176.買い食いと錬金術師の依頼
屋台を覗いたり顔見知りと立ち話を楽しんだりしながら振る舞いのブースに戻ると、アレクシスたちは先に戻って来ていた。
というより、荷物が多くなりすぎて移動できなくなったという方が正しそうだ。地面に敷いた布の上には大量の、何に使うのかよく分からないものが積まれていて、少年二人は興奮状態だった。
「マリー叔母様、これはロマーナの魔よけのお守りだそうです。セルレイネ様とメルフィーナ伯母様と、マリー叔母様にお揃いで買ってもらいました!」
「姉様、こっちはロマーナでも珍しい香辛料なのだそうです。安価な品なので領主邸の荷には含まれていなかったと言っていたので、姉様とサイモン用に買ってきました」
「これは貝殻の詰め合わせです。貝って、私、初めて見たのですが内側が宝石みたいになっていて、綺麗ですよね」
「こちらは東部に伝わるお話をまとめた古い本で、売り物ではないけれど特別に譲ってくれると言われて」
少年二人は戦利品を嬉しそうに見せて来るけれど、その他にもキラキラと輝くビーズが縫いつけられたストールやカービングされた革の小物などが続く。
どれもエンカー地方では見慣れない、高価だが堅苦しくない、購買欲を刺激するおしゃれなものばかりだ。一流のものに触れて育っただろう二人が夢中になるのも分からないでもない。
「二人に渡したお小遣いでは、こんなに買えませんよね」
あれも、これもと見せて来る二人ではなく、その後ろにいるアレクシスとオーギュストに視線を向ける。
「いやあ、お二人が楽しそうでよかったです。商人も親切でしたし、相場より大分お得な買い物ばかりでした。今回のロマーナの隊商は、本当に頑張ってくれたと思いますよ」
「気に入ったものに出会えるのはいいことだ。こうした祭りに参加したのは初めてだが、悪くないものだな」
僅かも悪びれる様子がない二人に、アレクシスだけでなく、そういえばオーギュストも貴族出身なのだと今更のように思い出す。
彼らにとっては魅力的に映ったものを手に入れるのは躊躇するようなことではないし、セレーネもウィリアムも生涯お金に困るような身分ではない。
前世の感覚だと、言われるままに子供に買い与えるのはあまり教育によろしくない気がするけれど、貴族にとってはこの程度の買い物で子供に何でも買い与えてはいけませんと言うのは、メルフィーナのほうがおかしいと思われるだろう。
裕福な貴族や大商人が気前よくお金を使うことで、物流や貨幣が動き社会全体に良い影響を与えるという一面も、確かにあるはずだ。
「――素敵な出会いがあってよかったです。一番気に入ったものはどれですか?」
そう頻繁にある機会ではないし、楽しそうな様子に水を差すのも気が引けて二人に尋ねる。二人とも迷った様子でこのクッションは羊毛が入っていて温かくて、こっちのカバーはこの刺繍の柄が鮮やかでと言い合っていた。
「大人の二人は、何か買ったの?」
「干し肉を何種類か購入しました。香辛料が効いていて辛いものなど、色々と味付けを変えているということなので。少し試食させてもらいましたけど、あれは絶対領主邸のエールと合いますね」
「アレクシスは?」
「エールを飲みながら人混みを歩いていたら、気が付いたら通り抜けていた」
「俺も知りませんでしたが、閣下は遊ぶのが下手なんですねえ。目移りしている間に屋台の通りが終わってしまっていました」
何かを手に取る前に子供たちにこれがいい、あれが面白そうだと言われてそちらに意識を向けてしまうアレクシスを想像して、マリーと二人で肩を揺らす。
今のアレクシスを見て「苛烈な氷の公爵」という言葉は、逆立ちしても出てこないだろう。
「ふふ、私とマリーはこれから屋台を回るので、一緒に行きましょうか。折角だから、アレクシスもひとつくらい、自分の記念になるものを買うのもいいと思いますよ」
「あ、じゃあ俺は残ってセルレイネ殿下とウィリアム様についています。閣下がいれば護衛の手は足りるだろうから、テオドール卿も残って手伝ってくれ」
「……よろしいでしょうか、閣下」
水を向けられ、戸惑った様子のテオドールに、アレクシスは鷹揚に頷いた。
「そこら中に警備の兵士が巡回しているから、心配はないだろう。二人は殿下をよく見て差し上げてくれ」
そう告げたアレクシスに、テオドールもしっかりと騎士の礼をとる。
「閣下は一人で騎士十人分くらいは頼りになりますし、ソアラソンヌではさすがに難しいですが、ご家族だけで祭りを楽しむのもいいと思いますよ」
ぱちん、と音がしそうなほど見事なウインクをしたオーギュストに苦笑が漏れる。
子供たちはまだ戦利品に夢中な様子だし、隣国の皇太子のセレーネと公爵家後継のウィリアムの警護は厚いに越したことはない。
メルフィーナの顔は有名だし、あまりぞろぞろと連れ立っても商売の邪魔をしてしまいかねないだろう。
「じゃあ、そうしましょうか。この三人だけというのも、新鮮ね」
「身辺はしっかり守るから、安心して買い物をするといい」
よくセレーネや、かつては弟にそうしていたように、あっさりとそう言うアレクシスの背中を、とん、と軽く叩く。
「あなたも楽しむのよ、アレクシス」
「……心がけよう」
少し気まずそうに答えたアレクシスに、しみじみと思う。
――この人、私生活ではかなり不器用なのね。
そもそもアレクシスに、これまで私生活というものが無かったのだろうことは、想像に難くない。
領主として多忙を極めているメルフィーナも、季節の変化を楽しんだり、料理をして周囲にいる人たちとの時間を大事にしたりと、生活を豊かにすることには熱心だが、そうした意識すらなかったのだろう。
小さな村ひとつといくつかの集落があるだけだったエンカー村の領主と、北部全域の支配者である公爵では、背負っているものが違うのは明らかだ。
それでも、その中心にいるのは一人の人間であることに変わりはない。アレクシスにもそれを忘れて欲しくないと思う。
「折角お祭りに来たんですから、もっと肩の力を抜いてちょうだい」
「そうですよお兄様。さ、笑ってください。顔が笑っていると、自然と心も楽しくなってくるものです」
マリーに言われて、アレクシスは不器用そうながらも、口元をほころばせた。
* * *
「もう、おなか一杯。――こんなに食べてしまって、服がきつくなったら困るわね」
「私もです。少し苦しいくらいですね……」
お祭りのムードとは恐ろしいものだ。普段はどちらかと言えばやや小食な方であるメルフィーナだが、エールを片手に平焼きパンのサンドイッチをぺろりと平らげた後、ナツメヤシやイチジクのドライフルーツを籠で買い、摘みながら屋台を見て回っているうちに、陽気な音楽と浮かれた気持ちであれこれと食べてしまい、気が付けばおなかがぱんぱんになっていた。
「少し食休みしましょうか。アレクシスは大丈夫?」
「ああ、私は食べられるうちに食べておくことに慣れているから、問題ない。領主邸の天幕に戻るか?」
「いえ、ちょっとそこの木箱を借りて休みましょう」
今日の畑仕事を終えてから参加する者もいるので人も増えてきたし、歩き回っているうちに広場の端まできてしまった。人混みで万が一粗相をしたら、領主の威厳も何もあったものではない。
腰を下ろすと、すこし楽になった。普段ならばよく声を掛けられるけれど、傍にアレクシスがいるせいか、今日はなんとなく遠巻きにされていて、おかげで静かに休むことが出来る。
――王都にいた頃のようにコルセットを締めていたら、あぶなかったかもしれないわ。
いや、コルセットで腰回りを締めていれば、そもそもこんなにたくさん食べることは出来なかっただろうから、一長一短だろうか。そんなことを考えながら流れていく人ごみを眺めていると、長身の錬金術師の目立つ青い髪が目に入る。
あちらもすぐにこちらに気づいたらしく、こちらに向かって歩いてきた。
「レディ、こちらにいらしたんですね。公爵閣下も、お久しぶりです」
「ユリウス様、こんにちは。レナたちは一緒ではないのですか?」
「子供たちの合唱に参加するので、さっき別行動になりました。レディに聞いてもらいたいと練習していましたから、是非最前列で観覧してください」
「それは楽しみだわ」
去年も子供たちの歌は可愛らしくてとてもよい思い出になっている。また新作の歌を聞かせてもらえるかもしれないと思うと、自然と口元が綻んだ。
「錬金術師殿、二人に飲み物を買ってくる間、少し二人を頼めないだろうか」
「勿論構いませんよ。どんな無頼が襲ってきても確実にお守りします」
おどけた言い方だけれど、ユリウスは春先に現れた熊を容易く退けたという実績がある。人間など何人束になって掛かって来ても、彼の敵ではないだろう。
アレクシスが席を外すと、ユリウスは空いた木箱を運んできてメルフィーナたちの向かいに腰を下ろす。
「僕もレディにお話があったので、ちょうど良い機会でした」
「また何か面白いアイディアがあるんですか?」
「そろそろ王都に戻ることになりそうなので、レナを領主邸で預かっていただきたいのです」
笑いながら何気なく掛けた問いに返って来た答えに、息を呑む。
「雪が降る前には出発することになると思うので、今すぐというわけではないのですけれどね」
「分かりました。レナは醸造所での研究の手伝いも始めているので、メルト村から通うのが大変だからという口実で城館に部屋を持っても不自然ではありません。とはいえ、レナはまだ幼いので、ロドと一緒に部屋を用意しましょう」
ロドは十二歳、そろそろ将来の進路を決めて親元から離れても不思議ではない年だ。
彼が志すようにいずれ文官の道に進むなら、早いに越したことはないだろう。
「ああ、ありがとうございます! レナは、本当に類稀な子です。とても賢い子だから、いずれきちんと自分の歩む道を決めることが出来るでしょう。レディ、どうかあの子が自分の意思で進めるようになるまで、守ってあげてください」
ユリウスの「王都に戻る」は「目が覚めなくなる日が近い」というのと、同じ意味だ。
それをあんなにあっさりと、まるで雑談のように言った同じ口から出る、レナの将来を心から案じているように願う言葉に、胸がぎゅっと痛む。
「……ユリウス様だけでなく、ロドとレナの二人もとなると、ニドとエリはとても寂しくなるでしょうね」
ニドの家に居候するとなった時にはどうなることかと思ったけれど、ユリウスはあっさりと一家に馴染み、兄妹たちと末の妹の面倒を見て、まるで子供っぽい長男のように、楽しそうにしていた。
メルト村の人々も、ユリウスの存在が頼りになった一面もあっただろう。
「レディ、そんな顔をしないでください。大丈夫、サラもいますし、定期馬車も出るようになったんですから、いつでも会えます。僕がいなくなっても、全部元に戻るだけですよ」
あなたはそれでいいのかと、喉元まで出かかって、呑み込む。
元々いつも楽しそうな様子を見せていたけれど、レナと出会ってからは一層、ユリウスは少年に戻ったようだった。
きっと、一番離れがたく思っているのはユリウスだ。それが分かっているのに、言葉は出ない。
冷たくなった指先を隠すように、ぎゅっと握りしめる。
それに、これが今生の別れになるわけではない。ユリウスは来年の夏にマリアが降臨すれば、きっと助かるだろう。
形は変わっても、エンカー地方やレナと良い関係でいられる可能性は、十分にある。
「ユリウス様、レナのことは任せてください。私の大切な友人でもあります。あの子が大人になるまで、必ず守ります」
「よかった! 僕も安心して戻ることが出来ます! ありがとうございます、レディ」
ユリウスは心から安堵しているようで、笑顔に濁りのようなものは微塵も感じられない。
それが余計に、メルフィーナの胸を竦ませた。




