151.三種類のパスタと旅の夢
ロレンツォにパスタの入った木箱を運んでもらい、領主邸の厨房に入ると、すでに魔石コンロには水が張られた鍋が掛けられていた。
「メルフィーナ様、新しい料理と聞きましたが、何を作るんですか?」
エドが好奇心に目を輝かせ、明るい表情で聞いてくる。
「ロマーナの小麦粉を使って作られた、パスタを茹でるわ。色々なソースと合わせるとすごく美味しいのよ」
「パスタ、ですか。すごく細長いんですね」
「この辺りでは珍しいものよね。私も本物は初めて見たわ」
ロマーナ周辺ではパンと並ぶ主食として扱われているはずだけれど、貴族のメルフィーナも口にしたことはなかった。
この世界で初めてのパスタである。是非美味しくいただきたい。
「ロマーナではどういう味付けをしているのかしら?」
「平民で一番多いのは、オリーブオイルとニンニクとトウガラシを炒めたものに茹でたパスタを入れて塩をする食べ方です。貴族様でしたら、ミルクと香辛料を混ぜたものと煮たりしていると聞きます」
本場であるロマーナでは、いわゆるアーリオ・オーリオと呼ばれるシンプルなペペロンチーノや、スープパスタのような食べ方が主流らしい。
「メルフィーナ様は、どのような味付けにされるのですか?」
「色々考えているのだけれど、どっちにしようか迷ってしまって」
「それでは、全て作って、私と半分こするというのはいかがでしょう」
秘書であり妹であり、すっかりメルフィーナの扱いが上手くなってしまったマリーの誘惑に満ちた言葉に、あっという間にその気になってしまう。
「メルフィーナ様が食べたいものを作るのが一番です。私もお手伝いしますので」
「あ、僕も食べたいです! あの、セレーネ様やロイドさんも、食べたがると思います」
「そうねえ……昼の軽食としては少し重たい気もするけれど、量を調節すればいいかしら」
セレーネも食の細さが随分改善してきたし、エドとロイドはなんといっても食べ盛りである。
初めて手に入った麺を使ってパスタパーティというのは、とてもいい案に思えた。
「あの、大変恐縮なのですが、よろしければ私も母国のパスタが異国でどのような味付けになるか、とても気になります。どうか試食させていただくことはできないでしょうか」
ロレンツォがおずおずと言うのに笑って、頷く。
「ふふ、では、パスタと出会わせて頂いたお礼に、おなか一杯食べていってちょうだい」
まずはエドに豚肉を叩いてもらう。その間にメルフィーナは玉ねぎを細かく切り、オリーブオイルで炒めしんなりしてきたところで細かくなるまで叩いた豚肉をフライパンに入れる。
そこにすりおろしたニンニクを入れて香りが立つまで炒めた後、赤ワインとケチャップを入れ、塩と、隠し味にウスターソースを少々加える。
「お肉はたっぷり使うのがコツよ」
そう言っている間にも大鍋で沸き始めたお湯に塩を入れ、パスタを投入する。
一人前が前世の感覚と同じ量でいいのか迷ったけれど、男性も多いので、よほどでなければ余ることはないだろう。
「マリー、吹きこぼれないようにお鍋を見ていてくれる? 一気に湯面が上がることがあるから、そしたら火を弱めてちょうだい」
「お任せください」
「エドは、玉ねぎとピーマンを切ってくれる? 薄切りで」
「はい!」
頼もしい返事に微笑んで、チーズを削り、卵を割る。折角のファーストパスタなので、卵黄と卵白を分け、贅沢に卵黄だけをボウルに入れ、チーズと混ぜておく。
「奥様、そちらのチーズは、どちらでお求めになったものですか。ロマーナで扱っているものより、大分色味が薄いようですが」
「そういえば、ロマーナは確か、フランチェスカと違ってチーズを民間でも作っているのですよね。固いけれど風味がいいチーズだと聞いています」
隊商が商品として扱うには、熟成期間が短いチーズはカビや腐敗を警戒しなければならない。芯までしっかり熟成させ濃い黄色からオレンジ色になったチーズはとても固く、その分旨味がたっぷりとふくまれているはずだ。
「今回は持ってきていないのかしら?」
「植物紙と小麦粉を優先しましたので、今回の荷には生憎含まれていません」
「では、よければ次は持ってきてくれると嬉しいわ。ルクセンのチーズはとても大きくて男性でも持ち運びが大変だと聞くけれど、ロマーナのチーズは逆に手のひら程度の大きさだと聞くから、いつか三国のチーズを並べて食べ比べてみたいわね」
「それ、すごく楽しそうです!」
エドが手早く野菜を切り終えたのを確認しながら、メルフィーナは新しいフライパンを火にかけ、乾燥ハムを細かく切ったものを投入する。
水分が抜けた豚肉の脂肪分がジュワジュワと音を立てる中にオリーブオイルを注ぎ、軽く焦げ目が付くまで焼いた後、パスタのゆで汁をカップで掬い、投入する。熱された脂と反応して大きな音が立つのに、全員が驚いた顔をした。
「エド、脂と水が混じるのに必要なものは?」
「つなぎになるものです。一番手軽なのは小麦粉……あっ、だからゆで汁なんですね!」
「そう、パスタを美味しく食べるには、脂と水分をしっかりと混ぜるのがとても大切なの。そうすることでコクが出て、ソースがよく絡むようになるわ」
パスタを一本取って、口に入れてみる。前世ならば髪一本分芯が残ったアルデンテを目指したいところだけれど、やや平べったい麺なのでほぼ茹で上がったところで火を止める。
三分の一をフライパンに空け、残りは等分にして皿に移すようエドに指示をして、乾燥ハムと少し残ったゆで汁の中にパスタを入れ、しっかりと混ぜ合わせた後に卵液をフライパンに移し、手早く混ぜ合わせる。
しっかりと混ぜ終えて皿に盛り付け、胡椒を振ればカルボナーラの出来上がりだ。
「メルフィーナ様、こちらの麺は肉のソースと混ぜますか?」
「いえ、もう一品作るわ。肉のソースは上に載せて、取り分ける時各自好きなだけパスタと一緒に取る方式にしましょう」
新しいフライパンを火にかけ、オリーブオイルに乾燥ハム、エドがカットしてくれた玉ねぎ、ピーマン、フランクフルトを一本、適当なサイズにカットしたものを入れる。
それほど火を通さなくていいので軽く炒めた後ケチャップ、茹で上がったパスタを入れ、完全に混じるまでフライパンを振りながら炒めて仕上げれば完成だ。
大皿三つ分のパスタは午後の軽食というには大分量が多くなってしまったけれど、食堂に運ぶとセレーネやサイモンだけでなく、ラッドやクリフ、なぜか執政官の二人まで待ち構えるように席に着いていた。
「メルフィーナ様、エールの樽も運んでおきました」
「カップもばっちりです」
ラッドとクリフの息の合った言葉に肩を揺らして笑う。最近は中々メルフィーナが作った料理を囲む機会が取れずにいたので、皆少し浮かれた空気になっているようだった。
「思ったより人数が多くなったから、余らなそうでよかったわ」
「僕、姉様の作る料理が余ったのを、見たことがありませんよ」
「思ったよりおなか一杯になると思うから、加減して食べてちょうだい」
テーブルに三つの皿を並べ、どこに座ったものかと戸惑っている様子のロレンツォに、クリフの隣を勧める。
「今日は、ロマーナの商人であるロレンツォがパスタを持ってきてくれたので、試食として三種類の味付けで作ってみたわ。皆が気に入ってくれたら領主邸でたまに出せると思うから、遠慮なく感想を聞かせてね」
短く挨拶をして、小皿に肉のソース――ボロネーゼを盛りつけ、フォークでくるくると巻いて口に入れる。
たっぷりと使った豚肉とニンニクのやや重たい旨味と、酸味のあるケチャップとウスターソースがしっかりと混じり合い、赤ワインがコクを増すのによい仕事をしている。
ロマーナのパスタは記憶にある乾麺より少し表面がざらざらとしていて、それがソースをしっかりと絡めとるのに一役買っているようだ。つるつるとした食感がない代わりに、もっちりとした食べ応えだった。
「……あ、みんなもどうぞ。パスタは冷めると味が落ちるから、温かいうちに食べてちょうだい」
ついつい前世で食べたものと比べて黙り込んだメルフィーナを全員が注視していたけれど、声を掛けると思い思いに小皿にパスタを盛りつけ始める。
「これは、フォークで食べるのは少し難しいですな」
「南の国以外だと、あまり麺を食べる習慣がないものね。こう、少しフォークで掬って、お皿の端でくるくると回したら一口分がまとまるわよ」
「くるくる」
「くるくる、ですね」
みんなが口々に「くるくる」「くるくる」と言いながらパスタを巻いている様子は奇妙だけれどなんだかおかしい。
「これは……随分濃厚な味ですね。思ったより歯ごたえがありますし、一品でもかなり満足感が出そうです」
「卵と、ミルク? クリームで味付けをしているのですかな。この上に掛かっているのは胡椒ですか……久しぶりに食べますが、こういう味付けに胡椒というのは、素晴らしいアクセントになりますな」
ヘルムートとサイモンが冷静に言い合う向かいで、エド、アンナ、ロイドは無言で皿を空にしたあと別の種類のパスタをつぎ足している。エドはそのたびに皿を替えて味が混じらないようにしているけれど、他の二人は気にならないらしい。
「これ、すごく美味しいですね。お肉もたっぷりですし、この上に載っている肉のソースは平焼きパンのサンドイッチにもよく合いそうです。こちらの白いソースの方は、優しい味かと思ったらかなりこってりしていて」
「マリーはどちらの方が好き?」
「悩ましいですね……食べやすいのは白い方ですが、ディナーにお肉のソースが出ると嬉しいかもしれません。この混ざっているのは、少し食べやすすぎて気が付いたらおなか一杯になっていそうです」
「僕は、この全部混じっているのが一番好きです! フランクフルトもたっぷりですし。でも、少し酸っぱいかもしれません」
「ふふ、実はそれね、削りチーズを上から掛けるとさらに美味しくなるのよ」
メルフィーナが悪戯っぽく言うと、エドはさっと立ち上がって食堂を出て行き、戻った時には片手にチーズを、もう片手に削りナイフを手にしていた。
「エド、こっちにも!」
「エド、頼む。たっぷりめだ」
「あのう、よければ私にも、いただけますでしょうか」
普段はおっとりとしてあまり主張しない執政官のギュンターまで手を挙げるので、律儀に削っていくエドは中々自分の席に戻れずにいた。
どうやらパスタに忌避感がある者は、この中にはいないようだ。これなら定期的に購入してもよさそうだ。
――クリームパスタにスープパスタ、焼きスパゲッティも色々と試してみたいし、いつか領主邸で麺から作ってみるのもいいかもしれないわ。
「エド、後で細かいレシピを伝えるから、たまに作ってくれる?」
「はい、勿論です!」
ラッドとクリフ、アンナには自分で削るよう言ってチーズとナイフを渡し、ようやく席に戻ったエドは一際嬉しそうに言った。
その向こうにいるロレンツォは、もくもくとナポリタンを食べている。
「ロレンツォ、口に合わなかったかしら」
「いえ、大変美味しくて、その、衝撃を受けています。こうした味付けのパスタは、初めてですので」
そういえば、前世の記憶ではナポリタンは最も親しんだ味付けではあったけれど、全然ナポリではない云々という論争があったことを思い出す。
とはいえ、ロマーナは前世のイタリアというわけではないし、そもそもナポリという地名もないはずだ。ロマーナ人であるロレンツォにナポリタンを食べさせることに、後ろめたさを感じる必要は無い、はずである。
「パスタはきっと、アサリやイカともよく合うわね。エンカー地方は海が遠いから、海の魚や貝類が食べられないのが少し残念だわ」
「ボンゴレはともかく、イカですか。あれは、ロマーナでも漁師くらいしか食べないのですが」
前世でも昔はタコやイカが見た目から忌避されていたというのに近い感覚なのだろう。イカスミのパスタなど、絶対に美味しいのに。
「いつか、ロマーナに行くことがあったら、是非海の幸を堪能してみたいわね」
南部の領地にすら足を運んだことがないメルフィーナである。そんな日が来るとは到底思えないけれど、温暖な土地の青い空と輝く海に、美味しい料理や異国の街並みを思い描くだけでも楽しいものだ。
「その折は、是非我が商会に声をお掛けください。ロマーナの良い所を全てご紹介いたします」
きりっ、とした表情でそう告げるロレンツォに是非、と笑いながら、さて、灰色のおひげについたミートソースを、どう穏やかに指摘するべきか、そんなことを考えるメルフィーナだった。