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160.深夜の訪問

 晩餐は晩餐室で、アレクシス、ウィリアムとともにとることになった。

 デザートを終え、食後の紅茶を傾けたところでマリーに頼んでエドを連れてきてもらう。


「今夜の晩餐を手掛けてもらったエドです。何度か顔を合わせたことはありましたが、折角の機会なので正式に紹介させてください」

「エドと申します。本日の晩餐の料理長を務めさせていただきました」


 緊張した面持ちで頭を下げるエドに、料理に十分に満足したらしいアレクシスは、鷹揚に楽にしていいと告げる。


「これほどの晩餐は王宮に出向いても中々口にできるものじゃない。素晴らしい料理人に感謝する」

「も、もったいないです。でも、ありがとうございます!」

「特にデザートがよかった。こちらも君のレシピなのか?」

「発案は私ですが、私が作るよりずっと美味しく仕上げますわ。もう私では彼に敵いませんね」


 メルフィーナの言葉に、エドはそんなことはないと言いたげな顔をするけれど、事実である。

 料理は同じ手順で行っても全く同じ結果になるわけではない。メルフィーナの知識で再現できる料理が、エドの手に掛かると一段も二段も上の仕上がりになることは以前からたびたびあったけれど、最近はもう一度作った料理はエドのほうが上手く仕上げてくるようになった。


 今夜のデザートに出たのは、四角にカットされたイタリアンプリンだった。しっかりとした食感で、甘さもほろ苦さも完璧に仕上がっている。


「僕は、パンがすごく気に入りました。白くて、ふわふわで、こんなに白いパンを食べたのは初めてです」

「確かに、驚くほど白く柔らかいパンだったな。まるで雲を食べているようだった」

「焼くのに少しコツが要りますが、それほど難しいものでありません。よければ明日の朝も出しましょう」


 二人とも穏やかに会話をしているところを見ると、伯父と甥としての関係は決して悪いものではなさそうだ。

 何しろ結婚式の翌日には公爵家を出てしまったので、公爵家内部の人間関係についてはマリーやセドリックから時々漏れ聞く程度だった。ウィリアムについても、アレクシスの婚約者と弟との間に生まれた子供という以上の情報はなかったけれど、二人の間にわだかまりのようなものは無いことに、少し安堵する。


 しっかりと背を伸ばし、貴公子として振る舞うウィリアムに視線を向けて、ふと、頬に小さな汚れが付いていることに気が付いた。

 おそらくイタリアンプリンのカラメルだろう。髪も肌も真っ白なので、すこし目立っている。


「ウィリアム様、失礼します」


 子供がお弁当をつけてしまうのは、よくあることだ。弟のルドルフも時々料理のソースを頬につけて、母のレティーナに拭いてもらっていたものだ。


 ハンカチでウィリアムの頬を拭おうとしたところで、ぱん、とやや派手な音が響く。手を払われたと気づいたのは、一瞬遅れてからだった。

 ぱさり、と小さな音を立てて、ハンカチが床に落ちる。


「あ……」

「申し訳ありません、メルフィーナ伯母様!」


 真っ先に声を上げたのは、手を払った当のウィリアムだった。白い顔を真っ青にして、ひどく焦った様子だった。


「乱暴なことをするつもりはなかったんです。少し驚いてしまって」

「いえ、私の方こそ急に触れようとしてしまい、申し訳ありません。まず一声かけるべきでした」


 セレーネとの気の置けないやり取りに慣れていたこともあれば、母とルドルフのやり取りが目に焼き付いていたということもあったのだろう。


「伯母様は悪くありません、僕が」

「ちょっとした行き違いだろう。あまり大袈裟に謝り合う必要もない。メルフィーナ、手は大丈夫か?」

「問題ありません」

「ウィリアム、こちらへ」


 蒼白のまま、まるで罰を受けにいくように椅子から立ってアレクシスの前に立ったウィリアムの頬を、アレクシスがハンカチで優しく拭う。


「領主邸の食事が美味いのは事実だが、もっとゆっくり食べるようにしなさい」

「はい……申し訳ありません、伯父様」

「私に謝ることはない。――そろそろ晩餐はお開きにしよう。後ろの護衛騎士が涎を垂らし始める前に、我々は部屋に戻らせてもらう」

「助かります! もうさっきから料理の匂いだけで腹が減って、くらくらしてきました」


 オーギュストがいつもより一段明るいトーンで言うと、その場の空気がふっと緩む。アレクシスに連れられて晩餐室を退室するとき、申し訳なさそうな様子で振り返るウィリアムに、微笑む。

 それでもウィリアムの表情が晴れることはなかった。


「メルフィーナ様」


 メルフィーナの後ろに控えていたマリーが、ハンカチを拾う。


「こちらは洗濯に回しておきますね」

「ありがとう。……ウィリアム様は、大丈夫かしら」

「そうですね、少し、心配です」


 マリーも気づかわし気にそう告げる。


 ウィリアムがわざとメルフィーナの手を払ったとは、この場にいる誰も思ってはいないはずだ。

 それなのに、彼自身がひどく自分を責めている様子なのが、気にかかった。




     * * *


 寝室に入り、魔石のランプを灯してこっそりと寝室に持ち込んだ書類に目を通していると、とんとんとん、と小さくノックの音が響く。


 寝室に入ってから、すでに二時間近くが過ぎているはずだ。この世界の基準から言えば真夜中もいいところで、思わず身構える。


「メルフィーナ様、僕です。こんな時間にごめんなさい」

「……エド?」


 ぱちぱちと瞬きをして、ドアを開けると、ひどく気まずげな様子のエドが一人でドアの前に立っていた。


「どうしたの、こんな時間に」


 エドは現在、使用人用の宿舎に部屋を持っている。城館の敷地内で歩いて数分の距離とはいえ、領主邸にいるにはおかしな時間だ。


 時間を憚ってぼそぼそとエドが話すには、晩餐の後片付けが終わり、メイドたちもそれぞれ家に戻った後、エドは明日の朝食の仕込みをしていたらしい。


 ウィリアムが白いパンを気に入っていたようだったので、明日も同じものを出してあげようと思ったのだという。そうしてパン生地を仕込んで、そろそろ自分も使用人用の宿舎に戻ろうとしたところ、ふらりとウィリアムが訪れたらしい。


「まあ、ウィリアム様が?」

「お茶が欲しいと言うのでお淹れしたところ、年はいくつなのかとか、いつから働いているのかと色々と聞かれてしまって、お話をしているうちに、その……泣き出されてしまって、放っておくことも出来なくて」


 どうして泣いてしまったのかは分からないけれど、とエドは付け加えた。

 それで、ウィリアムが泣き止むまで傍についているうちに、こんな時間になってしまったということらしい。


「それで、ウィリアム様は?」

「お部屋までお送りしました。明日も仕事だろうにすまなかったと、僕にも丁寧に謝ってくれて、それで、今夜のことは忘れて欲しいと言われたんですけど……小さい子があんな風に泣いているのを、見なかったことにしてもいいのか、分からなくて」


 エドだってまだ十分子供といえる年齢だけれど、ウィリアムはさらに五歳ほども年下である。

 この年頃にとって、一歳差だってとても大きく感じるものだ。エドは随分、ウィリアムのことを心配している様子だった。


 朝、支度を済ませて外に出れば、メルフィーナの傍には常にマリーと護衛騎士のテオドールがついている。

 メルフィーナだけに話を伝えようとするなら、この時間に部屋を訪ねるしかなかったのだろう。


「分かったわ。伝えてくれてありがとう。エドは一人で宿舎に戻れる?」

「大丈夫です。僕は暗くなってから帰ることが多いので慣れていますし、今夜は月も出ていますから。……メルフィーナ様、こんな時間に来てしまって、ごめんなさい」

「大事なことだと思ったから、伝えに来てくれたのでしょう? 大丈夫よ。エドが話したことは、絶対にウィリアム様には言わないわ」


 エドはほっとした様子で、おやすみなさいと告げて階下に下りていった。その背中を見送ってからドアを閉める。

 昼間のウィリアムは騒いだり走り回ったりするようなこともなく、年の割に大人びた態度で、ユリウスやレナとも丁寧に接していた。


 晩餐の時は動揺した様子を見せてはいたものの、子供らしい失敗の範疇を出るものではないだろう。


 ――私が踏み込むべき問題じゃない。


 オルドランド家の当主はアレクシスであり、ウィリアムはその後継者だ。出奔し公爵夫人としての立場を放棄しているメルフィーナに出来ることはないし、口を出す権利もないだろう。

 ウィリアムが何か辛い思いを抱えているなら、オーギュストにそっと耳打ちをして、彼からアレクシスに働きかけてもらえばいい。


 ――私の悪い癖だわ。


 特に自分をお人よしだと思っているわけではないけれど、子供が関わることになると、どうにも落ち着かない。

 元々子供好きではあったけれど、エンカー地方に来て仲のいい子供たちが出来てからは、特に小さな子供に肩入れしたくなる傾向が強くなった気がする。


 ――どうしたものかしら。


 結局は、保護者であるアレクシスとウィリアムがどうにかしなければならない問題だ。

 メルフィーナの目には、不器用ながらにアレクシスがウィリアムを大切にしているように見えた。


 けれど、アレクシスは言葉足らずなところがあるし、なにより、あの滅多に表情の変わらない氷の公爵の相手は、子供には荷が勝ちすぎているだろう。


 指でこめかみのあたりに触れながら、ほう、とため息を漏らす。


 それに、エドがこんな時間に訪ねてきたのは、メルフィーナにウィリアムを手助けして欲しいと願ってのことだ。


 エドがどれほどメルフィーナを尊重し、尽くしているのかメルフィーナは自覚している。そのエドが、深夜に女主人の部屋を訪ねてまで話を伝えたことを、軽く見るわけにはいかない。


「……お節介なんて、悪役令嬢の柄ではないのよ」


 寝室のドアにもたれかかってぽつりと自分に言い訳をするように呟く。

 テーブルの上に置きっぱなしの書類に視線を向けて。


 それから深々と、ため息をついた。


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