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158.新しい道具と発明家

 夏を迎えて、エンカー地方では小麦の刈り入れの季節がやってきた。

 この時季は雨がほとんど降らないこともあり、今日も空は青く晴れ渡っていて、乾いた空気が心地いい。


 開け放った馬車の窓から、すでに刈り入れを終えた畑の麦藁の匂いが漂ってくる。

 しばらく移動してメルト村に着くと、ニドを中心に、メルト村の主な責任者たちが出迎えてくれた。


「ニド、今日はよろしくお願いします」

「ようこそいらっしゃいました。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 声を掛けると、丁寧にあいさつをしてくれる。それからちらり、とメルフィーナの後ろに控えた馬車の集団に視線が動いた。


「紹介するわね。こちらはアレクシス・フォン・オルドランド公爵閣下と、オルドランド家公子のウィリアム・フォン・オルドランド様よ。公爵様、公子様、こちらはメルト村村長のニドです。普段からエンカー地方の統治に大きく貢献してくれている、優秀な村長ですわ」

「アレクシス・フォン・オルドランドだ。――君が優秀というからには、かなりのやり手なのだろうな」

「ええ、彼のような方に治めてもらっているから、メルト村はずっと順調に発展しているのです。いつもありがたく思っています」

「――きっ、恐縮でございます」


 メルフィーナ相手にはもう大分慣れてくれていたけれど、初対面のアレクシスとウィリアムには緊張するらしい。少し噛んだニドに微笑んで、そのさらに後ろに視線を向ける。


「あちらが、公爵家から随伴してきたソアラソンヌの技術者の皆さんです。今回の視察は技術移転のためということもあり、専門家に来ていただきました。ユリウス様とレナはどちらかしら」

「ご案内いたします」


 ぎくしゃくと礼を執り、案内に歩き出すニドの後ろを少し遅れて歩く。アレクシスが肘を差し出してきたので、ありがたくエスコートしてもらうことにした。


「すでに半分ほどは刈り入れが終わっているんだな」

「ええ、麦が終わったらすぐに次の作物を植える予定なので、少し急いでもらっています」

「他の地方の小麦より、実りがよく見える」

「去年より多少良い種を蒔くのが間に合ったのと、家畜を増やして肥料の増産を行っているのが大きいですね。そのため今年より来年、来年より再来年のほうが、収穫量は大きくなるはずです」


 オーギュストに聞いたところ、麦の収穫量は播種たねまきのおよそ三倍から四倍が北部の平均というところだという。最終的には七倍から八倍にあげていくつもりだ。


 ――それ以上は、「鑑定」による品種改良を交えても、化学肥料がなければ難しいわね。


 米は地力で、麦は肥料で作ると言われるほど、麦作は施肥が非常に重要になる。家畜と人糞による堆肥だと、そのあたりが限界だろう。


 少し歩いてメルト村の中央広場にたどり着く。藁を編んで作ったゴザの上にこんもりと乾燥が済んだ麦束が積み上げられていて、こちらに気づいたレナが大きく手を振って走り寄ってきた。


「メル様! いらっしゃいませ!」

「レディ、お待ちしていました!」


 今日もユリウスとレナのコンビは元気である。メルフィーナの隣にアレクシスがいることに気が付いて足を止めたレナの少し前に出て、ユリウスが紳士の礼を取る。


「公爵閣下、御挨拶をお許しください。エンカー地方に滞在いたしております錬金術師の、ユリウス・フォン・サヴィーニと申します。こちらは私の助手のレナです」


 いつもとは打って変わったゆっくりとした喋り方に、メルフィーナも感心した。

 エンカー地方に滞在してからずっとテンションが高く子供のような振る舞いをするユリウスだったけれど、彼は象牙の塔の第一席、一流の魔法使いであるのと同時に、政治家の一面も持つ立場だ。


 ……普段はすっかり忘れがちになってしまうけれど。


「あなたの噂はかねがね聞いている。非常に優秀な魔法使いであり、錬金術師だと」

「多少魔力量が多いだけですが、おかげで公爵夫人のお役に立てるところもあり幸いの極みです。閣下の貴重なお時間を取らせてしまわぬよう、早速ご覧いただこうと思います。まず、こちらの装置です。公爵夫人にアイディアを頂き、回転式脱穀機と名付けました」


 麻布を掛けられて広場の中心に設置してある三つの道具のうち、ひとつの布をユリウスが取り去る。

 脱穀機はメルフィーナの腰ほどの高さで、円筒形の部位を左右の板で支えた形をしたものだ。

 円筒部位には長釘をV字に曲げたものが等間隔に刺してある。


「こうして足でこの部分を踏むことにより、筒の部分が回転し、そこに穂を当てることで麦が脱穀されます。ロド、麦を頼む」

「はい! こちらの板を踏んで筒が回転し始めたら、こうして乾燥した麦を当てると、穂から麦が脱穀されます」


 ロドが一抱えある麦束を持ってきて、少しずつ脱穀機に掛けていく。ざりざりと脱穀されていく音は思ったより大きく響くけれど、しばらくすると穂からは綺麗に麦が外れていた。

 外れた麦は、脱穀機の下に設置したざるに落ちる。


「回っている最中に筒に触れると怪我をするので、かならず止まっているのを確認してください。それではどうぞ、皆様お近くでご覧ください。麦はたくさん用意したので、脱穀もお試しいただければと思います」


 ロドが足を離して回転が止まると、すぐにわっ、と鍛冶師と大工が脱穀機を取り囲む。


「なるほど、ここを踏むと、この板が上に上がって中の筒が回るんだな。で、この金具が麦をひっかけて落とす仕組みなわけか」

「構造としてはそう難しくないな。似たようなものはすぐに造れるだろう」

「だが、画期的だ。一人で出来る脱穀の量は、これまでと比較にならないぞ」

「村に一台でもこれがあれば、相当な労働力の削減になるはずだ」


 麦の脱穀といえば、荒縄を巻いた棒で叩いたり、板で叩いたりと大変な労働だ。

 どれだけ大量に麦を作っても、脱穀と籾殻(もみがら)との分別がスムーズにできなければ意味がない。この脱穀の作業量の重さが、麦の作付面積を増やせない足かせにもなるほどである。


「もう一つ、こちらも脱穀のための道具です。しくみは回転式よりかなりシンプルですが、その分故障などで専門の技術者に修理をしてもらう必要は無く、町や村に鍛冶師がいれば量産も簡単でしょう」


 ユリウスがもうひとつの布を取る。そちらは板組の台の上に金属製の(くし)を取り付けたものだ。


「見た目通り金属の櫛です。こちらは回転式の脱穀機より多少力は要りますが、簡単に、大量に造るのに向いています。比較的小規模な農村などに素早く広めるのには良いと思います」


 前世で千歯こきと呼ばれていた、穂から麦や稲の実を落とすための道具だ。エンカー村の鍛冶師のロイとカールに依頼すれば、麦の実のサイズから最もいい幅を計算し、すぐに作ってくれた。


「歯の部分は銅だと柔らかすぎるので、鉄製を推奨します。それと、これに向かって転んだら大変なことになるので、足元には十分気を付けてください。しばらく時間を取りますので、みなさんもどうぞ、脱穀を試してみてください。村人も助かるでしょう」


 ユリウスが茶目っ気たっぷりにいうと、公爵と象牙の塔の魔法使いがいることで緊張していたらしい一団の空気がふっと緩み、それぞれが思い思いに双方の脱穀機を観察し、試し始める。


「なるほど、この櫛を通すことで麦の実が穂から落ちるのか。実物を見てみればシンプルな仕組みなのに、なぜ今まで誰も気づかなかったんだろう」

「職人は、子供の頃から見習いに入るからな……うちの実家は農家だが、野菜を主に作っていたから、脱穀の手伝いをしたことはなかったよ」

「大変な仕事だとは聞いていたが、なんとなく、自分たちとは無関係だと思っていたかもしれないな……」


 職人たちの感触はよさそうだ。量産に必要な時間は、人手はとすでに製作を前提に話をしている。


 しばらく職人たちが思い思いに麦の脱穀を試し、もっと大型に出来ないか、風車を動力源にして最大限自動化した場合はと話していた。

 それが落ち着いたころ、アレクシスのエスコートから手をほどき、メルフィーナの手で満を持して、最後の布が取り払われる。


「最後のご紹介はこちらです。開発はユリウス・フォン・サヴィーニ様と、彼の助手のレナに行って頂きました」


 布の下から出てきたのは、これまでで一番大きな装置だ。

 本体は丸い部分に長方形を合体させた形で、その上に麦を注ぐ受け口がついている。ユリウスに目配せすると、彼は頷いて、本体のスイッチを入れた。


 音のないままふわっ、と空気が動き、風が流れ始める。周囲にいた人々もすぐにそれに気づいて、不思議そうな様子でその装置の周りに集まってきた。

 ニドとロドの親子が、職人たちが脱穀した麦を盛ったざるを抱えて、その装置に向かう。ロドでは身長が足りないので、ニドが受け口に麦を注ぐ。


「こちらは風の魔石が入っていて、中で風が循環する仕組みになっています。本体の中で軽い籾殻(もみがら)は風で飛ばされ、麦だけが下に落ちて来る仕組みです」


 麦は脱穀した後、籾殻と分別する必要がある。何度もザルで煽って籾殻を飛ばしたり、ふるいに掛けたりと、こちらも中々手間のかかる仕事だ。


 貴族用の小麦粉は十分にふるいに掛けられた上等なものが使われるけれど、平民はふるいが十分でない籾殻や、下手をしたら石や砂がまじったままの麦を粉にしてしまい、パンをかじると痛い思いをすることもあるらしい。


 投入した麦のふるいはすぐに終わり、ユリウスが装置を止めて下に設置した麻袋を取り出す。

 中には綺麗な麦の実がこんもりと入っていて、おお、と低い感嘆の声が響いた。


「素晴らしい調整ですね、ユリウス様」

「いやあ、風の力の制御には結構苦労しました。最初は風が強すぎて、麦ごと吹き飛んで行って、子供たちに拾ってもらいましたよ」

「風が弱すぎて、全然籾殻が飛ばなくなったりしたこともあったんですよ!」


 風の強弱の調整は、レナがかなり活躍したと聞いている。落ちて来る麦を見てどのくらいの強さにすればいいのか、彼女にはすぐに判断出来たらしい。


「この三つの装置があれば、収穫後の労働量は劇的に改善されるでしょう。余力で収穫後の畑を処理して、速やかに次の利用に回すことができれば、全体の食料の増産につながるはずです」


 錬金術師とその助手の仕事に満足して、メルフィーナは微笑み、視察の一団へと丁寧にカーテシーを執る。


「公爵家の皆様におかれましては、すみやかな農村への配置をご検討いただければ幸いです」


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