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136.神様と雷

 帰りの馬車の中は、なんとなく、気まずい空気に包まれていた。


 マリーはまだ顔色が悪いままで、窓の外を見ると再び降り始めた雨の中をセドリックとロイドが馬で囲むように進んでいる。

 セドリックは堂々としたものだけれど、ロイドは完全に腰が引けていて、彼を乗せている馬もどこか居心地が悪そうだった。


 向かいに座るマリーは落ち着きを取り戻している様子だけれど、薄暗い馬車の中のせいか、いつもより青白く見える。


 雷は、この世界では二つの意味がある。


 ひとつは神と相対する魔物の王の力だという考え方と、同時に、神がその敵を天から討ち払う力だという考え方だ。


 全く反対の意味を持つこの二つの考え方とともに、雷は人間が扱える力ではない、雷を恐れ、神の怒りを恐れよという意識がこの世界の住民にはある。

 実際、魔法の属性に雷は存在しない。皆の様子を見る限り、やってみようと考えたことがある者もいないのだろう。


 ――なんだか、不思議な感じだわ。


 この世界において宗教というのはそれほど禁忌を扱うものではない。

 前世のように宗教によって人を縛るという考え方は薄く、教会が冠婚葬祭についてある程度の強制力を持っていることと、教会と神殿ふたつの組織で戦争や私闘を強く忌避している程度だ。


 なにしろ、この世界では魔女や魔法使いが差別の対象ではなく、錬金術師さえ国が作った機関があるくらいなのだ。似たような文化や風習を多く共有していても、前世の「中世」とは土台が違う。

 ほとんどの制限は、宗教ではなく王家や貴族、彼らが定めた領地法によって成り立っている。


 実際、前世の記憶を取り戻してからもメルフィーナが宗教的な禁忌に触れたことはほとんどない。メルフィーナとして生きた十六年で、教会や神殿に関わったのはせいぜい「祝福」を受けた時と、あとは慈善事業で神殿の運営する孤児院に慰問に出かけていた頃くらいだろう。

 普段マリーやセドリックと関わっていても、宗教的な価値観のズレを感じたことは無かった。


 メルフィーナは手を伸ばし、馬車に吊り下げられているランプに灯りを灯す。内部が明るくなると、なんとなく、凍り付いたような雰囲気も和らいだ気がした。


「マリー、そちらへ行ってもいい?」

「え? はい、どうぞ」


 少し横にずれてくれた、向かい合って座っているマリーの隣に移動する。馬車は決して広々としていないし、天井も低い。メルフィーナもマリーもどちらかといえば細身だけれど、並んで座れば距離はぐっと近いものになった。


「さっきは、怖かったわね」

「はい、今でも恐ろしいです。もし、メルフィーナ様に何かあったら……」


 こんなに怯えているのに、それでもメルフィーナの身を案じてくれるマリーに苦笑とともに、胸に温かいものが満ちるのが分かる。


「マリーは雷の話は、どこで聞いたの?」

「家政婦長が、寝かしつける時に聞かせてくれました。悪い子は雷に打たれて死ぬ、赤い実を盗んだつぐみは雷に打たれて燃え上がり、森の狼は雷に打たれて燃え上がり、という歌で」

「ああ、私も乳母が歌ってくれたわ」

「寝かしつけの歌としては有名ですよね」


 話をしているうちに、緊張がほぐれてきたのかマリーの口元にようやく僅かに笑みが浮かぶ。


「叱られる時もよく言われるわよね。マリーが大人に叱られるなんて想像も出来ないけれど」

「私、子供の頃はそれなりにお転婆だったんですよ。しょっちゅう雷に連れて行かれるぞ、人狼に攫われるぞって怒られました」

「まあ、ふふ」

 マリーの腕に腕を回し、ぎゅっ、と力を籠める。

「メルフィーナ様?」

「大丈夫よマリー。あなたを連れて行かせたりなんかしないわ。あなたのためなら、私は雷とだって戦ってみせるから」

「……いけません、メルフィーナ様は真っ先に逃げてください。そうでないと、私も安心して逃げられません」

「神様の怒りなら、逃げても無駄じゃないかしら。立ち向かった方が少しは勝率が上がる気がしない?」

「駄目です。……絶対にそんなことが起きないとは思いますが、もしメルフィーナ様に雷の罰が落ちる時は、私が代わりに」


 悲壮な顔で言いかけた言葉を、マリーの肩を軽く叩くことで止める。

 この秘書は、相手が雷……神の怒りであっても、本当に有言実行しかねない。


「私もマリーも、神様を怒らせるようなことなんてしていないわ。あの場にいた全員がいい人だって私は言い切れる。だからそんなに怖くなかったのよ」

「……そうですね。何があったって、メルフィーナ様が雷に打たれるようなことはありません」

「あなたもよ、マリー」


 優しく言って、傍らにいる可愛い妹に寄り添う。

 そうして、心の中で、もうほとんど顔も覚えていない乳母に引き合いに出してしまったことを詫びた。

 メルフィーナの乳母は、怖がらせるような歌をメルフィーナに聞かせることはしなかった。いつも優しい歌を歌っていた記憶しかない。


 おやすみなさい、おやすみなさい、愛しい子。

 朝の光があなたを照らしますように。

 木の葉の影があなたを優しく守りますように。

 羊が鳴き、牛が鳴いても、あなたは涙をこぼしませんように。

 すべての明るいものが、すべての美しいものが、あなたとともにありますように。

 おやすみなさい、おやすみなさい、愛しい子。

 明るい明日が、あなたに降り注ぎますように。


 今思えば、メルフィーナが非常に抑圧された子供だったということもあるのだろう。愛情深い歌ばかりを聞かせてくれた乳母の、懐かしい旋律を思い出す。


 ストイックな淑女教育で、それ以前の子供時代の記憶は曖昧だ。ただ、良くも悪くもメルフィーナに雷の恐ろしさを刷り込むような大人がいなかったのは間違いない。

 平民から王都育ちの騎士まで、あれほど恐れるほど、雷とはこの世界では恐ろしいものとして扱われているらしい。

 だからきっと、メルフィーナの方が普通ではないのだろう。


 ――神様の力で、神様の敵の力でもある。


 それを心から信じているから、あんな反応だったのだ。


 ――運命に逆らっている私は、きっと敵の側ね。


 本当に神様が雷を操っているのなら、マリーとメルフィーナがいれば、まっすぐ自分に落ちて来るだろう。

 口元に皮肉な笑みを浮かべて、目を閉じ、そっとマリーの肩に頭を持たせかける。


「メルフィーナ様?」


 こんな接触をメルフィーナがするのが意外だったのだろう。慮るような声で名前を呼ばれた。


「大丈夫よ、マリー」


 神が恐ろしかったのは、メルフィーナにとっては、もう過去のことだ。


「大丈夫、何が起きたって、私が守るわ」



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