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150.ロマーナの商人と思わぬ出会い

「メルフィーナ様、城門にロマーナの商人と名乗る方がいらしています。アントニオ様からご紹介いただいた方で、ロレンツォ様と名乗っています。今日から四日間、エンカー村に逗留するので、お時間がある時にお会いしたいとのことです」

「あら、もう来てくれたのね。……少しだけ、休憩がてらお買い物をしましょうか」

「それがいいと思います。今日は朝からずっと執務室に籠り切りですし」


 マリーの言葉に苦笑して、うん、と腕を伸ばす。朝食を終えてからずっと机に座りっぱなしだったので、凝り固まった肩や背中の筋肉が伸びる感覚が心地いい。


「アンナ、すぐに下りていくから、荷物を内郭に並べておくようお伝えして」

「はい、すぐに」


 一礼すると、アンナはぐっと拳を握って、しずしずと執務室を後にした。


「アンナも随分丁寧に振る舞えるようになったわね」

「最後のポーズが無ければ完璧でしたね」

「ふふ、そこがアンナのいいところよ。それにしても、ロマーナは遠いのに随分早く来てくれたのね」


 ロマーナ共和国は、王都を挟んで北部とは反対に位置する南部領の、更に向こうにある国である。

 気候は一年を通して温暖で、海に面していて魚介類が豊富に獲れるだけでなく、様々な特産品にあふれた国だ。


 ゲームの中でも「ロマーナの商人」はヒロインの望むものをあれこれと用意してくれる、便利な存在だった。


 ――確か、ハートの国のマリアにも追加コンテンツでロマーナの前身である亡国の王子という隠しキャラがいたはず。


 メルフィーナになる前、前世の自分の人生がどんな終わり方をしたのかは曖昧だけれど、記憶に追加コンテンツをプレイした情報は残っていない。


 ただ攻略キャラが二人いて、そのシルエットと特徴、舞台はロマーナになるということだけを事前のCMで見て楽しみにしていたことを覚えている。

 あれほどハートのマリアの攻略に熱意をもっていた前世の自分が追加コンテンツをやりこまなかったわけはないので、おそらく発売される前に生涯を終えたのだろう。


 ――攻略対象は、確か。


「メルフィーナ様?」

「ああ、ごめんなさい。今行くわ」

「やはりお疲れなのではありませんか?」

「少し考え事をしていただけよ。それより、行きましょうか」


 マリーと護衛騎士のテオドールを伴って階下に下り、領主館の門を抜けると、内郭にはすでに帆布を敷いた上に荷馬車で運び込まれた物資が並べられていた。


 その前に商人の男性と、部下らしい若い男性の二人が膝を突いて頭を下げている。


「メルフィーナ・フォン・オルドランドです。どうぞ、頭を上げて立ってください」

「突然の訪問を受け入れて下さり、ありがとうございます。ロマーナよりまかり越しました、ロレンツォと申します」


 ロレンツォ、と名乗った商人は人好きしそうな笑顔で礼を取った。

 くしゃくしゃに癖のついた灰色の髪に、顔は顎から鼻の下までたっぷりとした髯に覆われていて、見た目では年齢が分かりにくいけれど、声には張りがあり、まだ若そうな雰囲気だった。


「アントニオの紹介だと聞きました。こんなに早く次の商品を持ってきてくれるなんて思わなかったから、驚いたわ」


 ロマーナからエンカー地方まで、寄り道をせずとも一か月から一か月半ほどかかるはずだ。

 通常は、その間に各地に逗留して商売していくのだから、到着までにはさらに日数がかかるだろう。


 南部の更に向こうにあるロマーナを出立して、国の反対にあるエンカー地方にたどり着くまでに馬車に積んだ商品を売り、空いたスペースに新しく仕入れた商品を積み込むことを繰り返して、北の端にたどり着く頃には何度も積み荷が入れ替わることになる。


 それではメルフィーナが必要とするものが手に入らないので、かなり割増しになるけれど積み荷をそのままエンカー地方まで運んでもらえるよう、前回取引をしたロマーナの商人、アントニオに依頼をしておいた。


 前回アントニオと取引をしてから、まだひと月と過ぎていない。彼がロマーナに戻って新しく積み荷を仕入れて出発したのではこの速さで届くわけがないので、国に戻る商人仲間に手紙を預けて、目の前にいるロレンツォに出荷の指示を出したのだろう。


「お得意様の必要とする物を、迅速に届けるのがロマーナの誇りですので。その他にも色々とロマーナ産の商品を運んで参りましたので、どうぞご高覧ください」

「そうさせていただくわ」


 敷物の上に積み上がっている商品を見ると、自然とわくわくする。

 侯爵令嬢時代は、買い物といえば商人がタウンハウスまで赴き、ある程度絞ったものの中から選ぶのが当たり前だった。


 今世ではショッピングというものにほとんど縁は無かったけれど、買い物とは楽しいものだったと、前世の感覚を思い出す。


「それにしても、アントニオから話を聞いた時には随分変わった領主様がいらっしゃるものだと思いましたが、こうしてお目に掛かれて、とても光栄です。領主様も秘書様も、なんとお美しい」

「あら、お上手ね」

「私が国一番の商人でしたら、世界で一番大きな宝石を持参して口説かせて頂いたところです」


 歯の浮くような言葉は、嬉しいというより気恥ずかしいものだ。ちらりと横を見ると、マリーは完全に黙殺していた。

 ロマーナの男性は、とにかく女性を口説くのが礼儀であると思っていると笑い話があるけれど、多少なりともロマーナの商人と関わりを持つようになってから、なるほどあながちそれは嘘ではないのかもしれないと思うようになってきた。


 彼らにとっては女性賛美は挨拶の一環であり、真に受けるようなものではないのだろうけれど、北部の人間との相性は悪そうだ。

 ちらりと視線を向けると、テオドールはやや癇性に眉を寄せていた。


「植物紙と軟質の小麦は、ロマーナがもっとも品質がいいから、どうしても欲しかったの。無理を言って申し訳ないと思っているわ」

「いえ、確実に売れると分かっている積み荷だけ積んで進むのも、気が楽なものです。特に今は、あまり治安が良いとは言えないですから立ち寄る土地は少ない方が安全なくらいで」

「やっぱり、飢饉の被害は深刻なのかしら」

「我々は南部から王領に入り、そのまま北部に直進してきたのでそれほど重篤な様子を見ることはありませんでしたが、東のあたりはかなり深刻だと、商人仲間からは聞いています」


 商人が運ぶのは商品だけではなく、情報もまた、重要な商売道具のひとつである。

 特にこの世界は、情報伝達が前世に比べることが出来ないほど遅い。隣町で起きた出来事すら、地元の住民より活発に動き回っている遠くの都市の商人のほうが詳しいくらいだろう。


 広げられた荷物には、樽に入った脱穀前の軟質小麦に積み上げられた植物紙の他、丸められた毛織物の絨毯や干したナツメヤシ、オリーブオイルに石鹸、各種香辛料、ワインビネガー、紅茶に、珍しいものでは胡椒もある。

 胡椒の壺に興味を示したメルフィーナに、ロレンツォはすかさず説明を始める。


「こちらは胡椒といい、専用のミルで砕いて使うもので、月兎の葉とよく似た匂いがしますがそちらより鮮烈な風味がするもので、肉料理などによく合います」

「このひと壺でどれくらいするのかしら」

「銀貨一枚というところです」


 前世の感覚で言うと、一万円くらいである。ロマーナからエンカー地方までの輸送費でかなり割高になっているはずだが、それでも想像していたより随分と安価に感じる。


「思ったより安いのね」

「軽いのでそう荷物にならないのでこうして積んでいますが、月兎の葉のほうが色々と使い勝手が良いので、あまり売れないのです。売れ残ったものは隊商の帰り道に、鮮度の落ちた肉料理などで消化するのが定番になってしまっています」


 前世では、胡椒は一時期、金と同じ重さで取引されていたというのは有名な話だけれど、この世界には月兎の葉があるので需要そのものが低く、高値が付かないという事らしい。


 何しろ月兎の葉は、森に入れば「そこらじゅうに生えている」と言われるほど豊富な資源だ。胡椒によく似た香りがするとは思っていたけれど、この世界では胡椒のほうが月兎の葉の下位互換ということになるらしい。


 折角来てくれたのだから、元々全て買い取るつもりだったし、ほとんどのものは「鑑定」を使えばどういう用途であるか分かるけれど、ロレンツォの説明は軽妙で面白く、これは、それはと一つ一つをゆっくりと見て回った。


 そのうちのひとつ、積み上げられた木箱を覗き込むと、黄土色の棒状のものがみっしりと入っていて、それにぱっと目を見開く。


「これって、もしかしてパスタかしら?」

「よくご存じですね。他国ではあまり流通していないと思うのですが」


 不思議そうに言いかけて、ああ、とロレンツォは納得したように頷いた。


「そういえば奥様は、南部のご出身と伺いました。ご領地で口にされたことがあるのですね」

「いえ、私も実際に食べたことは無いの。ただ、話を聞いたことがあるだけで」


 そう答えながらも、目が釘付けになってしまう。

 木箱の中に無造作に詰まっているのは、記憶にある一般的なパスタより扁平で平たく、フェットチーネと呼ばれていたものに近い形をしている。


 おそらく生麺を竿状のものにぶら下げて乾かし、一定の長さにカットしたものだ。


「こいつはパンと違って日持ちするので、隊商の食事用としてたくさん積んでいるんですが、旅の間はどうしても同じ味付けになりがちで、少々食傷気味でしてね。どうしても立ち寄る街の食堂に寄りがちで余ってしまうので、よろしければお近づきのしるしにひと箱献上させてください」

「いえ、ある程度量が欲しいので、ちゃんと買わせていただくわ。でも、その前に試食をさせてもらっていいかしら」

「それは勿論です」

「マリー、エドに言って、お湯を沸かしてもらってちょうだい。大鍋一杯に」

「はい、ただいま」


 にっこりと笑ってすぐに踵を返したマリーの背中を見送って、自然と口元が笑みの形に綻んでしまう。

 メルフィーナもパンが嫌いというわけではないけれど、前世の記憶を取り戻して以降、その感覚に引きずられて米やうどんといったものが無性に食べたくなることがあった。


 パスタも、そのうちのひとつだ。無いものは仕方がないとずっと諦めていたものが不意に目の前に現れて、すっかり気持ちが高揚してしまっている。


「失礼ですが、奥方様がお作りになられるのですか?」


 貴族の女性が厨房に立つのは、あまり行儀のいいこととはされていない。各国を回って商売をしているロレンツォもそれを知っているのだろう、懐疑的な声だった。


「ふふ、私が変わり者の貴族だって、アントニオから聞いているのでしょう?」


 浮かれてしまって、つい悪戯っぽくそんなことを言ってしまう。


「私、ずっとパスタを食べてみたかったの。あなたとの出会いを感謝するわ、ロレンツォ!」


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