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139.南の小麦と餃子パーティ

 厨房にはいつになく人が多かった。

 マリーとセドリック、エドにアンナ、オーギュストとテオドール、ここにメルフィーナを足せば、改装してやや広くなったとはいえ、厨房はもう一杯である。


「今日は人数も多いので、みんなで作って食べるメニューにしようと思います」


 久しぶりにエプロンを身に着けたメルフィーナの隣で、エドもしゃっきりと背筋を伸ばしている。全員に石鹸で手を洗ってもらい、まずは粉の入った小樽を取り出した。


「まず、小麦粉とこちらの粉を半々にして、塩を少々入れ、触ると熱いけど火傷しない程度の温度のお湯で練っていくわ」

「メルフィーナ様、そちらの粉はなんですか。見たところそちらも小麦粉のように見えますが」

 オーギュストの問いに、メルフィーナは珍しく誇らしげに笑う。

「これは、すごく特別な小麦粉です」

「……どう違うんですか」


 小麦粉は小麦粉だろうと顔に書いてあるけれど、全然違う。


「ロマーナ産の小麦を挽いたものよ。樽ひとつ分だけれど、植物紙と一緒にようやくエンカー地方にも入ってくるようになったの」


 前世では最も利用されていた小麦粉――薄力粉である。フランチェスカ王国全土で栽培されているパンに向いた強力粉とは違う、粘りの少ない仕上がりの料理に向いた品種だ。

 商人によくよく礼を言い、報酬の他にエールの小樽をひとつ、労をねぎらって渡したほど嬉しいものである。


「定期購買させてもらいたいと頼んでいるのだけれど、ロマーナの方も飢饉の影響は出ているみたいで、中々難しいようね。あちらは気候が温暖だから、フランチェスカや北部ほど深刻ではないと商人は言っていたけれど」


 そう話している間もへらで粉を練り、ひとまとめになったところで作業台に移す。


「これをよく練って、表面に艶が出てきたらしばらく寝かせるわ」

「僕、やりたいです」


 申し出たエドに任せて、月兎の葉で包んだ豚肉の塊を取り出す。男性比率が高く、全員が労働強度が高いので、肉はたっぷり用意した。


「セドリック、肉を叩いてくれる?」

「ひき肉にするのですね?」


 頷くと、慣れたものでセドリックは肉を受け取った。オーギュストにとってはそろそろ見慣れた光景のはずだが、その隣にいるテオドールは新鮮に驚いた表情をしている。


「驚いたな、あのセドリックが包丁を握っているぞ」

「一年前じゃ考えられないよなあ」

「聞こえているぞ」


 振り向かないまま低い声でセドリックが告げると、騎士二人は肩を竦めていた。その様子にクスクスと笑いながら、メルフィーナはマリーとアンナと共に野菜を刻んでいくことにする。


「野菜は香りの強い葱類と大蒜、生姜と、今回はキャベツを刻んでいくわ。全部肉に混ぜてしまうから、細かくみじん切りにね」


「メルフィーナ様、後でそちらも教えてください」

 皮を練っているエドに焦ったように声をかけられて、もちろんよと応える。


「メルフィーナ様、俺も何か手伝わせてください」

「もう作業台が一杯だから、後で皮を伸ばしてもらうわ。オーギュストは器用だから、即戦力ね」


 生地がまとまったら固く絞った布で覆い、しばらく寝かせてもらう。調子よく肉を叩いたセドリックが作ったひき肉もどきに野菜を足し、強めに塩をして豆から搾った油も足す。


 ――醤油が欲しいって、こういうとき、しみじみ思うわね。


 メルフィーナとしての人生で料理をする機会など一度も無かったこともあり、料理に関しての知識はどうしても前世頼りになってしまうけれど、それらのレシピの大半に欠かせないのが醤油や味噌といった発酵食品と、出汁に代表されるうま味成分である。


 メルフィーナの作る食事を美味しいと言ってくれる彼らだが、出汁……アミノ酸がたっぷりと含まれた料理を出されれば、一段上の反応が見られるだろう。

 手に入るもので作ることのできるうま味成分をたっぷり含んだものといえばチーズとコンソメだが、エンカー地方は食料に困っていないとはいえ、大陸中で食糧難は続いている。それもあって、中々コンソメにまでは手が出ないのが現状だ。


 ――牛骨と屑野菜を使って、それらしいものは出来ないかしら。


 鶏コンソメならもっと手軽だし、メルフィーナもコンソメの前段階のフォンならば、似たようなものはすでに作ったことがある。いずれ挑戦してみたいものだと思いながら肉を練り終えて、一度手を洗う。


「じゃあ、オーギュストに活躍してもらうわね。この生地を軽く捏ねて棒状にまとめて、等分に切っていくわ。伸ばして肉を包む皮にするから、これくらいの大きさで」

「トウモロコシの平焼きパンのようなものですね」

「あれはプレス機で作るけど、これはこれで伸ばすの」

「棒ですか?」

「そう、ただの棒よ」


 フランチェスカには麺を食べる習慣がないので、麺棒に類する物も無かったけれど、領主邸ではそれなりに需要があることから、木工職人に作ってもらった麺棒もどきがある。無ければ無いでどうにかなるものだけれど、あると伸ばしだけでなく叩きなどにも使える便利なものだ。


「こうして丸めた生地を、粉を振った台の上で棒で伸ばして――これで皮は出来上がり。肉種を詰めていくから、どんどん作ってちょうだい」

「お任せください」


 皮はエドとオーギュストの二人に作ってもらい、残りは肉種を詰めていってもらう。

 包み方は最もオーソドックスな半月型にしてひだをつけていくタイプにした。


「水で指先を濡らして、真ん中から折ってひだを作って、折り込みを入れていくの。欲張って種を入れすぎると皮が破れてしまうから、少し少ないかな? と思うくらいでいいと思うわ」


 作業台に座ってそれぞれが皮に肉種を包んでいく。そのうち皮を作り終えたオーギュストも参戦する。


「エド、他の料理を作り始めてくれる?」

「はい! スープも温め直しますね」

「アンナ、どんどん焼いていくから、食堂に他の人たちも集まってくれるように伝えてちょうだい。それからラッドかクリフに、一番いいエールの樽を運んでもらって」

「はい!」


 餃子だけで肉も炭水化物も摂れるので、副菜は野菜を炒めたものと、やはり野菜を細かく切ったものを入れたシンプルなスープを合わせることにした。


「焼くのはとても簡単で、鉄鍋に油を引いて少し熱したらこうして並べていって、水を入れて蓋をして蒸し焼きにして、水が無くなったら出来上がりよ。みんなも包み終わったらあとは焼くだけだから、食堂に移動してちょうだい」

「メルフィーナ様、焼くの代わります」


 手早く副菜を作り終えたエドが申し出てくれて、そちらの給仕はアンナに任せ、焼きを交代する。


「半分は羽付きにするといいわ。蒸す用の水に小麦粉を匙一杯入れてよく混ぜてね」

「羽、ですか?」

「小麦粉が焼けて薄くパリパリになったのを、この料理の「羽」と呼ぶの。美味しいから楽しみにしていて」

「はい!」


 いい返事をした後のエドの手際は流石というべきで、三つのコンロでどんどん焼いていく手際はスムーズだった。

 領主邸の主であるメルフィーナが最初のひとくちを食べなければ始まらないので慌ただしくエプロンを外して食堂に移動し、それぞれ席に着くと、ラッドとクリフが全員分のエールを注いでくれる。


 セレーネとサイモンもすでに席に着いていて、厨房で作業をしていた人たちもそれに加わっていく。いったん焼きを中断して、エドとアンナも腰を下ろしたことで、今日参加する全員が揃う。


「今日はしばらく私の護衛に入ってくれる新しい騎士の紹介をしたいと思います。公爵家に所属する騎士のテオドール卿よ。セドリックが休暇の間だけだけれど、皆も何かあったら手を貸してあげてね。今日のメインは焼き立てが一番美味しいから、みんなどんどん食べてください。それでは、乾杯」

「乾杯!」


 エールを傾け、焼き上がって運ばれてきた最初の一皿に口をつける。

 醤油やオイスターソースといった味付けが無いので記憶の中の味と比べるとさっぱりとした印象だけれど、パリッとした皮に歯を立てるともっちりとした弾力の後に、肉と野菜のうまみにニンニクと生姜が混ざり合った香りと肉汁が口の中に広がる。


 思わず熱いと言いそうになり、慌ててエールを口に入れると、芳醇な麦酒の香りと餃子の芳香が混じり合い、豊かな満足感が口と鼻の中を満たしていく。

 前世でもビールと餃子の組み合わせは大正義とされていたけれど、間違いのない組み合わせである。


「みんなもどうぞ、熱いうちに食べて」


 じっとこちらを見られているのに気づいて気恥ずかしく、メルフィーナが声を掛けると、それぞれがフォークを刺して口に入れていく。


「セレーネ、これは丸かじりするのが美味しいの。熱いから火傷に気を付けてやってみて」


 丁寧にフォークとナイフで切り分けているセレーネに声を掛けると、はっとしたようにこちらを見て、それからぱくり、と丸のまま口に入れる。


「熱っ……! うわ、お、美味しいですね」

「肉のうまみがこの皮に閉じ込められて、口の中で弾けるのが面白いです。熱いですが、そこにエールを流し込むと、香りが立ってなんとも……これは美味ですね」


 オーギュストが感想を呟く間に、隣に座っているテオドールはもう一皿の半分を平らげていた。

 気が付けばエドはすでに席を立って、次の皿を焼きに厨房に戻ってしまっている。


「メルフィーナ様、これ、本当に美味しいです。作り方もそう難しくなかったですし、一度に沢山作れるなら村の集会なんかでも出したいです」

 アンナがはしゃいだような声で言うのに、メルフィーナも微笑む。


「とても向いていると思うけど、皮に使うロマーナの粉が中々手に入らないのよね。そのうちもうちょっと沢山入れてもらえるようにするから、そうしたら村のお祭りなんかでも出せるようにしたいわね」

「はい、是非!」


 元気よく言うと、私、お皿運んできますと言ってアンナも席を立ち、厨房へ出て行った。

 騎士たちとラッドとクリフはもはや無言で餃子とエールを行き来している。メルフィーナもしばらくそのマリアージュを楽しんだけれど、元々そう量が入るほうではないので、すぐにおなかが膨れてしまった。

 焼くのに忙しく厨房と食堂を行き来しているエドとアンナに声を掛ける。


「私が焼くのを交代するから、二人とも座っていいわよ。全然食べられていないでしょう?」

「そんなことさせられません!」

「そうですよ!」


 二人ともに勢いよく言われて、苦笑が漏れる。本当に、領主邸のムードメーカー二人は可愛いのだ。


「姉様、よければ僕も、これを焼いてみたいです」

「さ、セレーネのリクエストよ。私がセレーネに焼き方を教えるから、その間に二人も食べちゃってちょうだい」


 メルフィーナが立ち上がれば、自然とマリーとセドリックもそれに続く。それを見て、二人は顔を見合わせ、諦めたようにそれぞれの席に着いた。


「セレーネ、ありがとう。二人とも働き者で助かっているけれど、あのメンバーだと遠慮してしまうだろうから」

「僕はあの美味しい料理の作り方を見たかっただけですよ。あ、今度は、最初から参加させてくださいね」

「ふふ、じゃあ次は変わり種も作ってみましょうか。チーズを入れたり、鶏肉を使ったり、あと、スープの具に入れても美味しいのよ」

「楽しみです!」


 食堂からはわいわいとにぎやかな声が響いてくる。


 残った餃子を焼いて運ぶ頃には、二人の働き者たちもおなか一杯食べることが出来たようだった。


餃子で一話丸々使ってしまいました。明日こそはきっと。


エンカー地方でも薄力粉が多少手に入るようになりました。

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