138.護衛騎士の休暇願い
現在オルドランド領の領都、ソアラソンヌとエンカー村には頻繁に荷馬車や人が行き来しているけれど、今日はその中にアレクシスの護衛騎士、オーギュストも交じっていた。
珍しく、その隣には同じ騎士服を着た男性も連れている。
「やっと地面が固まって来て助かりました。どうも、街道がぬかるんでいると腰に来るので。雪道よりは大分マシですけどね」
「ふふ、ソアラソンヌからここまで、三日近く移動するものね。お疲れ様です。そちらの騎士は?」
「テオドールと申します公爵夫人、どうぞお見知りおきを」
「以前公爵様とこちらに来てくれたことがあるわよね。よろしく、テオドール」
「覚えていていただけたとは、感激いたしました」
あの時はほとんど喋らず、特に紹介を受けることもなかったけれど、顔に大きな傷のある壮年の騎士には見覚えがあった。最初にアレクシスがエンカー村を訪ねた時に連れ立っていた騎士だ。
「セドリック、あの件、閣下から許可が下りたぞ」
「ああ、手間を掛けさせて悪かったな」
「……お前が俺に悪かったなんて言う日が来るとはなあ。すっかり丸くなって、嬉しいような寂しいような」
セドリックが無言でオーギュストの脛を蹴ろうとするのに、さっとオーギュストが身をかわす。二人は従兄弟の関係だというけれど、仲がいいのか悪いのか、よくこういうやりとりをしていた。
堅物で、メルフィーナの前でもほとんど慇懃な振る舞いを崩すことのないセドリックが砕けた態度を取るのはオーギュストとユリウスの前だけなので、ある意味微笑ましい光景である。
「メルフィーナ様、テオドール卿の来訪は、私が依頼したことです。やり取りに時間がかかり事後承諾になってしまいますが、実は、休暇を頂きたく」
「あら、まあ! 勿論構わないわ。セドリックが全然お休みを欲しがらないから、どうしたらいいかと思っていたのよ」
執政官や文官がそれなりに入ったことで、マリーの仕事量はある程度減らすことが出来たけれど、メルフィーナの護衛としての主力は変わらずセドリック一人のままだ。
メルフィーナが休日に部屋にいるから好きに過ごしても構わないと告げてもセドリックは屋敷内から離れようとしない上に、騎士としての鍛錬はメルフィーナが寝室に入って以降、夜にしているという。
いくら若く、体力があるとはいえ、ずっとそのままではいずれ体を壊してしまわないか心配だった。
「テオドールはその間の交代要員として来てくれたのね」
「はい、誠に勝手ですが、十日程度の休みを頂ければと。冬か、せめて雨季の間に頂ければよかったのでしょうが、中々調整がつかず、多忙な時期に重なってしまって申し訳ありません」
「そんなこと気にしないで。なんなら、これからは定期的に休みが取れるような体制を作った方がいいと思うわ」
「いえ、それは大丈夫です。今回お側を離れることで、最後にしたいと思います」
やけにはっきりというセドリックに、逆に心配になってしまう。
セドリックは生真面目で、少なくともメルフィーナに対して嘘をつくようなことは決してしない。本当に今後休みなく働き続けそうだ。
「セドリックがお休みを取らないと、私も気楽に休めないじゃない? 今は忙しいけれど、領地運営の体制が整ったら後は遊興貴族みたいにだらだらして暮らすつもりなんだから」
なにしろ、メルフィーナの目的は平穏に暮らすことである。バリバリと仕事をして敏腕領主になることなど、そもそも望んでいない。
――ある程度豊かで、平和で、平穏なスローライフ、最高だわ。
本気でそう思っているのに、なぜか執務室にいる全員に妙に生ぬるい笑みを向けられてしまう。
「メルフィーナ様、別に、だらだらして暮らしたいなら、今でもできないことはないのでは」
「全然準備が足りないわ。最初からだらだらしていたら、いざというときに備えが無くてどうにもならなくなったりするのよ」
前世でいう蟻とキリギリスである。冬の間楽しく暮らせるのは、そのほかの季節に蟻が真面目に働いたからだ。
「そうやって真面目に考えてしまうところが、あまりだらだらとした暮らしに向いていない気もしますけど」
「いいえ、私は将来的にのんびり暮らして、マリーとおそろいのドレスを作って街でお買い物をしたり、一日中ベッドに寝転がって本を読んだりするのよ」
メルフィーナとしてはそれなりに真剣な未来への希望だが、ここにいる人々にはピンとこない様子だった。
いずれ全員が驚くくらい怠惰に過ごしているところを見せようと思いつつ、こほん、と咳払いをする。
「それでセドリックは、休暇はどう過ごすの?」
「ソアラソンヌに出向いてきます」
「……往復で六日もかかるのよ? 休暇の半分以上を移動に使ってしまっては、勿体なくない?」
おそらく公爵家に挨拶にも寄るだろうし、騎士団にも顔を出すだろうから、実質休みは一日か二日ということになるだろう。
「テオドールの都合もあるでしょうけど、二十日とか、いっそ一か月くらいお休みでもいいのよ?」
「メルフィーナ様、そんなつれないことを言ったら可哀想ですよ。本当は一日だってお側を離れたくないと思っているでしょうに」
その言葉が終わった途端、痛ェ! と悲鳴が上がる。今度はしっかり、脛にヒットしたらしい。
「聞き苦しい声をお聞かせして、申し訳ありません」
「いえ、それはいいのだけれど……ほどほどにね、セドリック」
「この男の軽口は、口で言っても直らないので犬以下ですので、お気になさらないでください」
あくまで生真面目にそう告げるセドリックに苦笑して、ちらりとマリーを見る。
「私はお休みは結構です。今でも随分楽をさせていただいていますし、領主邸から離れたら、却って気が休まらないので」
「マリーも仕事中毒だものね……」
「いえ、領主邸の食事が美味しすぎるのがいけないのです。正直、もう他の土地で生活出来る自信がありません」
真剣な表情で言われて、一瞬置いて、全員で笑い合った。
「領主邸で出る料理の評判は、騎士の間でも有名です。仕事に来ているので恐縮ですが、実は私も楽しみにしていまして」
「あら、じゃあ、テオドールの歓迎会として、今夜はとっておきのエールを出すわ」
「うわあ、楽しみです」
声を弾ませたオーギュストに、セドリックが冷たい視線を向ける。
「オーギュスト、お前の仕事は終わっただろう。私と共に、昼にはここを発つぞ」
「は? もう出るのかよ!?」
「テオドール卿に引継ぎをしてからだが、一時間もあれば終わる。時間を無駄にしたくない」
「出立の準備もあるし、明日にしたほうがよくないか?」
それに対するセドリックの返事は、よくない、の一言だった。
助けを求めるようにオーギュストに視線を向けられて、メルフィーナも苦笑する。
「セドリックがそうしたいなら、私に止めることは出来ないけれど――あら」
ぱらぱらと石壁を滴が叩く音に、鎧戸を開け放した窓を見ると、雨の雫が落ち始めている。
雨季がほぼ明けたとはいえ、まだ天気は不安定な日も多い。こうして思い出したように雨が落ちて来る。
「雨の中の移動は大変でしょうから、出発は明日にしたら? セドリック」
「……メルフィーナ様がそう仰るなら」
渋々という様子のセドリックの後ろで、彼の従兄弟がガッツポーズを取っているのにクスクスと肩が揺れる。
「晩餐はごちそうにしましょう。久しぶりに私も一品作るわ」
皆が笑っていて、とても和やかな雰囲気だった。
もしもこの時、セドリックが予定通り出発していたら、どうなっていたのだろうか。
ここから時間がずっと過ぎた後、メルフィーナはそれを時折、考えることになった。
次回から少ししんどい話が続く予定です。
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