくて結構です。その反応で分かりました。……ロマーナ帝国では、盲目の皇子が生まれたら、必ずその皇子を皇帝に据えると定められていました。生まれた子供は目が開くまで乳母と腹心の侍女だけで育てます。皇子は深いベールをかぶり、生涯、妻にも己の瞳を見せることはありません。これは、古い時代に交わされたロマーナの皇帝と、神との約定なのだそうです」
その言葉に愕然としながら、ごくり、と喉を鳴らす。
「――その皇子の瞳の色について知るのは、王とその皇子を産んだ妃と乳母、そしてこの瞳を生み出す可能性のある直系皇族だけです。まして、あなたは黄金の髪を持っている。確信するには、それで充分でした」
「………」
「私の瞳の色の秘密を知っている時点で、あなたがそれを知る権利のある方だという証明でもあるのです」
一気に話すと、レイモンドは慈愛のこもった目でメルフィーナを見て、微笑む。
すでに彼の中では、メルフィーナは「妹」だと確定しているらしい。
「ロマーナは今、苦境に立たされています。元老院が旧皇族から統治権を簒奪し、帝室の直系をことごとく処刑したため、ロマーナの誇るあらゆる技術が衰退を始めているのです」
憂い深い声とは裏腹に、レイモンドはきつく歯を食いしばるような表情だった。
「ロマーナは、いえ、ロマーナ皇族は、他国に先んじた多くの技術を保有し、管理してきました。技術者は皇族によって教育を受けた者たちで、皇族の失脚によって姿を消し、今やロマーナは過去の技術の保守を行うことすらできず、地区によっては下水道管の破裂や水の汚染、ダムの補修をすることも出来ず雨の多い年には洪水が起きることもしばしばです」
「花の都と呼ばれた首都のフィオレンティーナは、公共事業が激減したことで年を追うごとに貧困層が増え続け、スラムも拡大し続けています。特にここ数年は変化が著しく、国に戻るたびに治安の悪化を肌で感じるほどです」
トーリが暗い表情で続ける。
どれだけ優れたシステムを導入していたとしても、保守をする技術さえも持たなければ、インフラは老朽化し、いずれ破綻するばかりだろう。
前世でも中世ヨーロッパより古い時代であるローマ帝国の方が、多くのインフラの発達や高度な衛生観念が見られたというのは、有名な話だった。
「最後のロマーナ皇帝は、多くの妃とのあいだに皇子と皇女を持ちました。そして、後宮に革命の手が及んだのは最も後です」
「元老院の姫や地方の貴族の娘たちも、多くいたはずですものね」
「ええ、そしてその時間が、後ろ盾のない妃や皇子たちの逃亡する隙でもありました」
皇族は皇族に伝わる隠し財産や知識の伝達など、様々な恩恵を受けられたらしい。当時まだ幼子だったレイモンドは、アースアイを持って生まれたこともあり、特にその恩恵に浴することが出来たのだろう。
「母は後宮の下働きという身分でしたが、私を産んだことで上級妃として取り立てられました。下働き時代はあちこちの掃除をさせられていたので、逃げ出すのも簡単だったと笑っていました」
きっと、言葉で言うほど簡単なことではなかったはずだ。
革命を起こした者にとって、後継ぎと定められたレイモンドは何があっても討ち漏らしがあってはならない存在だっただろう。
もしかしたら、いや、おそらく確実に、今も秘密裏に旧皇族の後継者を抹殺するために探しているはずだ。
「帝室に思い入れがあるわけではありませんし、今の私はそれなりに成功した商人として生きています。帝室を失ったロマーナがその後平和に統治されているならば、支配者として返り咲こうなどという野心を抱くつもりはありませんでした。……しかし、花の都とまで呼ばれた美しい国が、日々腐敗していくのを見るのは、許せません」
その言葉は、やや熱のこもったものだった。
「私はいずれ、ロマーナ帝国を復興させるつもりです。そしてその時、散逸した旧皇族の知識を持つ者が必要なのです」
継承権のある皇族しか知らないはずのレイモンドの瞳の意味を知る、王家によく出る金の髪を持った、周囲のレベルを逸脱した知識で農地を開発したり治水事業を行ったりする、若い娘。
なるほどこの条件に当てはめれば、レイモンドがメルフィーナを知識を継承した旧皇族の一人だと考えるのは、無理もない話なのかもしれない。
話を聞く限り、レイモンド自身も旧ロマーナ帝国の知識の全てを受け継いでいるわけではないのだろう。
欠けた部分を補う兄弟や姉妹の存在は、彼がいずれロマーナの正統な後継者として返り咲く時に、喉から手が出るほど欲しいもののはずだ。
そして困ったことに、メルフィーナが彼の妹ではないという証明は、非常に難しい。
ロマーナ帝国が滅びたのはメルフィーナが生まれる前だけれど、それも何年と離れているわけでもない。妊娠期間を入れればギリギリ可能性がないとも言えない。
生まれる前に帝国が滅んだのだから知識の継承が出来るわけがないというのも、レイモンドが想定しているメルフィーナの「実母」も同じく皇族だったという設定ならば、身重の母が娘に知識を与えたと考えることもできるだろう。
そして、メルフィーナは母親であるレティーナの外出先で出産された。
入れ替えの可能性など、ほとんどあるわけがないとメルフィーナ自身思っているけれど、事実だけを見れば、そこになにかしらの作為があったのではないかと邪推するのはとても簡単なことだ。
――こういうの、悪魔の証明というのよね。
DNA鑑定どころか血液検査すらないこの世界で、血縁のあるなしに、完璧な証明はできるものではない。将来、もしレイモンドが皇帝の座を取り戻し、そして正式にメルフィーナが妹であるなどと言い出したら、今のメルフィーナの暮らしはそのままではなくなるだろう。
「レイモンド、私はクロフォード家の当主とその正妻の間に生まれた娘として、オルドランド公爵家に嫁ぎ、公爵夫人を名乗っています。私には領主としての役割があり、遠い国に足を運ぶことも、おそらく一生ないでしょう」
アレクシスが政略結婚したのは「クロフォード家の娘」であって、亡国の落胤ではない。まかりまちがえば、クロフォード家とオルドランド家の間の結婚が本来のなりゆきとは別の意味で白紙に戻されかねない。
今の生活に満足しているので、何が真実であっても今更それをかき乱されたくはない。
せいぜい、メルフィーナが言えるのはそれだけだ。
「ですが、あなたの友として、あなたの素性を口外することは決してしないと約束します。それは、ここにいる秘書も同じです」
メルフィーナの秘密云々ということで同席をしてもらったマリーが、思わぬ国外の秘密を知ることになってしまった。
彼女の身の安全は、何としても守らなければならない。
「あなたの友として、あなたが大きな役目を果たす日がきたら、知識を提供する程度の協力はさせてもらいます。もう一度言います、私は、あなたの妹ではありません」
「――そういうことにしておきましょう」
ひとまず、レイモンドはそれで矛を収める気になったようだった。
そこからは、持ち帰るエールの購入の量と価格の相談や、食べやすいかぼちゃのレシピの話をひとしきりして、レイモンドとトーリは帰っていった。
応接室のドアが閉まると、メルフィーナとマリー、二人のため息の音が綺麗に重なる。
「……どっと疲れたわ」
「私も、何も口を挟むことも出来ませんでした」
「それでいいわよ。他国の政治や権力闘争の話なんて、地方領主とその秘書が首を突っ込むようなことではないわ……それに、一から十まで彼の勘違いだしね」
がっくりと頭を垂れたことで、メルフィーナの金の髪が一束、さらりと落ちる。
――この髪がお父様と同じ赤毛なら、きっと、私は今ここにはいなかったわね。
王族によく出る美しい色だと言われても、メルフィーナはちっとも嬉しくなかったけれど、まさか結婚した後までこんな騒ぎに巻き込まれることになるとは思わなかった。
――安易に話を聞くなんて言わなければよかったわ。
後悔しつつ、未来で自分が知らないうちに隣国の新皇帝に名指しで妹として引き取りたいなどと言われる可能性を潰せたのかもしれないと思うと、それはそれでよかったのかもしれない。
そう思うことにしつつ、次から次にやってくるトラブルと平穏の遠さに、がっくりと肩が落ちるメルフィーナだった。