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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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169.コルクと二人の研究者

「メルフィーナ様、移動に馬車を用意しますか?」

「いえ、城館の敷地内だし、歩くわ。少しは動かないと、運動不足になってしまうし」


 マリーの言葉に笑って答え、領主館から出ると、天気はいいのに吹いている風は思わぬ冷たさだった。

 北部の夏は恵みの季節でもあるけれど、それは儚さを感じるほどに短い。トウモロコシの最後の刈り入れが終わったら、もう夏が立ち去る気配はすぐそこまで近づいていた。


「仕事も少しずつ減って来たし、今年もピクニックに行きたいわね」

「セルレイネ様も、最近はフェリーチェの散歩以外はお部屋に籠って書き物をしているようですし、気分転換にいいと思います」

「忙しくて、セレーネには寂しい思いをさせてしまっているわね。フェリーチェがいてくれて、本当によかったわ」


 朝食と夕食は出来るだけ共に摂るようにしているけれど、それも視察や文官たちとの会議が入ると抜けてしまうことも少なくない。我慢強いセレーネは口に出して寂しいとは言わないけれど、他国の王子であるセレーネが心を開ける相手は決して多くはない。


 冬になれば丸一日でもともに過ごせるようになるだろうけれど、出来るだけ早く、彼のために時間をとってあげたい気持ちもあった。


「サンドイッチにパイに、リンゴのシードルも持っていきましょうか」

「兵士たちに湖で魚を捕ってもらうのもいいかもしれませんね。その場で一番大きな魚を捕れた者に褒賞を与えることにして」

「ロイドが領主邸で働いてくれるようになってから、お魚を食べる機会が減ったものね。私もその競争に参加しようかしら」


 後ろを振り返ると、荷物を抱えているロイドが苦笑を漏らす。


「では、釣り具を用意しておきます。希望する者に参加してもらう形にして……一応全員分の数を用意しておいた方がいいですね」


 気軽な会話を交わしながらしばし歩く。後ろにはロイドの他、護衛騎士のテオドールと、今日はヘルムートとギュンター二人の執政官も随伴している。

 元々の領主邸の建っていた周辺の土地には、次々と新しい建物が建っている。特に最も新しいガラス工房は、窓が全て平面ガラスで造られており、領主邸よりも垢ぬけた雰囲気だった。


「リカルドも随分張り切って建ててくれたみたいね。工房の引っ越しも済んだというし、本当に頼もしいわ」

「あ、メル様ー!」


 ガラス工房に向かって歩いているうちに、こちらに気づいたレナが弾丸のように走ってきて、ぽふり、とメルフィーナのスカートに着地した。可愛い頭を撫でて、手をつなぐ。


「今日は来てくれてありがとう、レナ」

「こちらこそ、呼んでくださって、ありがとうございます!」


 背伸びをした返事に自然と口元が笑みの形になった。

 去年の春と夏の間に知り合った時には舌ったらずに喋っていたというのに、子供の成長というのは本当にあっという間らしい。


 工房の前には、すでにガラス職人と、大きめに取った通路を挟んで隣に造った醸造所のエール職人も揃っていた。青髪で背の高いユリウスは笑顔で、その横のロドはほっとした表情で、メルフィーナを迎えてくれる。

 ガラス工房の中は高温になりやすい。今も炉に火が入っているため、窓を開け放していても外よりずっと暖かかった。


「今日は集まってもらってありがとう。エールもガラスも外部からの評判も上々で、私もとても助かっているわ」

「酒造りは、まだまだ試行錯誤ですが、いずれ領主様の腕前に追いついてみせます」

「ガラスも、新しい技術に慣れるのにまだまだ精いっぱいですな。平面ガラスはなんとか、安定して作れるようになってきましたが、まだムラが出ることも多いので、熟練までもう少し時間が要りそうです」


 職人たちはそう言うけれど、どちらも意欲が高く、日に日にレベルが上がっているのを感じる。喜ばしさに明るく笑ってると、気が急いたようにユリウスに声を掛けられた。


「レディ、それで、今日の話なのですが」

「ええ、みんな忙しいでしょうから、本題に入りますね。ロイド」

「はい」


 ロイドは担いでいた荷物の中から、工房に設置してある大きなデスクの上に荷物を広げる。

 それは、一見してただの木の表面を厚く削ったものだ。乾燥して内側に大きく歪曲したものもいくつもある。

 半分ほどはその厚い樹皮に、丸い穴が開けられていた。


「これは、スパニッシュ帝国で穫れる樹木の皮です。このように、くり抜いたものを瓶の口に嵌めて利用します」


 メルフィーナの言葉に、ロイドが瓶詰をテーブルの上に置く。


「これは、工房が稼働した頃にご依頼で作ったものですね」


 瓶の中身はメルフィーナの作ったジャムと、チーズを角切りにしてオリーブオイルに漬けたものだ。コルクを嵌めた後、蝋を上から掛けて密封してある。


「ええ、そこから実験的にいくつか瓶詰を作ってみました。コルクが手に入ってすぐに作ったので、どれも二週間以上は経過しています」


 その言葉に、ざわめきが起きる。

 円筒形にくり抜いたコルクは、前世で見たコルク栓と全く同じものだ。前世のそれは産地やメーカーによって焼き印が入っていることが多かったけれど、違いと言えばその程度である。


「どうぞ皆さん、手に取ってみてください。触ってみれば分かると思いますが、コルクには伸縮性があります。丸く切り抜いたこれを瓶の口に嵌めて、その上から蝋で封をします。空気から遮断することでお酒や油などは酸化……酸っぱくなったり、悪臭を放ったりするまでの期間を延ばすことが出来ます」


 職人たちは興味深そうにそれぞれ切り抜き済みのコルクを手に取ったり、瓶詰を窓から入って来る光に翳したりしている。

 中には切り抜く前のコルクに触れて確認する者もいた。


「なるほど、瓶とコルクの組み合わせで、樽で保存するより長く保存がきく、ということですか」


 そう口にしつつ、職人たちは有用性がいまいち理解出来ていない様子だった。

 この世界では、食料の保存は塩漬けか、その上で乾燥させるかというのが主流であり、酒類も地産地消が当たり前だ。


 エールは造ったら次のエールが発酵されるまでに飲んでしまうし、ワインも日を置けば酢になってしまい、そう日持ちするものではない。

 ましてガラスは壊れ物である。多少長持ちするとはいえ、樽の便利さには及ばないと考えるのも当然の反応だろう。


「十分な配慮をして瓶に充填したワインは、十年でも二十年でも持つ、といえばその価値が理解出来ると思います」


 メルフィーナの言葉に、ユリウスとレナを除く全員がざわりとざわめく。


「また、加熱した料理を瓶に密閉した場合、腐敗は随分遅くなるか、全く腐敗しなくなります。当面はお酒と油漬け、塩漬けなどの充填をメインに開発していきますが、最終的には、中の料理が腐敗しない状態を目指したいと思います」


 実際には食品の場合、コルクの耐久性と中身の変質を考えれば数年が限度になるだろうけれど、それでもこの世界の保存技術を考えれば、十分革命といえるだろう。

 中身がワイン、さらに蒸留酒ならば、決して大言壮語というわけでもない。


「そんなことが可能なのですか……」

「ワインを二十年。正直、想像もつきません」

「年単位はともかく、それが実現すれば冬の間の食料の確保が随分楽になるな」

「飢饉の備えにもなるんじゃないか」


 それぞれがコルクと瓶の組み合わせについて、真剣に話をし始めるのを、メルフィーナは柔らかな笑みを崩さず眺める。


 コルクは軽いけれどかさばるので、馬車での運搬にはあまり向かない素材である。

 水運が上手く進んでいることで、今回、スパニッシュ帝国から輸入出来たものだ。

 運んできた商人からは、こんなものを大量に買い付けてどうするのか、一体どういう使い方をするのかと、随分探りを入れられたものだった。


「メルフィーナ様、これはフランチェスカ国内では穫れないものなのですよね? 瓶詰の開発が上手く行ったとして、コルクの有用性が知られれば、価格は高騰するのではありませんか?」


 ヘルムートの質問に職人たちの意識が集中するのが伝わってくる。

 折角開発しても、原料が高騰して入ってこなくなるのでは意味がないのは明らかだ。

 それに対し、メルフィーナは落ち着いて答えた。


「起業家に投資して、コルク林の経営の援助と、向こう10年の専属契約を結んでもらったわ。なぜコルクで栓をするのか周知されるのに2.3年、シンプルに真似しようとして失敗して、原理を解明されるのに同じくそれくらいの年数として、実際に大量のコルクを買い付ける動きが出る頃までに、契約規模を拡大するつもりよ」

「ふむ……しかし、より高値で買い取りをするという話に、経営者が乗る可能性も高いと思いますが」

「その頃には、次世代の技術が軌道に乗っていると思うわ。でも、コルクは有用な素材なので、是非長いお付き合いをしたいものね」


 コルクは、この世界ではスパニッシュ帝国とロマーナ共和国で育つ樫からしか穫れない。

 フランチェスカ王国内でも南部ならば可能性はあるけれど、少なくともエンカー地方の寒冷な気候では難しいだろう。


 しばらくは輸入に頼るしかないけれど、輸入依存は支出のバランスが悪くなるのは明白である。コルクの有用性が広がって価格が上がる頃には、その使用率を下げて、別の素材で同じことができる技術の開発をしていくことになる。


「中身が油漬けやお酒の瓶は、コルクの口にサイズを合わせた製作なので、それほど難しいものではないと思うわ。板ガラスを造る技術のある職人なら、遠からず実現できると思います。ガラス工房の職人にお願いしたいのは、エール瓶の研究がメインです」

「エールの瓶ですか。油などと同じように入れるわけにはいかない、ということですね?」


 ガラス工房の親方は、鹿爪らしい表情で尋ねて来る。


「ええ、ワインやオイルのようなものはガラスそのものを乱雑に扱わなければ、破損の心配はほぼありませんが、炭酸……しゅわしゅわと泡立つものは、内側で内圧が上がるので、強度の足りない瓶は内側から破裂する危険性があります。これからその内圧に耐えるものを製作してもらうわけですが、そちらについては、この二人に協力をお願いします。――ロド、レナ。前に」


 それまで静かに控えていた二人が名前を呼ばれ、互いに顔を見合わせた後、おずおずとメルフィーナの左右に並んだ。


 職人たちも、子供二人を紹介されて、分かりやすく困惑した表情を浮かべている。


「兄のロドは「演算」と「分析」の「才能」がすでに認められています。妹のレナは「祝福」はまだですが、彼女にも稀有な「才能」があると思われます。錬金術師のユリウス様と共に、瓶に詰めた食べ物が腐らない実験をしてくれたのも彼女です」


「レナです! よろしくお願いします!」

「ロドです。メルフィーナ様の役に立てるように、頑張ります」


 レナは持ち前の気負わなさで元気よく挨拶をし、妹の声に背を押されるように、ロドも背筋をぴんと伸ばして声を上げた。


「この研究に関して、私の権限を二人に委任しています。二人の言葉は私の言葉であると思っていただいて構いません」


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