171. 会頭の来訪と意外な正体
朝晩の空気がすっかり冷え込むようになってきた頃、オーギュストの先触れとともに、エンカー地方に長い隊列が訪れた。
街道を望むことのできる領主邸の窓から見た隊商の列の長さに、メルフィーナも驚いたほどだ。
「会頭が来るとは聞いていたけれど、こんなに大規模な隊商で来るとは思わなかったわ」
「大獅子商会の規模が大きいのは勿論ですが、今回はメルフィーナ様へのアピールもあるのでしょうね。水運が順調なこともあり、エンカー地方への注目度は非常に高いものになっているので、縁をつなぎたい商人は多いと思いますよ」
「ちょうど冬支度が始まるから、色々購入させてもらえると嬉しいわね」
そんな話をしているうちにどうやら先頭の馬車が到着したようで、メイドの一人が来客を告げる。
一般的に貴族の流儀ならば、応接室でしばらく待たせてから対面するものだが、荷物も多く運び込むのに時間もかかるだろうと、マリーを隣に、テオドールとオーギュスト、ロイドは後ろに控えてもらって出迎えることにして、領主邸の入り口を抜けて内郭に出ると、丁度箱馬車が止まったところだった。
黒塗りの二頭立ての立派な造りであるものの、デザインはどこか野暮ったく、実用重視という印象で、貴族の馬車のように華美ではない馬車だ。
経済力を誇示して貴族の反感を買わないようにという意図もあるのかもしれないと思っていると、馬車からまず黒服に身を包んだ大柄な男性が降り、その後に、対照的に真っ白な服の男性が降りて来る。二人はすぐにこちらに気づいて、その場で膝を突いた。
「メルフィーナ・フォン・オルドランドです。遠いところを良く来てくださいました。どうか楽になさってください」
「ロマーナで商会を営んでおります、レイモンドと申します。後ろに控えているのは私の使用人、ショウ・ライオンという者です。公爵夫人にはお目通りを叶えて頂き、感謝いたします」
「こちらこそ、エンカー地方まではるばる来てくれてありがとうございます。国の北の端なので、物資はとてもありがたいわ。良い商売をさせていただきたいと思っています」
丁寧な挨拶に応えると、レイモンドはすっと顔を上げた。
二代目とは聞いていたけれど、思ったよりずっと若い男性だ。金の髪に褐色の肌の、華やかに整った顔立ちをしている。笑顔は爽やかで、それでいて押し付けがましさは全く感じない。
対峙して挨拶を交わしただけだというのに、立ち振る舞いも非常に洗練されているのが見て取れる。
これでこの世界有数の富豪というのだから、さぞかし引く手数多だろう。
少し垂れた形の目が優し気な雰囲気をより強く感じさせるけれど、その端正な顔立ちや雰囲気の甘さより、瞳の虹彩にメルフィーナは目を奪われた。
一見青い目に見えるけれど、瞳孔に向かって夕日のような茜色が混じったアースアイだ。この瞳には、どこかで見覚えがあった。
これだけ印象的な瞳なら、一度見れば忘れることはないはずだが、すぐには出てこない。しばし瞳に見入るように見つめ合い、ようやく前世の記憶に合致するものがあると気づいて、思わず手のひらで口を覆う。
「あ……!」
瞬間、オーギュストとテオドールがメルフィーナの前に回り込む。その素早さに驚いていると、二人は剣に手を掛けた。
「二人ともどうしたの!?」
「メルフィーナ様、我々の後ろにお下がりください」
抜刀こそしていないけれど、強い警戒心が伝わってきて一歩後ろに下がる。マリーも驚愕に眉を寄せながら、ただ事ではないと感じ取ったようにさりげなくメルフィーナの前に体を滑りこませた。
「控えろ」
そう告げたのは、対面していたレイモンドだった。ただその声は彼の背後に控えた黒服の男性――ショウに向けられている。
「――申し訳ありません。腕は立ちますが、見ての通り無作法な護衛です。あとで私から、罰を与えておきますのでどうかお許しください」
深く頭を垂れたレイモンドに、事の成り行きが理解出来ず戸惑う。
レイモンドを注視していたメルフィーナはまるで気が付かなかったけれど、彼の護衛が敵意を放ち、それに護衛騎士の二人が反応したということらしい。
「いえ、私が大きな声を出したから、きっと驚かせてしまったのね。何が起きたわけでもないのだから、気にしないでちょうだい」
オーギュストとテオドールも剣から手を離し一歩下がったけれど、二人とも警戒の色は強いままだ。
「なんだかおかしな雰囲気になってしまったけれど、来訪を歓迎しますレイモンド。収穫祭も近いし、よければしばらく滞在していってください」
「ご厚情に感謝いたします。――ショウ、お前からも謝罪と感謝を」
「不躾な振る舞い、申し訳ありませんでした。領主様のご温情に感謝いたします」
すらりとしてスマートな印象のあるレイモンドと比べて、ショウはがっしりとした体躯で声も低い。体格がよく愛想がない男性は北部には珍しくないけれど、彼らともまた違った雰囲気がある。
「領主様、多くの物資を運んで参りましたので、是非市の末席を頂ければと思うのですが、可能でしょうか?」
「エンカー村の広場に市場があってフリッツという者が取りまとめをしているから、既定の料金を払ってもらえれば自由にしてもらって大丈夫よ。私も足を運ばせてもらうわ」
今年に入って、職人や新たにエンカー地方で商売を営むための移住者と、その家族はそれなりに多かった。去年よりは購買力も高くなっているだろうし、好景気のおかげで生きることだけで精いっぱいという者も減っている。
来る冬の備えとして、領主を介さない個人の買い物をするのも良いだろう。
「風も冷たいことですし、領主向けの商品は中で見せてもらいます。広間に運び込んでもらえるかしら?」
「はい、ありがとうございます」
レイモンドの柔和なしゃべり方と丁寧な所作に、テオドールとオーギュストの警戒もようやく解けたようだ。
広間に運び込まれた商品は軟質の小麦粉やパスタといった食料品の他、オリーブオイル、植物紙のような元々メルフィーナの欲しかったものの割合が多く、その他は毛皮や毛織物、服やドレスに使える生地に、美しいビーズなども交じっている。
貴族との取引には必須で、かつ最も利鞘が大きいはずの宝飾品などが交じっていないのは、メルフィーナが必要としているもの、好むものをかなり入念に研究した結果なのだろう。
これだけの物資を揃えておきながら、その中にロマーナの特産である砂糖が無いことも、多少含みを感じないでもない。
――ロレンツォに刺した釘が少し大きすぎたのかしら。
「どれも素晴らしい品ですね。さすが、ロマーナが誇る大商会です」
「お褒め頂きありがとうございます。アントニオとロレンツォから、領主様の慧眼は聞いていましたので、当商会で扱う中でも最も良い物だけを厳選してお持ちしました」
言葉通り、高位貴族としてそれなりに良いものを見慣れているメルフィーナの目から見ても、揃っている物資の質は高い。時々こっそり「鑑定」を掛けてみたけれど、おそらく商会側にも「鑑定」を持つ者がいるのだろう、品質にも問題は一切なかった。
「そういえば、ショウは家名があるようだけれど、貴族ではないの?」
「あれは家名ではなく、称号にあたります。彼の父親が先の政変時に大きな活躍をしたことで与えられ、それを長子であるショウが引き継いだものです」
先の政変というのは、メルフィーナが生まれる数年前に起きたロマーナの革命のことだろう。それを彼の口から語らせるのは悪趣味な気がして、そうなのね、と頷くに留める。
「レイモンドのお父様は、ショウのお父様をとても信頼していたのね。商会の名前も彼の称号から取ったものだし」
「はい、親子二代の腐れ縁です」
話しながら眺めていた品物の中に椿油を見つけて、ぱっと目を見開く。
ちょうどトーリから購入したものが切れてしまったタイミングだったので、嬉しい商品だ。蜜蝋を混ぜたクリームや、手荒れケア用の絹の手袋なども揃っていた。
「これで髪のケアをすると全然仕上がりが違うのよね。欲しいと思っていたから嬉しいわ」
そう言って、ふと、レイモンドの肌と顔立ちがトーリによく似ていることに気が付く。確か、彼女も口うるさい兄がいると言っていたはずだ。
「以前、トーリという美容師に施術をしてもらったことがあるのだけれど、もしかしてレイモンドとは親族なのかしら?」
「父親違いの妹です。誰に似たのか向こうみずで、私がロマーナで大人しくしていろと何度言っても聞きません」
「ふふ、レイモンドみたいな優しそうなお兄さんがいて、いいわね。私には兄がいないので、少し憧れるわ」
「――恐縮です」
なぜかその返事には、少し間があった。
「もうすぐ冬が来るから毛皮はいくらあってもいいわ。運び込んだものは全て購入させていただきます。食品は専用の倉庫があるから、そちらに運んでもらえるかしら?」
「ありがとうございます。そのようにさせていただきます」
優雅に一礼をした後、荷運びの商会員に指示をし始めたレイモンドを見ていると、ふと、いつからかこちらを見ていたらしいショウと目が合った。
黒髪に黒い瞳は郷愁を感じさせるけれど、かつてトーリがそう言ったように、彼も染髪しているのかもしれない。
ハートの国のマリアの追加コンテンツで登場予定だった、ロマーナの前身である亡国の王子と勇猛な将軍という二人のキャラクター。
CMではシルエットのみだったけれど、印象的なアースアイだけは、カラーで表示されていた。
ロマーナ有数の大商会の会頭、すなわちこの世界でも指折りの富豪であり亡国の王子という立場は、いかにもマリアの攻略対象として相応しいキャラクターと言えるだろう。
その護衛であるショウが、政変で活躍した……元老院側に付いて戦い、称号まで与えられた者の息子というのも、意味深な関係だとは思うけれど、メルフィーナには直接関係ない話だ。
――何事も無ければいいけれど。
レイモンドがエンカー地方に滞在するのは、どんなに長くても一週間といったところだろう。
商売人は決して時間を無駄に浪費したりはしないものだ。
一抹の不安を覚えつつ、そう願うメルフィーナだった。