137.捨て子の処遇
雨季も終わりに近づき、時々青い空も見えるようになった頃、ユリウスが領主邸を訪ねてきた。
元々ユリウスはメルフィーナに雇われている身であるし、今も領主邸に彼の部屋はあるのだが、訪ねてきたというのが相応しいほど、彼の生活の場はすっかりメルト村に移ってしまっている。
仕事はちゃんとしていることだし、ユリウス一人いればメルト村の警備に割くコストが大幅に減る。何より、その環境がユリウスにとってとても良い影響を与えていると感じるので、メルフィーナも最近はその状況を受け入れつつあった。
「それで、ユリウス様。その子は?」
ユリウスの腕には小さな子供が抱かれていた。赤ん坊というには大きいけれど、あどけない顔立ちはレナより少し年下なくらいだろう。
青みがかった紺色の髪は肩のあたりで切りそろえられていて、同色の瞳がメルフィーナをじっと見ていた。
「レナと森で遊んでいたら見つけました。しばらく親を探しましたが、メルト村の住人の子でないことは確かだそうです」
「森に……それは、親とはぐれてしまったのかしら」
「いえ、状況からして捨て子だと思います」
その言葉にぎょっとして、マリーに目配せをする。優秀な秘書はそれだけでメルフィーナの意図を汲んでくれ、ユリウスから子供を受け取った。
「温かいミルクはいかがですか。おなかは空いていますか?」
先ほどから一言もしゃべろうとしないけれど、こちらの言う事は分かっているらしく、少女はこくりと頷く。
「メルフィーナ様、厨房でこの子に食事を与えてきます」
「ええ、お願いねマリー。ユリウス様は団欒室にどうぞ」
「僕も砂糖の入ったミルクを」
「あとで届けさせますから」
最近はすっかり忘れかけていたけれど、久しぶりにユリウスのデリカシーのないところを見てしまった以上、複雑な立場の子供と一緒にしてはおけない。
少女は人見知りをしている様子もないのに発語が無いのが気になったけれど、ひとまずマリーに任せておけば大丈夫だろう。
団欒室に入ってドアを閉めると、メルフィーナは深々と息を吐いた。
「ユリウス様、子供の前で捨て子がどうのこうのと言うべきではありません」
「え、でも、本当のことですよ」
きょとんとした顔のユリウスは、何が問題かそもそも分かっていない様子だ。
「本当のことと口にしていいことは別です。あんな小さな子供が親に捨てられたなんて、とても傷つくことですよ。大人になった後も大きな傷になりかねないような問題です。二度とあの子に聞こえるように捨て子がどうこうと言わないようにしてください」
「レディがそう言うなら従います」
そういう問題でもないけれど、情緒が育ちきっていない様子でもユリウスは約束したことは守る人だ。
彼に細かく人に気を遣えというのは、犬に空を飛べというようなものなのだろう。
「それで、あの子のことですが……捨て子というのは間違いないのですか」
「森の中で一人でいたところを保護しましたし、メルト村の中でもあの年頃の女の子は少ないので、どの家の子でもないのは確認しました」
「出入りしている人足の子かしら……わざわざ他所の村とか集落から子供を捨てに来るとは思いにくいし」
多少発展してきたとはいえ、周辺の村や領地とは隔絶を感じるほどにエンカー地方は孤立した土地だ。わざわざ子供を森に捨てるために足を運ぶような立地ではない。
他所からここまで連れてきたなら、村の人の多い場所に置き去りにするほうが理に適っている。
人里が近くても、森は安全な場所とは到底言えない。まだ雨季を抜けていないこの季節は低体温症になる可能性だって高い。死んでも構わないと思っていなければ出来ないことだ。
そう思うと、痛ましい気持ちがメルフィーナの胸に刺さる。
幼いながらに目がくりくりとしていて、顔立ちも整っている子供だった。女の子ということもあり、一番可愛い盛りだろうに。
「それで、保護者が見つからなかったので連れて来てくれたんですね。それにしても、どうしようかしら」
現在領主邸は執政官や文官を始め兵士や大工、人足など、人の出入りが多くなっており、非常に慌ただしい状況である。メルフィーナも多忙であるし、雨季が明けて麦の収穫が始まれば本格的に執務室から離れられない時期が続くだろう。
あんな小さな子供の世話をする余力は、今の領主邸にはない。
「発展していけば今後こういうことも増えると思いますし、今から孤児院の設立を考えてみるのはどうでしょう」
「孤児院ですか……確かに、追々考えていかなければならない問題ですね」
人口が増えれば、幼くして親が亡くなったり、生活に行き詰まって捨てられたりする子供が出て来ることもあるだろう。
王都にもそうした境遇の子供たちを集めて世話をする孤児院が複数あった。
この世界では子供も立派に働き手である。奉公先が見つかれば引き取られていくけれど、後ろ盾のない子供は奉公先でも扱いが悪いことが多く、病気になれば孤児院に戻されたり、酷いケースでは出先で捨てられたりすることもまかり通っていると耳にしたことがあった。
そういった事情もあり、平民の子供は半分程度しか大人になることが出来ない。多くは乳幼児の疾患で亡くなるか、成長出来ても過酷な労働で命を落とすことも多い。
出来るだけそういったことを無くしていきたいとは思うし、それは今後の課題だが、こんなに早く捨て子がぽんと目の前に現れるとは思っていなかった。
「保護を必要とする子供がある程度の数いるならともかく、今の時点で孤児院まで造るのは難しいですね」
とはいえ、子供には面倒を見る大人が必要だ。
避妊が適切に行われていないこの時代、基本的に夫婦は多産であり、実子であっても長男以外はいずれ家を出される身である。そのため養子に迎えられる子供は滅多にいないはずだ。
「ひとまず近くの村か、ソアラソンヌの神殿の運営する孤児院に連れて行くのが一番いいかと思います」
「それが一番でしょうね。子供の面倒を見る環境が整っているでしょうし、寄付と共に預ければ、きちんと面倒を見てもらえるでしょうし」
セドリックに言われ、それが一番だろうと頷こうとすると、ユリウスが「待ってください」と声を上げる。
「レディ、出来ればあの子は、エンカー地方で面倒を見て欲しいのです」
「どうしてですか? 何か理由が?」
「幼いのでまだはっきりとしていませんが、おそらくあの子はとても強い魔力と、魔力に対する抵抗性を持っていると思います。子供が魔法を使えると、それこそ奉公先に使い潰されるおそれがありますから」
「まあ……」
魔法使いを雇うのは、非常に高額である。後ろ盾のない子供が魔法を使えるとなれば、それを目当てに悪い大人に囲い込まれる可能性は高いだろう。
「それなら、エンカー村かメルト村で、あの子の世話をしてもいいという家庭を探した方がいいわね。人格に問題がないと周囲に認められている家を選んで、養育費の補助を出せば預かり手は見つかるかもしれないわ」
いわゆる里親制度というものだ。だがこれにも、ユリウスは難色を示した。
「ここで育ててあげるわけにはいきませんか?」
「領主邸は子供を育てられる環境ではありませんし、今後同じような立場の子が出てきた時、全員を引き取るのも難しい以上、領主の贔屓や差別につながってしまいかねません」
「うーん、確かにそうですね。まずはレディに相談をと思ったので連れてきたのですが、メルト村の方で探してみてもいいでしょうか? それなら僕が近くにいることができるので」
「勿論構いませんが……あの子はそんなに魔力が高いのですか?」
興味あること以外に無関心を貫くユリウスだ。捨て子を拾ってもニドに渡してメルフィーナに相談するといいと言う程度だろう。わざわざ直接本人が子供を連れて赴いて、その先の処遇に口を出してくるのがやや気になる。
「そうですね、ちゃんと養育すれば象牙の塔に入ることも可能なくらいでしょう。ですが、象牙の塔というのは魔力の高い子供が育つには極めて不健全な場所ですので、僕はお勧めできません」
魔法研究機関として最高峰の象牙の塔に入ることも出来るほどの魔力というのに驚く反面、このユリウスをして不健全と言わしめる象牙の塔とは、どういうところなのだろうと懐疑的に思う。
ユリウス自身が非常に魔力の強い子供だったはずだ。
そんな考えが顔に出ていたのだろう、ユリウスはニコニコと笑いながら言う。
「僕は両親も象牙の塔の魔法使いだったので、それほど非倫理的な真似はされませんでしたよ。ほとんどの時間を寝て過ごしていたので、何をされても分からなかったということもありますし」
本人は全く気にしている様子はなかったけれど、その一言で確かに子供を預けていい機関ではなさそうだとメルフィーナは頷いた。
「では、ニドに頼んで養親を探してもらいましょう。私からもお願いしておきますので」
「はい、よろしくおねがいします」
それで用は済み、ユリウスは来た時と同じように少女を連れて帰っていった。
「マリー、あの子、自分の名前や身元が分かるようなことは言っていた?」
「いえ、話しかけてはみましたが、一言もしゃべらなかったので。耳は聞こえているようですし、こちらの言う事は理解している様子でしたが……」
「あの子のことは、しばらく気を付けて見ていたほうがいいかもしれないわね」
不自然な状況で捨てられていた子供が、象牙の塔に入れるほどの魔力を持っていたというのは、果たして偶然なのだろうか。
「ユリウス様の様子を報告している者に、あの少女の様子も気を付けるよう、伝えておきます」
マリーの言葉に頷いて、ほう、と息を漏らす。
「捨て子や孤児なんて、考えるだけでも辛いわ」
けれど、人間社会には切っても切れない問題のひとつでもあるだろう。
――今年中には養護施設の草案だけでも立てておきたいわね。
全ての者が豊かに暮らすのは難しい世界だけれど、子供時代は、せめて幸せなものであってほしい。
それがメルフィーナの強い願いだった。