143.納税と畜産家
馬車はゆっくりとエンカー村とメルト村を結ぶ街道を進んでいた。
雨季が終わり、馬車の進みも少し前とは違って滑らかだ。開け放した窓から吹き込んでくる風は乾いていて、心地よい初夏の日だった。
「春に子牛が生まれたのね。順調に育っているようだし、ひとまず安定したようでよかったわ」
マリーがまとめてくれた資料に目を通し、呟く。
「畜産を行う農家が出てくれたのは嬉しいわね。あと数年は難しいと思っていたから」
「畜産を営む家は通常、家畜を揃えることが可能で、放牧が出来る面積の土地を所有している、その土地で長年畜産を営んでいる者ですからね。今回は本当に、特殊なケースと言えるでしょう」
馬車に同乗しているヘルムートはそう答え、植物紙に書かれた書類をめくる。
「メルフィーナ様の提案された、新規事業の場合は最初の年は納税を軽減、もしくは免除という施策が功を奏しましたね」
「出来ればあと一つか二つくらい、家族経営で畜産を始めてくれる家が出るといいのだけれど」
去年は肥料に利用する排泄物目的で家畜の数を増やすことを優先したため、現在のエンカー地方の酪農や畜産のほとんどは領主直轄で行われている状態である。
だがいつまでも重要な産業を領主だけが抱え込んでいるのは、あまり健全とは言えない状況だ。
飢饉に備えるために急激な変化を必要とし、それに耐えるだけの命令権と資金を持っていたのがメルフィーナだったけれど、現在領主直轄として抱えている事業の大半は、少しずつでも民間に委嘱していきたいところである。
こうして個々の家族単位で畜産業を営んでくれる入植は、メルフィーナとしても助かる話だった。
けれど、新しい産業が民間で生まれると、これまでとは違う管理システムが必要になってくるのもまた、必然的な変化である。
これまで開拓地であったエンカー地方には、畑を耕す以外の仕事を持つ者がおらず、家畜は各家庭が消費するために最低限飼われているものだった。そのため納税も、シンプルに圃場の面積で規定された量の麦を納めるだけだったけれど、第二次、第三次産業が進出してくれば、新しい納税方法が必要になってくる。
特に今回は、エンカー地方において平民の一家が畜産を専門に行う初めてのケースだ。今後納税をどういう形で行うか、あらゆる職業のモデルケースになるだろう。
「畜産業の場合、通常は飼われている家畜の種類と性別に対して一頭あたりいくらと定めて納めるのが一般的ですね。複雑な計算が必要ありませんし、徴税人による審査もやりやすくなります。畜産を営む側としても、施設の規模と税の金額によって頭数を管理しやすくなるメリットもあります」
ヘルムートの言葉に頷く。
平民の大半は読み書きや計算が出来ないので、帳簿を付けることが難しい。そのため農家は所有する作付面積によって定められた量の麦で納税し、畜産家は所有する家畜の数により納税額が決まるのが一般的だ。
また、前世のように脱税を監視するために銀行口座やお金の流れを見るシステムが確立していないため、身軽に動ける徴税官を利用するのはもっとも理に適っている。
「徴税人は出来れば、領主直轄の文官として雇いたいのだけれど、難しいかしら」
「貴族の子弟か教養のある平民に委託してしまったほうが手間もかからず楽ですし、実際、ほとんどの領主が徴税人を委託しているのが現状ですが――メルフィーナ様は、過剰徴税を心配しているのですね」
さすが敏腕の執政官である。メルフィーナの意図することをすぐに言い当ててしまった。
「ええ、どうしても起きてしまうことだけれど、出来るだけ健全な経済活動のためにもそうしたいと思っているわ」
徴税の委託は徴税人によって水増しで支払いを要求されることが多く、領民の不満の温床になりやすいものだ。
聖書が編纂された時代から、商人と徴税請負人、そして粉挽き屋は平民の恨みの的である。
前世の歴史では、フランス革命の折、徴税請負人は指名手配のうえ、捕らえられた者の多くは財産を奪われるか、それまでの評判によっては首と胴が泣き別れになったというから相当な憎しみを買っていたのだろう。
「現在のエンカー地方の規模なら問題はないでしょうが、いずれ限界が来るでしょう」
ヘルムートの返答は単純かつ容赦のないものだった。
実際、納税側が帳簿をつけられない以上ある程度一律の基準をつくりそれを守っているかどうか監視させるのが最も簡単で、かつ現実的だろう。全ての住人を監視させる官吏を領主が雇うのは困難で、そのメリットがある私人に任せてしまうのは、理に適っている。
その時代に採用されているシステムには、それなりの理由があるものだ。
「そうね、では、徴税人が納税者を苦しめすぎないように監査を入れる形で進めていきましょう」
「監査を行うものは徴税人と癒着がないよう、数年単位で管理する地区を変更させる必要はあるでしょうが、それならばなんとかなると思います」
この先は、何をするにしても不正への監視が付いて回るだろう。その管理も領主として必要なものだけれど、去年までののんびりとして素朴な領地経営を懐かしむことになりそうだ。
「あ、メルフィーナ様、見えてきましたよ」
マリーに声を掛けられて窓の外に視線を向けると、メルト村とエンカー村をつなぐ街道から少し逸れた細い道を進んだ先に、厩舎と少し大きめの家屋、それらをぐるりと柵で囲んだ土地が見えてくる。
柵はそれほどしっかりしたものではなく、大人の男性ならひょいと乗り越えられる程度のものだ。ヤギや鶏にはあまり効果はなさそうだけれど、牛や馬だとこれくらいの柵でも十分なのだという。
しばらくして馬車が止まり、ヘルムートにエスコートされて馬車を降りると、太陽の強い光が目を焼いた。
初夏とはいえ、晴れ渡った空から降り注ぐ日の光は眩い。少し前まで緑の穂を風に揺らしていた麦畑も収穫時期が近くなって、次第に色褪せ始めてきている。
もうしばらくすれば、麦の収穫時期だ。
麦そのものが資産としての価値があるのは勿論の事、麦わらは家の修繕や家畜の粗飼料、牛舎の堆肥など多くの利用法がある。
領主であるメルフィーナにとっても、大きな収入の入る時期と言えた。
「メルフィーナ様、帽子を」
「ありがとうマリー」
つばの広い帽子を差し出され、かぶせてもらうと目もとに当たる光が和らいで、ほっとする。
敷地に入ると、馬車に気づいていたらしい少年が小走りに近づいてきた。少し離れたところで立ち止まり、帽子を脱いで礼儀正しく頭を下げる。
顔にそばかすが浮いている赤茶色の癖毛の少年で、年はメルフィーナより二つ三つ下というところだろう。領主が訪ねて来ることは聞いていたらしく、緊張した表情だった。
「いらっしゃいませ! お待ちしていました!」
「こんにちは、お出迎えをありがとうございます。お父様かお母様はいらっしゃるかしら?」
「はい! 母さん……母がお茶を用意して待っていますので、こちらにどうぞ!」
緊張でつい声が大きくなってしまうらしい少年は、ぎくしゃくしながら敷地内に案内してくれた。
柵で囲われた内側には、四頭の牛が草を食んでいる。奥には鶏舎もあるらしく、雄鶏の鳴き声が聞こえてきた。
「今は、何頭くらい育てているの?」
「牛が五頭で、そのうち一頭が子牛です。鶏が十五羽と、あと最近、豚も飼い始めました!」
そう言っている端から、鶏がとことことこちらに歩いてきた。見慣れない人間を警戒しているのか羽をばさばさと振るのを、少年は慣れたように足で追い払っている。
「鶏は案外気性が荒くて、飛び掛かって来たりするので、気を付けてください」
「鶏は放し飼いにしているの?」
「その方が餌代が掛からないですし、鶏は放っておいても夜には鶏舎に戻って来るのでそうしています。でも、エンカー地方は鶏を飼っている家がすごく多いんですね。肉も卵も値崩れしているから、鶏舎は潰そうかって父さん……父が言っていました」
去年メルフィーナが周知を徹底した、鶏小屋に敷いた藁を買い取る話は、どうやら彼らには伝わっていないようだ。あとできちんと説明しておく必要があるだろう。
住居はまだ真新しい二階建てで、中々広い玄関を進み、応接間に通される。
「いらっしゃいませ、本日はおいで下さりありがとうございます。無学な農民ゆえ、無作法を働いてしまったら申し訳ありません」
席に着くと、間を置かず中年の女性が入室してくる。すらりとした背の高い女性で、シンプルだが上品なロングドレスを身に着けていた。
これまでエンカー地方で見てきた女性たちとは、明らかに違う雰囲気にやや気圧されつつ、メルフィーナはにこりと微笑む。
「メルフィーナ・フォン・オルドランドです。こちらは執政官のヘルムート。本日は色々と聞かせていただけると嬉しいわ」
「ジョアンナと申します。この度は移住の願いを聞き届けていただき、ありがとうございました。夫と共にご挨拶させていただくつもりだったのですが、元いた家の牛が数頭まとめて産気づいてしまい、一昨日から下の息子たちを連れてそちらに行っていて、不在をお詫びします」
家族経営をしていたならば、分家したことで家畜の世話をする手が足りなくなったのだろう。
一家を率いるのは男性であり、妻だけが出迎えることを軽んじられていると取る者も多い。ジョアンナも毅然とした表情をしているものの、どこか不安げな様子だった。
「今日は視察がメインだから、気にしないで。ジョアンナも息子さんもしっかりしているから、安心して出かけられるのでしょうね」
「恐縮ですわ。寛大なお心遣いを、感謝いたします」
安堵した様子のジョアンナに、メルフィーナも微笑む。
新しい土地に移住してきたばかりで、これまでとは違う取り決めも多く、不安が多いはずだ。
出来れば移住を後悔して欲しくないし、上手くエンカー地方に馴染んでいってもらいたかった。
中世~近世の納税について調べていたのですが、どの資料にも「とにかく徴税請負人はすごく嫌われていた」という記述が必ず入って、中には革命の時にギロチンに掛けられた徴税請負人もいたそうです。